第22話:フラグメント・オブ・ザ・ラストメモリー

 『初恋』、あれは確かに『初恋』だったはずだ。

 あの時は幼すぎて解らなかったけれども、今年で満二十歳になる彼女に対して、淡い恋心を抱いていた。間違いなく。そして、運命の皮肉にも僕の『存在そのもの』は、愛する君への何よりもの『残酷な凶器』になってしまう。

 あの恐ろしい男――大西隆は、君の実父だったんだね。ならばいくつもの謎が綺麗に解けるよ。なぜ君が、大の勉強嫌いな君が、幼かった当時でもあんなに簡単に事件を解いたのかを。あんなに簡単に探し物を見つけたのかも。

 すべてに納得がいくんだよ、『非常に残念な事』に。



「……本当に、それでいいんですか? 茜ちゃんは『実の娘』でしょう?」

「アレが俺の跡を継ぐのは断固として拒否している。……まだマシだと思っていたアレの妹も俺から離反した。『実の娘』? そんなものはただの『事実』に過ぎないのではないか? 俺はそう考えを改めた」

 ――相変わらず読めない人物だが、これはきっと本気で言っているんだろう。

 そんな事を考えながら、いつの間にか脳内を当時の彼女の姿で埋め尽くす。いつも暗い顔をしていた茜ちゃん、世間に恨みがましい目を向ける茜ちゃん、チョコレートを渡しただけで大げさに喜ぶ茜ちゃん……。

「……考え事とは、随分な余裕だな」

 目の前の男には全てがお見通しなのだろう。それでも良かった。……彼女――『宮下茜』という少女に再会できるのならば。ホームページに載っているショートカットの髪など、全く似合わない。

 ――君は長いこげ茶の髪が一番良く似合うんだよ?

「……あの娘には随分な入れ込みようだな?」

「えぇ。彼女は僕の聖域ですから」

 皮肉を言われたに違いないが、彼女に会えるのならば、なんでもしよう。彼のいる埃くさい工場跡から脱出した僕は、空の色が青いということを再認識し、この絶妙なバランスの自然に、神に感謝した。

 ――きっと君は僕のことなんて忘れているだろうけどね。



 あの頃の茜ちゃんは、常に『母親』という名の『敵』に怯えていたように思う。彼女の行動一々をくまなく観察する様は、当時の僕から見ても明らかに『おかしかった』。だから、彼女が見知らぬ誰かに引き取られたという話を聴いた時は安心した。実の親よりも赤の他人といる方が安心なんて、本当におかしな話だ。

「……覚えてないだろうなぁ」

 今の彼女の『棲みか』である例の教会まであと少し。身だしなみが気になって、公衆トイレに入った。せっかくの再会だ、僕だって変わったのだと、彼女に感心されたいという気持ちは十分にある。

 ――だって僕は、今でも彼女の事が、『好き』で、『愛してる』から。

 そんな言葉を口に出せるほど器用ではないという事は自分でも解っている。それでも、せめてあの頃の彼女に対する気持ちだけは伝えたかった。大好きだった、その一言を。何もできなくてゴメン、とも、謝りたい。



「……ここが?」

 思わず目を疑った。……本当にこんな場所に今年で二十歳になるはずの彼女が棲んでいるというのだろうか? にわかには信じがたい。確かに百合のステンドグラスは見事だし、色合いも美しい。それは素直に認める。だが、他は点でボロボロじゃないか。こんなところに年頃の少女を棲ませている人物が気になる。どんなダメ人間なんだ?

 僕が物陰に隠れていると、教会の扉を乱暴に開ける長身の男がいた。……しかもイケメンだ。まさか、彼女に限って、交際相手とか? いやいや、昔から茜ちゃんはその手の話には疎かったじゃないか。

「よう小娘。今日も元気に灰かぶりか? ……精が出る事で」

 『小娘』という呼び方は気に食わなかったが、多分それは茜ちゃんの事を指しているのだと悟る。これは、存在すればの話だけど、『恋する男の直感』だ。

「何? 僕は智也の相手なんかしてる暇なんてないんだけど?」

 ……変わり果てた彼女の、リアルの姿には複雑な感覚を覚えた。懐かしさ、切なさ、恋しさ、愛おしさ、そして残念な気持ち。なぜあれほどきれいだった髪を切ってしまったのか? それに仮に切ったとしても、これだけの時間が過ぎているのに、なぜショートカットのままなんだ? 伸ばしたら、相当な美人になれるはずなのに。彼女の『母親』は京都の売れっ子の芸者だったというし、茜ちゃん本人さえその気になれば……。

「いや、別に。俺も用はねぇけどよ、なんか心配なんだよ」

「……何のこと?」

「小娘が一丁前にとぼけてんじゃねぇよ! ……アイツの事だ。名前は言わなくても解るだろ?」

 その一言で、僕の存在はある程度向こうに読まれていたのだと悟る。あの男が寄越した情報によれば、あのいけ好かないイケメンは『安藤智也』という名前で、彼女と同じ『組織』の人間。ただし、腕は彼女よりも上。納得がいかないが、彼の調べた事だ。間違いなどあるはずがない。

「……」

 彼女は悔しそうに唇を噛む。今すぐにでも助けに入りたい。しかし、今の僕はそんなことが許される立場ではない。『条件』と引き換えに、悪魔としか思えないあの男に魂を売ったのだから。『計画通りに動く』これが、あの男が僕に『実の娘』を『花嫁』として進呈する『条件』。それはどこまでもあの男らしい、残酷で極悪非道なモノ。それでも僕のこの『愛』さえ届けばそれでいい。僕の愛はそういう愛だ。

 イケメンは不機嫌な顔を崩さない。そんな顔をしていても様になるあたりがやはり『イケメン』が気に食わない理由だ。はやく茜ちゃんに会いたい。また昔のように、困ったように微笑んでくれるだろうか?

「……神父だって、もういい歳なんだ。いつくたばってもおかしくはねぇだろ? 『孝行する時に親はなし』なんて言うんだ、今のうちに、少なくともピンピンしてるうちに、なんかしてやれよ」

「そんな事、智也に言われなくても解ってるよ! 十分にね!」

 すぐにタンカでも切るように強気な態度で返したけれど、『昔』の彼女を知っている僕にはよく解る。……茜ちゃん、こういうところは全然変わってないや。返事に困ると、つい『本音が言えない』ところ。相手にはそれが解っていないようだけど、僕には解る。いや、僕『だけには』と言っても間違いじゃない。

 相手のイケメンは流石にその剣幕にたじろいだけれど、見るからに年上らしく、なぜか上から目線で彼女に耳打ちした。……その声が大きすぎて、離れた場所にいる僕にまで筒抜けなんだけど、いいのかな?

「お前だってこれまでアイツと一色若葉に散々な目に遭わされてきたんだろ? だから、その……」

 ――あぁ、どんなにイケメンでも『本命』にはモテないタイプだ。

 僕はそんな事を考える。最重要なのは『気持ち』だ。それを察せない奴は大概モテないし、そもそも『相手にもされない』。きっとコイツも本命にはフラれ続きなんだろうな。……少し憐れみの気持ちが出てきたところで、茜ちゃんを追い詰める悪人退治といきますか。

「……すみません、こちらは『組織』の教会ですよね?」

 僕が遠慮がちにそう声をかけると、まずはイケメンが反応した。

「ん? 誰だよ?」

「貴方は教会の関係者とは思えないのですが……見たところ、貴女ですか? ネットで噂の『探偵』さんは?」

 茜ちゃんは一瞬嬉しそうにしたが、その次には不審そうな表情になった。それは内心を悟られないようにしているんだろうけれど、僕にはバレバレだ。だって、僕は――。

「……どちら様ですか? 生憎と、最近は依頼をお受けできないのですよ。諸事情ございまして……」

 そう言葉を濁す茜ちゃんの困った顔は、やはり昔と何ら変わらない。こげ茶の髪の色が変わらないのと同じように。僕はすかさず、彼女の胸の十字架を無言で指差してみる。先にあの男から聞いていた情報だ。

「……女性をじろじろ見つめるのは失礼かとも思ったのですが、その不自然なふくらみはどう見ても十字架ですよね? 依頼は受けていただけなくてもいいのですよ。ただ、せめて祈りを捧げる場だけでもお借りできませんか?」

「……聞いた? 彼は一瞬で僕の性別を見抜いたんだよ? 滅多にいないよ!」

 ――それは、君の事は誰よりもよく知っているからね、幼い頃から。

「小娘の性別を当てるなんて、怪しいぞ? おい、アンタは何でコイツが女だって解った?」

 流石にこの切り替えしは予想していなかった……わけがない。写真で見た時の現在の彼女は、僕でも素で男と勘違いしたくらいだ。……茜ちゃん、むしろ僕は君が心配でならないよ。変な男に引っかかる前に、僕と、せめて婚約くらいはしておくべきだ。

「あぁ、ホームページで拝見したんですよ! 宮下探偵のご活躍を! てっきり貴方のようなイケメンがやるものだと思っていたんです、探偵って! でも、敢えて美人の彼女にお願いしたいと考えたのです。……貴方だって、私と同じ男なら、同性よりも美しい女性に依頼したいでしょう?」

「それは確かに!」

 僕の言い分を最後まで聞いて、多分五秒も経たない間に、この安藤智也とかいう探偵は素早く同意した。……幸い、茜ちゃんは気分を害した様子はない。むしろ『美人』という言葉を反芻しているように見える。だから、君には短い髪なんて似合わないんだよ。

「……お客様はともかく、智也はこれだから……」

 彼女は呆れた様にあっさり気分が変わったイケメンを見つめている。そこに窺えるのは『所詮この程度の奴』という『優越感』だった。……これなら警戒されていない。まぁ、これも当然なんだけどね。茜ちゃんには悪いけれど、心から悪いとは思っているんだけれど、これがきっと君にとっての『最大の幸せ』――『僕との結婚』に繋がるんだ。

「……それで、祈りを捧げたいという事は、何か事情でもあるのでしょうか?」

 一人で盛り上がっている相手は無視と決めたらしい彼女は僕に向き直る。真剣な彼女の顔も実に良いものだ。十数年も会えなかった間に、更に僕好みになっている。

「……はい。実は……大切なひとを喪いました。『彼女』は僕の聖域、女神、太陽……いや、そんな陳腐な言葉は相応しくない!」

 ――僕は嘘などついていない。幼い頃、『宮下茜』という『少女』を喪ったのだから。

 目の前の彼女は僕の言葉に何か感じるモノがあったらしいが、それは『憐憫』というのがぴったりの感情だ。彼女は優しすぎるが故に、次の言葉が紡げないでいる。その優しさも、弱さも、あの頃と何も変わってはいない。……彼女の母親が、あれほど髪を切るよう強制した時の、あの『諦念』が漂う表情。それは今も彼女に色濃く遺っている。

「……そんなに大事にされて、愛されて、そのひとは幸せだったのでしょうね。それだけの女性ならば、きっと両親にも恵まれていて、環境も――」

「いえ! 貴女は何も言わなくてもいいんです!」

「え?」

 思わず言ってしまっていた。彼女が口にしたのは、無意識の憧れ、「こうであればよかったのに」という、今更取り戻す事など出来はしない、どうしようもない事だ。それに、これ以上彼女を傷つけたくなかった。

「……小娘」

 ――だから、お前はなぜ邪魔をする!

 それなりに付き合いの長いらしい安藤智也は、ごく自然に茜ちゃんの方に腕を回した。腹が立つのが、イケメンだから様になるところ。流石の茜ちゃんもイケメンには弱い……わけがなかった。

「離してよ! 僕は今、彼の話に感動してるんだから!」

「なぁにぃー? この俺がお前に同情してやってるのに、その言いぐさは何だ!」

「現代は男女平等ですぅー! 男だからって偉そうにしないでよ。だから男は嫌いなんだよ! 美人、美少女最高!」

 ――まさか、レズビアンに目覚めたわけじゃないよね?

 若干不安になるが、あの狂ったとしか思えない女――宮下和子の娘ながらも、大量の実績のある茜ちゃんだ。そんな方向にはいかないだろう。あの男ももっと詳しい情報をよこしてもよかったんじゃないか。……そんなモノはなくても、『解る』んだけどね。

「……あのー?」

「あぁ、すみません。こんな邪魔者がいたんじゃ、ゆっくりお話も出来ませんよね! 智也は帰れ!」

 茜ちゃんは僕に向かって笑みを見せた後、イケメン――安藤智也に向かって手で「しっしっ」と追い払うような真似をした。相手もそれにはカチンときたらしく、端正な顔を歪ませてこう言い放った。

「せっかくこの俺が心配してやってんのによ! もう知らねぇぞ?」

「智也に心配してもらうことなんか何もないよ。僕は自分でやっていけるんだから!」

 ――やはり、君は素敵だ。

 『本当は最も弱いのに、常に虚勢を張り続ける負けず嫌い』、これが僕の好みのタイプの異性だ。これまで何度かはあくまでも『遊び』と『ある事情』で女性と交際経験はあるが、例外なく僕が惹かれるのはこういうタイプだった。自分なりに分析してみた結果、はっきり自覚した。『初恋』の少女である茜ちゃんの面影というモノを、幾多の女性に重ねていたから、だろうと。だから僕はどんなにたくさんの女性と付き合おうとも『本気』にはなれなかった。

「さて、邪魔者は追い払いましたし、内部で詳しいお話でもいかがですか?」

 ――よそよそしいけど、あれから何年も過ぎたんだ、無理はない。

「え? いいのでしょうか? プロの探偵さんのお邪魔になるのでは?」

「いえ、貴方のような心の美しい方など初めてお会いしましたよ! 正直に言えば、感激しているんですよ。神父――正確には牧師も、きっと喜びますよ。この世にもまだ『良心』が残っていた、って!」

 この喜びようは間違いなく心からの言葉。僕に解る、むしろそれがアダになるくらいに。本当に、君は最高だ。

 ――その虚勢、余裕の欠片もなくなるほどに追い詰めてみたい、『愛する君』だからこそ、再起不能に『壊して』みたい。

 そんなサディスティックな考えすら浮かんでくる。それほどまでに、僕は宮下茜という女性を愛している。

「さ、こちらです。……狭いですけどね!」

 彼女は全くの疑念も抱かずに、僕を案内する。最も『効果的なタイミング』はここだろう。彼女好みのシチュエーション、彼女が昔から夢見ていた言葉、言われたがっていた『言葉』。それを僕は心からの表情で言う。

「……会いたかったよ、茜ちゃん。相変わらず、君は素敵な『女の子』だね」

 すぐには解らないよう、わざとかけていた伊達メガネと変装用のウィッグを外す。彼女は僕のことをきっと覚えているに違いない。……なぜなら。

「……え?」

 ――『茜ちゃんは長い髪が似合うね』、そう褒めたのは他でもないこの僕。

 ――『必ず、また会おうね』、そう約束したのも僕。

 ――『ずっと友達、だよ』、そう語り掛けたのも、やはり僕。

 人間の記憶は、印象に残るモノほど、鮮明に覚えているモノだ。僕自身が昔の茜ちゃんに関する事をすべて覚えているように。目の前の『成長した』茜ちゃんは頭に手をやって、表情を歪めている。……きっと、『母親』のことをついでに思い出してしまったのだろう。

 ――その苦痛にゆがむ表情、それこそが一番見たかったものだ。

 僕は耐えきれなくなって笑う。ここでやっと彼女も僕の事を思い出したらしい。苦しそうに呼吸もままならないままで、どんな顔をしていいのかも解らないように、僕を見る。

「……サトル、くん?」

 人の本質というモノはそう簡単には変わらない、それが僕の持論だ。その証拠に、今までとは打って変った、『幼少期の宮下茜』の表情を、目の前の『彼女』はした。

 そして確信する。



 ――彼女の『初恋』もまた、僕こと『四ノ宮聡』だったのだと。

 


 茜ちゃんはおそらく『無意識』のうちに胸元の十字架に手を伸ばした。……それは彼女に今できる、精いっぱいの『虚勢を張る』ことだと、僕にはすぐに解った。

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