第3話

 ここは女官ばかりが働く部署なのだという。

(入り込めたとはいえ……)

 日和が、覚えた名前(葦野)を繰り返したところで、他の女官達が簡単に答えてくれる訳もなかった。

「遠い親戚がこの前殺されたんです」

「ひっ」

「葦野って言うんですけど、何か心当たりは……」

 最初の一言で、女官達は身を翻したり、しっしっとこちらを追い払ったりした。

 これらの会話から学んだことは、殺しの話をしてはいけない、ということ。

 でも、どうしたらいいのだろう。

(うう……六葉がいないし、爺(じい)もいないし、何やってるんだろ私)

 爺は、さっき六葉の屋敷でもめてからは、姿を見せていない。まさか六葉の頭上に糞を落とそうとして狙っているわけではないだろうが――。

「あるかもしれないな……」

「ほらっ、そんなところで何やってるんだい」

 ふくよかな女官が、どん、と荷物を廊下へ置く。

「ぼんやりしてないで、さっさと運ぶんだよ」

「あっ、はいっ? 私?」

「申し訳ございません、それは私がやっておきますから」

 初めに六葉達を追い返した女官が、すまなさそうに割って入る。彼女は怪しむ女官に、説明をした。

「その子はしばらく預かっただけです。訳ありなので……通常の仕事をはずれていても、叱らないでやってください」

 女官は、早く行きなさいと、日和に目配せしてくれる。ふくよかな方が、目を丸くした。

「おや、その子、下働きじゃないのかい」

「えぇ申し訳ございません。どうかお許しを」

「仕方ないねえ。またあの方の我がままかね」

 彼女達の会話を後目に、日和は小走りに廊下を抜ける。走るなと怒られて、すぐにこそこそ歩く方に切り替えた。

 それにしても――他の女官に話しかけてもやたらと疎んじられると思ったら、この格好、下っ端の女官の衣装だったのだ。

「ふー、父様の宴会の下働きみたいなものかな?」

 よく間違われて、酒を運ばされては父親に嘆かれ、姉達に笑われていたことを思い出す。

「私って、そんなに威厳ないかなー?」

 衣の裾を引っ張って首を傾げる。

「ていうか、下っ端で、どうやって調査したらいいんだろ? 誰も話を聞いてくれないよ~」

 あてもなく歩くのに疲れてきた。建物の周りをぐるりと巡る廊下で、庭を眺めてため息をつく。周囲には誰もいなさそうだ。

 人目は、ない。

 帰っちゃおうかな。それもいい考えのように思える。

「よし!」

「何が、よし、だ」

 ふいに、最近聞いたばかりの、でも久しぶりで、懐かしい声がした。

「ぎゃっ」

 日和は欄干を踏み越えて外に逃れようとしていたところだったので、足を上げたまま硬直する。

「お前が役目を果たせるかどうかは、五分五分以下の確率だとは思っていたが」

「低い!」

「まさか本当に逃げ出すつもりだったとは」

「ちがっ、違います! 近道しようかなって思って」

 うまい言い訳が思いつかない。

「迷子になった、の間違いか?」

 ため息混じりに、声が言う。

「……迷子だったかも」

 目的を見失っていた点では、十分迷子である。日和の落ち込みように、相手は幾分態度を和らげた。

「つけておいて正解だったな」

「何をですか?」

「迷子防止に、糸を」

「糸?」

 己の体を見回してみる。飼われている牛みたいに綱などついていない。

「袖だ」

「袖? あっ」

 衣の袖に、きら、と細い糸が見える。袖の中を覗き込むと、小さな蜘蛛が隠れていた。

「蜘蛛?」

「そうだ。うっかり潰すなよ」

「潰さないよ!」

 袖を光にかざすと、か細い糸は、庭の方に向かっていた。

「六葉はどこにいるの? 私を一人にしないって言ってたくせに、この屋敷の手前で引き返しちゃったし、もう来ないのかと思ったよ」

「お前と違って、支度に時間がかかった」

「どこ?」

 辺りを見回す。庭の中程に、飾り弓と矢筒を携えた衛兵が立っていた。格好は知らないものだが、着ている人間には見覚えがある。

 どこか涼しげな、若者が一人。

「六葉、そんなところにいたんだ」

「こういう入り方もある。本来の衛兵と交代の交渉するのに時間がかかった」

「それだったら、最初から一人で来ればいいのに」

「衛兵だと、女官に話しかけづらい。お前が要る」

「私の他にも、いくらでも式神がいるんじゃないですか? そのひとにさせたらいいのに」

「いる」

 切って捨てるような早さだった。少女は何となく身をすくめる。

(だよね、私だけってことは、ないか)

「今ここで使えるのは、お前だけだ」

「えっ」

 さらりと言われて、何だかそわそわしてしまうのは気のせいだろうか。

(ばかみたいって、姉様達は笑うかもしれないけど)

「私が、必要って、ことですか」

「そうでなかったら、呼び出していない」

 必要。体の先がそわそわする。

(必要だって、言われた)

 階(きざはし)の方へ、誰か近づいてくる。

 六葉が気づき、膝を突いた。日和は慌てた。

「えっ、私は? どうしたらいいの? 座るの?」

「静かに頭を下げて避けていろ」

「あら? こちらの警備は、確か穴問(あなとい)の方だったような記憶がありますが」

 女官が近づいてきた。肉付きがよく、派手な化粧が映えている。彼女は唇をゆがめ、首を巡らせながら、わざとらしく言い放った。

 ふいに六葉が、日和の初めて見るような笑顔を浮かべた。隙のない、それでいて自信に溢れた表情で、堂々と応答する。

「申し訳ございません、穴問は具合が悪く、私が代わりに」

「あら大丈夫かしら」

「ここだけの話ですが、どうも貝にあたったらしく……ですが急場は脱して、明日には出勤して参りますよ」

「そうなの……貴方、ところでお名前は?」

 じわりと、冷や汗が出そうな沈黙があった。

「……もしや、后子(きさこ)様では?」

 沈黙を破ったのは六葉だ。

 女官は、薄く笑っている。その唇が歌うように言葉を紡ぐ。

「衛兵が一人、死にましたね? 術司(じゅつのつかさ)はこれを、術者の仕業ではないかと疑っているようですね」

「裏口で内々にお取りはからいくださった方は、きちんと上にもお伝えくださったのですね」

「小菊(こぎく)は何も。ですが、おかしな動きがあればきちんと私にも伝わるもの。さて、貴方。お名前は?」

「もはやご存じのはずではありませんか。貴方ほどではないにしろ、私の家名は、貴族であれば知らぬ者はございませんから」

「まぁ。若者の特権とはいえ、過剰な自信は己の不備を突かれますよ」

(何これ……!)

 日和はおののく。もし自分にしっぽでもあれば、びりびりに毛羽立っていたところだ。硬直しきっていたこちらに、女官の視線が優雅に振られる。

「そなたが名乗りたくないとしても、そちらは? 女官の姿を借りるのであれば、それを束ねる者に名を明かすが道理」

「あっえっと私の、名前――」

「言うな」

 冷えた口調で、六葉が遮る。小声だったが、体中が凍った気がした。

 名前くらい言ったって。どうして。

 でも舌が動かない。指の先も。

(別に……術とかじゃない、はず、だって、胸が苦しいだけだもの……でも)

 必要だと言われたときの温もりが、どこかへ行ってしまったみたいだった。

 六葉が、再び、流れるような物言いに戻る。

「失礼いたしました。これは私の使う者。貴方に明かす名などございません」

「ほう」

「以前に、先の通りで殺されていた者について、何かご存じのことがあればお教え願いたいのです」

「殺された、とは穏やかではありませんね。そうだとしても、遺骸は丁重に弔われたはず。化けて出るような者でもないのでは? 陰陽師などの出番ではありませんよ」

「さて。術司は彼が怨霊化することをご心配であるものか、定かではございませんが。かの者の死因から見て、自殺ではない。とすれば殺された可能性がある。犯人を確保しなくては、皆様もご心配でしょう」

 女官が億劫(おっくう)そうなため息をつく。

 笑みを張り付けたまま六葉は続ける。

「后子様であるからこそ、女官達すべてを掌握していらっしゃる。私の仕事を大したことではないと仰るのであれば、少しく、その広大な知識の一片を垂れてくださっても、后子様にはどうということもないのでは」

「たかが仏像狂いの術司の部下め……もうよい。あの衛兵については、遠い親族が近くに勤めています。ご存じだったかしら?」

「いえ」

「では親族を訪ねることを許可します。ここを出るときに門番に尋ねて構いません」

「ご配慮、感謝いたします」

 頷き、女官がさっさと廊下を通り抜ける。後には、きりりとした香りが残された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る