エピローグ:世界を櫃に例えたら、最後に残るモノは何?

「……」  一色若葉は、その場を後にした。義姉――宮下茜の事をどう思うのかは、成長した今となっては『解らない』。彼女が最も愛する者を同時に喪った悲しみとは、自分が『親友』を喪くした時のモノと同じようなものなのだろうか?

 まだ『幼い』少女にはそれが解らない。しかし、『若さ』とは様々な『可能性』が眠っている、『宝』のようなものではないだろうか?

 そんな若葉は、泣き崩れる茜を一瞥しただけで、すぐに彼女の傍から離れた。だって、彼女が『愛した』人物はふたりともすでに死んでいるのだし、これ以上自らの恥辱を覗かれるのは『憐れ』に思えたから。……一色若葉という十四歳の少女はそう思う。

 そして彼女もまた、『愛する』者の元へ向かう。きっと義姉には理解しがたいであろう状況だが、彼女と『父親』は、そういう『絆』だから。茜が神父とは独特の『絆』を育んでいたように。


「パパ」

「……」

「まったく、寝たフリはよしてくださいまし! わたくしも最近は少々反抗期ですのよ?」

「……ははは、俺を嗤いたいのか?」

「まさか」

「ではなぜ、まだ俺を慕う? お前はまさかマゾヒストなのか?」

「いいえ、わたくしはどちらかと問われれば、もちろんサディストですわ!」

「……」

 誇らしげに言う事かと『男』は思ったのだが、これも『娘』らしい真面目な一面からくるものだとすぐに見抜く。

「……良い顔をするようになったものだな」

「え?」

「相当、『医学』は理解したものと見える。俺への処置も的確過ぎて気味が悪いくらいだ」

「それは褒めているのですよねぇ?」

 若葉が少し意地悪く微笑むと、『男』も彼女に似たその顔で微笑む。……若葉は大いに驚いた。彼のこんな優しい微笑みなど、生まれて一度も見たことがなかったから。そして、同時にどこかで安心もする。

「パパも、きっと変われますわよ! わたくしだって変われたのですもの! わたくしよりも優れたパパなら――」

「以前にも言ったはずだ。……お前はおだてに乗りやすいのが決定的な弱点だ」

「……『譲れないからこその信念』ですわね?」

「本当にお前に理解できているのか?」

「えぇ、もちろん!」

 若葉はその整った唇を尖らせてみせる。久しぶりに会えたのだし、多少は甘えてもいいだろう。なんといっても、自分は愛する『父親』を『正しい道』へと導く手伝いをしたのだから。

「俺が今考えていることを当ててみろ」

「え?」

「……『とっさの反応が鈍い』、これもお前の欠点だ」

「……」

「『天才美少女』の名は飾りか?」

「……『多少はわたくしたちの影響を受け、ほんの少しは善行をしてもいい』?」

「……」

 『男』は大きくため息をついた。そして憐れむ目線で若葉を見た。それは彼の心からのモノだとすぐに悟る。だが、そんな表情も残虐な『爆弾魔』のモノへとすぐに変化した。

「全くの見当外れだ。やはりお前ごときが『天才』だの『カリスマ』だの、うるさく騒がれるような器ではない事は確かだ」

「……それは一体――」

 若葉が言葉の真意を聴こうとした時、教会に大音量が響き渡ったかと思うと、すぐに天井が崩れ落ちてきた。



 宮下茜は、『神父』と呼び慕っていた『神木修一』の遺体と、『初恋の人』として結婚を前提に愛した『四ノ宮聡』の遺体の前で泣き崩れている最中だった。首から下げた純銀の、ルビーの守り石の嵌った十字架と、婚約指輪に選んでくれたサファイアの指輪。それらは『遺品』として、カタチのある『二人の存在した証』として、半永久的には確実には残るだろう。その事実だけは救いだった。

 彼女は自らのこげ茶の短髪に触れる。神父もよく言っていた「女の子らしい格好のお前が見たい」、聡も言っていた「茜ちゃんはその優しい髪色の長い髪が似合う」と。そしてふたりとも、同意したのは、茜に求めたのは、『事情は理解できるが、やはり女性らしい貴女が見たい』ということ。……そんな、『普通の』女性であれば非常に『簡単』なことが『出来ない』自分が、『出来なかった』自分が、本当に嫌になる。こんな事になるのならば、虚勢など張らずに胸を張って髪を伸ばしているべきだった。

 ――神父は、天国に行けるよ。

 茜は確信を持って、聖堂のマリア像を見上げる。確かに『神父』の行いは、キリストの嫌うような『偽善』からくるのかもしれないが、幼い見ず知らずの少女を一人前に育て上げたのは事実だ。それは絶対に『偽の善行』ではないはずだ。

 子供ながら、人間を見る目には自信のあった茜がこう思うのだから、これに反論するのならばもっと徹底的な根拠を持ってきてほしい。彼の行いを否定するのならば、いくら世界中の人間が『神』だと認めても、茜ひとりぼっちになったとしても、絶対に『認めない』。

 ――サトルくんは、自分では『狡猾』ぶってても、根は変わらないんだから。

 もう一人の『愛した』者、四ノ宮聡の遺体の前では、そんな事を想った。彼は全く悪くない。昔の自分を忘れずに覚えていた、それだけ深く愛した『情け深さ』を利用されただけだ。だからこそ茜も、彼の真意には気づいていたもプロポーズを受けたのだ。……それだけ深く人を愛せるのも、彼の立派な『美徳』ではないだろうか? したがって彼も、当然天国に行けるはずだ。



 義妹が――一色若葉が自分から離れて『男』の元へ向かった事は知っていた。だが、彼女は茜とは違って元は『父親』寄りの思想の持ち主だった。だが、今年の夏に再会した時には驚いた。表情は生き生きとして、纏う雰囲気までも明るいモノになっていた。何が彼女をそこまで変えたのかは茜には解らない。だが、そんな関係だからこそ『異母妹』として心地のいい関係でいられたのだと思う。

 『男』との戦いもやっと終わる、その安心感は何物にも代えがたかった。いつも暴走する『神父』を止めるのがこれまでの茜に出来た精一杯のことだ。でも、今は違う。更に茜だけではなく、あの義妹まで変わっていたのだ。勝てる要素しかない。……いくら、智也も智也も美千代も明も戦力としてこの場にいなくとも。自分たち『姉妹』は『間違った』『父親』に勝利したのだ。



「……」

「……」 

 教会が燃えていくのを、異母姉妹は黙って見つめていた。

「……本当に良かったの?」

「……それはこちらの質問ですわよ。そちらこそ、『本当に』良かったんですの?」

 本当に、というワードを強調してくる意図など簡単に読める。相当舐められているらしい。

「僕が愛したふたりはもうこの世にはいない。……けど、逆に考えれば、『喪うことで』成長できるモノなのかもしれないと思うから」

「……『成長』?」

「僕には智也っていう同じ探偵のライバルがいる。……でも僕は、認めたくなかったんだ。アイツが僕よりも『格上』ってコトを」

「……」

「それを悟ったのは今年の九月。智也が昔の僕のネタでからかいに来たんだ、って思ってた」

「……『思ってた』?」

「うん。……アイツは遠回しに言ったんだよ、『お前に足りないのは年齢からくる経験不足』だって、上から目線で」

「とんでもない侮辱ですわね」

「いや、僕は自分に欠けているモノが何なのか、はっきり指摘してくれて感謝してるよ。……若葉、『成長』ってこんな事をいうんじゃないかな?」

「……なぜそんな愚問を、よりにもよってこのわたくしに訊きますの?」

「僕は学校の勉強の頭が悪いから、詳しく説明したくても出来ないんだよ」

 そう言って、茜は照れて、微笑む。そこには明らかに『父親』の面影もあった。基本的な顔立ち自体はきっと見知らぬ『母親』に似たのだと思われるが。雰囲気というか、漂うオーラとでも呼ぶべきものが非常によく似ていた。

「……わたくしは特例で、来年ドイツ留学が決まりましたの」

「そう、おめでとう」

「ですから、なぜそこでそう言うのです? 普通は嫌味と思うところでしょう?!」

「いや、若葉の頭ならそれくらいはあり得るし、一応『異母姉妹』なんだし。……そもそも僕のことが嫌いなら、七月にここになんか来なかったでしょ?」

「っ!」

「……もう、涙は封印するよ。ふたりにこれ以上悲しい思いはさせたくないからさ」

「……本当は強かったのね、義姉様は」

「『認められた』って、自惚れてもいいの?」

「……どうぞご勝手に。わたくしはもう知りませんわ」

 それを最後に、義妹は教会を後にした。たったの十分にも満たない会話だったが、茜にとっては輝く『希望』を感じさせてくれた。

 ――僕も髪を伸ばして、それから……『学校』にも行ってみようかな?

「……」

 ご近所さんが読んだ消防車が到着したのは、そう思ったのとほぼ同時のことだった。

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探偵は教会に棲む 莊野りず @souyarizu

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