1日目 20時45分


 金色に煌く数多の蛇が、身を寄せ合って中空に浮かんでいる。

 細く長い肉体が交差しあうその隙間を縫うように柔らかな光が降り注ぎ、霧に包まれたようなぼやけた視界を淡く彩る。

 何度か瞬きをしながら、じっくりと時間を掛けてようやく。中空のそれが豪奢なシャンデリアであることに気が付いた。


「覚醒ヲ確認シマシタ。No.216。ゲーム開始マデ、残リ14時間15分デス」


 耳朶を打った無機質な音声に、慌てて周囲を見回す。絵の具を塗りたくったような濃い赤色の壁。毛足の長い同色の絨毯。アンティーク調の箪笥。壁に掛かった絵画と、古ぼけた振り子時計。偏執的な雰囲気の8畳ほどの洋室で、どうやら僕は眠っていたようだった。

 手を突いて上体を起こし、自分の寝そべっていたベッドへと目を落とす。それは暖色で統一された洋室に於ける唯一の無彩色。赤潮の発生した海面に漂う板切れのような、恐らくはセミダブルサイズの白いベッド。濃色に支配された室内に於いて、随分と浮いた印象を醸し出している。


 左手首に違和感を覚え、視線を滑らせる。金属バンドのデジタル時計のような、だけどそれにしては重みのある器具が取り付けられている。時計であれば盤面にあたる長方形のプレートには、やはり時計が映すそれによく似た四桁の数字。14:13と表示されている。


「残り時間……?」


 寝ぼけ眼に耳した台詞を思い出す。2ヶ月前彼女へと電話を掛けた際に鼓膜を叩いた機械音声。不快なそれを思い出させる無機質な声は、確か残り14時間だとかなんだとか、そんなことを言っていたような気がする。


 ベッドからゆっくりと床へ降り立ち、改めて室内を確認する。どこかのホテルの1室だろうか。小さくない圧迫感と、僅かに濁った重い空気。自分が何故こんな場所にいるのかまるで分からない。ぼんやりとした記憶を辿れば、浮かんだのは幅広の車道。そう。確か僕は退屈な学校を走って飛び出し、やっぱり退屈な自宅へと向かっていたはずだ。


 真っ赤な壁に慎重に視線を走らせる。先ほどベッドから見回した際には気がつかなかったけれど、箪笥の脇には1枚の扉がある。歩み寄り、背筋を伸ばして深呼吸。ゆっくりとゆっくりと、真鍮製と思しきドアノブへと手を伸ばした。


「うわっ......」


 思わず悲鳴を上げ、反射的に後ずさる。

 回そうとしたドアノブが妙に重いと感じたのも束の間。僕の意志に反してノブは勢いよく回転し、かちゃりと音を立てて止まる。こめかみを汗の粒が垂れ落ち、心臓が活発に動き出す。扉の向こうで、同時に誰かがドアノブを回したようだった。


「あれ。起きてる」


 室外へと向かってゆっくりと引き開かれる扉。視界の下部に姿を現す絨毯張りの廊下と、黒のトレンカに包まれたほっそりとした足首。視線が合う。意思が絡み合う。扉の向こうには、小柄な1人の女性が立っている。幅広の廊下の中央辺りに、静かに優雅に佇んでいる。


「久しぶり」


 中空を真っ直ぐに進み耳朶を撫でたそれは、ひどく懐かしい響き。鼓膜の僅かな隙間から耳孔じこうの奥深くへと進入し、三半規管へ絡み付いてはふさりと溶ける、優しい音色。どこか甘い、微かにノイズを含んだ美しいソプラノ。


「凍子さん、ですか……?」


 呟き、目を瞬かせ、僕はその身を硬くする。両の瞳が捉えた光景を、少しずつ少しずつ、時間を掛けて脳が処理する。噛み砕き、吸い取り、言葉を形作って心を揺らがせる。

 1年前ほんのひととき、僕に退屈を忘れさせてくれた彼女が、光量を落とした暗い廊下から僕を見つめている。

 鶇屋凍子が、僕を見つめている。


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