第19話:夢のジューンブライド

 ――最近は暑くなってきた。

 宮下茜は「熱中症予防に持っていきなさい」という神父の勧め通りに、大ぶりな水筒を持ち歩いていた。これは彼女が幼かった頃に神父と二人で遠出――とはいえ、上野に花見に一度だけだが行った時に購入したもので、それ以来の出番はなかった。すぐにトイレに行けるような職業ではないので、極力水分は控えている。そのため、半日が過ぎた水筒の中身もそのままだ。少しでも飲んで減らすべきだろうか?

 ――暑い!

 依頼は探し物のことだったが、最近は美千代が「”K"への昇格も近いと『上の連中』も言ってるわ!」という言葉が示す通り、最近は自分でも実感できるほどに、探偵として一歩は成長したと思っている。……だが、そんな『人間的成長』と『暑さに耐えられない』という事は、決してイコールで結ばれるような関係ではないと思う。

 ――どうにかならないかなぁ……冷房、なんて贅沢は言わないから、せめてひんやりとした軒の下とかさ……。

 そんな事を考えている時だった。今彼女が歩いているオフィスビル群の一部から、大量の女性の『悲鳴』が聞こえてきたのは。

「何事?!」

 その悲鳴には、少なくとも『キャー』という単語が混じっていた。『女性』、『キャー』、そして『悲鳴』。これらの意味するところを、茜はこの暑さでらしくもなく分析ミスをした。……本当に、暑さに弱いと茜のように服装に無頓着になるからたちが悪い。彼女は二十歳も目前の年頃なのに、タンクトップとショートパンツという出で立ちだった。しかもこげ茶の髪をショートカットにしている。これだけの要素があれば勘違いするのも無理はないが、一応は『彼女』と呼ばれる性別である。



「なにがあったんですか?!」

 茜は『現場』と見えるオフィスビル……ではないビルを訪ねた。そこの三階に通され、やっと事態の『真実』が見えてきた。女性の『悲鳴』には様々な種類がある。『恐怖を感じての悲鳴』も『黄色い悲鳴』も、同じ『悲鳴』だ。……つまり、今回は『事件』ではなく、後者の意味での『女性の悲鳴』なのである。

「……皆さま、とても楽しそうでしょう? 貴女もいかがですか?」

「え? ……どうして僕が女だって解ったんですか?」

 男に間違えられるのはもう慣れている。あの明も初対面では少年だと思ったらしかったし、その後の事件でもしばしば『茜の性別』の話は出てきたりもした。それなのに、目の前の女性はあっさり、迷う事なく茜を女性だと言った。そのことを喜ぶべきなのかは、現在の茜としては微妙な気分だ。

「わたくしどもはプロですもの。一目で解りましたわ」

「……案外見られてるものなんですね」

 このビルは『ブライダル専門美吉』という、大手チェーンの所有するビルだと目の前の女性から説明を受けた。確かに、この内装はどう見ても男には耐えられないだろう。

 なんといっても一面の壁紙がピンク系の色で塗られ、壁紙も乙女チックな薔薇や茜が知らない花柄。その上に紫の、一体何の役目を果たしているのかが一切謎の薄紫の半透明な布が天井からたれている。他にもウエディングドレスも大量にあるし、その他のウエディング関連のモノももちろん各種取り揃え。色も形も実に様々だ。ドレス以外にも白無垢もある階もあれば、和服専門の階もあった。しかし、近年の流行はやはりドレスが一番だと女性は語る。……ちなみに、茜は客でもないし、彼女にはその説明をする義務は全くない。

「特にジューンブライドに合わせての結婚式のご依頼は未だに人気なのですよ!」

「……『じゅーんぶらいど』、ですか?」

 この手の話にはてんで疎いため、茜には女性が何を言いたいのかが察せない。そういえば和也の結婚も今月だったっけ、などと考えていると、目の前の彼女は大げさに驚いた。

「……もしかして、ご存知ではないのでしょうか?」

「はい、全く」

「ジューンブライドとは六月に結婚した花嫁は幸せになれるというジンクスですね。他にも『ウエディングフォー』などのジンクスも『常識』ですよ」

「すみません。僕はそもそも『結婚』する気がないもので……」

 すると目の前の女性は更に驚く。その反応に茜は大いに疑問だ。別に魅力を感じないし、神父との生活が一番楽しい。探偵の仕事も適正はあるし、どこにも結婚する必要性などない。ゆえに『結婚する気はない』というのが茜の考えだ。それがどうやら目の前の女性には考えられない事らしい。

「まさか! 失礼ですが、今まで男性とお付き合いした御経験は?」

「ないです」

「それならば仕方がありませんね。結婚は女の幸せです。絶対に後悔などしませんよ。……本当に愛する相手となら、ね?」

 女性は意味深な事を言うのだが、元から異性には興味のない茜には理解しがたい話だ。

 ――あんなむさくるしい野郎のどこがいいの? 美人や美少女と一緒にいる方が楽しいじゃない。

 話を聴きながらそんな事を思っているのだが、それを直接彼女に言うほどには、茜も失礼ではない。それに、この手の話も探偵として知っておくべき『教養』ではないかと考えていたので、否定の言葉は一切口にせず、女性の話を聴く。

「……せっかくお越しいただいたのですし、ドレスでも試着してみませんか? 綺麗なドレスを着れば、貴女の女子力も一気にアップですよ!」

 にっこりと笑う女性は一見優しげだが、その目には『この子に女子の楽しさを教えたい』という執念のようなモノがありありと見える。あくまでも親切から来ている言葉を断れるほどに茜も無神経ではないし、先日の和也の結婚式でドレスも着たほどに、なぜかは知らないが茜の中の『女性らしさへの抵抗』も多少は和らいでいた。

 ――本当に、僕はおかしいのかもしれない。

 そんな事を思っている間に、女性は他のスタッフを呼んで無抵抗の茜を別室へと連れて行く。この場合は『連行』の方が正しいだろうか? 

「それでは、一名様ご案内致します!」

 そんな楽しげな美人たちの声が辺り一面に響く。



 ――まだマシなヤツでよかった。

 あくまでも招待客が着るためのドレスだが、思ったよりも苦痛ではない。シンプルだが、よく見ると裾や胸元に細かい刺繍が施された凝ったもの。恐る恐る値札を確認してみると、文字通り目が飛び出るような値段がついていた。

 ――よくこんなに高いものを……。

 そう茜が青くなっていると、先ほどまで対処してくれた女性が更に二人の部下らしき女性を連れて試着室のカーテンを開けてもいいかと尋ねてきた。

「はい、大丈夫です」

 シミ一つでもつけたら大変だと細心の注意を払いながらそこを出ると、三人の女性の黄色い声。営業用なのか本気で言っているのか、皆一様に『お似合いですよ!』と口々に褒める。……未だにスカートは慣れないが、ここで拒絶のような事を言ってしまえばせっかくの好意も台無しだ。

「……ありがとうございます」

 そう茜は苦笑い。それでも彼女たちの口からは褒め言葉が止まらない。複雑な気持ちになりながらも、褒められること自体は決して嫌ではない。茜の複雑な乙女心を察したのか、ついてきたショートカットの女性が茜にとってはありがたくない提案をする。

「先輩、このお客様の髪型には、アレが映えるのではないでしょうか?」

「確かにそうね。アレならこの髪型でも不自然ではないし……」

 その二人に同調するように、セミロングの髪をトップで纏めたもう一人の部下が手を挙げて発言。

「それでは、わたしが取って参ります。お待ちくださいね、お客様!」

 そう言って駆けていく彼女。……茜はあくまでも事件だと思ってここに来た。なのに、いつの間にか彼女たちの間では『お客様』と勘違いされていた。その間違いを正すタイミングを完全に逃し、更にはおもちゃにされそうな勢いだ。若い二人の女性の上司、つまり最初に応対してくれた女性に助けを求める視線を送るが、彼女もまた茜がお客様だと勘違いしているようだ。

 ――どうしよう?

 ここで逃げる口実はいくつかは考えつくのだが、せっかくの楽しそうな空気を壊すことは確実だ。それに、彼女たちが口にした『アレ』というのも逃しがたい。

「……」

 そして結局は逃げることが出来なくなるまで、そのまま茜はドレスを着たままで固まっていた。



 『アレ』とは、茜が見た事もない、蒼い宝石だった。要は目を引く鮮やかな蒼いサファイアで、まだ加工が済んでいないらしく、形は歪だ。だが逆にそれがいいと思う。光りが乱反射し、あちこちに蒼い輝きが充満する。……値札はついていないが、相当高価なものと見て間違いないだろう。

 ――こんなに高そうなものを、僕に見せてもいいの?

 そう茜が思うのも当たり前のことだった。購入できるほどの金もないし、相手もいない。更にしつこいが、彼女は『客』ですらない。なのにこんな高価なものを見られるような立場ではない。心底不思議に思っていると、女性三人は確信に満ちた声で言う。

「お客様のイメージにピッタリですから!」

「……はぁ」

 どこがピッタリなのかと大いに疑問が残るところだが、プロが言うのならばそうなのだろう。具体的な説明を求めても、返ってくるのは三人同じ返事。『だって、お客様にピッタリ』とのこと。何がピッタリなのかは不明なままだ。結婚はこれだけ複雑なものなのだろうか。

「少々失礼致しますね」

 一番年長の、経験豊富であろうロングの彼女が茜のショートカットの髪に触れる。他人に髪を触られる経験などほぼ皆無と言っていいので、一瞬たじろいだが、優しい手つきにホッとした。

「お客様の髪の色は一見するとただのこげ茶ですが、光りに透かすととてもいい色合いですね」

「そうそう、あたしもそうなると思ってたわ!」

 同意するショートの女性。彼女の髪の色はサロン辺りで染めたであろう栗色だ。

「天然なのですか?」

 若い二人の上司である女性は、実際にはどのくらい長いのか察しがつかない黒髪を上手くまとめた髪型だ。どこか、彼女には懐かしさのようなモノを覚えるのだが、それが一体なぜなのかが解らない。

「……はい。昔からこうです」

「羨ましいわ……」

 彼女は心からそう言っているのだろう。彼女もまた茜の髪に触れているのだが、その手つきは壊れ物にでも触れるかのようだ。

 ――僕の事を知ってるのかな? ……いや、まさか。

 こんな場所にいるような女性など、茜は知らない。そうしている間に、少ない茜の髪を逆に活かした髪の先に宝石を飾るというスタイルの完成だ。スタッフから手渡された手鏡で自分を見て、大いに驚く。ちゃっかり薄くメイクも施されていた。

 ――僕じゃないみたいだ……。

 自分でも、ここまで可愛くなれるとは思わなかった。流石はプロだと何度目かの感心をした。

「……」

 そのまま鏡に映る自分を信じられないものを見る目で見つめる茜の事を、彼女たちはどう思っているのだろうか。……だが悲しいことに、『母娘』である以上、あの女の面影がうっすらと見える自分が嫌だった。

「どうでしょう? 可愛らしい仕上がりになったという自負があるのですが……」

 微笑む三人に、どう返せばいいのか? それを迷っているうちに、先ほどのモノとは違う類の『悲鳴』が響いた。いつもの茜が聞き慣れた類のモノ。

「お客様!?」

 半ば本能で声が聞こえた場所へと急ぐ。ドレスが足に引っかかって走りづらいことこの上ない。舌打ちしつつ『現場』に着くと、そこには純白のウエディングドレスを着た二十歳前後の若い女性が脇腹を押さえて蹲っていた。身体が細かく震えるという事は、まだ亡くなってはいないということだ。冷静になれと自分に言い聞かせながら、救急車を呼び、現場の状況を確認。ドレスの裾がいちいちくっついてくるのがまたやりづらい。

「……どうなさったのですか?」

 そう言ったのは部下を連れた先ほどの女性だ。彼女は現場である控室を覗き込むと、すぐに事件発生の事実を悟り、小さく悲鳴を上げる。その部下二人も似たり寄ったりだ。

「凶器は……これ?」

 茜がそう疑ったのも無理はない。それは天井から垂れ下がっていた使用用途が不明の不織布だったからだ。絞め殺すという手段ならば、首を狙うのが当たり前だ。それなのに被害者が押さえている、つまり狙われたのは脇腹だ。なぜそんな遠回しな場所を狙ったのだろうかという疑問は尤もだ。

「それは……レイアウトの……」

「ですが先輩、これはお客様が外すのは不可能ですよ? わたしたちスタッフだって専門の業者さんに依頼してやっていただいたのですし……」

「それに、なぜお客様がそのようなことをなさるのです? まるで……」

 ここでやっと彼女たちは茜が『お客様』ではないと気づいたようだった。茜は三枚の名刺を渡して探偵だと名乗り出ると一言。

「……この通り僕は探偵です。とりあえず、仕事は着替えてからでよろしいでしょうか?」



 被害者の女性を救急車に乗せると、茜は現場を調べてみた。だが何一つ推理に役立ちそうな品は見つからない。

「……まぁ、それも当然だよね」

 このビルに入るまでの格好に着替えた茜は、冷房が効きすぎて逆に寒い。凶器がこのビルの中にあったものという時点で、突発的な犯行だと考えるのが一番的確だと思う。そして犯人が狙った場所が脇腹という時点で、殺すつもりではなかったのだと考える。だとしたら、この犯行の目的はあくまでも『脅し』や『警告』の類だろうか?

「……」

 いきなり手詰まりの茜に、アイスティーを勧めてくるショートの女性。

「いかがですか? ローズヒップは美容にいいのですよ」

「すみません。えっと、ガムシロか角砂糖ってありますか?」

「え?」

「……僕は推理の時には甘いモノを摂らないと上手くいかないんです」

 茜がそう詫びの言葉を口にする。一口無糖で飲んでみたが、とてもではないが全て飲み切ることは不可能だ。それほど茜の味覚はおかしいのだが、事件があったとなれば話は別だとばかりに女性はすぐに甘味を用意してくれた。

「……」

 甘いローズヒップティーを飲みながら、彼女の中で様々な言葉がぐるぐる回る。ジューンブライド、サムシングフォー、紫の不織布、脇腹……。そして茜は結論を下した。



「犯人は貴女ですね?」

 茜は『犯人』を現場近くの部屋に呼び出していた。『彼女』は身を強張らせたが、茜はこの手の状況には慣れている。

「……貴女は被害者とは顔見知りだった。それもそうです。結婚式を挙げるためには細かな準備が必要ですし、この企業では手間を省くため、一組のカップルには担当がつき、それは変わらない。……『例外』を除いては」

 彼女は拳を作り、それを強く握りしめる。『例外』、担当プランナーが横恋慕してしまった事例。それを目の前の少女探偵は見抜いているように思える。

「そうなると当然、担当は変わる。……『彼』と会う機会は元々仕事だけですし、実際に二度と逢えない。可能なのは依頼人を通じて『彼』の様子を訊き出す事だけ。それで幸せそうな被害者の話を聴くたびに生まれる感情は容易に想像が可能です。『嫉妬』、違いますか?」

「……なぜ、探偵さんにそんな事が解るのでしょう? 想像がつくって言われても……」

「僕もまた『女』だからです。ほら、よく言うでしょう? 『女の勘』って」

 茜の格好からしてみれば、彼女はどう見ても少年だ。だが皮肉な事にその『少年』を『少女』だと見破ったのは他でもない『彼女』自身だ。

「お互い『プロ』です。貴女はせめてもの妨害のために、女性にとって大事な器官を痛めつけようとした。……子供が産めない身体にしようと企んだ。そうすれば『彼』も自分を選ぶかもしれない。顔見知りですし、貴女も美しいですし」

 犯行の動機も、目的も、この小娘に見透かされた。……小耳に挟んだ、程度のことしかない『機関』。その探偵はここまで厄介な人間がいるのか。

「……やはり『女』は美しいが故に恐ろしいですね。僕もその『女』ですが」

 探偵はどこまでも他人事のようにそう呟いた。

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