どこにかえる 六

 いつの間にか私は元のとおりに、神社の中、人形の前に突っ伏していた。滝のような汗が反吐と混じりあい、全身を水たまりのように埋めている。

 子どもたちの声は止み、シィー……ン……と、耳の中に、静寂の音だけが引き残されている。

 私は目を見開いた。

 静寂を台無しにするように、蛙の鳴き声が、途切れることなく響いている。

 どこまでも不愉快に、喚き続ける。

 ゲコッ、ゲコッ、ゲコココココッ……。

 私はゆっくりと、しかし愕然としたまま、頭を起こした。

 汗まみれなのに、震える体を抱き込んだ。

 目前には、私の人形。

 心が麻痺して、言葉がうまく紡ぎ出せなかった。

 思い出した情景を、まるで理解することができなかった。

 ……あぁ。

 うあぁ……。

 あははははは……。

 ククク、いひひ、うわっはっはっは……。

 アハハハハハ、うぁ、しし……クスクスクス……ふっ、うふふふふふ……あぁ、あああああ、へへへへへ……。

 なんて……なんてことだ。

 誰だ、誰が笑っているんだ?

 私? 私か?

 もしかして……スミレか?

 あぁ、違う、私はこんな人を知らない……。

 なぜだ、なぜ笑う。泣けよ。

 みんな死んでいたのだぞ? 震えろよ、泣き喚けよ、悔いてみせろよ。

 謝れよ。

 ブルブルと、体は震え続ける。

 痛みが、どこともなく這い回る。

 歯の根が合わない。

 ガチガチと、音を鳴らす。

 恐ろしくて、おかしくて、何もかもが滅茶苦茶に散らかり返っていた。

 私が殺した……みんなを、ひとり残らず……。

 あぁ、あぁ……。

 そうだ、そうだとも、私が殺したんだ! そうさ、私がみんなを誘い出して、嫌がる頭を押さえつけて、一人ずつ丁寧にやったんだ!

 あは、あははははは……。

 最初は、ゼンタか?

 リンの目の前で、喉を突いてやった。そして泣いてるリンは、その小ちゃい頭よりも大きな石で、上からまっすぐカチ割ってやったのだ。

 うぅ……ククク……。

 アマコは何度も、お兄ちゃん! と叫んでいた。縛り付けられたゲンの体を少しずつ削ぎ落としていくさまを見せつけて、悲しませてやった。そして、アマコ自身はゲンより先に殺したんだ。首からブシャブシャと血を噴き出させて、切り裂いてやった。アマコはその時も、お兄ちゃん助けてと叫んでいた。

 ゲンが妹の死を見ている様は、なんと痛ましいものだっただろう……。

 ヤキチはさっさと殺してやった。興味もなく、階段から突き落としたらあっさりと死んだ。

 カイリも、イナミも、ジロウも、イチロウも、ソウヘイも、みんなヨシの名前を呼んでいた。

 彼らの目の前で苦しむヨシを、ションベン漏らすまでブチブチと切り裂いて、顔を木の実のように縦に裂いて、他はゆっくり一人ずつ殺してやった。

 その時、あんまりにやかましかったカイリの声が、一番印象に残っている。うるさいから彼女は舌を切り取ってやった。ついでに目もえぐりとった。

 同じく叫びたけっていたソウヘイは石で打ち、太ったジロウは腹を割った。可愛いイナミは顔の皮をいで、残ったイチロウの胸は、小刀で何度も突き刺した。

 タケマルは…‥即死させたのだった。あれを縛るのは骨が折れるから、影から真っ直ぐに、重たい石で顎を砕いてやったんだ。

 そして……最後が、カヤか。

 あぁ……思い出したよ。子どもは、女の腹の中にできるのだった。

 だからその子ごと殺してやった。

 女にしかない穴から、みんなを殺すのに使ったものと同じ剣で貫いて、そこから縦に胸のとこまで裂いてやった。

 カヤは、信じられないくらい泣いていたなぁ……。

 お願い、お願いって……。

 やめてぇ……助けてえぇ……って。

 あぁ、あは、あははははは……。

 うわっはっはっは、イーッヒッヒッヒヒ……。

 なぜ、そんなことをしたかって?

 どうして、こんな残酷なことをしたかって?

 お前は何者かって?

 うは、たまらない。

 あぁ、おかしい。

 アーー……ッ……ハ……ハッ……ハ……ッ。

 ゲコココココココココ……。

 ……。

 ゲコ…………。

 ……………………………………………………。

 ……。

 わから、ない。

 …………何も……思い出せない…………。

 動機が、ない。

 …………。

 …………………………………………………………………………………。

 ………………………………………………。

 腹の笑い虫が、ヒッソリと泣き止んだ。

 蛙ばかりが、時もわきまえずゲコゲコと鳴き続けている。

 体がドロドロと溶けていくような感じがした。

 どうして、私は……。

 みんなを殺したんだ?

 瞬間、全身に、雷の落ちたような衝撃が走った。

 みんなを殺したのが私……その意味するところ、罪深さ、痛ましさが、唐突に完全な意味を持って、私に理解された。

 獣に教えられた死の恐怖が、罪の意識へと色を変えた。

 私は叫んだ。

 暗闇の中、一人っきりの神社の中で、かすれた声を振り絞った。

 蛙に負けじと、喉から痛みを叫び上げた。

 私は、吠え続けた。

 笑うように、泣くように、声を張り上げた。

 理由をしぼり出すように、何かを思い出せるように、みんなが死ななくちゃいけなかった因果を吐き出せるように。

 あまりにもみじめな気持ちを、消し去りたくて、声を枯らした。

 ……あぁ……なんで……こんなこと……。

 今……私の胸を満たすもの……。

 それは紛れもない悲しみだった。

 私の知るみんなが、死んでしまっていたことへの慟哭であった。

 彼らが苦しんで殺されたことへの、悔しさだった。

 やりきれなさだった。

 空虚だった。

 怒りだった。

 コハクマルが死んでしまったかもしれないと思ったときと、まったく同じところから湧き上がる、同じ涙が頬を伝っていた。

 彼との別れを悲しんだのと同じところが、彼との別れよりもはるかな痛みを発していた。

 みんな……。

 もう、死んでいたんだ……。

 この人形は……だから、ここにあるんだ。

 これらは……みんなの……とむらいなんだ。

 あぁ、あんなに幼いリンが、幼気いたいけなゼンタが……なんて無残な死に方を……。

 イナミと、イチロウと、ソウヘイ……元気なあの子たちの声は、もう、どこにもない……。

 カイリの歌も、なくなってしまった。

 みんなを連れて歩くタケマルさえ、今はいない。

 ヤキチも……ヤキチだって……死んでいいわけがない。そんなに嫌いなはずがない。彼だって……ゲンとは仲良しなんだ……そんな、無下に殺されるなんて……ひどすぎる……。

 かわいそうなアマコ……やっとその気持ちに気づいたはずのゲンと……一緒にいられるはずだったのに……よりにもよって、兄の前で……。

 むごい……むごすぎる……。

 ヨシとゲン……私はあの夢の中で、二人に祝福を送ったはずなのに……殺されるなんて……。

 そして……カヤ。

 お腹の子どもごと、引き裂かれた……。

 幻痛が、腹に突き刺さる。

 ……なんて、痛ましい。

 あのクマの所業など、比較にもならない残酷……。

 どうしてこんなにひどい……残酷な……無惨な……。

 あ……あ……。

 ……あんまりだっ……!!

 さめざめと、私は泣いた。

 突然に突きつけられた別れに、声もはばからず喚き散らした。

 嗚咽が次々と漏れ出してくる。彼らをいたむ気持ちに、爪の先まで浸されて、心が悲鳴をあげていた。

 そして……。

 あぁ……なんで……。

 ……そんな全てが、私のせいであるという現実を、私はまだ受け入れられないでいた。

 私が……殺したのか?

 嘘だ。そんなわけはない。

 私は……そんな人間じゃない。そんなに悪人なわけがない。

 私はみんなを殺したくなるなんて……そんなこと、ありえない。

 だって、みんなの死は、私にとってもこんなにも悲しいじゃないか……こんなにも胸をえぐるじゃないか……。

 心では、そう思っていた。頭では、確信していた。

 だけど……。

 私の口元には、いやらしく歪んだ笑みが、引きつるように張り付いたままであった。

 蛙のように、は醜く笑っていた。

 そんな……違う……私は……。

 ちがう、ちがうちがうちがうちがう……。

 私は……私はそんなこと……。

 ……私は……?

 思って……のか?

 私は、こんなものだったのか。

 これが、私か。

 この笑みの、嫌らしさが……。

 記憶を失う前の、私の正体なのか。

 そんなはず……。

 動機にあたる記憶が、実感が、ポッカリと抜け落ちたまま、私はヨロヨロと体を持ち上げた。

 呆然と、クマの生首を見つめる。

 …………。

 お前は……。

 もしかして、私を罰しに来たのか?

 獣は物言わず、空虚な瞳に光を映す。

 ゲコココココ……。

 私は、そのまま立ち尽くしていた。

 また、いつものように倒れるのを……夢を見るのを……待っていた。そうすれば何かがわかる気がしたから……夢さえ見れば、全てが思い出せると思ったから……。

 だけど……。

 ここへ来て私の頭は、いつになく冴え渡っていた。

 意識はどこまでも、蛙の鳴き声が一つ一つ聞き分けられるほどハッキリとしており、眠ることなど遥か遠くに思えた。もう一生眠れないのではないかというくらいに、鼓動は早鐘を打ち続けていた。

 あぁ……うぁ……。

 う……。

 アアアァァァァァァーーーーー!!!!!

 あ……あ……頭がどうにか……なりそうだ……っ……。

 なんだ、なんだこの気持ちは?

 なんだ、この状況は?

 なんだこれは?

 これはなんだ?

 なんで……なんで、理由だけ思い出せないんだ? 思い出させてもらえないんだ?

 いや、それだけじゃない。

 私は、何も思い出してなんかないんだ……。

 ただ……私がみんなを殺したということだけ……それっぽっちのことしか、わかってないじゃないか……。

 そんなわずかな記憶だけ投げ渡されても……どうしたらいいのかなんて、わからない。

 私はたまらず、私の人形を掴み上げた。

 髪を引っ張り、頬にこすりつけ、必死の思いでもてあそんだ。

 首をへし折らんばかりに床に叩きつけた。

 だが……私の頭にはいかなる映像も、もはや浮かんでこなかった。

 何も、見えなかった。

 それはただの、私を模しただけの、小さな人形だった。

 そんな……どうして……。

 私は、いつともなく倒れて、転げ回った。

 頭を掻いた。

 こめかみを押した。

 頬に、頭皮に、割れるほど爪を喰い込ませた。

 ガツンと、何かに頭をぶつける。

 それは、この蛙石の間を覆っていた、白い幕であった。それを支えていた木の棒ごと上から落ちてきたのだった。

 しかし、痛くもない。

 こんなもの、なんでもない。

 こんなもの……みんなの痛みに比べれば……。

 あぁ……。

 みんな……。

 本当に、みんな私が殺したの?

 ならば……だとしたら。

 私は、両手で顔を覆った。

 歪む口元を、無理矢理に引き下ろして、声を上げて泣き始めた。

 …………ごめん……なさい…………。

 ごめんなさい……ごめんなさい……。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。

 あぁ……ああああああ……。

 ごめんなさっ……う、うあぁぁぁ……。

 …………ァァァァッッッッッ!!!!!!

 私は……なんてことを……してしまったんだ……。

 あぁ、あぁ……。

 この……このクソガキめ!

 大馬鹿!

 人殺し……!

 人でなし……っ!!!!!!

 ごめん、みんな……。

 うわぁあああああん……。

 悲しみの後にやってきたのは……余りにもたまれぬ罪悪感だった。

 身を裂くほどの自己嫌悪だった。

 ……あぁ。

 ごめん、コハクマル……ごめんなさい、クニミツさん……。

 あなたたちに救われた、あなたたちが助けてくれた私の命は……。

 なんの意味もありませんでした。

 あなたたちは、死ねば良かった阿呆を救ったのです。全てが徒労です。

 コハクマルなんて、私のために片目を失ったのに……あぁ、ちくしょう……っ。

 ごめん……本当に、ごめん……。

 なんて価値のない私。

 う……うぅ……おぇ……。

 ……そう、何度自分を責めたところで、私は未だ自分の中に、何一つ発見できないでいた。

 みんなを殺した理由が、不自然なまでに霧に閉ざされていた。

 そしてその一点が、私をどこまでも苦しめていた。

 なぜ、理由を教えてもらえないのか……。

 あぁ、どうしてどうしてどうして……。

 腹でも空いていたか? そんなわけがないだろう、れ者め。

 腹を空かしたクマなんかの、その何倍も何倍も、ずっとずっとと何十回付け加えても足りないほどに、お前は悪人だったじゃないか。クニミツさんに聞くまでもない……悪いのは、お前じゃないか。

 あぁ……。

 ……それに、わからないことがもう一つある。

 私はどうして、この村で介抱されていたのだろうか?

 みんなを殺した私なんて、とっくに殺されてもおかしくなかったのに……恨まれているはずなのに……。

 いや、そうか、わかった。

 わかったぞ……。

 村の人たちは……私が犯人だかどうだか、わからなかったのだ。

 あは、そうか、そうだろうさ。

 きっと私は賢くやったんだろう。だからきっと、ただ一人で生き残っていた私が犯人であるかどうかが、村の大人たちにはわからなかったんだ……。無論、疑われはしただろう。だけど、こんな子どもがそれほどの残虐を犯すなんて、信じられなかったに違いない。

 はは……しかし、お笑いぐさだ。じゃあ他に、誰がやったというのだ?

 妖怪か? クビソギか?

 私しかいないだろう、そんなもの。

 アハハハハハハ……。

 それに、そうだ、おばあさんが言っていた……おのずから語るを待て……だっけ? それが占いの結果だったのだ。だから私は待たれていたのだ。自ずから語りだすのを……。

 あぁ……おばあさん。

 シズさん。

 ギンジさん。

 マキさん。

 クダンさん。

 疑って、ごめんなさい……あなたたちはやっぱり、いい人たちでした……。

 悪いのは、私だけでした。

 きっと信じてくださっていたのに……ごめんなさい。

 殺したのは、私です。

 うぅ……うあぁ……。

 …………死ね…………。

 死ね。

 死んでしまえ。

 もう……死んじゃえばいい。私なんて……。

 自暴自棄に、頭をむしる。

 こんな……馬鹿なガキ、食われて死んでしまえば良かったんだ。獣の腹を満たすくらいがお似合いだったんだ。コハクマルなんかにはもったいないんだ……。

 なんで、私は生きている?

 みんな死んだのに、お前だけのうのうと生き続けるのか?

 なんで、私なんかのために、コハクマルは片目を失ったんだ? 未だに熱に苦しんでいるんだ?

 なんで……私なんかを……。

 もう、死ねよ、ほんと……。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……。

 うあぁ……ぁん……。

 …………。

 …………。

 ……どれくらい、私はそこで転がっていただろう。

 村の子どもたち……その人形の前で、何度這いずり回っただろう。

 あがなう術もわからぬほどの罪に、どれだけ溺れていたのだろう。

 やがて涙がおさまり、なれど心は一層乱れるばかりの中、よろりと体を起こした私は、神社の入口に、橙の光に照らされた影を見た。

 蛙が鳴く。

 夜の闇。

 ゲコッ、ゲコッ、ゲココココココ……。

 胸にひんやりとしたものを感じて、目をこすった。

 ……誰だ?

 タケマル?

 ギンジさん?

 …………いや。

 違う。

 蛙がいっそう、鳴き立てる。

 …………あ……あぁ…………。

 血がのぼり、燃え立っていた頭が、急速に冷え固まっていく。

 頬を伝っていた涙が、凍っていく。

 タツミさんが……カヤのお父さんが、神社の入り口に立っていた。

 膝頭がガクガク震え、喉から硬いものがひっくり返る。

 タツミさんの左手には、私の杖が握られている。きっとあれが階段に落ちていたから、私がここにいるのだとわかったのだろう。

 そして反対の手には、私がカヤを殺すのに使ったのと同じ剣を持って、じっと私を見下ろしているのだった。

「見つけたぞ……スミレ……」

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