第5話

 行き止まりは広間になっていた。奥に祭壇が設けられ、しんとしている。

 左右には書庫へ通じる扉があり、どちらも開いていて、中で人間が書き取りをするなどしている。

「あぁ、六葉くん」

 中肉中背、壮年の男が、柔和な笑みを浮かべて書庫から出てきた。

「御手洗(みたらし)様」

 六葉が一礼する。その背をつついて、日和は聞いた。

「この人が、術司って人?」

「少しは、話していいと言うまで黙っていられないのか」

「だって」

 御手洗が、少女を見て目を丸くする。

「あぁ……六葉くん、この方は」

「式神です」

 六葉が素早く返答した。御手洗が首を傾げる。

「ん?」

「本件の事情を確認しようと思い、近隣の社から力を借り受けました」

「あっ、うん。分かってるならいいんだけど」

「光が作れる程度の、緩い物の怪です。悪意もない。罠の可能性も考えましたが、別段尾行もされていない。問題は少ないかと」

「えっ? 物の怪? 社にいたんだよね?」

「おりましたが。社に借り住まいする物の怪も、世にはおりましょう」

「まぁ、そりゃ、いるでしょうが……」

 御手洗が動揺して、日和と六葉を見比べた。

(ですよね? 六葉が変だよね?)

 きっと、気づいたのだ――日和が神だと。

 確認する前に、御手洗が気を取り直した。

「まぁ、それで貴方がよいのであれば、私には何とも言えません」

 御手洗は、貴方、というところで日和を見つめる。

(私に対して言っているのかな?)

「私は、別に、構わないんですけど」

「はぁ。まぁ言霊という言葉もあるので、不用意によいと許可なさらぬ方がよいかもしれませんが……いいと言うのであれば」

「御手洗様?」

 怪訝そうな六葉に、御手洗が困惑を滲ませたまま「で、用件は何でしたか」と話を進めた。二人は事情を確認し、新たな情報を交換した。

 女官達は、先刻と変わらず、忙しそうに働いている。

(また来ちゃった)

 日和がそう思っていると、相手も同じことを考えたらしい。

「また、戻っていらしたのですか」

 一番最初に話をし、建物に通してくれた女官は、顔をしかめてきびすを返そうとした。

 六葉が素早く回り込む。

「お名前は、確か小菊(こぎく)でしたか」

「え、私、名乗りましたか?」

「いえ。他の女官の話で」

 六葉が「裏口で取りはからってくださった方」と呼び、「小菊は何も」と后子が返したことから、彼女の名が小菊だなと見当がついただけではある。小菊は肩のこわばりを楽にした。

「そうでしたか……睨んで申し訳ございません、怪しげな、その、術か何かかと、思ってしまったので」

「ねえ、小菊は何でそこまで怯えてるの?」

 当初から素っ気ない態度だったが、どうも怖いのをひた隠しているような雰囲気だ。

「陰陽師って言っても、六葉は悪いことはしてないよ、たぶん。悪い人を取り締まるんだって」

 「黙っていろ」という視線を六葉から感じたが、日和は構わずに小菊を見つめる。

 押し負けたのか、小菊は目を逸らし、声を震わせた。

「亡くなられた方について調査しておられるのは、分かります。ですが陰陽師とは、妖を連れて、呪いを返したりするのでしょう? 私どもの日常とは、かけ離れております。怖いのです」

「だからって。六葉は別に何も、」

「いいから黙っていろ。ややこしい」

「とにかく、亡くなった人も、陰陽師も、もう私には、関係のないことです」

 屋内から悲鳴があがる。六葉は急いで階(きざはし)に駆け寄ったが、ふと気づいたように振り返った。

 小菊がしゃがみ込んで頭を抱えている。

 悲鳴が折り重なる。あちこちで女官が情報交換しながら逃げていく。庭から衛兵が踏み込んで、しばらくして静かになった。

 六葉が女官を一人掴まえて確認したところ、屋内の騒ぎは、何か得体のしれない虫のようなものが出て、それが人の言葉を話した、ということだった。

「虫?」

 六葉が小菊を見下ろして呟く。

「どうやら心当たりがありそうですね?」

 小菊は眉をひそめて、震えながら話し出した。

「以前、ヤモリを助けたことがあります……戸板に挟まりかけていたから、庭へ出してやったのです。そのときに、先日亡くなった衛兵の方が、外にいて。何かありましたか、と聞いてこられて。ヤモリです、と答えたら、逃がしてやるなんて優しい方ですね、と仰って……」

「それで」

「何か起きたりしたんですかっ?」

 恋でも芽生えたのかと思ったが、

「いえ……その方とは特には」

 小菊はとても平静に答えた。

「ただ、それから時々ヤモリが入ってきて、私が外へ出して、そのときに、あの方だったり、他の方だったりが、外におられました。でも……あるときから、ヤモリが寝所の枕元に出るようになって……」

 耳元で囁くのだ。嫁に来いと。

「……私、寝ぼけたのか、物の怪に取り憑かれたのかと思って、不安になって。外を見たら、衛兵のあの方がいて。話を聞いて、一度、陰陽師に来てもらう方が安全だろうということになって……それからすぐ、亡くなられたと……」

「それで、よく衛兵と自分が無関係だと仰いましたね」

「ですが、関係も何も……仕事の話しか、しておりません」

「物の怪かどうか分かりませんが、そのヤモリにとって、衛兵は、執着した相手との恋路を邪魔する者としか見えないでしょうね」

「……わ、私の、せい、でしょうか……」

 小菊の震えがひどくなる。

「小菊、六葉に言われる前から、自分のせいじゃないかって、気にしてた?」

 日和の言葉に、小菊は、喉に何か詰まったみたいに、変な、泣きそうな顔になった。

「小菊のせいなの?」

 日和は六葉に聞いてみる。

「さて……。責任を感じないのであれば、人でなしだなとは思うが。仕事中の事故死とはいえ、助けようとした相手に「知りません」と言われてしまうのなら、衛兵も哀れだからな」

「六葉も仕事が好きだから?」

 何を言っているんだお前は、という顔で睨まれた。日和はそれを無視して、小菊に力強く教えた。

「じゃ、その衛兵さんがもう苦しくないよう、祈っててあげてください」

「祈る……?」

「貴方のために動いてくれたから……ごめんねありがとうって、言ってあげて。犯人は、捕まえますから安心してね」

「本当に?」

 小菊はまったく信じていないようだったが、日和はしっかりと頷いた。

「安請け合いしたな」

 六葉が冷たい声を出す。

「でも、犯人を見つけて捕まえるんだよね?」

 日和が、きょとんとして問えば、ため息が返ってくる。

「当たり前だ」

「やっぱりヤモリが犯人なの? ヤモリっていうか、物の怪っていうか」

「その結論は早急だな。小菊、ヤモリ、それ以外の者、すべての線を当たってみなくては話にならない」

「本人に話は聞けないの?」

 死んでいるとはいえ、日が浅ければ、嘆きの声が残っていたりするものだ。かわいそうだが、本人の声を聞くのが一番早い気がしてきた。

「無理だな。魂がさまよわぬよう、祓いは行った後だ」

「祓われちゃったんだ……」

「この辺りに「虫」とやらがまだいるかどうか、見ておくか」

 六葉と二人で、屋敷の周辺を歩いていく。六葉は術の痕跡を拾うため、小さな紙札を飛ばしたりしていたが、どうにもうまく引っかからない。

 そうこうしているうちに、籠を手に出かける様子の女官を見つけた。

 六葉に行ってこいと言われ、日和は聞きたいことを整理してから任務に当たった。

「小菊? あの子が外出するところなんて、あんまり見たことがないねぇ」

 首を傾げた女官に、日和は一生懸命に問いかける。

「最近だといつ? 用事は何?」

「三日くらい前だね。その前は、三月くらい前かな? だいたい、必要な賄い物は荷車で届けられるんだけど、たまに足りない物が出て。市に出かけて手に入れてくる」

 この女官達は、大きな敷地内で働く人々の、すべての口を賄うためだと言った。

 すごい、大変ですね、えらいですねと呟いていると、あんただって働くだろう、と拍子抜けされた。

「働く……」

「あの、一ノ瀬のとこの陰陽師。あれについて歩いてるんだろ?」

「六葉を知ってるの?」

「見たことがあるよ。大路(おおじ)に鬼が出たとかいうときに、鬼に襲われかけた子どもを助けたりして、よく働いてた。あんたも陰陽師かい?」

「私、そういうんじゃないんですけど」

 一番分かりやすいのは、光を生み出したり姿をぱっと消してみたりすることだが――ここで自分が人間でないことを表す必要性について数秒考えた後、言わなくていいな、と結論づけた。六葉にも怒られたし。

 女官がふくよかな腹を揺らして身じろぎした。

「そういや、小菊は親類か知り合いか何かに陰陽師がいると言ってたね」

「陰陽師?」

「最近妙なことがあったから……何でも悪夢を見るから、守り札を貰おうと言っていた」

「それ、大事な感じです! 相手の名前とかって分かりますか?」

「さぁ。あの子、それほど雑談が好きな子じゃないからねえ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る