探偵団の初仕事

 オレンジ眼鏡をかけたレザージャケットの男は狸林くんと女給のマミさんの座っているテーブルの前で立ち止まり、二人をにらみました。

「おう、隣いいかい?」

 そのおそろしげなドスの効いた声にひるむことなく、狸林少年はニッコリほほえみながら言いました。

「もちろんです。どうぞお座りください、平良たいら警部」

 なんと、このチンピラのような出でたちのの正体は、警視庁捜査一課の平良警部その人だったのです。狸林少年の様子からさっするに、二人はこのお店で落ち合う約束をしていたようです。

「ふん、聞いたぜ、狸林くん。探偵団を結成して、阿頼耶あらや氏のためにひと肌ぬぐそうじゃないか」

「はい。だからこれからは、どんなに小さな事件でも構いませんので、どんどんぼくに仕事を回して頂きたいんです」

「大したアイディアだね、ファック。確かに、探偵事務所の助手である君が事件を解決すれば、その分のポイントを阿頼耶に振り込むことは可能だからね」

「よかった。それではよろしくお願いします」

「ふむ、他ならぬ君の頼みだからね。さっそく仕事を持ってきてやったぜ」

「わあ、ありがたい。それは一体、どんな事件なんでしょう」

 平良警部はマミさんの作ってくれた水割りをぐいとあおると、あごの不精ひげをさすりました。

「それなんだがね。なんといってよいか、じつにふしぎな怪事件なんだ。三日ほど前の夕方、子どもがじい様に説教をくらってね」

「はあ、それが事件なんですか?」

 探偵団の初仕事ということで意気ごんでいた狸林くんはいささか拍子ぬけしてしまいました。

「そんなの、事件でもなんでもないじゃない」と、横で話を聞いていたマミさんも思わず口をはさみます。

「いや、それがなぞなんだよ。実になぞなんだよ」

「どんななぞなんです?」

「どう考えてもふしぎなんだよ。どのくらいなぞかというと、あかんあかん、このなぞは誰も解けへん、これはまるで、なぞのIT革命や〜、……というくらいのなぞなんだよ」

「はあ。なんですかそれは」

「なぞ、なぞ、なぞの乱れうち。これはまるで、なぞの六カ国協議や〜……というくらいのなぞなんだよ」

「だからどういうなぞなのよ。もったいぶらず言いなさいよ」

「だから、つまり、なぞすぎて、頭のなかが宝石箱や〜……というくらいの……」

「平良警部、そういうのはいいですから、早く教えて下さいよ」

「では、もっとわかりやすく、実例をあげてたとえよう。つまり、たとえばの話だがね、俺がマミくんに対してこういうことをしたとするだろ?」

 平良警部はそう言うと、隣に座って水割りのおかわりを作っていたマミさんの小さな胸にことわりもなくさわりましたので、よほどの上客にもそのような無法は許していないマミさんはおどろき、そしてはげしく怒り、平良警部のほっぺたを平手で打ち、返す手のひらでもう一度警部のほほを叩きつけ、さらには平良警部の両腕を交差させて固め、その両ひじが重なる箇所を膝でけりあげ、その勢いで警部の体を浮かして背後に投げっぱなすという、「める」「打つ」「投げる」の三位さんみが一体となった荒わざをおみまいしました。

「なにをするのよ、警察だからって、おふざけじゃないよ!」

 大理石の床にたたきつけられた平良警部は口から血の泡をふきながらよろよろと立ち上がり、よろめきながら席にもどりました。

「……とまあ、こういうことになるわけだ」

「当然そうなりますよね。しかし、今のはいったいなんのたとえだったのでしょうか?」

「種あかしをするとね、じつは、いまの行為は何かのたとえや実験というわけではなく、俺の純粋な好奇心の発露というか、単にちょっとやってみたかったことをやってみただけなんだ。話の筋とは関係ないので、忘れてくれたまえ」

「あのう、いいかげんに、話を先にすすめてくれませんか。瀬戸内の温順な気候にはぐくまれ、春のお日さまのように温厚な少年と評されるぼくでさえ、だんだんとじれったくなってきました」

「すまんすまん。つまり、ふしぎだというのは、その老人は家人と顔みしりでもないのに、どこからともなく子ども部屋に上がりこみ、そして一晩中説教をしたあとはまた煙のようにかき消えてしまったということなんだ」

「なんですって。いったいどういうトリックを使って、その怪老人は子ども部屋に現れたり、きえたりしたんだろう」

「しかもだ。現場の近くでは同様の事件が連続して起こっているというんだよ」

 なんということでしょう。韓国製コンテンツをこよなく愛する舞木くんが折檻せっかんされた事件ばかりではなく、その後もまた別の少年が捕まり、怪老人のお説教を受けていたというのです。

「つまり、韓国アイドルの好きな子どもたちが被害にあっているということでしょうか。ウーン、犯人は国粋主義こくすいしゅぎ的な思想の持ち主なのでしょうか」

「いや、次にひがいにあった子どもが熱中していたのは全く別の趣味で、いわゆるソーシャルゲームに重課金している子どもだったんだ。その次に被害にあったのは過激なおいろけマンガをかくし読んでいた少年と、小学四年生にして世をはかなみ腐女子ふじょしをきどる少女……」

「ふうむ、いずれも、子どもが熱中しすぎるのは好ましくない趣味ということでは共通していますが……」

「子どもをつかまえて説教をするという特ちょうと、犯人の身なりから、警察ではこの怪老人を『説教入道』と呼ぶことにしたんだ」

「説教入道ですか。新手のヴィランというわけですね」

「そこのところだがね。もしかして、こいつの正体は『金毛白面相きんもうはくめんそう』なんじゃないかと俺はにらんでいるんだ。なにしろ、白面相も自分の趣味を押し付けるのが好きな怪人だからね」

それを聞いた狸林くんは、腕組みをしてなにやらしばらく考えこんでいましたが、やがておもむろに口をひらきました。

「ねえ、平良警部。韓流ぐるいの舞木少年はその後どうなったのでしょう」

「ぜん息が悪化して、しばらく入院だそうだ。しかし、それがどうかしたのかい?」

「金毛白面相も自分の趣味を押しつけようとする悪いやつですが、きゃつは子どもを傷つけないことを信条にして、そのことを大いに自慢しています。その白面相が、子どもを病院送りにしたりするかなあ」

「うーむ、いわれてみれば確かにそうだ。おれはてっきり白面相がらみの事件だと思って君にこのヤマを紹介したのだが……」

 狸林くんと平良警部が頭をひねっておりますと、つかつかとお店のボーイさんがやって来て狸林くんに告げました。

「狸林くん、阿頼耶さんからお電話だよ」

「オヤ、いったいどうなさったんだろう。新作ゲーム発売日当日の先生は壁に向かって座禅を組む達磨だるま大師のようにモニタの前から動かないはずだけど」

 ふしぎに思いながら狸林くんがカウンターに向かい、黒電話の受話器を耳に当てると、電話口から聞こえてきたのはしわがれた男の声でした。

「やあ、こんばんは。ふふふふふ」

「先生? その声はどうしたのですか、阿頼耶先生?」

「ふふふふふ、君が狸林くんだね。かわいい声をしているな。声優でいうと日笠陽子といったところかな」

「はあ、じぶんでは井上麻里奈さんに似ているかなと思っていたのですが。そういうあなたは茶風林さんみたいな声ですね……あっ、そんなことはどうでもよくて、お前は阿頼耶先生ではないな。なにものだっ」

「ふふふふふ。たったいま、君と平良警部が話題にしていた怪老人とはわしのことだよ。以後お見知りおきをねがおう」

 狸林少年はおどろきつつも、リスのようなきびんさで、すぐさま周囲を見渡しました。狸林くんと平良警部の会談の内容を知っているということは、謎の怪人はこの店内にいるにちがいないと考えたからです。

「ふふふ。くりくりしたかわいい目で、なにをそんなにキョロキョロしているんだい。もしかしてわしを探しているのかな」

「な、なんだって、ぼくはキョロキョロなんてしてやいないぞ」

「ふふふ。強がってもだめさ。わしにはすべてお見通しだよ。オヤッ、君の右手がシャツをめくりあげてお腹を出そうとしているね。君はおどろいたり怖くなったりすると、腹づつみを打つくせがあるらしいね。ははは。どれどれ、わしにもひとつ、君の名演奏を聴かせてくれたまえ」

 無意識のうちに腹づつみを打とうとしていることに気づいた狸林くんはハッとしつつ、背中に寒気を感じました。

「ぼ、ぼくにいったいなんの用があるんだ!」

「なあに。わしの趣味は悪い子どもにお説教をすることなのさ。だから君にも一言言っておきたくてね。いいかね、わしのすることに邪魔だては無用だ。邪魔をするな。君も、君の先生も、平良警部も、わしにかかわるな。いいかね、わしは確かに警告したからね」

 狸林くんのリンゴのようなほっぺは、この時ばかりは見えない敵に対する恐怖と緊張でうすら白くなっていました。

「つまりそれは、ぼくたちをおどしているんだな」

「ワハハハハ、まあ、そういうことだね」

「つまり、お前の言うことに従わなければ、ぼくたちを一人ずつ殺していくと、そういうことだな」

「イヤ、そこまで言うつもりはないけど」

「つまり、お前のざんぎゃくな犯行、血で血を洗う猟奇的な殺戮さつりくゲームが今まさに幕を開けたと、そういうことだな」

「イヤ、極論すればそういうことかもしれないけど」

「つまり、見せしめに平良警部の一人や二人は平気で殺せると、そう言いたいわけだな」

「イヤ、極端なことをいえばそうだけど……まあ落ちつきなさい」

「なんて恐ろしいやつだろう。はっ、こうしているあいだに、平良警部が危ないっ!」

「ちょっと待ちなさい。待てというのに……」

 狸林くんは平良警部の身を案じるといてもたってもいられなくなり、受話器を放り投げると、元いた奥のテーブルに急いで走り戻りました。

 はたして、狸林くんがテーブルに戻ると、恐るべき事件が起こっていました。なんと、平良警部がテーブルに突っ伏し、あたりには平良警部のものと思われる血が飛び散っているではありませんか。なぞの透明怪人が、ほのぐらいとはいえ衆人環視しゅうじんかんしのカフェーの店内で、さっそく平良警部に牙をむいたというのでしょうか!?

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