第21話:探偵たちの思い出


「――皆、異議はないな? では次の要件だが――」

 美千代は黙って、このお偉いさんによる彼ら自身のための『会議』の内容を聴いていた。隣で背筋を伸ばす御神は相変わらず、上司の求める話を要点を纏めた上で伝えていく。やはりこの気に食わない男よりも自分は『格下』なのかと落ち込まずにはいられない。

 自分だってそれなりに功績はあるし、上手く『探偵』たちを『扱っている』という自負も当然ある。もちろん、悪意を持ってやっている事はほとんどない。だが、人間である以上は多少の人間の好き嫌いも許されてもいいと思う。

「――四票。可決だな」

 ――まるで『おままごとの議会』みたいね。

 そんな事を考えるが、自分に関係しない話などつまらないだけだ。大抵のこの『会議』の場合、優先されるのは『組織』の中でも優秀な人材を発掘する能力に長けた御神の報告が主な内容となる。その割合は美千代対御神で一対九といったところ。……これだけ能力に差があるのに、張り合おうとするだけ無駄。美千代はもはや諦めの境地だ。

「――で、例の小娘に任せた“K"昇格案件の結果を聞こうか?」

 ようやく自分の番だと内心の嬉しさを悟られないよう、ポーカーフェイスを装う。

 この手の連中は『地位』という名のステータスに拘る分、『女』である美千代は話題にされることは少なくとも『有利』ではある。

「はい。宮下茜は例の常習窃盗犯を無事に発見・捕縛。結果的に見ても“K”に昇格になっても十分な素質の持ち主だと断言できるでしょう」

 美千代は彼女たちの境遇も事情も、関係者の中では一番に通じている。情報こそが彼女の唯一の武器なのだ。逆に言えばそれしか武器になるモノがないわけだが。

 『上の連中』――男たちは急に落ち着きをなくし、互いに議論をかわし合う。そして出た結論は……。

「宮下茜は、この『組織』から外す」

「え?」

 そう思わず美千代が声を漏らしてしまったのも仕方がなかった。あまりにも突然の事に、自分でも驚くほど感情的に、熱くなっていた。

「あの、仰る意味がよく解らないのですが……つまりはどのような?」

 決定権を握る老人は美千代を「これだから女は……」とでも言いたげな軽蔑するような視線を投げてよこした。そして、厳かに告げる。

「あの小娘の『父親』が危険すぎる。ゆえに、我々としてもこれ以上のかかわりは得策ではない。……合点がいったか?」

「納得できません! 宮下茜はこれまでも事件を大量に解決してきました! それに。『あの男』のようなものこそ、我々が相手をするに相応しいでしょう!? 違いますか?」

「長月コーディネーター」

 隣の御神はそう制止の言葉をかけるが、美千代の感情は爆発寸前だった。『上の連中』の五人の一人――天才心理学者という肩書の人物が、薄く笑う。

「……美千代ちゃんも、解らないの? これまでは宮下茜の行くところに事件があった。でも、今は『宮下茜がいるから事件が起きる』んだよ。……こんな簡単な事も解らないかなぁ?」

 自分よりも年若い彼に揶揄されるように言われてしまえば、もう口を挟む余地がなかった。老人は再び、御神に向き直る。

「それでは、次の案件は――」

「お手元の資料をご覧ください。『完璧に』まとめてあります」

 美千代は納得がいかない以上に、この『会議』の結果をどう茜に告げるべきか、それだけを考えていた。



「……貴女も、出来る限り早く彼女とは離れた方が身のためですよ」

「……あなたまで同じ意見なの? 確かに『あの男』は脅威だけど、それに立ち向かう茜ちゃんをサポートしたいじゃない!」

 ここで御神はわざとため息をついてみせた。そして美千代にいつもの読めない表情で告げる。

「……貴女は自分の立場の危うさが解ってはいない。『あの男』は宮下茜に近い者ほど最も苦しむ手を使う。貴女自身が覚悟の上で、宮下茜に関わり合うのは勝手ですが、それに巻き込まれる周囲の人間の事は考えた事はありますか?」

「……そんな、まさか」

「『最悪の事態を想定』、これは私の主義の一つです。最悪さえ想定済みならば、冷静な対処が可能だ。貴女も、大事なモノを失ってからでは遅い」

 彼がここまで美千代に対して饒舌なのも珍しい。それほど自体は重大ということだろう。そして彼は四月に漏らした言葉を使う。すっかり、今まで忘れていた言葉だ。

「……『刻』は、もう、すぐそこまで来ている」

 それは一体何のことか、美千代にもぼんやりと輪郭が見えてきた。




 やっと九月に入ったものの、未だに暑さは止まるところを知らない。もういっそ、太陽など爆発してしまえばいいのに。……そんな事を考えてしまうのも仕方がないくらいに、憎らしいほどに良く晴れた日だった。

「……」

 先ほどやって来た美千代は、心底悲しそう、申し訳なさそうに、『昇格』の話がなくなった事を告げた。それだけでも茜を落胆させるには十分すぎた。

 自分のこれまでの働きは一体何だったのだろうか? ずっと、神父に引き取られてから、推理だけを武器に生きてきた。それしか彼女には取り柄と呼べるようなものはなかった。それなのに……。

「よりにもよって、『組織』自体に見放されるとかさぁ……」

 美千代の告げた事、そして彼女が本当に顔を見るのはこれで最後だと言った時には、なにがなんだか解らなかった。彼女は今の職場である『組織』を辞めることにしたらしい。

 茜が幼い頃からずっとこの『組織』に身を置き、何かと茜を励まして、助けてくれた。……その顔は、どう見ても輝いていたし、やりがいを感じているとしか思えなかった。その彼女が『辞める』。しかも、詳しい事情も納得のいくまでは話してもくれなかった。

「……和也の次は、神父。その次は、美千代さん……」

 この奇妙な符号の一致に気づかないほど、茜は鈍くもない。和也の時も思ったし、神父の時も何らかの圧力というモノが働いたとしか思えない。美千代も「もうここへは来られない」と辛そうに、泣きそうになっていた。……こんな真似が可能なのは、茜の知る限り『あの男』ただ一人しかいない。

「大西隆……」

 実父であり、神父の妻子の仇。一色若葉の父親でもある。それに何よりも罪のない人々を苦しめる『爆弾魔』、『殺人犯』。たとえ報酬が得られなくとも、必ず茜自身が倒すべき『男』。

 確かに昇格の話がなくなったのは痛かったし、『組織』の後ろ盾を失ったのも大きな痛手だ。だが、これまでこなしてきた仕事という名の『実績』、それは茜に『自信』という名の武器を与えてくれる。

 ――なにも、悪いことばかりじゃない。

 最近はもう不運にも慣れてきた。不憫と呼ばれることも、もういい加減に飽きた。そろそろ『決着』をつけるべきだ。そんな事を考えていると、嫌な音と匂いがした。

「しまった!」

 考え事をする時の習慣として、甘いコーヒーを淹れるのが日課だったのだが、コンロにかけたやかんの事をすっかり忘れていた。慌ててそちらに行ってみると、予想通り、焦げていた。

「あぁ、もう!」

 溢れだした熱い湯をふきんで拭いていると、教会の重い扉が開く音がした。

 ――誰だろう? 今は神父は休みだって書いておいたのに……。

 自分の探偵業も、『組織』から見放された以上は自分でどうにかするしかない。それなのに、まだ何も手を打っていない状況で、この教会を訪ねるのは一体誰だろうか?

「よお、小娘! 相変わらずしけた面でへこんでんのか?」

 ……自分を『小娘』と呼ぶような知り合いなど一人しか心当たりがない。だが、今となっては貴重な『仲間』とでも呼べるような関係の者だ。

「……智也? なんで?」

「美千代さんが悲しそうにしてたからな。俺には簡単に察しがつくんだよ」

 智也は得意げに笑うと、いきなり茜の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「ちょっと! いきなり何すんの!?」

「……お前も探偵なら、俺の考えくらい当ててみろよ? それともやっぱり小娘には無理か?」

 そう挑発されれば、意図は読めていても乗らずにはいられないのが茜だった。自分より背の高い男に髪を撫でられた経験など、神父以外にはない。だから内心では心臓がドキドキしていた。

 智也はそんな茜をじっと見ているのだが、彼らしくもなく面白がる様子がない。そのことに違和感がある。

「……もしかして、僕のことが心配だったから?」

 ここで智也はにやりと笑う。

「んなわけねーだろ! なんでこの俺が、よりにもよってこんな小娘の心配なんかしなきゃなんねーんだよ!」

「はぁぁぁ!? じゃあ何しに来たの?」

「和也と別れてからは酒も不味くてな。……あ、これホモの言い分みてぇじゃん! ちげーからな? 俺はホモじゃねぇ!」

「……うん、それは言われなくても十分に解ってるよ」

 思わず脱力する茜だが、いつもの智也には安心した。ここのところは、具体的に言えば神父が入院して以来、ずっと一人で教会にいる。……それが、無性に寂しくてたまらなかった。そのことを素直に目の前のナルシストに告げる気は毛頭ないが。

「お前も神父が入院して長いだろ? もう一ヶ月は過ぎてるわけだしな。つーわけで、酒持ってきてやったから、飲もうぜ!」

 智也は見るからに高そうなワインと、ノンアルコールと書かれたチューハイの缶を一本手にしていた。実は前から酒には興味があった。あの神父が酔うと非常に残念になるところを今までに何度も見ていたから。

 しかし智也は、それを見せただけで、受け取ろうと伸ばした茜の手からすり抜けるように奪った。そして再びにやりと笑う。その嫌な笑みすらも似合ってしまうのが安藤智也という男だった。

「……飲もう、って言ったのはそっちじゃん!」

「気が変わった。小娘にはまだ早えぇよ。第一、お前は未成年だ!」

「僕だって今年で二十歳だよ! 同じ年生まれでももう飲んでる人だっているじゃん!? なんで僕がダメなの?」

「ダメなもんはダメなんだよ! だからお前は小娘だ! 昔からな!」

 その一言で、やっと彼の真意が読めた。そして茜は素直に詫びの言葉を口にして、沸かしたばかりの湯でコーヒーを淹れようとした。『ようとした』なのは、実際には智也が「小娘の淹れたコーヒーなんか飲めるか」と言って断ったためだった。



「……本当に、あの小娘も、大きくなったもんだな」

 そう、智也が零した。彼は持参したいかにも高そうなワインをさっそく開けて、マグカップに注いで飲んでいた。ワイングラスがないのは単に貧乏ゆえで、彼はらしくもなく文句を言わなかった。

「……じゃあ、今すぐ『小娘』って呼ぶのやめてくれる?」

 茜は仕方がなく、いつもより砂糖を多めに入れた甘いコーヒーを飲んでいる。今二人がいるのは礼拝堂で、規模は建物自体が大きくないため小さいが、それなりに気に入っているし、人気もある。百合のステンドグラスも、今は神父に変わり、茜が毎日磨いている。

「それは無理だな。小娘は、俺にとってはいつまで経っても『小娘』だ」

「なにその理屈? じゃあ僕が『赤の似合う強気な大人の女』にでもなれば、撤回する?」

 この言い分には、智也も驚いた様だった。茜の女らしい服装嫌いの事情も理由もよく知っている。だからこそ、今の彼女の発言は前もって神父から聞いていた通り『おかしい』。本人は全く気づいていないようだが。

「……そんな日は永久に来ねえから安心しろ。俺が保証してやるよ」

「ホントにさ、なんなの? 最近のみんな、おかしいよ?」

「おかしいのはお前だろ?」

 智也は今まで誰もが引っ掛かっていても、敢えて口にしなかった事実をきっぱりと言った。和也も、明も、神父も、美千代も。誰もが引っ掛かっていた、茜の『違和感』。それはあの日、彼女の母親である宮下和子が亡くなってからの事だ。……智也はその情報を神父から聴いてすぐに結論にたどり着いていた。……ただ、今まで言わなかっただけだ。それだけ、母娘二人の確執は複雑だと見抜いていた。

「僕のどこがおかしいのさ?」

 茜は全く自分のおかしさに気づいていない。そこがやはり危うく智也には思えた。こんな時には昔組んでいた鋭い女を連れてくるべきだったかとも思ったが、これはあくまでも『宮下茜』の問題だ。彼女に世話を焼かれるのを、茜は嫌がるに違いない。

「……お前なら、刻が来れば解るさ」

 あまりにも確信に満ちた目で智也が言い切るので、逆に茜は不安になる。昔から智也の勘はあまり当たらないのだ。

「そういや、お前と初めて会ったのも、こんな日だっけな。……覚えてるか?」

「……嫌なくらいに覚えてるよ」

 茜は残っていたコーヒーを一気に飲んだ。ぬるくなっていたそれは、あまり美味しいものではなかった。好みの味のはずなのに。



 当時はまだ中学生くらいの年齢の茜は、とにかく人見知りが激しかった。誰にも懐こうとせず、世の中のありとあらゆるものを敵意に満ちた目で見ていた。彼女が懐くのは神父と呼ぶ男性と、どう見ても美しい美千代だけだった。

 智也が初めて教会に来たのは、彼が”K"に昇進してすぐのこと。だからまだ和也とも一緒ではなかった。若い男にありがちな乱暴でガサツとしか言いようのない動作で教会に入ってくる智也には、茜も警戒を露わにした。

『……なんだ、この小娘?』

 そう、智也は初めて見た茜をいかにも興味がなさそうに見たのだ。当時の智也自身もまだまだ小僧だし、神父や美千代からしてみれば『かわいい』と思われるような年頃だ。この時ばかりは大好きなミステリの内容すらも目に入らないほどに苛立った。ちなみにその時に読んでいたのが、クリスティーの『そして誰もいなくなった』だ。……後に明と一緒に解決することになる事件の時に役に立った知識。

『……そっちこそ、誰?』

 当時の茜にしては珍しいことに、そう言い返していた。これには傍にいた神父も美千代も、いい意味で驚いたのだが、そのことは茜の知ることではなかった。

『茜……』

 そう呟く神父の様子で、大体の事情は察したらしい若き日の智也は、男物のジーンズを履く茜を見て言ったのだった。

『お前は茜ってのか! 男なら身体くらいは鍛えねーとモテねーぞ! 『ミステリマニアのオタク』なんて、モテない奴の典型だ!』

 今でも変わらない、智也の『モテたい』欲求からくる言葉。これが逆に茜の闘争心に火をつけ、ミステリを極めようという気にもさせた。そして、男装もばれないという事実は大きなショックだった。それほど自分は男のような外見なのか? 

 『芸者』という職業がどのようなモノか、実際のところは知らないが、美人しかなれないという事だけは知っていた。その芸者の娘なのに、自分はそんなに『可愛い』とも『美人』とも無縁なのか? ……少女にはこれが矛盾するコンプレックスとなり、それ以来、徹底して女物は着なくなった。

『……名前も名乗らないくせに、何を偉そうに』

 茜がそう言い返しても、智也は涼しい風だった。この時から、彼女の智也に対する見る目は厳しくなった。……つまり、初対面から『相性最悪』だったのだった。



「……お前もよ、もう『組織』の人間じゃない。もういい加減に『親離れ』したらどうだ?」

「『親離れ』?」

 智也はマグカップに残っていたワインを勢いよく飲みほした。先ほどから割と時間は経っていると思ったのだが、彼が訪ねて来てまだ一時間と少しだ。

「神父も年だし、いつくたばってもおかしくない。……お前はそのことから逃げてるだけじゃねぇのか?」

「なんで? 僕は逃げないし、大体、僕は――」

「僕ぼくうるせーよ! いい加減、腹くくれ! 『あの男』とケリをつけるんだろ? だったら、もっと強くなきゃダメなんだ! お前もも少し成長しろよ! 例えばモテようとするとかよ!」

「……イイこと言ってるっぽいのに、最後で台無しだよ。ホントに、智也ってモテる事ばっかの軽い男だよね!」

 茜がムキになると、微妙に酔っているのかもしれない智也は持参した酒を茜では届かない高所に置いた。

「なにしてんの?」

「小娘が飲まないようにな。俺は用が済んだし、帰るわ。神父が退院したら、身内だけでもパーッと騒ごうぜ!」

 ――まったく、智也はこれだから……。

 


 智也が帰った後、一人の教会は急に冷えるような気がした。もちろんそんな事はただの気の持ちようだ。だが、一度触れた人の温かみとやらは、そう簡単には茜を解放してはくれなかった。

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