すりかえる 四

 はぁはぁと息を切らしながら、長い階段を神社へと上っていく。隣で肩を支えてくれるのは、コハクマル。彼に一段ずつ先に行ってもらいながら、引き上げられるような形で、私たちは進んでいく。ひと呼吸ひと呼吸に吸い込む空気が湿気っていて、のっぺりと喉にまとわりつく。

「大丈夫か? 少し休もうか?」コハクマルが心配そうに私の顔を覗いた。

「……いや、平気」私は、無理してそう答える。

 階段を一段一段、ゆっくりとだけど、上り続ける。片足が効かない中で、上へと階段を進んでいくのは相当キツかった。でも、私以上に、人ひとり引っ張っていかなきゃいけないコハクマルの方が大変だろう。だけど彼はまだ息切れ一つしないで、私を運んでくれている。子どもである彼が山中を四日五晩に渡って歩き続けられたのは、どうやら生来の無尽蔵な体力の賜物たまものであったらしい。そんな思いもがけない彼の頼りがいに、私はかなり感心させられていた。

 ところで、なぜ今私たちは、神社に向かっているか。

 きっかけは、朝コハクマルがこぼした、何気ない一言ひとことだった。

 この日、いつもよりも少し遅く私が目覚めたとき、屋敷にコハクマルはいなかった。シズさんに話を聞くと、どうやらコハクマルとクニミツさんは、最初の日の私のように村を案内されているとのことだった。それで一人ヒマになってしまった私は、ご飯を食べ終わったあとはしばらくダラダラと、壁に寄りかかりながらヤキチやヨシのことを考えていた。

 カヤがゲンに伝えた、ヤキチが犯人であるという説は、考えれば考えるほどそれしかないかなって気分になる。ヤキチはあの日、子どもたちとは別の場所にいたというだけでも十分怪しいうえに、彼があの夜どこにいたかを証明できる人さえ誰もいないのだから、疑うなという方が無理だろう。ゲンを殴る理由にしたって、納得のできる範囲の理由も持っているし。

 前に見た夢でカヤが言っていたこと……「ヨシだからわからなかった」って、それはつまり、ヨシには妖怪を怖がることが理解できないって意味だったのではないだろうか。だからヨシには、ゲンを殴った理由が悪意のあるものであるとしか考えられなかったと、そういう指摘だったに違いない。その点も私はカヤと同意見である。

 だけど……結局それは、他の誰よりも疑わしいというだけで、ヤキチが確実に犯人であると言い切れるという意味ではないのだ。そもそもヤキチがなんのためにゲンの練習作場にいたのかは、未だにまるで予想がついていない。

 人形の首を切っていたのは、結局ヤキチなのだろうか。

 この点に関しては、私は正直、違うのかなという風に考え始めていた。ゲンを殴ったのはヤキチかもしれない。だけど人形の首を切っていたのは別人である、と。でなければ、ヤキチがゲンに驚いたことに説明がつかないのだ。あの夜、子どもたちと見た景色の中で、ゆらゆらと小窓から見えた微かな光……その裏にゲン以外の誰かがいたというのは、考えるだけでも不気味に思えるが、あれがヤキチであるならば色々と説明はつく。土間に転がっていた消えかけの明かりは、今思えば、誰かが焦って落としたまま飛び出したという風にしか考えられないし、ならばそれをしそうなのは、タケマルやヨシよりも、ヤキチだろう。

 では、ゲンの人形の首を切っていたのは誰か。

 まさか、ヨシということはないはずだ。彼女は、だって、誰よりもゲンの人形のことで怒っていたし……。

 ……だけど。

 ヨシが、あの夜ゲンの作場の近くにいたことはほとんど確実だと思ってもいいと、私はそんな風に考え始めていた。ヤキチがその点で嘘をつく理由はないからだ。

 あるいはヤキチだけは、人形の首を切っていた何者かを知っているのかもしれないのではないか。

 ……あぁもう、わからなくなってきた。そもそもヤキチのことだって、ゲンははっきりと答えてはくれなかった。

 なんだかずっと、モヤモヤする。

 次の夢が待ち遠しいな。

 でも……本当に私は、この夢の続きを見たいのだろうか。

 こちらを見つめるヤキチの細い目を思い出して、身震いする。

 私が今、真剣に考えなくてはいけないことは、本当はあのヤキチの視線かもしれない。彼が時折私を見ているという感覚は、正直不気味すぎて思い出したくもないのだけれど……。

 あの景色は、いったいなんなのか。

 その答えを知らないでいられる今が、一番楽しいような気がしていた。

 と、そんな風に思いを巡らせながら、雨の降りそうな曇り空を暗い部屋の中から眺めていたあたりで、コハクマルがなんとも浮かない表情で村の探検から帰ってきたのだった。

「あ、おかえり」私は笑顔で手を振った。

「うむ」彼は、座ったままの私をチラリと何か言いたげに一瞥いちべつしてから、ぐるっと周りを見渡した後、私の正面やや斜めの囲炉裏の前にどかっとあぐらをかく。

「なんか、元気ない顔してる」私は言う。「どうかしたの?」

「いや、何と言うことはないのだが……」コハクマルは私に目を合わせないまま、両手を組んで天井を仰ぐ。「……人の少ない村だのう、ここ」

「そうなのかな」

「それにどうも、歩いておるとコソコソ見てくる者が多くてなぁ……背中がむずがゆいわ」

「ああ、コハクマルもそうだったんだ」クククっと、私は笑った。「でも、湖は綺麗だったでしょ?」

「それはそうだな。晴れていればさぞ美しかったことだろう」

「私が初めて来た日って、すっごい晴れてたのよね。だから、思いっきり走り回ったんだけど……あ、ねえ、カエルって知ってる?」

「バカにしとるのかおぬし」ちょっとムッとして、コハクマルはこちらを向く。「知らないわけがなかろう」

「私、知らなかったよ」

「あぁ、そうなのか……」

「カエル、怖くない?」

「はあ?」

「私、初めてカエル見たとき、もう飛び上がっちゃって……」と、喋ってるうちにあの不気味の化身のような姿を思い出して、身震い。「もう、怖くて怖くて」

「おぬし、怖がりだなぁ」ハハッと、今度は彼が笑った。「雷といい蛙といい、なんてことのないものばかり怖がりおって」

「うん、そうかもね」私も笑いながら、ふとコハクマルの姿勢が気になった。「ねえ、もたれかからないで座るのって疲れないの?」

「ん? いや、全く」

「そっか、体強いんだね」

 と、ここで一度だけ会話が切れたのち、コハクマルがチラチラと、こちらを見ながら咳払いをした。

「……なあ、スミレ?」

「ん、なに?」

「その……あれだ、今日は、どこも行かんのか?」

「え?」

 ちょっと外へと逸らしていた目線を、コハクマルに戻す。彼はそれに驚いたように、不自然に足元に目を落として、親指の爪をいじり始めた。

「今日か……ギンジさんは仕事だしなぁ」

「あの人がいないと、ダメなのか?」

「うーん、はっきりダメって言われたわけじゃないんだけど……」頭を掻きながら、どこか行きたい場所があったかと考えを巡らせる。「でも、私と歩くの、面倒くさくて嫌じゃないの?」

「そ、そんなことは! あ、いや……」と、コハクマルは否定しかけたが、すぐに顔を伏せてまた爪をいじる。「ほら、あれだ……意外と足腰というか、体の運び方の修行になるというか……」

 ちょっと意外な反応だった。私と二人で歩くのなんて、疲れるから嫌だろうと思っていたからだ。

 そうか、嫌じゃないなら、せっかくだしどこか歩いていってみようか。近くで済ませるとおばあさんにあらかじめ言っておけば、付き人がいなくても案外許してもらえるかもしれない。

「いや、どこも行きたくないのならいいがな、雨も降るかもしれんし」と、なぜか気まずそうに態度を取りつくろいながら、話をそらすように彼はこう言った。「そういえば、あれだ。この村、他に子どもはどこにおるのだ?」

 一瞬、あれこれ思い出していた近隣の景色が吹き飛び、思考が停止する。

 …………。

 子ども?

「え?」

「子どもだ。まさか、おぬしだけということもないだろう?」

 ……?

 あれ?

 シィー……イィ……ーンと、耳の奥に長く、静寂の音。

 何か、大きなことに気がついた予感。だけど、それがなんなのかわからない不安。

 強張こわばる首を、コハクマルに向けた。

「子ども……そういえば、いないね……」

「いない? そんな馬鹿な」コハクマルは、笑う。「今はいないと、そういう意味か?」

 だんだんと、彼の言葉の意味が頭に浸透していく。それにつれ出処でどころのわからないジワジワとした恐怖が、喉元からゲロのようににじみ出してきた。

「ほ、ほら、これだけしっかりとした村だ。子どもがいないはずがなかろう? みなどこへ行っておるのだ?」

 コハクマルが、微妙な笑みを口元に貼りつけながら語ったその言葉に、私はいた口がふさがらなかった。

 ……子どもが、いない?

 とっさに頭に浮かんだのは、みんなの顔。

 リン、ゼンタ、ジロウ、アマコ、カイリ、イチロウ、イナミ、ソウヘイ、ヤキチ、ヨシ、カヤ、ゲン、タケマル……。

 その誰も、ここにはいない。

 この村には、子どもがいない。

 みんな、いない。

 あるのは彼らの人形だけだ。

 バチリと目眩がした。

 神社の人形たち……あの子たちから魂を抜き取ったか、あるいは魂だけを抜き出したかのようにたたずんでいる、彼らの偶像。

 ドロドロと、頭に嫌な重みを感じる。

 あの人形たちの中に、何かを見つけてしまったような、気がつかなくていいようなものに気づいてしまったような感じがして、胸に吐き出したくなるようなムカつきさえ覚えた。

「ど、どうした? 具合が悪いのか?」コハクマルの声が、遠くにくぐもって反響している。

「いない……」

「なに?」

「この村……子どもがいないんだ……」頭を手で押さえ、うなだれる。「なんで……そんなこと気がつかなかったんだろう……」

「そんな、たわけたこともあるまい」コハクマルは、くだらないことのようにハハッと笑う。「からかっとるのか?」

 ……なぜだ。

 どうして、子どもがいないんだ。

 ゴクリとつばを飲む。

 偶然会ってないだけだろうか? そんな馬鹿な。だって、もうひと月くらい前のことになるけど、私が村の中を散策した時には、確かに子どもなんていなかったじゃないか。それに、いくら私がおばあさんの屋敷に入り浸っていたって、村にいる子どもに気がつかないなんてわけがない。声も聞こえてこないだなんて、そんな馬鹿な話はない。全然、現実的じゃない。現に、コハクマルもこの村に子どもがいなかったと言っているじゃないか。

 それはつまり、この村には子どもが住んでいないってことで……。

 鳥肌が、じんわりと皮膚を刺した。

「おい、大丈夫かおぬし」コハクマルが、私の顔を覗き込む。「まさか、本当に子どもがいないとか言わんよなぁ?」

「コハクマル……私、行きたいところができた」

「ん? な、なんだいきなり」

 パッと、コハクマルに手を伸ばす。最初彼はその意味がよくわからなかったようだが、私が立ち上がろうとしているのに気がついて、彼も立ち上がりぐっと手を引っ張って立たせてくれる。

 杖を持って、でも、すぐにあることに気がついた。

「……ねぇ、コハクマル? 今日、ハクユに入った?」

「はくゆ? あぁ、あの熱湯のことか……入らんわ、あんなもの」

「じゃ、今すぐ一緒に入るよ」

 パチパチと、真隣で、大きな目が瞬く。「へ?」

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