すりかえる 三

 次の夢はすっかり霞も晴れ、空も快晴の素敵な日和ひよりだった。場所は、流れが浅いきれいな川。こちら側の岸は地面が踏みならされた青い森であり、向こう岸は高く切り立った崖である。その灰色の壁面にチラホラと、長い緑の草がまばらに飛び出しているのが見える。崖の上にもまた森は広がっているらしく、一羽の大きな鳥が、高いところから羽を広げてどこかへと飛び去っていく。

 ところどころに苔むした岩が顔を出す川の中では、私の知るみんなが揃って、ワイワイ川遊びをして遊んでいた。どうやらここは、一番最初に見た夢の中で、みんなが駆けっこして向かっていたあの川であるらしい。

 川の中にいるのは、もちろん子どもたち。イチロウとソウヘイ、イナミの仲良し三人衆が、信じられないほどやかましくバシャバシャと水を掛け合っている。

「ぶおぉ!!? てめえ、鼻に入るじゃねえか!!」

「知るか、閉じとけ!」

「あはははは、つめたーい!」と、見てるだけでウズウズと体が跳ね出したくなるくらいに楽しそうに、彼らは元気に跳ね回っている。ああいうこと、ずっとやっていない気がするな。夢の中でも、外で遊んでいる風景は久しぶりだった。

 その三人が散らかす水飛沫しぶきがギリギリ飛んでくるくらいの距離では、ヨシがリンの脇を支えながら、足を水につけさせて遊ばせている。ゼンタもその近くで、リンの手を取ってたわむれている。

 ジロウとアマコ、それにカイリとヤキチの四人は、ちょっと離れたところで熱心に川の底を覗いていた。きっと何か生き物がいたのだろう。タケマルはそちらの方に忍び寄って、いきなりヤキチに水をかけて驚かせて遊んでいた。

 それらを眺められる位置にある、一際大きな木に寄りかかって、影の中、微笑むこともなくじっとしているのはゲンである。近くには簡素な杖が無造作に放られているあたり、まだ恙無つつがなく歩けるわけではないようだ。あの杖、私がクダンさんに作ってもらったものと比べれば使い心地はすこぶる悪いだろうな。作りが簡素だ。隣にアマコがいないのは、最近では割と珍しい。それくらい、アマコはずっとゲンにベッタリだったものだから……代わりにそこには、カヤがゆったりと足を崩して座っている。

 ここにいるみんなのうち、ゲンとカヤ以外のみんなは概ね裸である。タケマルとヤキチの二人はふんどしをつけたままで、ヨシも腰巻みたいなものを巻いている、それだけだ。ほら、やっぱり裸を恥ずかしがるコハクマルはおかしかったんじゃないかと思いかけたが、そもそも今私の見ている景色がなのかと問われると、色々な意味で否と答えざるを得ないことを思い出して、ひとり心の中で苦笑する。男の子たちはみな髪を解いていて、後ろ姿だけ見ると女の子に見えなくもなかった。その方が、余計に湿気った髪が邪魔になるんじゃないかと思うのだが、もしかしたら髪を縛ってる紐をなくさないためにそうしているのかもしれない。ヨシだけはいつも通りに髪を後頭部で縛っているのは、そういうわけか。

 私の視点は、川で遊んでいるみんなのところではなくて、いつもと変わらない格好でそれを眺めるゲンとカヤのところにあった。

 二人は盛り上がる子どもたちを尻目に、和やかな雰囲気で会話をしている。

「まだ水冷たいのに、元気だよね」カヤは、やや赤みを帯びた表情でゆったり笑う。彼女は今日も、着物の裏に灰色の何かを着ている。

「カヤには、寒いだろうね」と、ゲン。

「ゲンもまだ、ちょっと無理だもんね。でも、きっとゲンは、足が大丈夫でも川遊びはしないでしょ」

「うん」

「頭は、もう大丈夫なの?」

「痛くないよ」

「そっか……よかった」

 その言葉を最後に、しばらくカヤは黙ったまま、ヤキチがタケマルを追いかけるのを眺めていたようだが、ふと真面目な顔で、そっとゲンに向き直った。

「ねえ、ゲン。聞きたいことがあるの」

「なに?」ゲンは虚空を見つめたまま、返事をする。

「……ゲンさ、本当は、何も忘れてなんかいないんじゃないかなって」

 バシャバシャと水が跳ね、イチロウが派手に転んでずぶ濡れになる。

 ゲンは相変わらず、口数少なく「何を?」とだけ聞き返す。

「ゲンが倒れてた夜ね……私はずっと、タケマル兄が起こしに来るまで寝てたからわからないんだけど、でも、あの時ゲンのところにいたのが誰なのか、なんとなくわかるのよ」

 この時初めてゲンの顔が、ふわっと風にあおられるように、カヤを向いた。

 澄んだ瞳と、白い肌。寝不足が治った彼の顔は、湖面に映る雲のように美しく、なめらかに映えている。

 この顔を見ていると、いつもどこか胸がキュッとなって、苦しくなる。

 だけど……。

 いつまでも感情のえないその顔の中に、何か重大な秘密を隠していることに、いい加減私も気がついていた。

 カヤは、ゲンの顔から目を離さない。

 ゲンは、カヤの言葉を待つ。

「あの夜のこと、どうしてヨシがあんなに気にしてるか……わかったから」

 カヤは言う。

 見間違いかと思うほどかすかに、ゲンの口元が、微笑んだ。

 それを見て、カヤはホッとしたように胸を撫でおろした。

「……そっか、やっぱりそうなんだ」

「何も答えてないよ」

「そうだね、そうだよね」カヤはすっかり一人で納得してしまったのか、ゲンの耳元に顔を寄せて、耳打ちした。「ヤキチ……なんだよね?」

 ゾオッと、視界が暗くなる。

「ヤキチがなんであそこにいたのかはわからないけど……きっとヤキチは、クビソギが怖くて、それで何か重たいものを用意して、備えてたのね。そしたら急に顔を出したゲンにびっくりして、殴っちゃった。そうなんでしょ?」

 ゲンの、切れ長でありながらも丸い目が、まばたきもせず横滑りする。

 視線の先には、裸のヤキチ。タケマルを追いかけるうちに転んだのか、赤くなった尻をゴシゴシでている。

 また、ゲンはカヤを見る。

「……妖怪のせいだよ」

「うん、妖怪ね」カヤは笑った。「もう、謝ってもらったんでしょ?」

「そう……だね」

 ゲンの顔は、またいつもの無表情に戻っていた。

「あぁよかった。やっぱりそうだ」カヤも、いつものように微笑ほほえむ。「ヤキチったら、本当に困った子なんだから……」

 …………。

 カヤの語った推理は、実際、私の結論とほとんど同じものであった。正確に言えば、私が考えたいくつかの候補のうちで、最もそれらしいと思えた推理であった。

 ヤキチがクビソギと勘違いして、ゲンを殴った。それを、ゲンがヤキチのためにかばっている。これが最も現実的で、かつ平和的な答えである。ヤキチが驚いただけであったのなら、なんら問題はない、事故である。当然ヤキチのやらかしたことは恐ろしいほどバカバカしく、下手すればゲンが死んでいた可能性を考えれば笑ってもいられないかもしれないが、結局思ったほどの被害はなかったわけだし、事態が大きかったぶんヤキチも反省していないはずはないから、まあ、結果的に薬になったというか、丸くおさまったと表現してもいいだろう……と、そんな風に思える結論だ。

 …………。

 ただ、この仮定には問題点が二つある。一つは、ゲンがヤキチを庇う理由。ゲンの性格というものは未だに私にはなかなか見えてこないのだが……今のところの感想では、彼はヤキチを庇うような人格とは思えなかった。つまり、ヤキチが叱られるくらいどうとも思ってなさそうだと感じられたわけだ。一番の根拠は、アマコの人形騒動の時の、ありえないほどの反応の薄さ。妹があれだけ泣いていても、彼は人情味を一切示しはしなかったし、なぐさめの言葉さえ一言も吐かなかったじゃないか。

 だけどこれはカヤが、ゲンがヤキチを庇うという行為に疑問を感じていないということを根拠に否定できるかもしれない。カヤは私よりもゲンを知っている。カヤにとってゲンがヤキチを庇うのが自然なことであるのなら、それはつまり、そういうことなんだろう。今まで犯人に興味がなかったのも、自分は真相を知っているがゆえだったかもしれないわけだし。

 ……ただ逆に、カヤだからこそ、これは間違いであるということもあるかもしれない。カヤは優しいから、ゲンがヤキチを庇うことに全く疑問を感じなのだろうが、私からすればそこはちょっと納得しかねるところだ。

 なんにせよ、本当に問題なのはもう一つの方……ヤキチが、あの夜ゲンの作場にいたということと、クビソギにビビっていたという推測の矛盾である。

 彼があの夜あそこにいたとするならば、人形の首を切っていたのも彼だと考えるのが自然になる。だとすれば、クビソギを怖がるのはおかしい。なにせクビソギの正体は自分なのだから。実際この点が、私がこの推理をイマイチ信じきれない理由であった。決定的な矛盾ではない。だけどどこか引っかかるというか、全体的にうまく腑に落ちない。自分で人形の首を切っておいて、自分でそれをした妖怪におびえるなんて……でも、そうでもなければ、あんな血まみれになるような力でゲンを殴る説明がつかないのは事実だ。いくら後ろ暗いことをしているからって、そこまで力いっぱい殴るってことはないだろう。

 でも……今この場で、私以外の誰かも私と同じ結論に達していた。カヤは、私よりも全ての事情に詳しい人だろう。ならば、やはり犯人はヤキチでいいのだろうか。もちろん、ヤキチがあそこにいたのはまた何か別の理由であって、人形の首を切っていた犯人は別人であることも考えられるわけで……。

 当のヤキチは今、いつの間にやら捕まえてきた赤い生き物を、得意げにカイリたちに見せびらかしている。

 ヤキチが、犯人……。

 それで、いいのだろうか。

 だとすれば、ヨシがあの夜、ゲンの家の前にいたというのはいったい……。

 もしカヤが言ったように、ヤキチがゲンを殴った犯人で、それをすでにヤキチが謝罪しているのだとしたら、あの発言……ヨシの不審な行動をしていたという彼の報告は真実だということになる。ヤキチがゲンに嘘をつく必要はないだろう。逆にヤキチが犯人でないのならば、それでもやっぱり、ヨシのことは本当である可能性が高い。一人村に残っていたヤキチが見てしまった、ヨシの隠された本性なのかもしれないのだから……。

 でも、ヨシが一体なんのために?

 ヤキチの場合と違い、ヨシ犯人説はまるで想像つかない。いやヤキチだって、人形の首を切るような理由は全然思いあたらないのだが、ヨシの心証は、ヤキチのそれとは比べものにならないほど高いのだから。

「ねえゲン?」すっかり機嫌の良さそうなカヤが、ゲンのヒザに手を置いた。「腕が治ったら、お祝いしようかなって思うんだけど、いい?」

「……お祝い?」ゲンが、奇跡のような角度で首を傾ける。「なんの?」

「ゲンの腕が治ったお祝いよ」

「そんなことで祝うの?」

「当たり前じゃないの。ヨシなんか、甘いお菓子を用意できないかってショウゾウさんに頼んでるくらいなのよ」

 ショウゾウ? 誰?

「……そう」と答えたゲンは、そのまままたフウっと頭から力を抜いて、人形のように虚空を見つめる作業に戻る。

 ちょうどその時、イナミが珠のような笑顔でこちらに駆けてきた。ゲンやアマコほどじゃないにしても、十分白くてふんわりと柔らかそうな肌に、長い黒髪が健康的に額に張り付いている。ゲンのことばかり考えていると忘れそうになるけど、イナミの器量も、周りからは浮いていると言っていいくらいに恵まれている。

「きゃー!! 助けてカヤ姉!」

「てめきたねぇぞ、そっち逃げんなよ!」と、イチロウが文句を言いながら追いかけてきた。

「やーん」と、イナミはカヤの隣にしゃがみこむ。「そんなに怒んないでよ」

「このぉ……」と、ソウヘイも追いかけてきて、拳を振り上げる。「キンタマはやめろっつってんだろうが……」

「あら、イナミったら」カヤが笑う。「ダメよ、そこは本当に痛いんだから」

「ごめんなさいってばあぁ」イナミは謝りながらも、その笑顔に反省の色はうかがえない。「カヤ姉、やっぱり川じゃ遊べないの?」

「うーん、私には冷たすぎるかな」

「不便だよなぁ、カヤ姉は」と、ソウヘイがその場にどかりと座り込んだ。「川にも入れねえなんてな」

「あ、おしり汚くなるよ」イナミが指差す。

「どうせ川行けばいっしょだい」そう言ってふんぞり返る彼の顔は、子ども特有の生気に満ち満ちている。さすがは元気盛りの少年、川の水の冷たさなどまるで体にこたえないようだ。

 だが反対にイチロウは、寒さに弱い体質なのか、顔も唇も真っ青だった。

「……イチロウ?」カヤが呼びかける。「ちょっとこっち来て?」

「ん? なんだよ」と、いぶかしみつつも、イチロウが近寄ってきたところを、カヤがその手を掴んだ。

「あぁ、こんなに冷えてる。こっちおいで」

「わ、やめ、はなせっての……!?」

 と、抵抗しようとしたイチロウの背を、グンと押す影。リンとゼンタを連れてきた、ヨシである。

 その登場に、少しドキッとした。

 背の高い彼女は、見上げると、表情が上手く読み取れない。

「……いいから、イチロウはゼンタの体拭いてなさい」ヨシは、命じる。「カヤ、リンをよろしくね」

「うん、ほらリン、こっちよ」カヤが手を広げたとたん、小さなリンは喜びいっぱいにテトテトと彼女に駆け寄った。

「さむい~」と、目を細めて震えてるリンの、無邪気な愛らしさにほっこりする。

「うん、冷えるよね、まだ」カヤは笑いながら、近くに用意されていた布でリンの体をくるむ。「あったかい?」

「あったかい!」

「ほら、イチロウも」と、ヨシ。

「えー、なんでおれだよ……」震える声で、ぴちゃぴちゃ髪から水滴を垂らしながら、イチロウはブーたれる。

「おれまだやぢゃぁ!」と、同じく文句を言うゼンタ。彼の唇も真っ青だ。

「いいから二人はもう暖かくしてなさい! 風邪引くよ?」

「お? なんだお前、もう寒く……」

 と、イチロウをバカにしようとしたソウヘイの首を小脇で絞めるように、ヨシが抱える。

「おわっ!!?」

 そのままズルズル、ソウヘイは川へヨシに引っ張られていった。

「だぁー!? はなせぇーー!!」

「あはははは!」と笑いながら、弾ける笑顔でイナミも追いかける。

「……ちぇっ」イチロウはなんとも歯がゆそうな顔をしながら、しかたなくゼンタの首に布をかけた。「ほら、こっちゃ来い。お前もかんにんするんだい」

「えー」

「うるせえ! 俺だってお前の体なんかふきたかないわい!」

「もー、元気なんだから」と、慣れた手つきでリンを布で巻いて膝に乗せたカヤが、イチロウたちに笑いかける。「そう言わないで、ね? イチロウ兄ちゃん」

「その呼び方やめてくれ」イチロウは、苦笑い。「ジロウの面倒なんて、ほとんどカヤ姉とヨシ姉まかせだったし」

「でも、なんだかんだちゃんと拭いてくれるのね」

「だって、そうしないと後でヨシ姉にゲンコツだし……」ブツブツ文句を言いながらも、確かにイチロウはしっかりゼンタを捕まえて、体を拭いている。自分を後回しにしているところには意外と好感が持てた。ゼンタも、なんだかんだ大人しくイチロウにゴシゴシされるのに任せている。

「なあ、ゲン兄?」イチロウが、ゲンの方を向く。

 振り返らず、口も開かず、ゲンは「ん?」とだけ声を漏らす。

「ゲン兄は、妖怪に殴らて、おっかなくないのか?」

 子どもたちのあいだでは、ゲンを殴ったのは妖怪というのが定説となっている。

「うん」ゲンの返事は、短い。

「……なあ、本当に妖怪だったのか?」イチロウは、さらに聞く。

 その様子をカヤがほがらかながらも、どこか心配を匂わせながら、見守っていた。

 イチロウがこんなこと聞いてくるなんて、珍しいことだ。

「知らない」

「んまあ、そうなのか……」イチロウは何か納得したようにうなずきながら、恨めしそうにイナミたちの方を見る。「うわ、ソウヘイも転んでやんの」

「あーーーっ!!」ヤキチたちの方から、カイリのキンキン声が響いてくる。「また見つけちゃったーーっ!!」

「あちゃー!」焦ってるんだか面白がってるんだかわからないタケマルの咆哮が、それに続く。「クビソギだーっ」

「なによなによ、どうしたの?」と、ヨシも振り返る中、カイリ……ではなく、ジロウが何かを両手に持って、こちらへまっしぐらに駆けてくる。

 そのままカヤの方にでも来るかと思ったが、意外にもジロウはゲンの前に。

「ゲン兄……これ」

 それは、またしても人形であった。またしても首を切り取られた、クビソギ騒動の残りであった。違いがあるとすれば、見つかったのが人形の首部分ではなくて、胴体の方であるというくらいか。おかげで、一見しただけでは人形なのかどうかも疑わしい形状である。

「あぁ、うん」ゲンは頷いて、ジロウの手から人形を受け取る。

「もー、またあったの……」と、ため息をつくのはヨシである。「いったいいくつ取られたのよ」

 いつの間にか、周りには全員が集まっている。ひとり残らず水がぽちゃぽちゃ髪や体からしたたり落ちて、肩ではあはあ呼吸をしている。水遊びって意外と疲れるんだな。

 比較的濡れていないアマコが、哀しそうにうつむく。「おかしいなぁ……人形、減ってないのに」

「捨てられてたやつを切り取ってるんじゃね?」と、ゼンタを捕まえたままのイチロウ。

「妖怪がわざわざそんなことするかなぁ」イナミがイチロウに笑いかける。

「……どうだかな」やや離れた位置にいるヤキチが、タケマルの後ろでボソリとつぶやいた。

 その表情を、よく観察してみようと目を凝らした。

 だが……。

 ヤキチもまたこちらを向いた気がしたのと同時に、ぱっと視点はゲンの方へ戻ってしまった。

 ……こんな経験、前にもあったのを思い出す。

「古くはないね、これ」ゲンがぽつりと、口を開く。すると、みんながそちらに注目する。「腕、作ってあるし……ヨシの顔見ながら作ったやつじゃないかな」

「え、私?」ヨシが、目を丸くして自分を指差す。

「え、そんなんわかるのか、お前?」ビックリしたタケマルが、素晴らしい背丈をしゃがませて、人形を覗きこむ。「ぜんっぜん違いわかんねえけど」

「うん、多分、あの時のだ」ゲンはなにやら納得したらしく、それをさっさとアマコに渡してしまった。

 そのまましばらくみんなゲンを見ていたが、彼はもう、そんなことお構いなしに目を閉じて、片手をくうでユラユラさせる作業に入ってしまった。

「……それだけかよ」ソウヘイが、頭を掻く。「もっとこう……なんかねえのかよ」

 ゲンはもう、答えなかった。

「ゲンはこういう奴だよ、昔っからな」と、タケマルは立ち上がり、みんなの注目を集めるように手を叩く。「さ、お前ら、今日はここまで! 飯食いに帰るぞ!」

「えー!?」イナミが真っ先に抗議の声を上げる。

「まだいいだろ!もうちょっと」ソウヘイが続いた。

「あのカニ捕まえてからでも……」珍しく、丸いジロウも食い下がる。

「もういいよ、私寒いもんっ」カイリは帰ることに乗り気なようだ。

「さむがりー!」と、イナミが突っつく。

「なによ、悪いのっっ!」キンキン、カイリが噛み付く。

「えー、おわりー?」と、ゼンタも遅れた反応を見せる。

「なんにせよ、今日はこれまでよ」やけに冷たい声で、ヨシが言い放つ。「ほら、みんな体拭いて、さっさと服着るよ!」

 結局みんなヨシの胆力に押されたか、ブーブー文句を言いつつもワイワイ体を拭い合い、着物を着る。ソウヘイは無理やりヨシにもみくちゃに体を拭かれて、みんなに笑われたりしていた。

 最初にカヤとゼンタとリンの、ほとんど濡れていない三人が、みんなが住む村があるのであろう方向へ歩いていく。次にカイリが、続いてソウヘイとイナミが着物を着終わるのを待っていたイチロウが、ジロウと一緒にしびれを切らして歩いていく。

 他のみんなは、それを後から追いかける。

 その直前。

 アマコが、ゲンが立ち上がるのを助けようと駆け寄る、ほんの少し前に。

 ヨシが、フッと素早く、ゲンの耳元に顔を近づけた。

「……後で、時間ちょうだい」ヨシの声は、冷たい。「あの夜のことで、話があるから」

 ドキリと、胸に痛みを覚える。そのせいで、また中途半端に目が覚めてしまい、夢が急激に離れていく。

 最後に私の目に残った景色は、真っ直ぐに立ち上がった彼女の顔。

 それは、下から見ていたせいかもしれないが、妙に影が差した、威圧的な雰囲気に見えた。

 少なくとも、私が見たことのあるヨシの顔ではなかったのだ。

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