第4話

「うわー……何か、小難しかったね」

 日和は緊張を振りほどきたくて、どうにか喋ってみる。六葉は黙って裾を払い、庭を歩き始めた。

「あっ、えっ、置いてかないで!」

「ついてくればいいだろう」

「いいの?」

「お前が迷子になりたいのなら、そのまま待っていろ」

 迷子になどなりたいわけもない。日和は階を伝って庭へ降りる。

「あの人、何?」

「あれは后子。帝の縁者で、術者を快く思っていない」

「陰陽師が嫌いなの?」

「僧侶も、神官もだ。陰陽師は特に、な」

「何で陰陽師が嫌いなの?」

 六葉は少し言葉に詰まってから、苦く呟いた。

「呪詛を行うことがあるからだ」

「じゅそ?」

「陰陽師は、そもそも天文の担当者だ。理(ことわり)を読む。だが、理を利用して呪いも行う」

「呪い? 六葉も、するの?」

「……しない。できるだけ。呪詛などを使う者を取り締まるために、働いている」

「そうなんだ。六葉、えらいね」

 不思議なものを見るような顔をされた。なぜか分からなかったので、日和はひとまず話し続ける。

「それで最初に女官に会ったときに、女官が困ってたの? 陰陽師が怖いから?」

「そうだろうな」

 門番に、后子の話をすると、すぐに紙片が手渡された。紙片に書かれていたのは、残念ながら、すでに六葉が話を聞いた人物だった。

 敷地の外へ出てさらに歩く。周辺は大型の家屋ばかりで、お仕着せのように、同じ黒色の装束姿の男達が出入りしていた。民家ではなくて、先程の女官達のように、仕事をしている様子だった。

 六葉の袖を見る。黒色で、でも細かな織りで模様が浮き上がっている。よくよく見ると、周辺の人々とは柄が違う。柄は全員違う訳でもないし、同じ訳でもない。

 ひときわ大きな門をくぐると、綺麗に整えられた庭が見えた。立ち働く者の数も、かなり多い。建物も多く内包されている。

「ここ、大きなお屋敷なの?」

「大内裏(だいだいり)。官庁が集まった、政治等の機関。一度、上司に報告だけしに行く」

 やれやれとばかりに、六葉が息をついた。

「報告って?」

「勤め先に、今朝以降顔を出していない。外回りの仕事とはいえ、その辺で遊んでいると他の奴に吹聴されてもかなわないからな。特に、陰陽師を嫌う后子に姿を見られているから、報告は早い方がよい」

「勤め先って?」

 面倒になったのか、六葉は答えない。

 真っ白い小石を敷き詰めた、通り道を進む。左右には、樹木が几帳面に植えてある。松原もあって、清い様子だ。真新しいものとそうでない黒ずんだ、木造の家屋群。どれも大きい。

 建物の一つを見上げてみる。小さめの額が柱にかけてある。陰陽寮。典薬寮。云々。

「六葉、陰陽師って言ってたけど、さっきの場所じゃないの?」

 通り過ぎた建物を指さして聞いてみる。

「向こうは天文や占いが主だ。お前は文字が読めるのか?」

「何となく。それと、貴方と同じような柄の黒い衣の人がいたよ」

「位階によって色を変えている場合もあれば、実用主義の場合もある」

「実用?」

 実用で、そんなものを着ているだろうか。事細かに紋様が透かされた、黒い衣。内側の衣は白で、洗濯が大変そうだ。袖口にもわずかな緋色が覗いていて、それもたぶん柄が入っている。

 実用とはとても思えない。

 ひっつめられた頭が痛い。うつむくと、ぽとんと金属の棒が落ちた。簪だ。

「あっ」

「何をやってる」

 六葉は文句を言いながらも拾ってくれた。日和が直し方も分からないので袖にしまおうとするが、六葉は様子に気づいて、適当な場所を見定めて挿してくれる。

「慣れてる?」

「何が」

 六葉は、足音もあまり立てず、さっさと歩きだしてしまう。

 周辺にはそれなりに人がいて、忙しそうにしている。だが、皆何をやっているのかは、日和にはよく分からない。難しそうな顔をして書物を束ねている男、薬草らしきものをつるしている者。

 一瞬こちらを見て、日和と目が合うとぎょっとしたり、顔をしかめたりする。

「何か私、変ですか?」

 六葉の肩に話しかけると、

「放っておけ。下級の女官がこんなところを歩く訳がない、という不審の目だ。お前自身の問題ではあまりない」

「あんまりって。ちょっとはあるんですか」

「灰がすみの不思議な色」

「あ、髪?」

 見事に結われてしまったので、ほとんど自分では見られない。一部は意匠の問題なのか下げ髪になっているが、手で掴むとつるんとして、もさもさしていた自分の髪とはとても思えなかった。

「へへー。私、父様よりも地面の色に近いんですよ!」

「何が自慢なのか、よく分からんのだが」

「父様は、もうちょっと光ってるっていうか、あんまり直視できないっていうか」

 六葉が少し、いたわしげな顔をした。

「……父親がはげていても、あまり悪く言うな。お前のような娘がいて、心労もあろう」

「うわっ何ですかそれ! 父様ははげてないし私は可愛がられてるんです!」

「だが、光っていると……」

「そういうんじゃなくて……こういう」

 光の玉を生み出そうとしたが、はっとした六葉に手を掴まれた。

「そういうことは、頼まれたときにしろ」

 真剣に言われる。鋭くて、心臓の真裏まで突き刺しそうな目。頷かないと離してもらえそうにない。

「ごめんなさい……何でか分からないけど……」

「ここで無闇に力を使うな。物の怪を狩る者も多い。殺されても文句は言えない」

 自分は物の怪ではない、が、先程からの周囲の視線の中には、もしかすると、少女が人間ではないことを察して、警戒する意味が含まれていたのかもしれなかった。

 知らなかったとはいえ、無警戒だった。しょんぼりする。

「ごめんなさい……」

「いつまでしょぼくれている。分かったのなら、今後気をつければ済むことだ。もしうっかり何かあっても、俺がいれば何とかする。お前一人が迷子になれば、そのときは、きちんと気をつけろ」

 歩きだした六葉の背中を見ながら、日和はもやもやした。

(勝手に呼び出して、でも必要って言ってくれて、何か変な人。心配してくれてるみたいなとこもあって……)

 でも、式神と言ったって、自分に何ができるんだろう。

「わぷ」

 考え込んだせいで、気づくのが遅れた。急に近くなった相手の背中に、日和は顔面から突っ込んだ。

「どうしたんです……?」

 入口に看板も何もかかっていない、やけに大きな家屋の前だ。

「そこで待っていろ……というのも無理な話か」

 六葉は、日和が「えっ置いていくの?」と不安になったのを察し、息をついた。

「まぁ、お前ぐらいなら、明かりにしかならない。敵意を持たれずに済むだろう」

 雑なことを言うと、六葉は入口に控えていた衛兵に話しかけた。

 しばらくやりとりがある。日和は暇だったので屋根を見上げた。屋根を支える柱の上に、鳥や獣の置物が並んでいる――飾りが柱に彫ってあるのだ。

(わ、すごーい)

 見ていると、そのうちのいくつかがそわそわと動いているのが分かった。

「あっ、あれ、」

(もしかして、物の怪?)

 指さそうとすると、六葉が素早く手を掴む。先刻后子とか言う女官相手に見せていたはずの、営業用(たぶんよそ行き)の笑みのままだった。何だか、真顔よりもこちらのほうが怖い。

「無闇に指さすな」

「だって、あれ動いたのに」

「後で説明する」

 怖い、が、気になるものは気になる。

(本当に、後で教えてくれる?)

 屋内から案内する者が現れて、先に立って歩きだした。途中途中で、案内役は他の者に引き継がれる。

 ずいぶん歩いたが、辺りはほとんど景色が変わっていない。

(化かされてるみたい)

 目を閉じて、集中する――本当は、これほど広い場所ではないように思える。

「ねえ六葉……」

「建物入口にあったモノのことだが」

 ふいに、涼しげに六葉が口を開いた。

 今聞きたいのはそれではない、と日和は文句を言おうとした。それを遮って、六葉は流れるように口ずさむ。

「あれを感知できる者と、そうでない者がいる。これを感知する者で、許可のない者は、自動で雷撃に打たれることもある」

「えっ!?」

「術者が一般人を装って入り込むことがないよう、術者避けがいくつかある。その、ほんの一部だ」

「もしかして、……これも?」

 今――辺りの景色は、歩けども歩けどもほとんど変わらない。端々では、景色が水流みたいに渦を巻いて、斑模様を作っている。あちこちが、物の怪が隠れているみたいに薄気味悪い色になっていた。

「気づいていたなら話は早い」

 六葉は口早に言って頷いた。

「一度、体感させてみないことには、お前が何を見聞きできるのかも分からないからな。普段はこんな回り道をしないところを、わざわざ案内役をつけて「正面から」入るよう通ってきた。間は抜けているが、感度はいいな」

「見えるし、分かるよ! こんな気持ち悪いとこ、早く出ようよ」

「そうしたいのは山々だが。本来なら、このまま御手洗みたらし様のところへ繋がるはずだが、油断した。余計な場所へ引きずり込まれたようだ」

「あっはは!」

 唐突に、かん、と頭一つ抜けたように明るい声が響いた。

「珍しくぐるぐるぐるぐる回ってやがるから、ボケたのかと思ったぜ!」

 声は六葉よりも太くて重い。でもやけに清々しい。日和は眉間に皺を寄せた。

「誰……? どこにいるの?」

「何で可愛らしいモノを連れ歩いてる? 今日は何の仕事だ!」

「貴方の預かり知らぬことだ」

 明るく絡もうとする声と違い、六葉はいくらかすげなくあしらう。

「知らぬわけもあるまい! 帝の補佐は、我ぞ!」

 こん、と、棒きれ一つが卓を打った。廊下のすぐ側、室内の真ん中に、卓と棒、それだけが目に見えた。同時に、ぶわりと風の波が生まれる。

「わ」

 日和は反射的に、六葉にしがみついた。辺りの景色は、建物自体は変わっていない。だが、庭木は青々と茂るカエデ達で、琴等の楽器が並べて陰干しされている。屋内には、僧形の男が一人。だらしなく、卓にしなだれて、今しがた卓を打った棒を、指先で弄んでいる。

 この人が、「余計な場所」に自分達を引き込んだのか? 術者、なのだろうか。

「仕事か? そうでなければ、ここへは来るまい!」

 六葉が束の間、押し黙る。日和は六葉にしがみついたまま、意外と振りほどかれなくて困惑する。てっきり、邪魔だと追い払われると思ったのだが。でも、この得体の知れない場所で、六葉から離れたらどうなるだろう。

(怖い)

 自分が抱きついていてもびくともしない六葉の背は、まだ動かない。

 僧侶が続ける。

「お前の父は、よく来るのになぁ。だからか? 出くわしたくないって? 子どもであることだなあ!」

「父も兄もないこと。仕事があれば足を向けます」

 六葉の喋っている声が、その背にくっつけた日和の耳に直接聞こえる。

「それより。術司のところへお通し願いたい」

「あ」

 ぽかんとしてから、男が急に手を打った。

「あっはっは! お前が調べていたのかぁ!」

 僧形の男は高笑いする。

「まさか、犯人を知っている……おられるのですか」

「まさか! つまらん衛兵の殺害事件なぞ調べて、お前は暇だね」

「暇ではありません」

「それより、その可愛い子は何だね?」

「術司に報告がありますので。失礼」

 問答無用とばかりに、六葉が袂から紙切れを取り出す。お、と男が身を乗り出した。

「いいのかいいのか? この東西四季(とうさいしき)を下そうとするとは、不敬に値す――」

「急々如律令!」

 六葉が唱えるや否や、ぶわっと庭木の葉が飛び込んでくる。痛くはないが、視界が塞がれる。日和はいっそう強くしがみついたが、六葉が小声で叱ってきた。

「いい加減、離さないか」

「だって! 葉っぱが! 葉っぱとか!」

 口に入りそうだし、できたら喋りたくなかった。怖かった。

 六葉が呆れたように息を吐いて、面倒そうに、少女の手の甲に触れる。軽くはたく。

「もう術はない。目を開けろ」

 言われて、おそるおそる目を開ける。手も離す。

 先程と間取りは変わらない。だが、あの男もいないし、琴なども存在しなかった。代わりに、別の物が並んでいる。

「ひっ」

「見るな。悪いものは混ざっていない、はずだ」

「はず、って!」

 六葉にしがみつこうとしたが、背を向けられた。苦い顔で、六葉は廊下を進んでいく。

「さっきの人に会うつもりだったんじゃ、ないんだよね?」

「当たり前だ。術司に話をする予定だった……普段と違うものを連れていたから、目に留まったらしいな」

 ちら、と見られて、日和は困惑する。

「私のせいじゃないよ。術司って、何? 上司?」

「術司は、苦労人だ……」

 またため息をつかれた。

「苦労人なの? 術司って名前? 仕事?」

「術司、というのは役職名だ。さっきの、東西が……僧形の生臭(なまぐさ)が集めてきた、奇妙な術具の管理もしている。おかげで術司は、好きで集めたわけでもないのに、仏像狂いとあだ名されている」

「え、ほんとはさっきの、変な人が仏像集めてるの?」

「そうだ」

 廊下の左右に(見たくないからできるだけ前を見ているのだが)怪しげな像が並んでいる。嘴のついたもの、手足が大量に、びっしりと側面に彫られたもの。

「……これ、本当に仏像?」

「だといいな、と思っている」

 実体ではなくて希望だった。

「六葉……! あれ動いたよ!」

「見るなと言っている」

「あっちなんて手招きしてるよ!」

「見るな」

 騒ぎながら歩いていく。そのうち、廊下が行き止まりにぶち当たった。

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