第六章 すりかえる

すりかえる 一

 雷のせいだったのだろうか……。

 その夜見た夢は、いつもと感じが違っていた。

 場所というか……この夢は確かに、みんながいるあの村であるという実感はあった。姿は見えずとも、声は聞こえずとも、ゲンやヨシたちの息遣いが、確かに夢というの中に満ちていた。

 ここは、あそこだ。

 だけど、明らかにいつもと違うのは、夢がいつまでも具体的な形をなさなかったということ。

 揺らぐもやが視界を覆い、景色も曖昧なまま伸び縮みしていた。

 わかるのは、暗いということだけ。

 雷鳴が遠くから響き渡り、その音に合わせて、夢もひずむ。

 どこかで誰かが泣いてる声が聞こえる。

「…………」

 誰かが、何かを訴えている。

 何を言っているかさえわからないほど、その声はくぐもっている。

 あれは、カイリ?

 その顔が、人形の首のように転がっている。

 彼女の作った唄が、木々のざわめきのように頭の中に残響しているが、耳に残るのはその、単調なふしばかり。

 彼女の影は、やがてまた一条の雷鳴と共に、フワッと消え去る。

 ポチャン……ポチャン……。

 私は歩いていた。

 光に向かって、影を歩んでいた。

 いつも見ている夢よりも、ずっとしっかり、自分の足で歩いていた。

 みんなの人形が、その脇に散らばっている。

 どれも首が外されていて、半面を土で汚している。

「お兄ちゃん……」と、アマコがうめいた。その言葉だけなんとか聞き取れたのは、きっとそれが聴き慣れた言葉だったから。

 ほかの声は、相変わらず、何もわからない。

 いろいろな声が同じ言葉を発し続けているのはわかるのに、何を言っているのかはわからない。

 空中にアマコの目が、月が二つあるみたいに闇の中にゆらゆらと浮かび上がったが、すぐにバラバラに崩れていく。

 ゲコココココ……と、蛙の鳴く声。

 階段がどこまでも続いている。

 やがて私が立っていた場所。そこはあの神社であった。

 大きな屋根の上から、黒い鳥が飛び立っていく。

 この先に行ってはいけない……。

 なぜか、そう思った。

 この先に行くと、何か怖いものを見てしまうような気がしたから……。

 形のわからない影法師が、私の横をスー……ウゥッ……と、通り抜けていく幻覚。

 気が付けば私は、神社の中へ。

 ゴォゴォと、靄がいよいよ渦を巻いて、蛙の口のように、世界を飲み込む。

 棚に置かれた人形たち。

 ひとつ残らず笑った顔で、ひとつ残らず泣いている。

「…………ぇ」

「………っ」

 と、人形たちが、ささやいている。

 とても不気味だった。

 ポチャン……ポチャン……。

「どうして、こんなことに……」

 誰?

 わからない。

 だけど……。

 暗く閉ざされた神社の中に、誰かが立っているのを見た。

 ゲコココココ……。

 神社の奥、白い幕で隠された祭壇の前に、女が立っている。

 蛙の顔をした、女が立っている。

 あまりにも恐ろしい風貌だった。

 恐ろしすぎて、私は悲鳴をあげたかった。

 今すぐにでも夢を終わらせ、暴れだしそうな胸を抑えたかった。

 でも、ピクリとも動けない。

 蛙女も、動かない。

 ずっとその場所に、留まっている。

 それが何よりも恐ろしいのだ。

「……タタリだ」

 太い声。

 くぐもった、男か女かもわからぬ声。

 あの忌まわしき蛙女の口から、響いてくる……。

 ゲココココという鳴き声と一緒になって、聞こえてくる。

 ただ一つ、ハッキリと耳に伝わる。

「全ては、タタリだ」

 キリキリと、全身に悪寒が走る。

「……て」

 か細い声が、背後から響く。

 今まで空間を満たしてきた、言葉のわからない声。

「……けて」

 少しずつうるさく、少しずつ明瞭に、私の耳に、届いたようだ。

「助けて……スミレぇ……」

 血走った目が、暗闇に瞬いた。

 ピシャアッッと、また雷鳴が轟く。

 気が付けば、村を囲む森の中に。

 蛙女の影が木々の間へと消えていったのを、追いかけようとした、その瞬間。

 鈍い衝撃が、頭に走る。

 ザパーンと水しぶきが顔にかかり、意識が濁流に飲み込まれて、かすんでいく。

 深く深く、どろどろに溶けて、沈んでいく。

 光が一つ、私のはるか頭上に輝いているのに、ここは暗い。

 タタリ……。

 その言葉だけ、痛烈に、赤い色で魂に刻み込まれる。

 痛み。

 それは確かに痛みだった。

 叫び出したくなるような、誰かを傷つけたくなるような……。

 しばらくずっと、そんな悪夢を見ていたような気がする。

 それがいつ終わったかはわからない。

 ただ、気がつけば私はいつものような夢の視点……だけど、少しだけ暗く曇った視界の中に、布団に座っているゲンの姿を認めていた。

 そして……ゲンの前にいるのは、ヤキチだった。

 たった一人で、ヤキチはゲンと向かい合っていた。

 景色の全てが、水の中から見ているかのように、波立っている。

「ゲン……あの夜、お前、あいつに会ったのか……?」

 視界と同じくらいに霞んだ声で、ヤキチは話す。

 いつもとは雰囲気が違うのは、気のせいだろうか。

「あいつって?」

 ゲンが、聞き返す。ここからは、その顔は見えない。

 ゲンの声は、いつも通り。

「俺……あの夜、見たんだよ……」

 ヤキチは、目を伏せて、呟く。

 雷鳴が、だんだんと近づいてくるような気がして、胸が苦しかった。

「……あの夜、お前の家の前に……ヨシがいたのを」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る