第2話 のろすけ
季節は秋。
美島虎太郎、いやほとんどの高校二年生が憂鬱になってくるであろう季節。
進路を決めろと頻繁に進路希望調査を提出させられるようになってきた生徒たちにとって、これからの一年半は辛い。
教師に言わせれば、「あと一年ある」ではなく「あと一年しかない」なのだそうだ。進学する者、就職する者。この二つが主だが、虎太郎は憎き進路調査表を提出するため、眉根を寄せながら放課後の教室で一人悩んでいた。
「あーもう……面倒だな」
もともとCGのキャラポリゴンの制作が得意で、ネットの投稿サイトでトップの人気を得ていた虎太郎だったが、一年ほど前にその存在がどういうわけか七つ上の姉に知られ、その大学からの友人藤田雫にも情報が漏れていた。
よく家にも遊びに来ていた雫は大学を出て一流企業のアースヴィレッジに就職したというのを聞いていた。そこで〝AZ〟のデザイン部門に配属されたらしい雫は、全くいいデザインができずに虎太郎に泣きついてきたのだ。
元々オリジナルキャラを創作していたのと、アースヴィレッジの使用ソフトの操作感が自分が使っていたソフトと似ていたため、虎太郎はそこまで頭を悩ませずに雫の注文を見事にこなしてみせた。
作成されたそのデザインは、驚くことに〝AZ〟の売上トップに躍り出るほどの人気商品となったのだが、当時この件についての悪行がバレた雫は、しばらくの間謹慎処分となったらしい。クビを切られなかったことが奇跡だ。
その後虎太郎は〝AZ〟の開発責任者である片山郷剣に目をつけられ、現在では雫と共に〝AZ〟のデザイン(女性型)を行なっている。本来やるべき雫がなにもしていないのが虎太郎は気に入らなかったが、一体のデザインで札束一つ貰えるという契約を会社としてからは、あまり文句を顔に出さないようにしている。使い道もないけどな、と軽いため息をつきながら虎太郎は窓の外を眺めた。
「アースヴィレッジから声が掛かってるけど、俺にはそのつもりはないし……はぁ、どうするかな」
あのインタビューを見てから少し経った頃、原因不明の故障は一斉にストップしていた。
結局原因はわからないままだったが、現在は一部の使用者の不安を残したまま時は流れている。突然機能を停止した〝AZ〟も何事もなかったかのように突然起動したらしい。
虎太郎はその後数十秒悩んだあと、第一希望・第二希望などの必要事項を担任から送られてきたテキストファイルに適当に入力すると、それをメールにて送信した。
「やべっ。もう五時じゃねーか」
虎太郎は学校から飛び出した。時間を気にせずだらだらと教室で過ごしていた虎太郎だったが、今日は金曜日。つまり今晩の食事当番だったことを思い出したのだ。
胸元でなにかが振動。
校門を抜け、早歩きをしながら首にかけているネックレス型通信端末(通称・ネクケー)を制服の下から勢いよく引っ張り出すと、すぐさま端末中央のボタンを押す。するとその真上に一〇インチのディスプレイが空中に投影された。
電話がブルブルと震えるアイコンと、そこに発信者の名前と顔が表示されているのを確認すると、虎太郎は慌てて電話アイコンをタップ。すると栗色の長い髪の毛が、寝癖で上下左右に乱れ、寝巻きが半分はだけた状態になっている引きこもりの姉が映し出された。
「はいはいごめんっ。今帰る途中だから。あ、そうそう聞きたいんだけど冷蔵庫の中なにが入ってる?」
『それはいいんだけどもー。こたろー。あんた冷蔵庫なんて注文したー?』
「は? 冷蔵庫? 俺はその冷蔵庫の中身を聞いてるんだけど」
『そうじゃなくて、今送られてきたんよー。縦長の二メートルくらいの重い箱がさー。開けていいかやー』
虎太郎は立ち止まった。そんなもの注文した覚えはない。それに準ずる大きさのものも。
首を傾げながら自分の行動を振り返ったが、やはり記憶になかった。自分以外の家族が間違って注文したのだろうか。確かに自分以外の家族――母、姉、妹は虎太郎の中の最上級の単位「クソ」がつくほどの機械音痴である。最近は簡単にネット通販ができるため、このような間違った注文トラブルは少なくない。
「とりあえずそのままにしておいて。開けると返品できなくなることもあるからさ」
「ん。了解ー」
そう言って通話は終了。夕食の準備が遅いと怒られるのではないかと心配だったが、とりあえず大丈夫だったことに安堵した。高校生くらいまでクール、時にはやんちゃな口調だった碧は、ここ数年は落ち着きどこの方言かわからないのんびりとした口調に変化したのだが、食べることに関しては昔の口調で怒られる。万が一碧を怒らせてしまうと、こちらの身体が硬直するほどの大きな怒鳴り声を出されるのだ。
ネクケーを胸の中にしまい歩き出したが、冷蔵庫の中身を聞けなかったのを思い出し、再び姉に電話する虎太郎であった。
「ただいまー」
「遅いぞーのろすけ。はよ夕食。はよ」
虎太郎の家は三〇階建ての高級高層マンションの最上階にある。ドアを開けると早速碧のやる気のない声が聞こえてきた。怒ってない様子から、まだ空腹感はマックスではないということが窺える。廊下を抜けると、碧は二〇畳以上ある広々としたリビングのソファーの上で、うつ伏せで寝転がっていた。
「ところで届いた冷蔵庫って? ああ、これか」
どうやってここまで運んだのかはわからないが、それはリビングのテレビ脇にあった。
高さ二メートル強、横幅八、九〇センチの真っ白な長方体。虎太郎は周りをぐるっと一周し、あるものを探す。
「あったあった」
配送伝票だ。これを見ればどこから発送されたのか、また誰宛に届けられた荷物なのかがわかる。ただ、現在は個人情報漏えい対策のため、伝票に直接宛名は書かれていない。虎太郎は伝票に印刷されてあるバーコードのようなマークをネクケーで読み取り、情報を開いた。
「――って、俺宛じゃん」
「やっぱこたろーのかや?」
「んなはずないんだけど。っておいおい、アースヴィレッジって。まさか――」
虎太郎は差出人欄を見て咄嗟に箱を開けそうになったが、一歩手前で踏みとどまった。
会社名しか書かれていないが、送った人物と中身はなんとなく想像がつく。おそらく雫からだろう。あれだけ拒否しているにも関わらず送ってくるとは、もはやいじめだ。
「どしたのこたろー」
碧はソファーからムクッと首だけ起こし虎太郎に問う。
「たぶん姉ちゃんのお友達からだよ。〝AZ〟さ」
「あず? どうしてまたアンドロイド恐怖症のこたろーに」
「知らん。便利だから使って欲しいんだとさ」
またため息が出る。こんなものがあっても――
「こたろーさ。この機会に克服してみればいいんでねーの? これ大分安くなったといっても下位モデルで一〇〇万近くはするでよ」
「……そんなのわかってる。便利なのもわかる。でも無理だよ姉ちゃん。俺は怖い……誰も信じてくれなかった〝あの時〟のことが、まだ忘れられないから……」
下を向き前髪で表情が隠れた弟を見ると、碧はうつ伏せだった体勢から普通に座り直し、自分の隣りの席をポンポンと叩いた。
「まあ座れっしゃ」
虎太郎は素直に碧の隣に座ったが、顔は下を向いたままだった。それを見ると碧は虎太郎を自分の肩に抱き寄せた。
「ごめんこたろー。こたろーが嫌なら無理なことは言わないよ。うちには〝AZ〟は必要ない。そうだったね」
先程とは少し違う優しい口調で碧は虎太郎に語りかける。これは美島家で決めたことだった。虎太郎たちが七年前に遭遇した〝ある事件〟をきっかけに、美島家ではアンドロイドは買わないことに決めたのだ。
「悪い姉ちゃん。ありがとう」
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