酔っ払いの言い分


『…………なんで止めてくれなかったんじゃ…………』


 地を這うようなテンションの、もう何度目かになる恨み言。


「だから止めたって、俺」


 まぁ、二杯目からだけど。


 帰り道。薄く雲がかかった夜空には月が明るく輝いている。

 雅比の酔いが覚めるのを待っていたらこんなに遅くなってしまったのだ。


「もういいじゃねえか。蝉川彦だって笑って許してくれたんだし」

『蝉川彦どのはただ笑っていただけじゃ……。あのような醜態を前にしたら、笑う以外になにができるというのじゃ……』

「醜態なぁ……」

 先ほどの光景を思い出し、わずかに頬が熱くなる。


 雅比の酒癖は壮絶だった。

 いや、壮絶という表現でもまだ足りなかった。

 一杯目であっさり出来上がった雅比は次々と杯を重ねていくと、いきなり服を脱いで踊りはじめたのだ。

 しかも踊りの内容がまたひどく、色っぽいというよりも大爆笑という趣きだった。

 発情中のゴリラだってもう少し礼儀正しくやるだろうに。


 その上まぁ絡むわ絡むわ。

 自分の由来はテキトーだから皆に軽く見られるだの、川は昔から川だからいいよなだの、言いたい放題のやりたい放題。

 素面とのギャップがツボだったのか、蝉川彦は始終笑いっぱなしだった。


 一方、俺はいたたまれなくて仕方がなかった。

 画面の中だけで起きている事とはいえ、なにしろ路上で裸踊りである。

 時折やってくる通行人に雅比の姿がオーバーレイしたときなど、直視に堪えないことこの上ない。


 何度途中で逃げてやろうかと思ったが、色々な意味でその後どうなるか予想がつかなかったため、無我の境地で耐えぬいた。

 雅比にとって不幸だったのは、酔いがさめた時、自分がなにをやらかしたのか全部覚えていたことか。

 蝉川彦に平謝りする雅比をなんとか説き伏せて引き剥がし、今に至るというわけである。


 ……ううむ、なんか人生経験積んだ気分だわ。


「つーかさぁ、そこまで酒に弱いんだったらなんで最初から断らなかったんだ? 初めてってわけでもないんだろ?」

『失念しておったのじゃ……。何百年も生きてると忘れてしまうこともある……』

「ストレートに自業自得じゃねえかよ……」


 うぐ、と声を詰まらせる雅比。

 ま、今朝のこともあるからな。

 ちょっとぐらいやり返したってバチは当たらないだろ。


「お前みたいなやつの事、なんて言うんだったかな」ええと、「酒乱?」


『いや待て、違うんじゃ朝田! 誤解するでない! これはそもそもワシのせいじゃないんじゃ!』

「へええ? 自分から飲んどいて自分のせいじゃないってそりゃいったいどういう理屈だよ」

『ワシの由来となった物語に、そのように記述されておったんじゃよ!』

「酔っ払うと裸踊りを始めるって? ……どんな話だよそれ」

『歌舞伎小屋の話じゃ。 確か出だしはこんな感じじゃったか……』


 雅比の口から語られはじめた言葉は、月明かりの下、一つの時間を作っていく。



 ――――時は宝永。江戸の一角に、一軒の寂れた歌舞伎小屋があった。



 一代で名を成した天才が舞台上での事故で亡くなり、彼の息子が若き二代目として跡を継ぐこととなる。

 しかし、初代が亡くなってから客の入りは目に見えて落ち込んでいく。

 苦悩する二代目の元を、ある日一人の少女が訪ねてきた。


 役者として働かせて欲しい。

 そう言い募る少女を、二代目はにべもなくはねつける。

 女性による歌舞伎は徳川幕府から禁じられている。

 少女とて、それは知っているはずだった。


 だが、少女はなおも続ける。

 とにかく見るだけ見てほしい。駄目ならば諦めて帰るから、と。


 そこまで言うのならば、と頷いた二代目の前で、少女は舞を始めた。

 そしてすぐに、二代目は少女から目が離せなくなる。


 身のこなしの鋭さ。

 表現の繊細さ。

 なにより声に込められた感情の豊かさ。

 これまで数多の役者に接してきた二代目から見ても、少女の才は並外れていた。


 ……だが、女なのだ。

 仮に彼女を受け入れたとして、ことが露見したら最低でも廃座は免れない。

 己は座元なのだから、役者たちの身を危険にさらす愚は冒せない。


 しかし一方で、二代目は別のことも考えていた。


 荒事芸と呼ばれる、近年急激な発展を遂げた一連の演目がある。

 これは歌舞伎の中でも特に豪快な、力強い演技で客を魅了するもので、初代も得意としていたものだった。

 この、いかにも男臭い演技を要求される役どころを、彼女ならばやり通せるのではないか。


 観客とて他の演目ならいざ知らず、まさか荒事を女がやるとは思うまい。

 あるいはそこでなら、彼女が活きる道もあるだろうか……?


 黙考ののち、二代目は少女に告げる。

 以後、男として生きるとここで誓うのならば役者として取ろう。

 それを聞いた少女は、目を輝かせて迷わず頷いた。


 男の名を猿田二枡、少女の名を雅比といった。




「……そこまで聞いてるとマトモだけど、どこに全裸要素が?」

『うむ。ある役者の代役を急遽果たすことになった雅比は、初舞台を成功させるのじゃが、その打ち上げの席で酒を勧められてやらかしてしまうんじゃな』

「あー。それで女だってばれちゃうのか」


 話の筋としては確かにアリだろう。


「その後はどうなるんだ?」

『一蓮托生とばかりに話は進んでいくぞ。御多分にもれず色々あるがの』雅比は胸を張り、『どうじゃ、これでワシが悪いわけではないことがわかったじゃろう?』

「せっせと責任転嫁してるところ悪いけど、最初の一杯に自分から口つけた事実は変わらないからな」

『う……、け、軽率じゃったのは認めるが……』

「つーかモロに自爆だよなぁ」

『ぐうう……、朝田よ、その辺りで勘弁してくれ。これでもへこんでおるんじゃ……』


 ……まぁ少なくとも見た目は乙女だしな。この話はここまでとしておこう。


『酒など、もう絶対に飲まんからな……』


 雅比のうめき声が月空に虚しく響く。

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