予兆、学校での出来事


 翌朝、ホームルーム前の教室にて。

 俺は鞄を下ろしながら、今朝、雅比と交わした話を思い出していた。


『近所に住んでいる神を訪ねて、悩みを聞くのじゃ』


 電波の影響はどの程度あるのか。

 人間とのあいだに、トラブルは起きていないのか。

 質問を重ねて、見えてきた問題を地道に解決していく。


 なんだかものすごく当たり前に聞こえる内容だが、それこそが一番大切で難しいことなのだ、と雅比は言っていた。


「……なんだかすごいまっとうな政治家に思えるよな」


 いずれにしても、自分の町に住んでいる神へ会いに行くなんてのは初めての経験なので、結構ワクワクする。一体どんな神さまが出てくるのだろうか。


 久住はまだ来ていないが、これはいつもどおり。

 追風とはもう一度ちゃんと話をしておく必要があるだろうと思い、

 ラインでメッセージを送ったところ、昼休みに話そうとのこと。


 ついでにG3Sも起動してみるが、こちらには何も表示されない。

 あまり他の人間には知られたくないみたいな事を言ってた気がするので、たぶん人目を気にしてるんだろう。


 ……にしても、昨日の今日ですげえ順応だなぁ俺。慣れって恐ろしい。


 無人の画面を見つめたまま物思いに耽っていると、同じ班の班長である坂本がふらりとやってきた。


「おっす朝田。さっきから熱心になに見てんだ?」

「ああ、これか?」


 まあ見た目はただの写真撮影画面だからなぁ。

 不思議に思われるのも当たり前か。


「朝田ってそういう女の子が出てくるようなゲームやるタイプだったんだな。ちょっと意外だわ」

「ハ?」


 光速でスマホを確認する。

 何のつもりか、朗らかな笑みを浮かべた雅比がこちらにむかって手を振っていた。


 ウオォォィイおめえ自分の姿を見られたくないんじゃなかったのかよォォォ!?


「おい雅比!」

「あ、朝田……?」


 それで、はっと気がついた。

 画面上の女の子に話しかける俺に、坂本はドン引きしていた。


 そりゃあそうですよねコノヤロー!

 しかも坂本だけならまだしもクラスの他の連中までこっちを見ている。

 くそ、なんだこの展開は! 放課後まではいつも通りじゃなかったのか!?


 雅比の方でも何か喋ってくれればいいのに、なぜか沈黙を守り続けている。

 まさかコイツ、俺のことを試そうって魂胆か……?


 なんにせよ、うまいことこの場を切り抜けないとイヤな噂が流れかねない。

 アイツまた変なことしてるぜみたいな噂ならいくらでも聞き流せるが、

 アイツ学校でギャルゲーやってるんだぜとか言われるとさすがの俺も憤死する。


 くそ、負けてたまるか。

 残りの学生生活の全てが今のこの一瞬にかかっているのだ。

 全身全霊でごまかしきってやる……!


 俺は顔面を構成する全ての筋肉に最上位命令プライマリー・オーダーを発して朗らかな笑顔を迅速に構築。

 作戦開始ミッション・スタート


「あー悪いビビらせたなぁ。実はこれ、いま久住と試作してるAIなんだわー」


 爽やかな声音で自然さをアピールしつつ、坂本へスマホを手渡す。


「えぇぇマジで!? すげえなぁ! AI作るのってむちゃくちゃ大変だって聞いたことあるぞ! 見た目もえらいリアルだし!」


 坂本はおおげさに驚いて、即席のホラ話に乗ってくれる。

 こいつマジでいい奴だなぁ……! 今度ジュースでも奢らせてもらおう。


「いや、これは久住から聞いたんだけどAIにも色々種類があって、こっちからの呼びかけに対して決まった返事をするようなやつならそんなに作るのは難しくないらしい」

「へぇーそうなのか! それにしたってすげえなぁ!」


 俺は適当に話を続けながら雅比の反応を伺う。

 頼む雅比、話を合わせてくれ! 本作戦の成否はお前にかかっているんだ!


『ふむ、初めて見る御仁じゃの。お主、名はなんというのかな?』

「お、おお!? 喋るのかこれ! すげえ! ええっと、質問に答えりゃいいのかこれ? 名前か、おれの名前は坂本孝史だ」

『孝史か。うむ、良いな。誠実で真っ直ぐな、若々しい青竹のような名じゃの。ワシは好きじゃぞ。ワシの名は雅比という。よろしく頼むぞ、孝史』

「お、おお。ありがとう。そんな風に褒められたのは初めてだわ。――朝田、このミヤビちゃんって、すげえな!」

「おう! だ、だろ!」


 坂本へ親指を立てる。

 なんとかごまかしきれそうな流れになり、俺は内心で胸をなでおろす。

 ……まぁ、見た目だけなら古風で育ちの良さそうな女の子だからなあ。

 いくら相手をAIだと思っても、ふつーに相好を崩すよな。


 などと油断していたところへ、雅比が爆弾を投下した。


『じゃが、ワシは朝田の名前の方が好きじゃのう』


 時が止まった。今なんて言ったコイツ?


『何しろワシは、一輝のことがだいだいだーいすきじゃからな♪』


 オイイイイイイてめえ雅比ぃぃぃぃなんなんだよそれはよおおおおっ!?


「……………………朝田?」


 真実の口みたいな顔になった坂本がギギギギと振り返る。


「いや違う! 違うんだ坂本! お前はいま重大な誤解をしている!」

『一輝はいつもワシに優しくしてくれるのじゃぞ。一輝が話しかけてくれるたびに胸がキュンとしてしまうのじゃ』

「お前も心にもないこと言うのやめろ! 何がキュンだよきめえよ!」

『朝田、おまえ……、いや、あえて友と呼ばせてもらおう。友よ、おれには分かるぞ、お前のつらい気持ちが……』

「肩に手を置くんじゃねえよ! 誤解だっつってんだろ!」

「落ち着け朝田、大丈夫だ。分かってる、何も言わなくてもいい。今度そういう時に使えるDVD貸してやるからよ……」

「いらねえから! 変な気遣いしなくていいから!」

『一輝よ、せっかくの坂本の好意を断るなんてお主は心の冷たい男じゃの。お主のこと、嫌いになってしまいそうじゃ……』

「いやおめぇ実は最初から俺のこと嫌いだったんだろ? そうなんだろ!? じゃなきゃこんなハメ技、真顔でできるはずねえもんな!」

『お主、まさかワシの気持ちを疑っておるのか……? こんなに愛してるというのに』

「愛ってなんだよ愛って! お前のなにを信じればいいんだよ!」

「おい朝田、そういう言い方はないだろ。ミヤビちゃんに謝れよ」

「お前こそ正気に戻れよ坂本AIだっつってんだろ!」

「いやあ、そうは言うけどお前、さっきからすげえナチュラルにミヤビちゃんと話してるじゃん。最初はビビったけど、そういうのも悪くないって思うぜ、おれ」


 坂本の理解者ヅラと雅比の取りつくろったしおらしさが織りなす多段攻撃に、俺の脳みそがバーストした。


「ふがあああああああああああああッ!」


 自分でもわけのわからない叫び声をあげると坂本の手からスマホを奪って教室を飛び出し、廊下を全力疾走していつもの階段へ到着。

 雅比の首の代わりにギリギリとスマホを締め上げる。


「雅比ぃぃぃおめえなにしてくれるんだよおおおおお! 俺を破滅させるつもりかぁぁぁぁッ!」

『いやいやまさか。そんなつもりは毛頭ないとも。調査官として年若い人間との対話の可能性を模索してみただけのことじゃ』

「だったらそのニヤニヤ笑いはなんなんだよてめえぇぇぇ!」

『くっかっかっかっかっかっかっかっかっかっかっかっか!』


 スマホを床に叩きつけたくなったが危うい所で思いとどまる。

 万が一壊れでもしたら、修理代で泣くのは俺だ。

 電源を落とすと画面がブラックアウトし、雅比の爆笑が途絶えた。

 深呼吸。……もひとつ深呼吸。


 ああああくそ、朝っぱらから疲れることこの上ない。

 坂本の誤解もなんとかしとかねえと。

 つーかなんでこんなことで頭を悩ませなきゃならないんだ。


 その時、一人の女子生徒が階段を上がってきた。

 放送委員会の園村だ。

 

「おー、朝田じゃん。オッスオッス」

「おっす園村。昨日の三千円返せ」

「本日の営業は終了とさせていただきます。ばいばいさよならまた明日ー」


 くるりと踵を返して階段を下りはじめる背中に声をかける。


「今日うち一限目数学の小テストだけど、園村んとこはないのか?」

「……三限目あるってばよチクショー。もー朝からイヤな事思い出させないでよー」


 虫歯が痛むのを我慢してるような顔。そんなにイヤか。

 考えている事が顔に出てたのか、園村は実に不本意そうな声を出す。


「理系人間の朝田には分かんないかもしれないけどさー。問題用紙ちゃんに書かれた数字とにらめっこするのは昔っから苦手なわけですよー。くっそー、文系に進んだら数学とはきれいさっぱり縁を切れるって思ってたのになー」

「なんでもいいけどカネ返せよ。あれ、お前のミスで見つかったんだから無効だろ」

「うえー。……えーと。一度はあたしがもらったお金なんだから、あれはもうあたしのものって言ってもいいんじゃないかなーって」


 往生際の悪いこと言いだしやがった。


「契約不履行って言葉、知ってるかよ?」

「ううう、でもさぁ」

「そんな事ばっか言ってると信用なくすぞお前」

「う。……それは困る」


 普段から色々やらかしてる俺が言えた義理じゃない気もするが、園村には刺さったらしい。意外とかわいらしい柄の財布を取り出し、中から千円札を三枚。


「はい」

「おう。…………おい、手ぇ離せよ」


 どんだけ力を込めてるのか、まるで引き抜けない。

 しかし園村は滅相もないとばかりに首を振り、


「違うよあたしじゃないよ。これはあたしの野口さんが、トモエちゃんと離れたくないよぉ、って」

「はいはい分かった分かった。変な声マネしなくていいから指の力抜け」

「ぶぅぅぅ」


 本人はブーイングのつもりだろうが中途半端に声が低いせいで子豚が鳴いてるようにしか聞こえない。


「なんでそんなにカツカツなんだよ。ただの委員会活動だろ? どこにカネがかかる要素があるんだ」

「ええっとほら、国津東クニヒガのアカウント運営費?」

「あー、そうか。アレがあったか」


 国津東放送、通称クニヒガ。

 放送委員会がやっているツイッターアカウントのことだ。


 頻繁に更新される内容は中間試験の予想から市長選の行方まで幅広く、添えられるコメントも俺たちの目線に近くて共感できる。


 フォロワー数は驚きの1000越えで、ただの高校の一委員会のアカウントとしては飛びぬけて多い。


「まぁ確かにアレはすごいか。市内で起きた事件の話とかニュースより早いときがあるもんな。俺もフォローしてるし」

「おっほっほ、見直した見直した? なんでしたらその三千円、あたしにカンパしてくれてもいいんですよ?」

「ははは園村の冗談はいつもおもしれーなぁ」


 じゃあなと手を振りかけたところでふと気づいた。


「あれ園村。なんかお前、服汚れてないか?」


 肩のあたりが僅かに黒ずんでいるのを指差す。

 木炭で擦ったような、あまり見ない感じの汚れ方だ。

 園村も言われて気づいたのか、ひょいと眉を上げて汚れたところをつまむ。


「ありゃ、ほんとだ。あの時かなぁ。……ちょっとねえ、学校来る途中でボヤ騒ぎがあってさ、ネタになるかなーと思って話を聞いてきたのさ」

「ふむ、ネタねぇ」


 先ほどちょっと見直したのもあり、ちゃんと聞いてみようという気持ちになる。


「うん。こんな事件があったよーぐらいの感じで流そうと思って、軽い気持ちで聞いてたんだけど……」


 軽快に動いていた園村の口が、急に重たくなった。


「……なんかあったのか?」

「んー。……まあ、朝田ならいっか」


 園村は少し表情を引き締め、


「どうもね。放火っぽい」

「……そうなのか」


 放火、か。

 ニュースの向こう側でしか聞かないような言葉に、気の利いた反応ができない。


「……大事にならなきゃいいけどな」


 無難なコメントをすると、園村はホントにね、と肩をすくめた。

 その時、予鈴がなった。


「あ、ヤバいじゃん! もう行かないとホームルームはじまっちゃうよ! じゃ、またね!」

「おう。またな」


 俺もそろそろ戻らなきゃまずいな。

 ……つーか、坂本の誤解を解かなきゃいけないんだったか……。


 +++


 そして、昼休み。

 俺は購買で適当にパンを買うと、待ち合わせ場所である校庭のベンチへ向かった。

 ビミョーに天気が曇り気味なこともあり、昼休みの校庭には殆ど人影がない。

 そんなわけで、追風の姿はすぐに見つける事ができた。


「よお。……って、なんかお前疲れてねーか?」


 顔つきからいつもの覇気が感じられない。

 応える笑みも元気がない。

 昨日の今日で何かあったのだろうか。


「うーん、ちょっとね……」

「そっか。呼び出して悪かったな。中で話すか?」

「大丈夫。ただのストレスだから」


 ストレスとかあまり似合わない言葉を聞いた気がする。

 だが、弱ってるのは事実らしいので、あえては言うまい。


「んじゃいっか。……昨日あれから久住の家に行ったんだけど。なんか火狐神ってヤツが来てて」

「ああああっ、ごめん! 忘れてた!」


 追風はすっとんきょうな声を上げ、今気づいたというような反応。

 まさか素で忘れてたとは思わなかった。


「あーまぁ久住は火狐神とは仲良くやれてるみたいだから、大丈夫とは思うけどな」

「そうなの? 確かになんか、神さまっていうよりは素直な弟みたいな印象だったけど」


 ほっとしたように追風は言った。

 ……まさか弟が妹になったとは思いませんよね。


「朝田はどう? 雅比さんとは」

「別に問題ないな。……今朝はちょっと不意打ちもらったけどなー」


 すると、ズボンの後ろポケットから雅比が口を挟んでくる。


『おや、心外じゃな。若者との対話の可能性を模索しただけじゃと言うとるに』

「お前な、あんだけ爆笑しといて今さらそれで通るとか思ってんじゃねーよ」


 俺たちのやり取りを聞いた追風は、確かに大丈夫そうね、と一人で頷く。


『ときに追風の娘よ。他の調査官の動きについて、情報はないかのう?』


 雅比が発した問いに、追風はやや表情を硬くする。


「……他の調査官、ですか? 火狐神のことじゃなくて?」

『うむ。野党の調査官の動きが気になっておってな。なにか知っておればと思ったのじゃが……』

「……残念ですけど、ちょっと力になれそうにないですね」

『そうか。それでは仕方ないのう』

「まぁ、用事があるなら、勝手に向こうからきてくれるんじゃねえのか?」


 言いながら、パンの袋を破って一口。

 そこで気がついた。こいつ何も持ってない。


「追風、昼飯は?」

「んー、いい。気にしないで。食欲ないから」

「……おいおい。本気で大丈夫かよ?」

「大丈夫だって。ごめん、用事思い出しちゃったからもういかないと」


 追風は俺の視線を振り切るように立ち上がった。

 いかにもウソっぽい態度だが、どうにもキツそうだし無理に引きとめない方が良さそうだ。

 追風はそのまま歩き去ろうとしたが、数歩いったところで立ち止まる。


「……あの、さ、朝田」

「ん?」

「今回、巻き込んでごめん」


 ――――。


 俺は曇り空を仰ぎ、続いて追風の細い背中を見つめ、最後に自分の手の中にある食いかけのパンを見た。


 らしくない。

 まったく似合ってない。

 つーか何だよその態度は。


 珍しくイラっときたので、俺は今の気持ちを率直に言葉にした。


「気持ち悪いからやめろ。雨が降ったらどうすんだよ。俺今日カサ持ってきてねえんだぞ」


 振り向いた追風の口元は盛大にひきつっていた。


「あ、あんたねぇ……!」

「少なくとも今のところ、俺の方では迷惑は被ってない。むしろ今日も放課後から雅比とデートでラッキーみたいな?」

「あぁ、そぉ……」

「なんだか知らないが気にすんな。俺は気にしない」

「……これから迷惑かかるかもよ?」


 試すような言い方に、俺は深く考えることなく言い切る。


「なんとかなんだろ」

「はぁ、なんとかねぇ。……ま、あんたはそれでいいのかもね」


 多少マシな顔になる。再度去ろうとするところへ、


「おい」


 放り投げた未開封の菓子パンは、振り返った追風の手の中へ上手い具合に収まった。


「ちゃんとメシ食えよな」


 一瞬目を丸くしたが、最後にはこくりと頷く。

 ありがと、と追風は淡い笑みを浮かべ、今度こそ校舎へ去っていく。


『ふむ。朝田よ、お主もなかなか隅に置けぬな』

「はぁ? なんだよそれ」


 思わぬ雅比を笑い飛ばしながら、俺もまた校舎に向かって歩き出す。

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