カフェー「けもの部屋」

 帝都をうごめく好き者、のけ者、猟奇者が夜な夜なつどう中野のカフェー「けもの部屋」の奥まった一卓に、赤いほっぺたをへこませながら、ストローでミルキセーキをのむ、かわいらしい少年の姿がありました。女給のおいろけサービスが売りである大人のお店で、まったくものおじすることがない怪少年といえば、われらが少年妖怪探偵団の狸林団長をおいて、他にはそうありますまい。

 狸林くんは、なじみの女給が通りかかるたび、二言、三言、笑顔で言葉を交わしながらも、カフェーの入り口をずっと気にしているようすでした。


「アラ、狸林くんじゃない! ひさしぶりね」

 そう言って、とつぜん脇から狸林くんに抱きついてきたのは、なじみの女給のひとり、マミさんです。

「あっ、こんばんは、マミさん。でも、前に来たのはおとついですよ」

「あら。いやねえ。だから久しぶりって言ったのよ」

 郷里にのこした弟のおもかげがあるのだといって、狸林くんをたいそうかわいがっているこの少女女給は、ショートボブの黒髪をさらさらとゆらしながら快活に笑いました。なんでも、『レオン』でナタリー・ポートマンが演じた少女マチルダにあこがれて、このような髪型にしているのだそうで、お酒がはいると「いつかジャン・レノみたいに苦みばしったおじさまがやって来て、私をここから連れ出してくれるのよ」と、「Shape of My Heart」の鼻歌まじりに、そううそぶくのが彼女のくせなのでした。

 そのマミさんが、ジョッキいっぱいになみなみとつがれたビールを持って、狸林くんの隣にすとんと座ると、さっそくかぱかぱと杯をあおり始めました。

「ぷはーっ、ウイーッ」

「ははあ、あいかわらずの飲みっぷりですね」

「まあね、ウイーッ。……アラッ? そういや、きみのお師匠はどこにいらっしゃるの?」

「阿頼耶先生は、今夜はこちらにいらっしゃいません。今夜はぼく一人きりで、ここで人と会う約束をしているのです」

「なあんだ。このビール代はあいつにつけてやろうと思ったのに。まったく、役に立たないへぼ探偵ねえ」

「エッ! 先生はへぼ探偵なんかじゃありません!」

 マミさんは、弟みたいな狸林くんをこうやってわざと怒らせてからかうのが大好きなのです。阿頼耶先生のわるくちにほっぺたをふくらませる狸林くんがいとしくてしかたがないようすのマミさんは、調子にのってさらに探偵の悪口を続けます。

「だいたいあいつ、妖怪探偵とかいってるけどさあ。自分も妖怪なわけでしょう。妖怪が人間の味方をして妖怪を捕まえるなんて、ちょっと聞いたことがないわ。私たちだっていつあいつに捕まえられるか……ああ、ああ! なんて恐ろしいこと!」

「安心してください。先生は全妖怪の敵というわけではありません。ただ、純粋に悪をにくむ心をお持ちの方で、そこに人と妖怪の分けへだてはないと思います」

「ふうん、そういうものかしら」

じつはこのカフェー、皆さんもお気づきのとおり従業員もお客も、妖怪、化物、山人妖女のたぐいが大半を占めています。狸林くんの隣に座っている女給のマミも、阿頼耶先生が熱をあげているというナミも、その正体は妖女なのですし、このお店自体が普通の人には見えないようになっています。たまさか、何かの拍子で知らずに飛び込んでくる人間もいるようですが……。


 少女女給と少年探偵が他愛のないおしゃべりを楽しんでいたその時、カフェーのドアがらんぼうに開けはなたれる音がしました。入り口ちかくの席に座るお客さんの何人かは、そばの女給に対するなんらかのハラスメントの手を止めて、音のするほうへと目をむけました。


 お店の入り口にかけられた紐のれんを、『レオン』のゲイリー・オールドマンばりに大げさな仕草でかきわけて、ずかずかと入店してきたその男は、はでな柄シャツの襟を立たせ、牛革の真っ赤なレザージャケットをはおり、いかにもチンピラ風のいでたちです。その男は、オレンジ色の色眼鏡からのぞく眼光をギラつかせながら、しばらく店内を見回していましたが、狸林君の姿をみつけると、そちらに向かって大股で近よってきました。

 ああ、いったいこの男は何ものでしょう? もしかして、未成年者の狸林少年を排除するためにやってきたお店の番人でしょうか。もしくは、今夜のけんかの相手を探している街のあらくれ、無頼もののたぐいでしょうか。あるいはもっと恐ろしい、たとえば、かの怪人「金毛白面相」の手下のような、怪人一味の一人かもしれません。なんにせよ、かたぎの人間でないことだけはその風ぼうから明らかです。このような絶体絶命を、狸林少年たった一人できりぬけることが、はたして出来るのでしょうか。

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