第23話:面影

 ――サトル、くん……?

 あの頃は、身長も体格もほとんど変わらなかった。多分言葉にするならば『幼馴染』や『ご近所さん』と呼ぶのが最もふさわしい関係だった。貧乏な我が家を笑わなかった、それどころか庇ってくれたのは、後にも先にも彼だけだった。だから、僕が彼に惹かれたのも、ある意味では当然の成り行きだと言ってもよかったのかもしれない。

「……茜ちゃん、会いたかった!」

 そう言って僕を抱きしめる腕はとても暖かくて、そしてとても『男らしかった』。力が強すぎて呼吸困難になりそうだったけれど、どうにか耐える。……あれから、あの事件があってから、彼はきっと僕を探してくれたんだろう。僕たちはそういう仲だったから。いつもじゃれ合うような、まるで兄弟のような、兄妹のような、そんな仲だ。

「サトルくんこそ、あれから元気だった?」

「もちろん。……君こそ、どうなの? 僕は最近ホームページで君の写真を見つけて、それで――」

「……あぁ、それでうちに来たんだね。それで、『喪った』っていう人のために祈りに来たんだ? サトルくんのそういう優しいところ、相変わらずだなぁ!」

 僕は先を歩いて、礼拝堂に案内する。さっきは驚いたけど、僕には神父が持たせてくれた十字架がある。これさえあれば、大丈夫。……そう自分に言い聞かせても、サトルくんから漂う違和感の正体がつかめなくて、正直困惑した。

 ――なんか、サトルくんらしくないな。

 でもそれもきっと、成長した証ってヤツだと思う。逆に智也なんかいい年して汚部屋住人だし。いや、智也なんかとサトルくんを一緒にするのはサトルくんに失礼か。

 礼拝堂は久しぶりの澄み切った空に、百合のステンドグラスが映える、本当に良い天気。ステンドグラスの色合いが見事だと思っていると、サトルくんは真剣な話をする時独特の癖――首筋をかきながら、僕に向かって小さな箱を差し出した。……本能的な嫌な予感しかしない。

 でも、その姿勢を何分もさせっぱなしにするのは悪いし、せっかくの『お客様』だ。神父にも口うるさく言われている。『成人したらこれまでの我儘など通じない』って。だから僕は『それ』に視線を投げかける。サトルくんは信じられない事を言った。

「……今すぐでなくても全然構わない。だから、だから僕と、『結婚を前提に』お付き合いしてください! そしてそのしるしとして、婚約指輪です!」

「……え?」

 僕は思わず固まった。こんなこと初めてだ。そもそも普通の『友達』すらいないし、『恋人』なんてもってのほか。第一、神父が黙っていない。

 ――サトルくんのことだし、本気だよね?

 眼鏡とカツラを外した彼は、昔の面影そのままに成長したように見える。智也とは違った、中性的で線の細さを感じさせるような身体のラインだけれど、さっき抱きしめられた時に感じた力強さは、間違いなく『男』だ。……ここで、なぜ僕が子供、特に『男子』がダメなのかが解った。サトルくんの面影を重ねていたからだろう。

「……茜ちゃん」

「……あっ、ゴメン!」

 サトルくんはまるで自分を責めるように、困ったように微笑んだ。それは記憶の中の彼と完全に一致する。本当に、何一つ変わっていない。変わったとすれば、僕の方だ。あれだけ拘っていた長髪をあっさり鋏で切ったのだから。

「君が戸惑うのも当然だよね……。気持ち悪いよね、女性からすれば。『初恋』なんて引きずってる男なんて女々しいし……」

「そんな事ないよ! サトルくんは今時珍しい純粋な人だよ! ……だって、僕の『初恋』だって……」

「え?」

 彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。心からうれしい時にしか見せない、僕だけにしか向けられない、特別な笑み。……つくづく智也を追い出しておいた自分に感謝だ。……でも同時に困る。彼があまりにも真剣だから、とてもじゃないけど「無理です」なんて言えない。

「……君の事が好きで、好きで、本当に大好きで仕方がなかった。滅多に見せない笑顔が見られた日には、僕は嬉しくて寝付けないほどだった。他にも何かできないかって、ずっと悩んでた。……とにかく、君のために何かがしたかった、『デキる男』になれば、君も守れると思ったんだ」

 ――やだ、何だろうこの気持ち?

 彼の眼差しは真剣そのもので、とてもじゃないけどすぐに却下していいものではなかった。神父以外にもこれだけ僕の事を考えてくれている人がいるなんて……。僕は別にキリスト教徒じゃないし、神も仏も特に信じているわけじゃない。けど、彼――サトルくんの存在は、それ自体が奇跡だった。そう、思わずにはいられなかった。

「サトルくん……」

「……混乱させてしまって本当にすまなかった。君がこういう話は全然しなかったよね? 嫌な話題を振ってごめん。でも、僕が君を愛しているのも本当だし、結婚して欲しいことだけは紛れもなく本当だから。それだけは信じてくれる?」

 僕はただ頷くしかなかった。サトルくんはこういう時に嘘なんかつくような人じゃない。それに、僕も『その気』になりそうだった。

 毎朝、サトルくんより早く起きて、朝食の支度。笑顔で送り出してからは家事をこなして、ご近所さんと情報交換。……これは、所謂『女の幸せ』ではなかろうか? それを目の前の彼は高そうな婚約指輪まで用意しているし、なにより智也とは系統が違うけど、明らかに高価な質のいい服や小物を身につけている。相当な財力があるのだろう。

 彼は胸を撫で下ろした。それは本当にホッとした動作であるように、実際に息が漏れていた。……相当緊張しているように見える。たかがプロポーズ、最近は結婚は早ければ早いほど良い的な意見が多いけれど、僕としては趣味を兼ねた探偵業を優先したかった。

「もちろん、結婚後も探偵業は続けて欲しいし、僕が出来る範囲なら家事も分担しよう。……こう見えて、僕は料理が趣味なんだ。特に茜ちゃんの好物のチョコ菓子は極めたと言っても過言ではないよ?」

 そう得意げに笑う彼が、より一層眩しく見える。てっきり専業主婦を希望するのかと思ったら、探偵業を続けてもいい上に、家事も分担? ……しかもチョコ菓子を極めた? それらの言葉は『誘惑』以外の何物でもなかった。特に最後のヤツは、僕的にかなりの高ポイントだ。しかも僕は、こういう時の彼が嘘などつかないという事もよく知っている。なぜかと言われれば、『そういう仲』だから。それ以外の理由などなんてない。

「……本当に、その条件でいいの? 僕は家事とか下手だし、全然女らしくないし……」

「『変わらない』ね、茜ちゃんは。君のそういうところがほっとけなくて、僕は君に強く惹かれたんだよ? ……ほら、夕焼けが綺麗な公園でさ、君のこげ茶の髪が優しい色を帯びていて……当時は知らなかった言葉だけど、『哀愁』が漂っていてさ。だから君に声をかけたんだよ。どこかに消えてしまいそうだったから、危なっかしかったから」

 ――そんな事なんて、覚えてないや。

 サトルくんには悪いけれど、彼との出会いなんて覚えていなかった。そうか、僕らはそうやって知り合ったのか。きっとサトルくんは僕の素性を知ってもなお、僕に構ってくれたんだろう。……昔から情け深かったから。

「……あの頃は、何の役にも立てなくて……」

「いいんだよ。おかげで今の僕、『探偵』宮下茜がいるんだし!」

 そう言って僕は笑ってみせる。強がりだっていう事はバレバレだろう。なにしろサトルくんが相手だし。……それでも、少しでも心配をかけまい、そう思う心の動きを何というのだろう?

「……」

「……」



 会話が続かなくなって、嫌な沈黙。それを破ったのが、智也からの電話だった。相変わらず大金を最新型のスマートフォンに買い替える金銭的余裕が腹立たしい。……僕だって、未だにガラケーなのに。

 しかし、そんな僕の機嫌は彼の話を聴くにつれてあっさりと変わった。……悪い方向に。

『明の妹が殺された』

 いつもの智也独特の軽いノリではなく、一度も聞いたことがない神妙な声。それで事実を言っているのだと悟る。一瞬、彼が何を言っているのかも解らなかったけれど、サトルくんの「大丈夫、茜ちゃん?」という言葉で、どうにか我に返った。


 ――もしかしたら、『あの男』のせいで……?


 下手に僕と関わったから、明の妹も狙われたっていうの? 呆然自失となる僕に優しく寄り添うように、サトルくんは肩を支えてくれた。その手の温かさと優しさに、僕はどうしていいのかが本気で解らなくなった。

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