渾沌と恐怖

「に、逃げろおおおぉおおおお!!」


 春夏秋冬の四季の内、春が最も美しいとされる鶴咲高校。

 山の上に立地しており、

 桜が満開になると、学校中の木々に満開の桜が咲き誇る。

 授業中では、窓から教室内に雀が入ってきて春の喜びを告げる。

 だが春だけではない。

 夏は蝉が五月蝿い季節だが、

 桜が咲いた木々達は夏の紫外線を防ぐ盾となり、生徒達は快適な夏を過ごす。


 秋には、夏に役目を果たした木の葉達が美しく散り、

 芸術、文化を思い立たせるような儚い光景が教室の窓から見られる。


 そして現在。

 冬には春に備え、力を蓄える木々とは裏腹に、

 生徒達はゆったりと勉学に勤しむ。


 そんなのどかだった冬の鶴咲高校では、

 今、人々の悲鳴とも、絶叫とも言える声が至る所から聞こえて来ていた。

 誰かが叫んだ一言によって、

 鶴咲高校本校舎3階はパニック状態に陥った。


 人の群れによって埋め尽くされた階段。


 血迷ったのか、廊下や教室の窓から脱出しようとし、転落して死んでゆく人達。


 文字通り、カオスその物だ。


 サイハ、シュウは人混みにまみれ、身動きがとれない状況にいた。


「……ッ……クッソ……動け……ねェ!」

「サイハ……!」


 シュウとの距離はどんどん離れていく。

 廊下の端に流されたが、何とか廊下の窓に掴まった。

 今にも流されようとしている状態で、

 最大限に頭から何かを引き出そうとする。


「ハァ……ハァ、何か……何かねぇか!

  ……ッ!!」


 廊下の状態。

 階段の立地。

 生徒達の恐怖の矛先。


 頭から何かがこぼれ落ちた。

 閃きという名の何かが。


「シュウーー!! どこいった!!」


 腹の底から名前を呼ぶ。

 遥か遠方から返答があった。


(片方の階段に生徒達が集まってる。

 リスクは高いが、トヤマ側の階段から脱出するしかねぇ。

 シュウは案外離れてねぇな。よし。

 条件はクリアされつつある……あとは俺が行動をおこせば……ッ)


 トヤマがおかしくなって人を襲い出したのは、不幸にして幸いの一番奥の教室前だった。

 2人がいる3階に階段は2箇所。

 奥の教室の隣の階段と、反対側にある階段。

 当然、生徒達はそこから離れようとするため、

 必然的にトヤマから一番離れていて安全な反対側の階段へと向かっていく。


 サイハはどちらかというと反対側の階段よりに、

 シュウの声は確実に奥から聞こえた。

 しかも、かなりトヤマに近いところだろう。

 視線を右に左にと向けていると、廊下の壁に火災報知器を見つける。


(よし……よし! いいぞ。クリアだ)


 報知器のボタンを叩いた。


『ジリリリリリリッ!!』


 けたたましいサイレンが校舎に響き渡る。


 生徒達は驚き、無意識に報知器の周りを開けた。

 それを見計らったサイハはガタイがいい男子生徒の腕に足をかける。


「お、おっ!? なんだ!?」

「よっ! ……よっ!! わりぃな。ちょっとふませてくれ!!」


 案の定。

 人が群がりすぎているせいか、天井付近は"足の踏み場"しかない。

 生徒達の肩をお借りして、シュウの方へ向かう。


「なるほど!! そういう事ならッ!!」


 シュウは周りの生徒の肩を持ち。勢いよく上に飛ぶ。

 生徒達は密着しているから体勢が崩れることはないだろうとふんでのシュウの行動だ。


「シュウ!! 外山の方に駆けろ!!」


「了解ッ!」


 互いに合流し、生徒達の肩を渡ってトヤマがいる方へ向かう。

 トヤマの姿が見えた。

 見るからに人とかけ離れた姿だ。

 腕の関節が真逆の箇所にあり、更に腕は肥大化し、肌は薄緑色に変色している。

 2人は、同じタイミングで廊下に降り立つ。

 目の前にはトヤマと、彼に無残にも殺された生徒達。

 あの怪力のせいだろう、体はグシャグシャだ。


 目的は1つ。

 トヤマ側の階段から脱出する事だ。

 あっちの階段でも良かったが、あの人混みだ。

 まともに動けずに、前に転がっている生徒達のようになるだろう。


「こい! トヤマ!! 俺が相手だ!!」


 シュウは腰を低くし身構えたところで、

 首根っこを掴まれる。

 

(バカ野郎! 何となく予想はしてたが、コイツ本当に勝負を挑みやがった!!)


「何だよサイハ! 邪魔しないでくれ! 外山は俺が絶対倒す! だから、後ろで待っててくれ!!」

「馬鹿か! 勘違いすんじゃねぇ!! 

 武器も持たずに勝てる訳がねェんだよ!! 

 取り敢えず今は逃げるぞ! ……ッ!?」


 トヤマはなんとその場で跳躍し、

 サイハ目掛けて、腕を振り下ろす動作を始めた。

 あの腕でだ。

 あの腕と怪力で振り下ろされたら、確実にミンチ決定だろう。


「サイハ!! 走るんだ!!」


 シュウから引っ張られ、全速力でその場から離れる。


『バカァアアァンン!!!!』


 先ほど立っていた廊下のタイルが粉々に砕け散る。


「クッソ……!! すまねぇ!」

「いいんだ、俺が間違ってたんだ。

 ここは逃げるしか生きる道はないんだよな!」

 

 シュウは悔しそうだが、何かを決意した真っ直ぐな瞳を向けていた。


「あぁ……走ろう!」


 2人は階段へ向かい走る。

 獲物が捉えられなかったのが悔しいのか、

 トヤマはこちらを睨んでいる。


「お前らもとっとと逃げろ!! 殺されるぞ!!」


 生徒達に向かい叫ぶが、未だ彼らは混乱している。

 誰も見向きもしない。


「サイハ無駄だ。

 こうなった以上、個人で逃げるしかないんだ。

 残念だが、俺達は、俺達の事を考えよう」


 話している間にトヤマが走る体勢をとる。


「……クソッ!!」


 2人は生徒達を見捨てて階段を駆け上がる。


 不本意だが、こうするしか自分達が助かる術はないのだ。

 巻き添えなんかまっぴらゴメンだ。

 間違いなく死人がでるだろう。

 この騒ぎが終わった後。学校に行くのは気が重いな。


 というかこの騒ぎはこの学校だけの話なのか?


「サイハ! 見えたぞ! 屋上だ!!」

「お、屋上!? 

 ……何で下に行かなかったんだ俺達は……」


 半狂乱で走っていたため、気がついたら屋上に行く階段に向け走り出していたのだ。

 これでは逃げ場が無くなってしまう……


「シュウ……、すぐに戻るぞ! 

 階段を降りるんだ! 今ならまだ間に合……!?」


 下からは、

 数多の悲鳴と絶叫。

 そして何かが砕ける音。

 人ではない者の雄叫びが、一つの騒音となり聞こえる。


「サイハ、こうなってしまったら、

 全ては屋上に行ってからじゃないと始まらない。

 このままじゃ2人まとめて殺される。

 今は前に進むしかない!!」


「……」


(確かに、下の階に向かわなかったのは誤りだったがもう過去だ。

 幸い屋上には立てこもる場所は何箇所か存在する。

 それに賭けてみるか……!)


「……よしっ! 行くぞ!」

「あぁ!!」


 先頭のシュウが屋上の扉を蹴飛ばす。


 屋上に広がっていた光景はあまりに衝撃的だった。

 シュウと話して、自分もついにおかしくなったのか、

 そこに広がっていたのは……


 何人かの人が一ヶ所に集まり、何かをまさぐっていた。


 それだけなら良いのだが、

 まさぐっている人達の手や口には赤黒いドロッとした液体がついている。

 スーパーなら、主婦達の食料争奪戦で野菜等を手にとり、

 和気あいあいとレジに向かうだろう。

 だが、ここでは野菜の代わりに千切られた手足や、

 体から引きずり出した小腸を、人が持ってそれを食べている。

  

 そう、屋上では、人が人を共食いしている地獄絵図が広がっていたのだ。


「ギャアアアァァア!!」


 誰かが叫んでいる。

 一体何がどうなってるんだ。

 辺りは血の海で、人肉の破片、引き裂かれたのか、

 手足等も散乱している。

 腹の中から吐き気がこみ上げてくる。


「ぅ……! な、なにが……? シュ……シュウ! 逃げるぞ!!」

「わかってるよ! でもどこへ!?」

「ちょっと高い所があんだろ! あそこだ!!」


 サイハは屋上の端を人指し指で示す。

 そこには高台があった。

 高さは5メートル程。

 屋上の端にある高台は、奴らが登ってこれない程に高い。

 尚且つ高台に上がる手段は梯子(はしご)なので、

 もし奴等が登って来れたとしても、一人ずつしか登れない。

 そして、後は各個蹴落としていけば何とかその場の安全は確保されるだろう。


 だが、距離が問題だ。

 ここからだと、40~50メートルはあるだろう。

 走れば数秒で着く距離だが、それは何も障害物が無い場合だ。

 今は人を食い殺す障害物がそこら辺にいる。

 しかし、そんな事を考える暇は無い。

 2人は脇目も振らず全力で高台目指して走る。


「た、助けてくれぇえええ!!」


「お……お願い……助け……て」


 走り抜ける度に、

 倒れている生徒達が絶叫混じりに助けを求めてくる。

 だが、今の2人には何も出来ない。


 手を差しのべることも。一緒に逃げることも。


 振り向くことはないまま、

 ただただ高台に向かい全力で走る。

 

 その時、何かに躓き前のめりに転倒する。

 

「サ、サイハ!!」

「クッソ……一体な、う、うぁあああああ!!」


 躓いたのは、奴らに食べられた人の残骸だった。

 

「あぁ……ああああああああぁ!!」


 恐怖で前が見えなくなる。一体、何がどうなっているんだ。

 これは生物兵器か? 

 新種のウイルスか? 

 なぜこんなことに……。


 思考が渦巻いて止まらないサイハをシュウは咄嗟に担ぎ、高台目指して走り出す。


「ッ! どけ!!」


 シュウは奴らを手で払いながら走り続けると、ようやく高台に登るための梯子にたどり着く。


「サイハ!! いい加減にしてくれ!! 

 ここから逃げるんだろ!? もう少し非情になるんだ!」

「……あ、あぁ。すまねぇ」


 サイハとシュウは梯子を登って何とか高台に登り着いた。

 2人は上から周りを見渡す。

 一言で地獄と名付けられそうな光景だった。

 死んでいる人間を、狂った人間がかぶり付く。

 そしてそのまま、歯で肉を引き裂き、

 引き裂いた肉を燕下(えんげ)している。


 我慢の限界だったのか。おもむろに吐く。溜め込んでいた不安を含め、わだかまりを全て。


「お、おい! サイハ! 大丈夫か??」

「あぁ……まったく細い神経だぜ。

 よし、兎に角だ。まずはここから脱出するぞ」


「それはわかってはいるけど一体どうやって?

 武器もないんじゃ脱出とか言っている場合じゃ……」


 そうだ。

 わかってはいるが、2人に武器は1つとしてない。


「屋上には体育祭で使われた小物がある。

 だが武器になるのは表彰に使われる優勝旗くらい……。

 あれは先がとんがってて槍になるはずだ。

 野球部のバットがありゃあ随分マシになるんだが……。

 生憎野球部部室にしかねぇだろう。

 シュウ。優勝旗はお前が使え。俺が使うより何倍も役に立つからな」

「サイハはどうするんだ?」

「ハッ! お前が守ってくれんじゃねェのか?」


 シュウは恥ずかしそうに人差し指で鼻を擦る。


「ふ、そうかい。場所はあの扉でいいんだな?」


 シュウはおよそ50m先の物置部屋の扉を指差す。


「あぁたぶんあれだ、確か漆塗りのケースに入ってたと思う。いけそうか?」

「あんまり舐めないで欲しいな。

 これでも親父は軍人だ。格闘術は叩き込まれてある」


 シュウは胸ポケットからナイフを取り出す。


「これは俺がもしもの時に持ってあった護身用のペティナイフ。一応持っててくれ」

「オイ……武器あんじゃねぇか。ソイツはお前が持ってった方が……」

「ナイフの心得はサイハの方がわかってるじゃないか、

 元Jackだろ。それに俺にはこれがある」


 シュウはもう一つの胸ポケットからシャーペンと鉄製の定規を取り出した。


「ハァ、わかった。必ず戻ってこい」


「当然ッ!!」


 シュウは高台から跳躍し下に飛び降りる。


 サイハはハシゴの下に目を向け、登ってこようとしている奴らを見据える。


「「 さぁ!! いっちょ悪足掻きだ!!」」


 逃げるしか脳が無かった人間らに

 立ち向かうという選択肢が増えた。


 まずは2人。


 この選択肢がよい方向に靡(なび)くか。

 不幸に靡くか。

 その先のことは。

 彼らの頭には無い。

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