すりかえる 二

 私は跳ね起きた。

 予想通り、鼓動が激しく波打っていて、呼吸も恐ろしく浅かった。

 汗で背中がぐっしょりと濡れ、眠ったという気が少しもしなかった。

 大きく深呼吸。

 吸って、吐いて……。

 ドクドクと並々ならぬ熱が、胸から吐き気を誘うほどにあふれてくる。まるでタツミさんが私を殴りつけていたあの日のようだ。

 隣には、寝息を立てているコハクマル。

 今の夢は、いったい?

 いや、違う、そんなことより……え、ヨシ?

 ヨシが、なんだって?

 外はまだ暗く、小雨がポツポツと軒先の木の葉を叩いている。雷はもうとっくに止んだようだ。

 おさまらない鼓動を必死の呼吸でほぐしつつ、ヤキチの言葉を思い返す。

 あの夜、ヨシが、ゲンの家の前に?

 それはつまり……。

 眠い頭を叩いて、なんとかあの夜……ゲンが血まみれで倒れていた当夜を思い出す。

 ヨシが現れたのは、子どもたちがゲンの作場の裏口にまで集まった後であった。つまりヨシが子どもたちが厠に行ったことに気がついたのは、みんながあの部屋を抜け出した、かなり後ということになる。それが、昨夜見た夢の中で得られた結論だったのだが……。

 ヨシが、その前にゲンの家に?

 ゲンの家って確か……。

 何度か見た夢の中にその情報があったような気がして、頭をひねる。

 モヤモヤして、半身を起こした時に閃いた。

 ……あ。

 思い出した。ゲンの家は、あの練習用の作場の目の前なんだ。だからゲンは夜中でもフラフラと人形を作りに行くって、ヨシがそう言っていたじゃないか。だとしたら、ゲンの家の前にヨシがいたということは、つまりヨシは作場の近くにいたという意味にさえなるのだ。

 なぜ?

 ゾワゾワと、指先が震える。さっきまでは眠っていたとは思えないくらいに頭が冴えていた。

 落ち着け。落ち着いて頭を整理しよう。

 ヨシが現れたのは、みんなが裏口にいた時だった。だから、もしヨシがゲンを殴った犯人なのだとしたら、ヨシは子どもたちに見られている前で裏口を飛び出して、すぐに子どもたちの裏から回り込んだことになる。あらかじめ子どもたちが厠に行っていたことを知っていたヨシがそんな真似まねをするとは思えない。裏だと見られる可能性があるならば、ヨシは表から抜け出せばよかったのだ。だって、村には人がほとんどいなかったのだから。だから、私はヨシは犯人ではありえないだろうと思っていた。

 でも……今考えてみると、もしヨシが焦っていたのだとしたら、そんな冷静な判断は下せなかったのかもしれないじゃないかとも思う。

 だけどヨシはカヤに対して、子どもたちが部屋からいなくなっていることを報告している。だから、ヨシがそれに気がついた時間的に、ゲンを殴ることはできないって……。

 でも、ヤキチがヨシを事件の前に見たというのが本当なら、そもそもこの前提を変えなければいけないだろう。その場合、どういう風に考えられるのか。

 少しだけ伸びてきた髪に、指を絡ませる。

 例えば、ヨシは子どもたちの不在に気がついたあと、それを追うふりをしてゲンの家及び作場まで行って、彼を殴り殺そうとした……と。だとすれば、ヨシが部屋を出たのは、みんなが厠へ向かった直後だろう。カヤにそれを伝えたのは、抜け出すための口実作りであったと考えられる。だとすれば、ヤキチの「ヨシがゲンの家の前にいた」という情報も納得できる。最初はゲンが家にいると思ったが、そちらにはいないとわかって、作場まで探しに行ったのだ。そしてゲンを殴って抜け出したところ、丘の上から子どもたちが見ていたことに気がついて、慌てて一計を案じてその裏に回り込んだとか。

 ……ん?

 あれ?

 それ、何かおかしくないか。ええっと、どこかに決定的な矛盾があるような気が……。

 ゴシゴシと目をこすって、小さな雨音に耳を澄ましているうちに、鼓動もいくらかおさまっている。チラッと寝ているコハクマルの顔を見ると、一瞬薄目が開いていたような気がした。でも静かに寝息を立ててるし、気のせいだろう。

 さっきの推理で、何か変なところ……。

 あ、わかった、作場の明かりだ。あの時あそこに点っていた明かりは、私にはよくわからない話だが、ゲンが使うものではなかったらしいじゃないか。だから私は、ゲンは後から来て殴られたのだと推理したし、多分それは間違いではない。

 つまり、もしヨシがゲンを殴った犯人だとしたら、ヨシはゲンが来る前にあの作場で待っていたということになる。

 なぜ?

 ゲンが後から来た理由なら、いくらでも想像がつく。人形作りをしにいったのかもしれないし、練習場に誰かがいるのに気がついて見に行ったのかもしれない。でもヨシに関しては、具体的な理由が見当たらない。

 それに……ヨシがゲンの作場に夜出現したと考えるには、一つ、大きな疑問点がある。

 それは、彼女がカヤに子どもたちの不在を報告したこと。

 ヨシがあの夜一人抜け出していたのだとしたら、彼女はカヤとリンがいた部屋に、一度戻ってきたという可能性も考えられる。その場合、ヨシはまず先に部屋を抜け出して、理由はわからないがゲンの家の前に立ち、また戻ってきたところで子どもたちが厠に行ってることを発見し、それをカヤに報告した……と、そういうことになるだろう。それなるとヨシは犯人じゃないということになるが……怪しい行動をしていたという点だけは引っかかる。

 その後もいくつか可能性を検討してみたが、いずれにせよ、ヨシがカヤに報告をした事実がどうにもしっくりこない。その行為がどうあっても無駄なのだ。

 それでも心がこんなにもざわつくのは、ヨシが自分から村にいたことを、誰にも、一言も話していないせいだろう。もしあの夜に、事件とは全く関係のない理由でヨシが村にいたのならば、その時のことを話さないわけがない。たとえヨシがその夜何も目撃していなくとも、会話にも上らせないというのはおかしいのだ。どこかで必ず、「私は誰も見ていないのよ」と言わなければならない。夢の中で、何度かヨシが事件のことでタケマルと相談しているのを見たのだけれど、そんなことは言っている場面に出くわしていないし、また、タケマルもそれを知っている素振そぶりを見せていない。

 ……ヨシは何かを隠している?

 そんな風に見えたことはなかったけれど……。

 何より、あのヨシが、そんな後暗うしろぐらいことをするだろうか?

 ……やっぱり、あれはヤキチの嘘だったという可能性も捨てきれない。自分の罪を彼女に着せるためにゲンに告げ口をしたのだと、そうも考えられる。

 だけど、なぜゲンに? 当人とはいえ、一番それに興味がなさそうな彼にそれを言うか? 報告するならタケマルだろう。それに、罪を着せるにしたって、なぜヨシを選んだのだ? あんなに周りからの信用が高いヨシを犯人に仕立て上げるのは、いくらなんでもちょっと無理があるんじゃないだろうか。

 でも、ヤキチって馬鹿だし……。

 結局腑に落ちる答えは見つからないまま、寒くなってきたので、私はコハクマルに重なって目を閉じた。

 次は悪夢ではなく、何か推理の種になるような情報が得られることを望みながら。

 あの蛙女がヨシと被るのは、いやだったけれど……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る