ゆめの香り

「いったいぜんたい、ヴィレッジ・ヴァンガードが大人おしゃれなお店じゃないだなんて、本当のことなんですか?」


 海と坂と階段と尾美としのり以外は何もない尾道から、ネオンかがやく大東京にやって来てまだまもない、ポッと出の山出やまだし少年である狸林くんは、てっきり帝都おしゃれ業界の最先端だとばかり思っていたヴィレッジ・ヴァンガードを否定され、理性によっておおいかくされていた妖怪・化け狸の本性があらわになり、自分のおなかを両手でぽんぽこぽんと叩きながら、リノリュウムの床にみごと尻もちをついてしまいました。

「おいおい、なにもそんなに面白いおどろき方をすることはないだろう」

「すみません。哀川翔さん、竹内力さんダブル主演の『DEAD OR ALIVE 犯罪者』のラストシーンくらい衝撃を受けたものでつい」

「どんだけだよ。あのね、いいかい、ヴィレヴァンはたしかにおしゃれなお店だし、乱歩と澁澤しぶさわとオーケンが半永久的に平置きされている点などは僕も大いに称揚するところではあるが、しかしけっして大人おしゃれなお店とはいえないね。僕の見立てでは、大学一年生おしゃれ、もしくはデザイン専門学校生おしゃれといったところだ。したがって、モダンな大人おしゃれ女給であるナミさんのお眼鏡にかなう物品はあの店では永遠に手に入らないといってよいだろう」

「ええーっ! ぽんぽこぽんぽこ!」

「だからそれはもういいっつってんだろ」

「な、なんということだろう。尾美としのりを永遠のファッションリーダーとしてあがめたてまつる尾道で生まれ育ったぼくには、ものごとのおしゃれ度合いを見きわめる鑑識眼がまるきし不足していたようです」

「ハハハ……若いうちのヴィレヴァンぐるいは、サブカル者なら誰しもが一度はかかる“はしか”のようなものだから、そんなに気にせぬがよいだろう。君が尾道的センスで購入してきた品々は、せっかくだから僕がありがたく使わせてもらうことにするよ。どうもご苦労だったね」


 がっくりうなだれる狸林少年の両肩に、阿頼耶先生は苦労しらずのしらうおのような白い五指をそっと添え、ニコニコとほほえみながらやさしく労をねぎらうのでした。弟子のあやまちを頭からしかりつけることなく、あたたかく励ましてくれる師匠のやさしさに感動し、狸林くんの阿頼耶氏に対する敬慕の念はいっそうつのるばかりでした。しかし、ああ、なんということでしょう! このとき狸林少年が購入してきたヴィレヴァン商品によって、のちに名探偵阿頼耶三十郎の生死を分かつ一大事が生じることとなるのですが、しかしそれはまだまだ先のお話です。読者諸君は、ぜひこのことを忘れず心にとめておくのがよいでしょう。


 その後、名探偵と少年助手がヴィレヴァンのお香を用いた『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』ごっこに興じてきゃっきゃと遊んでおりますと、とつぜん事務所の電話が鳴りひびきました。狸林少年助手がすかさず受話器を取り、相手の用向きをうかがいます。

「先生、お仕事のご依頼です!」

 狸林くんは目をかがやかせながら、目かくしでお香当てクイズにいそしむ探偵に大声で伝えました。

「うん、誰からだね……おっと、何も言わんでいい……身長は170センチ、髪は赤褐色、美しい茶色の目をしている……」

「先生、『セント・オブ・ウーマン』ごっこはもういいんです」

「えっ。ああ、そうなの……」

「そんなことより、警視庁の平良警部からですよ」

 平良警部といえば、泣く子の生き肝もしぼり取る捜査一課の鬼刑事です。そんな偉丈夫が探偵阿頼耶三十郎を頼るのは、いつだってよくよくの怪事件が起こったときと相場がきまっているのです。いったい今回は、かの鬼刑事は映画探偵阿頼耶三十郎にどんな難題をもたらすというのでしょうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る