第4話 A106

「なんじゃ……こりゃ」


 翌日午前七時半。

 目が覚めるとようやく圧縮データの解凍が終わっていた。

 見ると最初に一つのフォルダがぽつんと存在し、その中に膨大なフォルダが。その中にもさらに膨大なファイルがひしめき合っていた。


「わけわかんねえ。これを俺にどうしろと? 間違いメールじゃないのかこれ。今更だけどウイルスとか勘弁してくれよ」


 間違いメールしか思えなかった。開けそうなデータがあるわけでもなく、本当に意味のわからないフォルダとなにかのファイルの山が形成されていた。


「ファイル名……《A106》……か」


 データ量は一〇〇TBもあり、おかげで虎太郎のPCはパンク寸前。軽く舌打ちした。

「結局雫さんから着信もメールもなしか。マジでなにかあったのかな……」


 するとドアの前から蒼穹の呼びかける声が聞こえた。


「兄さーん起きたー? 朝ごはんできたよー」


 虎太郎は欠伸をしながら返事をし、普段着に着替えてから朝食に向かった。

 今朝の朝食当番は蒼穹で、テーブルにはオムレツにウインナーなど我が家での朝の定番料理が並べられていた。虎太郎が席に座ると、碧の皿にはほぼ食べ物がなくなっていた。


「美味。美味。美味だよおおおお」


「黙って食ってください」


 虎太郎は食べながら今日のスケジュールを考え始めた。

 連絡の取れない雫に早めにコンタクトを取りたい。そう思っているのだが、一体どこにいるのだろうか。


「姉ちゃん。そういえば雫さん家ってどこ?」


「ん。一八階」


「なんて?」


「一八階だってばよ」


 碧は下を指差し、虎太郎もそれに釣られて下を向いた。


「はよ言えやあっ!」


 虎太郎は激しく姉につっこみを入れ、残りの朝食をかき込むとすぐさま出かける準備を始めた。

 どうやら雫の部屋番号は「1826」らしい。


 近所どころか同じマンションだとは初耳だった。雫や碧からからかわれそうだったため、あまり自分からはこういったプライベートな質問はしたことがなかったのだが、しょっちゅうこの家に遊びに来ていたのはそういうことかと今更ながら納得する。


「んじゃ、ちょっと行ってくる」


「いってらっしゃーい」「いってらっさーい」


 虎太郎は玄関を出るとエレベーターに乗り一八階へ。そして「1826号室」を探す。


「ここか」


 我が家からわずか一分半。表札がないため本当にここであっているかは不明だが、とりあえず突っ立っていても意味はないのですぐにチャイムを鳴らす。


「…………」


 なにも反応がないまま三〇秒以上経過したところでもう一度チャイムを押す。

 さらに三〇秒待ち、もう帰ろとしたところで、

 ガチャリ。ゆっくりとドアが開放された。


「はい」


「あ、あれ。ええと……ここは藤田雫さんのお宅でしょうか……」


 先ほど碧からの補足情報で、雫は一人暮らしだと教えてもらっていたのだが、チェーンロックによる僅かな隙間から除く顔は、雫ではない違う女性だった。


「確かにここは藤田家ですが。あなたは?」


「ええと。仕事でお世話になってる美島虎太郎と申しますが。雫さんはいらっしゃいますか?」


 三秒ほどの間。


「関係を証明できるものは?」


「関係を証明?」


 なにを言ってるんだこの人は。トーンの低い声でそう訊ねられた虎太郎は少し呆れてしまう。

 また数秒の沈黙が続いたが、虎太郎は仕方ないとネクケーからメールフォルダを開き、最近した雫との仕事のやりとりのメールを見せた。これでダメなら、いつだったか何故か碧にツーショットで撮られた写真でも見せようかと思った時――


「……わかりました。ありがとうございます」


 ドアの向こうの人物は少し微笑んでそう言うと、チェーンロックを外し、家の中に入るよう促してきた。


「どうぞ」


「え、はい……」


 虎太郎は更に意味がわからなくなってきた。こんなことせずとも雫本人と自分を合わせれば関係など一瞬で証明されるはずなのに、何故わざわざこんなやりとりをしたのか。そもそもこの人物は誰なのか。少し不安になりながら玄関を通る。


 虎太郎はリビングに通された。周りを見ると、ここは一人暮らし向きの1LDKの間取りだということがわかった。


 そしてそこで、先ほどまで影でよく見えなかった女性の顔がはっきりと見えるようになった。

 女性というよりも女の子と言ったほうがふさわしいだろう。おそらく虎太郎と同じくらいか、もしくは下に見える。七分丈のTシャツにホットパンツといったラフな格好で身を包み、ハーフなのか自然な色の金髪ショートボブの髪をふわふわとさせながら虎太郎の方へ振り向いた。


「どうぞソファーに。今飲み物を持ってきますね」


 虎太郎はソファーに腰掛ける。そして座りながらリビングを見回した。大雑把そうな性格の雫の部屋にしては綺麗すぎるというのが素直な感想だった。

 家具もパッと見高級そうなものばかりだった。実はこのマンションに住んでいる時点で金持ちであるということは証明されている。やはりアースヴィレッジの給料はいいのだろうか、あるいは元々金持ちなのか。その点が少し気になった。


「お待たせしました」


「どうも」


 出されたのはホットコーヒーだった。砂糖とミルクも一緒に持ってきてくれたが、虎太郎はブラック派のためそのまま口をつける。


「手際いいな。こういうのに慣れてる妹でも、こんなもてなしはまだ難しそうだ」


「そんなことありませんよ。わたしにだってまだ未熟な点がたくさんあります」


 コーヒーの出し方、温度、味。まるで熟練されたメイドのような立ち振る舞い。虎太郎は感心せざるを得なかった。

 女の子は虎太郎の正面にあるガラステーブルの向かいに正座して座った。


「足崩しなよ。俺のことは気にしなくていいからさ。ところで君は雫さんの妹さん? ってか雫さんは?」


「いえ、雫ねえは従姉妹です。わたし、実は金曜日の夜に地元を出てここに遊びに来たんですが、雫ねえは土曜の朝に一度会ってからすぐに仕事が入ったみたいで、謝りながらここから飛び出して行っちゃいました。連絡とるの難しいかもって」


「そうなのか」


 やはり仕事か。なにか事件に巻き込まれたとか、そういうことではないということがわかり虎太郎はホッとする。


「さっきはごめんなさい」


「え?」


「都会に来ると普段以上に人に警戒しちゃって。それも男の人が見えたものだから」


「あー。そうだな、突然来ちゃったし俺も謝るよ。でもなんで俺を部屋に入れてくれたんだ?」


 女の子は微笑みながら答えた。


「雫ねえって本当に気に入ってる人以外、メールに絵文字とか顔文字は使わないんですよ。だけどあなたのメールにはすごい量の顔文字が」


「気に入られてんのか俺って。まさか」


 女の子は大きく頷いた。


「だから信用していいかなって。そんな人にお茶の一杯も出さずに帰ってもらうのも気が引けるので、半ば無理やり入ってもらいました。あ、そうだ自己紹介まだでしたね。わたしは藤田雪っていいます。一八歳の高三です」


「と、年上だったか。俺高二なんです。ごめんなさい馴れなれしくて。こういう性格なんだ」


「いいですよさっきのままで。年の一つや二つなんて関係ないですから」


 虎太郎は顔を赤くしコーヒーをひとくち口に含む。初対面の相手でも少し慣れるとタメ口になってしまうのは悪い癖だと自負しているのだが、これがなかなか直らない。


「ところで美島さんは雫ねえに用事があったんですよね」


「ああ、いや急用ってわけじゃないから別にいいんだ。ここ二日くらい連絡が取れなくなったもんだから、ちょっと心配したってのもあってさ」


「いい会社で働けるっていうのも良いことばかりじゃなさそうですね」


 それから二人はたわいもない話を少し続けた。


 そしてある時虎太郎は気づいた。


「そういえば、雫さんってアースヴィレッジの社員なのに〝AZ〟持ってないのか?」


「……」


「雪さん?」


「ああ、すみません。そうですね、確かにいないみたいですね」


 寝室のドアは解放されており、ソファーから少し覗き込んだが、〝AZ〟の充電ベッドなどそれらしきものは見当たらなかった。人に勧めておいて自分が持ってないとはどういうことだと虎太郎は心の中で舌打ちした。


「おっと長居しすぎたな。じゃあ俺はこれで」


「はい。暇だったので楽しかったです」


 いつの間にか三〇分以上経っていたことに気づき虎太郎は立ち上がる。そのまま雪に先導され玄関へ向かった。


「いつまでここに?」


「今晩帰ります。明日は学校ですから」


「そっか。せっかく雫さんに会いに来たのに残念だったな。それじゃまたこっちに来たら今度は俺がもてなしするよ。俺ん家ここの最上階だから」


 そして虎太郎は、雪が笑顔で頭を下げるのを見ながら扉を閉めた。




「ただいまー」


「ふむ~」


 我が家に戻りリビングに入ると、碧の呑気な声だけが聞こえた。蒼穹は自室にいるらしい。虎太郎は冷凍庫からアイスを取り出しそれを咥えた。


「どだったー?」


「どうやら仕事で帰ってないらしい。雫さんの親戚の女の子がいてさ、心配するなって言ってた」


「………………もう一度言って、こたろー」


「え?」


「誰がいたって?」


「だから従姉妹の女の子だって。ハーフっぽい雪って子」


 いつものようにソファーにうつ伏せになっていた碧の声のトーンが下がった。


 先ほどまでバタバタと動いていた足も静止している。一体どうしたのか。


「こたろー」


「ん?」


「それは――」



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