十七 東雲の上
雨期に入ると、雨が降り続く日が多くなり、いったん降りだすとしばらくやまず、日が暮れた後の夕食時は肌寒さを感じるほどだった。ヨリフサ王と東雲の上の近くには火鉢が据えてある。台所の気遣いで汁物は熱めで供されていた。
「大陸の中央とは気候がちがう。降ると急に冷えることがあるが、体調に気をつけなさい」
ヨリフサ王はそう言いながら汁を口に運び、予想外の熱さにびっくりしたが、食卓のまわりの者はすました顔で知らぬふりをしている。
「ありがとうございます。殿も連日遅くまでお仕事ですが、お気をつけください。それにしてもよく降りますね」
東雲の上は如才なく返事をした。
「近年のことだ。雨量が増え、日照が減る傾向がある。米にはあまり良くない」
「なぜでしょう」
「海流が関係しているらしい。そのせいか、こういう気候の年は魚群が陸に近づいてきて豊漁になるから、民が飢えることはないのだが、慢性的に不作では困る」
「まあ、なにか対策はとっているのですか」
「先々代のころより、他国の寒冷地の米を取り寄せては植えてみているのだが成功していない。土がちがうからか、水がちがうからなのか。原因不明だ」
東雲の上は、なにか考えながら粥をすくっている。
「交配魔法はお試しになられましたか」
「いや。聞いたことはあるが、そのような新技術をあつかえる者がいない。あまり実績もないようなので、予算をつけて技術者を招請してもよいものか疑問に思っている」
「お試しになる価値はあると思います。寒冷で雨量の多い土地の品種と、このジョウ国で育つ品種を交配してみればいかがでしょう」
「詳しそうであるな。交配魔法がわかるのか」
「はい。大学では、新技術ということで研究する学生が少なく、わたくしが専攻しても他の者への影響があまりなさそうでしたので選びました」
「そうか。書類に農学を修めたとあったときには、ちょっと変わった姫だと思うたが、交配魔法をあつかえるのか」
「殿は、文学や哲学をする姫のほうがお好みなのですか」
「そのようなことは言うてはおらぬ」
ヨリフサ王はそれかけている話をもとにもどす。
「東雲、さきほどの提案、実行してみる気はないか。実験農場をつかい、交配にて天候不順に強い新品種を作ってみてはどうか」
「お許しいただけるのですか」
「もちろん。管理担当に話を通しておく。実験室として東の塔を改築してもよい」
「さっそくかかります。二、三年で最初の結果を示し、五年で実用化といったところでしょう」
「そう軽々しく期限を切っていいのか」
「大学での研究の続きです。基礎資料はありますから。それから、大学と連絡を取ってもよろしいですか」
「かまわんが、外国とのやりとりには検閲が入る。それは理解してほしい」
「はい。けっこうです」
ヨリフサ王は、東雲の表情を見て上機嫌になった。いつもの菜もおいしく感じられる。そういえば、結婚してから食卓に書類をひろげなくなったし、習った通りの行儀で食事をし、時間をかけるようになった。
ただし、行儀という点においては、東雲にくらべるとわたしは野蛮人だな、とも思う。行儀良く、と意識している時点でもういけない。食卓での東雲は意識せず優雅にふるまっているように見える。そういう動きしかできないのだろう。
「いかがなされました」
「なんでもない。今日の菜はおいしい」
「ええ、味付けがよろしいですね」
食事が終わると、東雲の上は挨拶をして東の塔へもどり、ヨリフサ王は執務室に茶を運ばせて仕事の続きを始める。これが、毎夜のことであった。
ヨリフサ王は早速、実験農場の担当者あての指示を箇条書きにする。書き終わったころ、マトリ公が書状を持ってきた。
「陛下、レムノウル公からです」
王の通信のみ検閲はなく、封はそのままになっている。それを切って目を走らせ、マトリ公にわたす。
「ノヤマ公は隠居ですか。妥当なところでしょう」
「弟のシジマ公がアイノ家を継ぎ、それとともにゴオレム管理の職については皇帝陛下に返上するとあるが、どう思う」
「家の存続を最優先にしたのでしょう。これ以上騒動は起こしませんから容赦を願います、といったところですか」
「だろうな。しかし問題は、ケト家は非公式でも賠償を求めないつもりということだ」
「アイノ家が力を失うのですから、ケト家としてはむやみに騒ぎ立てずにおだやかに済ませる。ついでに恩も売っておく。これも妥当な判断でしょう」
「書状には、こちらにも同様の判断を求める、とあるが、この件から得られるわれわれの利益はなんだ?」
「ケト家との結びつき、でしょうか」
「それはもうできている。なんど菓子を贈ったことか」
「かといって、城の修復費の請求書をケト家にまわすわけにもいきませぬな」
「そうしたいところだ」
夕食時の上機嫌は長くつづかなかった。この茶は濃すぎる。渋い。
ふたりは、修復費捻出のため、どこのなにを削るか頭をひねり、部下を呼びつけ、書類をめくりながら相談を始めた。
翌日からもう東雲の上は動き出した。実験農場を視察し、近くの小屋を現場での作業室に、東の塔の一角を交配魔法の儀式を行うための研究兼実験室にする計画を立てている。城のあちらこちらで、調整のために担当の貴族を訪ねまわる女官たちの姿を見るようになった。
実験は、ヨリフサ王の後押しもあり、雨期の終わりごろから開始された。各地から種籾が集められ、分類されて名札がつけられたものから実験室の儀式台にのせられた。
「実験は進んでおるか」
ある夜の夕食時、ヨリフサ王がなにげない口調で尋ねた。
「はい、交配の計画を作成し、一部は実験をはじめております」
「その、交配というのはどのようなものなのか、わたしにもわかるように教えてほしい」
東雲の上は、どう表現すればわかりやすいか、すこし考えてから答える。
「じょうずに話せるか自信がないのですが、こうお考えください。種にはそれぞれの作物のもつ性質がしまわれています。ちょうど、料理の手順を書いた本のようにです。交配魔法はその手順を書いた頁や文章を切ってつなぎ合わせる魔法儀式です」
「つまり、わが国の土や水でよく育つ性質と、雨が多くて寒くても育つ性質を混ぜられるということか」
「その通りです。しかし、その性質がどのように書かれているのか、本の構成や字の解読が不十分で、都合のよい性質だけを取り出せないのです。ですから、いまのところはいろいろと混ぜる割合を変えて試してみるしかありません」
「良い点ばかりのようだが、悪い点はないのか」
「ございます。さきほど申し上げたように、まだ不十分なところがあり、おなじ作物同士でしか交配できません。たとえば、米と麦、米と豆などはできません」
「そうか。では逆に悪い性質だけを選んで交配できないか」
ヨリフサ王は声を低めて尋ねた。
「なぜ、わざわざそのようなことをするのでしょう?」
「いや、兵器化できないかと思ってな。たとえば、病気になりやすく、かつ、それをまわりに拡げやすい米はできないかな」
東雲の上は王の顔を見る。ふざけているのではなさそうだった。
「非常に困難です。わたくしは成功例を知りません。悪い性質が交配された場合、理由はわかっていませんが、直後に死滅するのです」
「そうか。そう言われればそうだな。わたしが食卓で考えつくくらいのことができるならとっくに兵器化されているはずだ。忘れてくれ。つまらん思いつきだ」
おそろしい思いつき、と東雲の上は心の中でつぶやく。殿はなぜそれほど力がほしいのだろう。飢えを武器にしてまで行う戦に意味があるのだろうか。
しかし、この方がわたくしが嫁いだ殿なのだと、まずくはないが帝国で食べなれていたものより薄味の菜を口に運びながら思う。殿は、わたくしと食卓で話すとき、いつも上機嫌だ。会議の席や、部下の報告を受ける時には見せない柔和な顔を見せてくださる。
「どうした? わたしの顔になにかついているか」
「いいえ。ご機嫌がよろしいようですね」
「会話が楽しいからだろう」
「お戯れを」
「ちがう。東雲は鏡のようでただの鏡でない。より良い鏡だ。わたしが前に立つとはっきりした像が返ってくるが、ただの物まねではなく、東雲の考えが加わった新しい像になっている。それを見るのが楽しいのだ」
「おほめいただいているのでしょうか」
「東雲は利口だと言うておるのだ」
「ありがとうございます。殿も利口ですよ」
ヨリフサ王は笑った。また、うれしかった。妻が軽口をたたいている。暖かい気分になった。
夕食後、いつものように執務室で茶を飲みながら書類を片づけていると、マトリ公が書状を持ってきた。自分あてだが、王にも読んでほしいという。
「本日届きました。知人からです。貿易商を営んでおりまして、帝国をまわったときに聞きつけた噂を知らせてくれました」
ヨリフサ王はざっと目を通す。
「ミナミ商会か。なるほど、良い知人を持っておるな。しかし、この情報自体はどこまで信用したものか」
「鵜呑みは危険ですが、放置はさらに危険かと思います」
「だが、隠居をした者がなぜこれほどの兵を動かせるのだ?」
「ノヤマ公には、公自身に心酔し、その思想に傾倒している味方が多数いるようです」
「主義主張のために理不尽な暴力を振るう輩だ。めんどうだが対策は取らねばなるまい。ケト家に連絡しよう。もっと正確な情報が必要だ」
その時、扉をたたく音がした。警備兵が、サアリイ公が入室許可を求めていると言う。マトリ公は書状を懐にしまった。ヨリフサ王も、机上をみまわして見られてはいけないものが出ていないか確かめてから言った。
「かまわぬ。入れ」
サアリイ公が一礼して入室する。いつものように、なめらかな身のこなしだった。
「執務中申し訳ありませんが、お願いがございまして参りました」
そう挨拶しながら、マトリ公をちらりと見る。
「マトリ公はかまわぬ。話すがよい」
「それでは申し上げます。国王の責務は重く、日々の仕事に手抜かりが許されないことは承知しております。しかしながら、陛下は婚儀の後、一度たりとも東の塔にお越しになることがございませんが、これはなにか故あってのことでしょうか」
マトリ公が真一文字に口を結ぶ。笑いをこらえているような表情だ。サアリイ公はたたみかけるように続ける。
「夕食後はかならず執務室にお閉じこもりになる。話を聞くとあまりの忙しさにそのまま仮眠なさることもあるとか。ただ、食後のお茶くらいは東雲の上と楽しまれればいかがでしょう」
「それが願いか。東雲がそう言いつけたのか」
「どちらの答えもいいえです。国王が国家の運営のために日夜休みなく働かれることにはなにも不満はございませんが、時には夜のひと時を、東の塔にて東雲の上とお語らいになるのもよろしいのではないかと、これがわたくしの願いでございます」
サアリイ公は横目でマトリ公を見た。
「差し出がましゅうございますが、お仕事のすべてに国王が目を通し、手を入れねばならぬものではないと思います。優秀な大臣閣下にお任せしてみてはいかがでしょう」
マトリ公は、思わぬ方向から矢が飛んできたので目を丸くしている。
「そなたの願いの向きはよくわかった。たしかに決裁のうちいくらかはわたしでなくてもよいものはある。仕事の進め方を再検討してみよう」
「ありがとうございます。東の塔には、輿入れの際に持参いたしました帝国産の茶がたくわえてございます。ぜひ国王にもお召し上がりいただきたく思います」
サアリイ公は満足げに一礼して出て行き、ふたりはその扉が閉まるまで見ていた。
「なんという顔をしておるのだ」
「これは失礼いたしました。しかしながら、わたくしもサアリイ公に同意いたします」
「わかった。では、国内事業についてはまかせる。結果の報告のみ上げてくれ。ただし、外国がかかわる場合はこれまでどおりとする。それと、ノヤマ公関連の情報は遅滞なきように知らせてほしい。下処理はしなくていい。なまの情報をもってくるのだ」
「仰せのままに」
「それから、マトリ公も部下に仕事をまわすようにせよ。わたしが楽になった分を全部かぶってはならぬぞ」
「御意」
マトリ公は懐の書状を机上に置く。ヨリフサ王はそれを指でつついた。
「ノヤマ公や、支持者の目標はなにか。それが問題だな」
「案外、かくれたねらいなどないかもしれませぬな」
「つまり、世間に正義をもたらしたいというだけで行動しているというのか」
「はい、おそろしいことですが」
「かれらの考える正義とはなんだと思う?」
マトリ公は首を振った。
「わかりません。ただ、いままで明らかになっている事実から推測すると、貴族間の交渉事に金品が動くのが気にいらないようです」
「清廉な統治者による、潔白な施政か。そういう思想を書いた哲学書を読んだことがある。理想としては美しいし、そうあるべきだろうがな」
ヨリフサ王は、その哲学書の書名と著者名を書いてマトリ公にわたした。
「ノヤマ公の支持者がこの書や著者の思想にかぶれていないかも調べてみてくれ」
「はい。それにしても、やっかいなことになりそうですな」
「もしかれらが私心なく世の中を変えたいと考えているとしたら、その純粋な心意気は称賛に値するが、秘密裡かつ迅速に無力化しなければならなくなる」
マトリ公はヨリフサ王の顔を見る。
「そこまで深刻な事態とお考えですか」
ヨリフサ王はうなずく。マトリ公は一礼して退室した。それから、王はレムノウル公あての書状を書き始めた。
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