第5話 夜中の侵入者
同日午後六時半。
虎太郎は蒼穹が作った夕食を食べながら、あの時のことを思い出していた。
――なにを言ってるんだよ。姉ちゃん……。
――雫に家族はいないよ。親戚も同様にいない。
――え……?
――もう一度聞くけど、その女の人は人だったの?
――人だよ。どう見ても人だよ。まさか〝AZ〟とでも言う気かよ。はは、そんなはずないだろ? 〝AZ〟の外見もAIプログラムも確かにすごいけど、あそこまで完全じゃない。そのくらい俺だってわかるよ。それに俺は〝AZ〟を見ると気持ち悪くなって吐きそうになる。それは姉ちゃんが一番よくわかるだろ。
――そうだね。でも、その女の人が嘘をついているのは確かだよ。しずくんが仕事に行ったというのも、もしかすると。
虎太郎はこの言葉を聞いたあとすぐに家を飛び出した。
確かめなければ。そう思ったのだ。
「1826号室」のチャイムを叩くように二回連続で押した。
「なんで出ないっ……!」
ここを出てまだ五分弱。あのラフそうな格好で外に出るとも思えない。
更に数回チャイムを鳴らしたが、ドアの向こうに人の気配を感じることはできなかった。
ここで虎太郎はネクケーの電話帳に登録してあるアースヴィレッジの番号を探し、少しためらいながら電話マークをタップしコールする。雫は会社になど来ていないなど言われたらどうしようなどと考えながら応答を待つ。
『お電話ありがとうございます。株式会社アースヴィレッジ、井上が承ります』
「あの、俺美島虎太郎といいます。デザイン室の藤田雫さんをお願いしたいのですが」
『申し訳ございません。本日は日曜日ですので、デザイン室の職員は全員お休みをいただいているのですが』
「ちなみに……昨日も休みですか?」
『ええ。そうですが』
「そう……ですか」
虎太郎は電話先の人にお礼をし電話を切った。
「なにかに……巻き込まれてんのか? 雫さん……」
食事の間は珍しく碧が静かだった。というよりも虎太郎とあの会話をしてから一言も言葉を発していない。
碧よりも早く食べ終わった虎太郎は食器を片付けるためキッチンへ向かう。
「ねえ兄さん。姉さんどうしたの。ま、まさか、怒ってるぅっ?」
食器を洗っている蒼穹が震えながら虎太郎に尋ねた。おそらく自分の料理の出来が気に入らないから怒っているのだと勘違いしているのだろう。
「腹が痛いんだと。そっとしといてやれ」
「そ、そうなんだ。だからあんな険しい顔してるんだ」
碧は普段見慣れない表情をしていた。眉間にシワ。口をへの字にしながら食べ物を口に入れていた。声をかけただけで殺されかねない不気味なオーラを放っている。
「寝る」
「おい姉ちゃん。残ってんだけど……」
虎太郎の言葉を無視し、半分ほど食事を残して碧は席を立った。そして自室へ入っていった。
それから八時間ほど経ち、日付が変わる。現在午前二時四五分。
虎太郎は喉が乾き目が覚めた。ベッドから抜け出し廊下に出ると、眠りにつく前と比べ肌寒くなったように感じ、両手で腕をさすった。
寝ぼけ眼のままキッチンに移動し水をコップに注ぐ。視線の先には〝AZ〟が入った大きな箱が鎮座しており、虎太郎はすぐに目を背けた。
飲み終わり部屋に戻ろうとした時、先程は寝ぼけて気づかなかったのだが、とある人物が玄関でじっと座っているのを発見した。
暗いため人がいたことに一瞬心臓が跳ねたが、後ろ姿でその正体はすぐにわかった。
「姉ちゃん? なにしてんだそんなところで」
「こたろー……」
虎太郎は碧のすぐ隣に移動すると、碧が靴を履こうとしているのに気づいた。ずっとここに一人でいたのだろうか。
「姉ちゃんね。やっぱ出られなかったでよ。外……」
「……ああ」
「親友がなにかに巻き込まれてるかもしれないっていうのに、なにもできないみたい」
声が震えている。碧は体育座りをし、額を膝に付けているため表情まで見えないが、もしかすると泣いているのではないかと思った。
「優しいな姉ちゃんは。でもな、まだそうと決まったわけじゃない」
「でも――」
「俺が行くよ。姉ちゃんの代わりにさ。心当たりあんだろ?」
「えと………………ない」
虎太郎は右手で前頭を押さえた。
「どこへ行くつもりだったんだよ」
「風の吹く方へ」
二人で苦笑い。若干ではあるが碧に笑顔が戻った。顔を上げ虎太郎を見つめる。
「ごめんよこたろー。あの時はちょっと怖い顔もしちゃったかや? すまぬ」
「いいよ別に。キレられる時よりも何倍もましさ」
碧は埃がかぶって真っ白になっていた履きかけの靴を脱ぐ。
「明日学校が終わってからでいいんだけども、しずくんを探すの手伝ってくれたらうれしいな」
「わかったよ。とりあえず今は体あったかくしておけよ。しばらくここにいたんだろ?」
「んじゃ、こーふぃー飲んで寝るよ」
碧は柔らかい笑顔で頷くとリビングのソファーに戻っていった。
虎太郎もその後すぐ部屋に戻りベッドに横になったが、先ほどまで眠っていた脳が完全に覚醒してしまったため、なかなか寝付けなかった。
そのまま一五分ほど経っただろうか、突然廊下からこちらに向かってドタドタと走ってくる音が聞こえてきた。
「こたろー! 大変だよ!」
碧の声だ。虎太郎は向かいの部屋で眠っている蒼穹が起きるだろと注意しようとしたのだが、そんな事もお構いなしに部屋に入ってきた。「いいからテレビ!」と言うので虎太郎はめんどくさそうに自室のテレビのリモコンの電源ボタンを押した。
夜中のニュース番組にチャンネルを合わせると、ある建物が炎上している様子が映し出されていた。
「ここって……!」
「アースヴィレッジ……それも」
これだけでも驚いたのだが、次に映された映像は、さらに虎太郎を驚かせる場所だった。
「製造工場もかよ!?」
一体なにが起こったのか。アースヴィレッジ本社と〝AZ〟製造工場は別の県に存在するため、そもそもこの二つの建物が同時に火事になるなどありえない。まずこれに虎太郎は疑問を抱いた。
更に最近の建物は、現在の建築基準法によって火や煙を敏感に検出する高性能センサーがいたるところに備え付けられており、消防隊顔負けの強力なスプリンクラーもあるため、小さなフロアが一つ焼けることがあっても全焼することはほとんどない。しかしこの映像はどうだろう。建物全体から火が吹き出しているではないか。
誰かがセンサーを切って放火したのか、それとも消火が追いつけなくなるほどのなにかが起こったのか。
雫がいなくなってからのタイミングの良すぎる出来事。虎太郎は息を飲んだ。
「――雫さんにもう一度電話を」
枕元に置いてあったネクケーに虎太郎が手を伸ばした瞬間、虎太郎と碧は硬直した。
リビングの方からガラスが複数枚割れる大きな音がしたからだ。
「な、なに……こたろー」
虎太郎はゆっくりと立ち上がり、こちらの気配を消すため自室のテレビを消した。そして暗闇の状態でドアに近づく。ドアは碧が開けたままだったため、顔を出せば碧がつけたテレビの明かりだけで照らされたリビングの様子が伺える。
なにかがいる。そう確信した。なぜならばこのマンションのガラスは強化ガラスを使用しており、たとえ金属バットで叩いたとしても簡単には割れない頑丈さを持っているからだ。しかしおかしい。ここは最上階――三〇階だ。
虎太郎は呼吸を整え、ドアから少し顔を出した。
「……」
心臓の鼓動が早まった。
割れた、いや割られたで確定したベランダのガラスの前で、月明かりに照らされながら少女が一人立っていたのだ。
すると少女が声を出す。
「誰かいるー? ちょっと聞きたいんだけどさー。おーい」
あの子がガラスを割ったのだろうか。
素直に呼びかけに応じるのがよいのか、それとも少女の様子をもう少し見ていたほうがよいのか。必死に考えたが、虎太郎の向かいの部屋の人物が出てきたことによって、途中まで考えた計画が見事に崩れ去った。
「あ、兄さん。なにか大きな音しなかった?」
「蒼穹っ……」
虎太郎は出てくるなとジェスチャーしたが、寝ぼけた妹に理解は難しかったらしく、ベランダの窓にいる少女の視界に入ってしまった。
「あー人いたー! おーい。聞きたいんだけどさー」
少女がゆっくりとこちらに近づいてくる。虎太郎は警戒したが、どうやら武器のようなものは持っていないようだ。
「なっ、誰? 兄さん!」
碧はすぐに虎太郎の元に駆け寄り背中に隠れた。
「あ、他にもいた。ねえ、ミシマコタロウって人知らない? ここにいるっぽいんだけど……ってあれ」
少女は虎太郎を見て首を傾げた。
「君じゃん?」
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