おきかえる 八

 その夜の話である。

 あれだけ朝は晴れ渡っていたのにも関わらず、夕方には空模様がかなり危うくなっていたのが、いよいよ雨が降り出すだろうかという頃合。私の寝泊りしている部屋におばあさん、ギンジさん、シズさん、クニミツさん、それにコハクマルが集合して、和やかに語らい合っていた。どうしてこのみんなが集合しているのかというと、まあ偶然としか言えないだろう。私がコハクマルを帰さないで話し込んでいたら、クニミツさんとギンジさんが顔を出して、ギンジさんがクニミツさんの仕事振りをたたえていたところでおばあさんとシズさんがお茶を運んでやって来たのだ。

 そのお茶も私はさっさと飲み干して、なんだか滝のような音がゴロゴロとなっている空を眺めていた。

 なんの音だろう、これ……。

「そうですか、もとは木地師きじしの一族でしたか」クニミツさんが茶をすする。

「それが、今は神社に納められている蛙石かわずいしに宿る神様のご加護を得て、ここに定住したのが村の起こりでしてな」おばあさんが説明を続ける。「そのご加護のゆえに、この木に恵まれた土地を何者にも侵略されず、温泉も湧き、ままにも困らぬ。まこと、ありがたい限り……」

「キヨ様は当代の神代女かみしろめでありますから、占いのわざも備えてらっしゃいます」と、ギンジさん。「クニミツ殿も、いかがでしょうか。この占いはそれに関わるものの一大事にのみ許されたものですが、貴殿らの立場は十分、差し迫ったものと言えるのではないでしょうか」

「占いですか……それはそれは」クニミツさんはいつの間にかヒゲを剃った顎をさすって、くすりと笑う。「なるほど、それは是非お願いしたいものです」

 まじまじと、クニミツさんの顔を見る。髭を剃ったせいだろう、最初見たときよりもいくらか印象が若返ってるように思える。森の中で老けて見えてたのは、きっと山歩きで疲れていたからなんだろう。今のところ、あまりこの人とは話していないものだから、どんな人なのかはイマイチわかっていない。とりあえずわかっているのは、コハクマルはこの人をめちゃくちゃに尊敬しているってことくらいか。男だの女だのと変なことを言っていた彼をあっさり説得してしまったことからも、それはうかがえる。

 顔を眺めているうちに、クニミツさんと目が合った。この人は、いつでも目を細めて頬を緩ませたままの、笑ったままのような表情をしている。雰囲気はどことなくクダンさんと似ているけれど、背格好とか姿勢とかが放つ、空気感が全然違う。端的に言えば、クニミツさんの方がかっこいい。

 ……そういえば。

「クニミツさんって、何をしてた人なんですか?」私は聞いた。

 キョトンと、空気が固まった。

「お、おぬし、何を言っておるのだ?」コハクマルが、私を睨む。

「あ、えっと、つまり……」私は聞きなおす。「ケンジュツって、何をするものなんですか?」

 ガクッとコハクマルは肩を落とした。「そういえば説明していなかったか……」

「うん、されてない」

 クニミツさんは、変わらぬ笑顔で私に微笑む。「剣術とは、つまりは刀をうまく使う技を鍛えるということです」

「カタナって、あの剣のことですか」

「はい」

「使うって、例えばどうやってです? 魚切ったり?」

「魚か」ふふっと、ギンジさんが笑った。隣からは呆れ返っているコハクマルの視線を感じる。でも、わからないものはわからないんだから仕方がないじゃないか。

「うーん、魚をさばくには刀は大きすぎますね」と、クニミツさん。「斬るならばもっと大きなものになるでしょう」

「大きいもの?」そういえば、松をヒトタチとかって言ってたっけ。「例えば、木とかですか? あ、でもそれなら、斧でもいいですよね?」

「全くその通りだと思いますよ。私も薪割りには斧を使いますから」

「じゃあ、刀ってなにを切るものなんです」

「人です」あっさりと、クニミツさんはそう答えた。

「え?」

「刀は、人を斬るために鍛えられたものです」

「ひ、人?」ぎょっとする。「人を切るんですか?」

「剣のワザは、戦場のわざ。その技術は人を殺めるために磨かれたもの。私の流派は示現を源流としたものですが……その理念の根本は、一太刀で人体を両断するという一言に集約されます」

 ぞわっと、腰にまっすぐ刃が通ったような違和感を感じて、肩が縮こまった。

 ゴクンとつばを飲む。

 クニミツさんが、急におっかない人になってしまった感じがした。

「じ、じゃあ……」でも、好奇心で、恐る恐る質問を投げてみる。「クニミツさんって、人を殺してた方なんですか?」

 私の質問で、また私以外のみんなの空気が凍りついた。シズさんはカッと目を見開いて私を睨んだし、おばあさんの岩の裂け目のような細い目も、わずかに暗い明かりが灯った気がした。

 だけどクニミツさんだけは、とても機嫌のよさそうな笑顔で首を横に振った。「いえいえ、人どころか、獣を殺めたこともありません。そして願わくば、一生このままでありたいものです」

 変なこと言ってるなと思った。

「え、でも、剣って人を切るためのものって……」

「はい、その通りです」クニミツさんは答える。「私は人を斬るための鍛錬を、人を斬らないまま、人は斬りたくないと願いながら行っています」

 …………。

 ?

 何を言っているかわからず、答えを求めるように隣のコハクマルの顔を見た。だけど彼も話を飲み込めないとばかりに、唇を噛んで考え込んでいる。

 なのでまた、私は単純な質問をぶつけてみる。ギンジさんの、「あまりそういうことを聞くものではないぞ」とでも言いたげな視線は気になったけど……。

「な、なんのためにです?」

「ふむ、簡単なようで難しい問いですね」そう言いながらクニミツさんは、悩むコハクマルへと笑いかけた。「コハクマルは、なぜ剣の道をこころざしましたか?」

 みんなの目線が、彼に集中した。

「せ、拙者ですか?」気まずそうにコハクマルはうつむく。「拙者は、あの、次男でありますから、お家を出て身を立てるために……」

「どうして、刀を選びましたか?」

「え?」

「市井で身を立てたいのであれば、他にも道はあったでしょう。現にこの村は、人形や木彫りで立派に暮らしていけているのですよ。コハクマルは、なぜその中で剣の道を目指しましたか?」

「それは、その……」ますます困った顔で、コハクマルは頭をかく。「なんと言いますか、他に何もできなかったとしか……」

「その通りですね」クニミツさんは満足げに笑った。「他に何かできることがあれば、他の何かでもよかったわけです。もしあなたが長子であれば、もちろんお家を継ぐことになったでしょうから、剣の修行も今ほどは望めなかったでしょうしね」

「そ、そういうわけでは……」なんだか慌ててコハクマルは、両手を突き出してブンブンと振り回した。

 だけど、クニミツさんは彼を制して、話を続ける。「私もそうでした。私はたまたま帯刀を許された刀の名家に生まれ、ものを考えるよりも前からずっと剣の腕ばかりを鍛えさせられ続けてきました。私も、それを疑問には思わなかった。そして気が付けば、ただ刀を振っていれば生きていくには十分なお金をいただけるようになってしまっていたのです。私は、それだけの人間です」

「刀を振ると、お金が?」どういうことだろう。

「わかりやすく言えば、刀の振り方を人に教えるということです。それが私が今、剣を持つ理由です。さて、いかがでしょうか、スミレさん」

 急に名前を呼ばれて、ビックリする。「え? えっと……つまり、お金のため、ってことですか?」

「はい、そうかもしれません」

「でも、なら、もっとこう、なんといいますか……」と、釈然としないまま私は大人たちを見回した。だけど彼らもなんだか真剣に話を聞いて、真剣に考え込んでいるようである。

「ふむ、そうですね。ではもう少し話しますか」一人涼しい顔のクニミツさんが、腕を組んでまた笑った。「道……と、いうものがあります」

「道?」

「はい、道です。生き方と言ってもいいですね」

「生き方を、道と言うんですか」なんとなく、なるほどって思った。

「人は誰しも生きるため、日々の糧を得るためには、何かを成さなければなりません。ですが限られた一生の中、それを自分で選ぶのは難しいものです。むろん、選べるのならば自分で選ぶのが一番なのですが……今はまだそういう時代ではなくとも、ゆくゆくは無理強いのない世界になるのが望ましい。昨日、そういう話をしましたね、コハクマル?」

「はい……しました」コハクマルは気まずそうに頷く。

「ですがなんにせよ、選んでしまえば全ては道です。商いも、畑作も、茶の道も、剣の道も、禅僧の修行も……家を継ぐことも、あるいは一つの道であるのかもしれません。子を生み育てることも間違いなく道でしょう。それをあえて刀に求める理由を問われれば、それは強く在るためということになりますかな」

「強くあるため、ですか」ギンジさんがうなった。「なるほど」

「ええ。自分を守るため、家族を守るため、そのためならば剣の業にも意味があるでしょう。しかし、剣の業は、その強さゆえに簡単に道を外れうるものです。なんといっても刀は危ないですからねぇ」

「ですよね?」私は身を乗り出した。それが私の心配だったのだ。生きていくにしたって、わざわざそんな危ないものを選ぶことはないだろうと。

「はい。刀は危ないです。先程は私は生きるために行うことを道と言いましたが……しかし、生きるためにできることは、必ずしも良いものばかりではありません。盗み、欺き、それこそ、辻斬り……身に余る富を求めることも、それに値するでしょう」

「はあ」

「どんな道もそうなのですよ。生きるための業は、いつだって浅ましく、卑怯なものへと転じうるのです。中でも剣の道は人を殺してしまいかねませんから、最悪ですね」

 シズさんが口に手を当てた。このクニミツさんって人は、けっこう変な人らしい。

「剣の道は、様々な意味で危険です。奪うことにも守ることにも使える剣の業。奪う者の振るう刀は恐ろしい力です。そして、その業から身を守るために必要なのは、やはり刀なのです。私が刀を人に教えるのは、そのためです。万が一悪の業を振るものに襲われたとき、身を守るための剣です。身の置き方を誤れば、殺人の大罪をも犯しうる剣の業。なればこそ、自分や大切な人を守るためにその刀を振るうのだと、それが、今の世の武士の在り方であると、コハクマルの父上はそうおっしゃっていましたね」

 ちょっと、おーっと思った。だけどクニミツさんの話は、思ったのとは別の方向へと進んでいく。

「それは誤りでは決してありません。ありませんが……しかし、結局は危険も孕んでいます。刀の技術は磨かれれば磨かれるほど、その業が誰かに伝われば伝わるほど、どこからかその知識は漏れ出して、悪人も強くなっていくのです。当世、良き人々にのみ刀を伝えども、幾代かの後には、その業が恐ろしき悪行に使われることもありうるのでしょう」

 ……ふむ。

「なれば正しい剣の道とは、それを振るわず、誰にも伝えぬまま終わらせることなのかもしれませんが……それもまた危険を孕みます。善き人々だけが刀を捨ててしまえば、世は悪人の天下です。さあ、どうしましょうか?」

 うーん……。

「答えはね、わからないのですよ。きっと、私たちが何を思おうと、何を選ぼうと、時代は人の意志など気にも留めてくれません。私の名前も一代もしないうちに誰も思い出さなくなるでしょう。ではその中で、人の道とはなんなのでしょうか」

 ギンジさんと、それと珍しくシズさんも、少し目を伏せて考え込んでいる様子である。だけどおばあさんは和やかに、目を閉じて眠るように微笑んでいる。おばあさんにはやっぱり話がわかっているんだろうか。

「まあ、つまりはそういうことです。人の道に大した意味はありません。ただ、私がこの場で、私のために成す、それが私の剣の道です。刀である理由は、たまたまですね」

 ちょっとだけ私は納得したが、コハクマルはどうもものすごく釈然としない顔でクニミツさんを見つめていた。彼はきっと、剣の道には真面目に向き合っていたのだろう。

「なんであれ、没頭するのはよいものですよ?」と、やけに砕けた雰囲気で、クニミツさんは片眉を吊り上げた。「私が振っているのはだたの刀ですが、これで巻藁まきわらを横一文字に斬り倒せるまで、腕が取れそうになるまで振り回したものです。そうやってある目標に向かって一心に向き合っていくと、外で起こることが気にならなくなります。世の騒乱、空模様、自分の空腹でさえ、あまり意味のないものに感じられ、それよりもこの巻藁を斬らねばと思うのです。そしてそんなことを更に百回、千回と繰り返していくうちに、気が付けば目標さえも消えて、世界はくうになります。そこまでいくと、もはや自分というものが大した意味がないものなのだと気が付けます。面白いでしょ?」

「おもしろい……ですかね?」私も、笑った。

「スミレさんには、何か没頭できるような、好きなものはありますか?」

「好きなものですか……」少し考えてみる。「うーん、外歩くのは好きですけど」

「なるほどなるほど」

「きっと、私は多分、なんでも好きですね」言いながらちょっと恥ずかしくなって、私は頭をかく。「見るもの全部新しくて、全然飽きないですから……記憶がないのも、案外楽しいかもって……」

「いやいや、素晴らしいですな」

 と、話が盛り上がり始めた矢先であった。

 にわかに轟音が鳴り響いたと思うと、空に一条、光の線がビカリと走った。

 ピシャア!!!

 ゴロゴロロロッッッッ……。

「お、雷ですな」と、ギンジさん。

「ええ、なかなか近いですな。山火事にならぬとよいですね」と、コハクマル。

「心配することはないぞ、ぼん。山火事がこの村に届いたことは一度もないのだ」ギンジさんは堂々と笑う。「これもまた、ご加護のおかげであろうな」

 と、和気藹々あいあいな空気は崩れぬまま、みんなは話を続けている。

 だけど……。

 私は体がピクリとも動かなかった。

 全身が、衝撃に打ち震えていた。

「……スミレさん?」シズさんが、私を心配して声をかけたその刹那。

 また一条、光が走る。

 おぞましき轟音が、山の上から遥かな力で響き渡った。

 それに負けないぐらいの絶叫が、腹の底からせり上がった。

 そのまま近くにいたコハクマルに飛びつく。

「おぶぇっ!!?」

 また、雷鳴。

 また、悲鳴。

 コハクマルの背中に隠れるように飛び込んで、人肌の温もりに、必死ですがる。

「な、なんぞ!!? どうしだ、あ、やめい、くるぢい……」

「ひぃ……い……」

 また、ピカっと空が光る。

 その衝撃が、意識を吹き飛ばす。

 なんだかもう、頭がめちゃくちゃだった。

 体の芯、その深く深くにまで、混迷と錯綜さくそうが行き渡り、呼吸が不規則に震えていた。

 目からは次々と涙が流れ、それでもなお恐怖は止まらない。

 その音の大きさ。

 空気の全てが轟いているような、途方もないまでの震えが、全身を包むように襲いかかる、そんな錯覚。

 空の上で何か、途轍とてつもないことが起こっている。

 そこで何かが、怒っているような。

 雲が引き裂かれているような。

 想像もつかないくらいにの大きさの意志が、断罪の刃を振り下ろしているような。

 足が、痛い。

 だけど、体が言うことを聞かない。

 爆発する空の狂気。

 今までで一番大きな雷が、耳を裂いて飛び込んでくる。

 全身、力む。

「あ、いぎぎぎい、や、やめいっっ!!?」コハクマルも、叫んでいた。「死ぬ、しぬぅ~……っ!!!?」

「ははははは……」と、おそらくギンジさんの笑う声が聞こえてきた。「そうかそうか……雷が怖いか」

 フフっとシズさんが、続いておばあさんとクニミツさんも、笑ったようだ。

 それはそれは嬉しそうに、笑っているのだ。

 血の気が引く。

 ……信じられない。

 なんで、笑ってるんだ? 意地悪なのか?

 こんな怖いもの、みんな平気なのか?

 カエルくらい、信じられない。

 ……この日は、コハクマルと寝た。

 だって、離れられなかったんだもの。

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