撃たれた名探偵

「きゃーっ!」

 帝都サブカル文化のふきだまり、中野ブロードウェイの商業施設は地上四階までとなっていますが、実はこのビルヂング、十階まであることを皆さんご存じでしょうか。五階から上は住居スペース、つまりマンションとなっています。入口には玄関番が寝ずの番をしておりますので、基本的にマンションの住民しか立ち入ることができません。屋上には住民専用の庭園やプールまで備えており、高級マンションといってよいたたずまいです。

 その、誰もが気安くは入ることができない「ブロードウェイ開化マンション」地上十階に、とつじょ銃声と、そして絹をさくような三十路男の叫び声が響きわたるところから、このお話は幕をあけます。

 どうやら、なぞの悲鳴の出どころは西の角部屋に位置する阿頼耶あらや探偵事務所からのようです。

「あっ、今のは阿頼耶先生のお声にちがいないぞ。助手のぼくが先生のお声を聞きまちがえたりするもんか。……これは一大事だ!」

 ちょうど買い物を終えて事務所に戻りつつあった狸林たぬきばやし少年助手は、事務所の前でこの悲鳴を聞くや、大あわてで部屋にとびこみました。……なんと、かの名高き妖怪探偵・阿頼耶三十郎氏は、お話が始まってそうそうに、悪の兇弾きょうだんにたおれてしまったのでしょうか?


「先生っ、ご無事ですか!」

 狸林少年が息せききって書斎の扉を開けると、室内では阿頼耶探偵が安楽イスから身を乗り出してテレビモニタを凝視していました。いやはや、どうやら名探偵絶命の危機というわけではなさそうです。

「おや、お帰り狸林くん。ずいぶん早かったのだね」

「そんなことより先生、いまの悲鳴と銃声はいったいなんです? もしかしてどこぞのヴィランの手の者が……」

「いや、さっきソフマップで買った『Call of Duty』に興じていただけだよ。マルチプレイで遊んでいたら、ロシアだかベラルーシだかの小学生に背後から蜂の巣にされてしまい、心の底からくやしがっていたという次第さ。しかし、今日びの子どもは加減を知らないというか、この僕をボニーとクライドあつかいだよ。残弾すべてを撃ちつくすまで、しこたまぶちこむこたあないじゃあないか。まじで泣きそうになったよ」

「そうだったんですか。でも、先生を背後から撃つなんて、なんて汚い露助ろすけだろう。僕がきっと必ず仇をとってみせます」

「ハハハ……それは頼もしいね。ところで狸林くん、買いものの首尾はどうだったのかな」

「はい。ぼくの目利きで、これぞというものをいくつか見つくろってきました」

 そう言うと、狸林少年は手にした紙袋から数点の品物を取り出して机の上に並べはじめました。

「中島らものエッセイと、完全自殺マニュアルと、死ぬほど辛いデスソースと、ガーネッシュのスティックお香にリキッドエアフレッシュナー、お香の香りが衣服に染みつくガーネッシュ柔軟剤と……エヘヘ、ぼく、このお香の匂いが大好きなんです。それにお店で流れていたジブリ・ジャズのCDと、それから……」

 狸林少年は嬉々としてそれぞれの品物の解説を始めましたが、阿頼耶先生は眉にしわを寄せて何やらうかぬ顔つきです。

「狸林くん。僕はきみに、ナミさんへのプレゼントを見つくろってほしかったのだがなあ」

「はい。たしかに、そのようなお言いつけでした」

 ナミさんというのは、阿頼耶三十郎先生と狸林少年助手が足しげく通う中野のカフェー「けもの部屋」に勤める女給の源氏名です。

 みなさんはまだ行ったことがないでしょうから、少し説明をくわえておきますと、カフェーの女給というのは、皆さんのお父さんやお兄さんみたいに愛に飢えたやさぐれ男どもに対して、チップと引き替えにお色気サービスを提供する女性たちのことで、いわゆる夜の蝶、もっとありていに言えば、水しょうばいの女です。

 阿頼耶先生が特にお気に入りのナミという女給は、眼があった者をヘッドショットでワンショットワンキルするような鋭い眼光と、俗世の男とは語る言葉を持たぬとばかりにきっと結んだ口もとのりりしさは、なるほど、この広い東京にもそうそういない美貌の持ち主でありましょうが、客しょうばいだというのに一言もしゃべらず、わきに座らせてみたところでお酌をするでもなく、ただうつむいて大理石のテーブルでスプーンをこすり、ひたすらにその先端を鋭くとがらせているという、まるで気ちがいじみた女なのですが、阿頼耶先生はこの怪女給の、むしろそのような不遜で猟奇なそぶりがかわいらしくてたまらないのだそうです。

 年わかい狸林くんにはナミさんの魅力がどうしても理解できず、同じくナミさんの上客であり阿頼耶先生の友人でもある平良たいら警部に、彼女の魅力をそっとたずねてみたことがありました。平良警部はそれを聞くとニッコリと笑い、

「それはそうだ。きみぐらいの年であの女の魅力をやすやすとわかってもらっては困るぜ。おれや阿頼耶氏のように、若いころたいそう屈折した青春を送ってみて、そうやって初めてあの女の狂気に惚れることができようというものだ」なんてことを言うのでした。それを聞いた狸林くんは、

「ははあ、さすが人生経験の豊富なお二人だ。僕のような尾道あがりのひよっこは足もとにもおよばないや! おそれ入谷いりや鬼子母神きしもじんだ!」

などと大変におそれいり、そしてますます阿頼耶先生への敬慕の念を深めたものでした。


 さて、お話を怪女給から中野ブロードウェイの書斎へと戻しましょう。

 眉をしかめた阿頼耶先生はため息をつきながらこんなことを言いました。

「ナミさんみたいに大人な女性が喜ぶシャレオツなプレゼントを用立ててほしかったのだがなあ。どうやらきみには少し荷が重いミッションだったようだね」

「ですから、ですから……ここにこうして買いそろえてきたではありませんか……」

 自分の買ってきた品じなが先生に気に入ってもらえない理由がわからず、職務に忠実な狸林少年は思わず泣きべそをかいてしまいそうになりました。

「ふむ。ふむ。しかるにこのセレクト、さてはヴィレッジ・ヴァンガードで買ってきたとみえる」

「アッ、さすが先生、お見事な洞察力でいらっしゃいます。なにしろ、この界隈で大人おしゃれなお店といえばヴィレッジ・ヴァンガードをおいて他にはありませんからね」

「きみの故郷である尾道にはヴィレヴァンなぞなかろうから、あの店はさぞ桃源郷とうげんきょうのごとく目に映るのかもしれぬが……いいかね狸林くん、きみにひとつ、この世のことわりを教えてあげよう。ヴィレヴァンはけっして……大人おしゃれなお店ではないんだ!」

「エエーッ、なんですって!」

 なんということでしょう。尾道出身の狸林少年が思いっきり背伸びして出掛けた吉祥寺のヴィレッジ・ヴァンガードが、まさか大人おしゃれなお店ではないだなんて! 店内はあんなに濃厚なガーネッシュのお香のにおいがじゅうまんしているというのに、それでも大人おしゃれなお店ではないだなんて! 狸林少年はキツネにつままれたような気分になってしまいました。あのヴィレヴァンが大人おしゃれなお店じゃないですって? 本当に、そんなばかなことってあるのでしょうか?

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