おきかえる 七

 昨日見た夢の内容に思いを馳せながら、軒先で、コハクマルがシズさんから借りてきた竹箒を縦に何度も素振りするのを眺める。

 ヨシだからわからないこと……うーん……。

 ぶんぶんと、棒きれが風を切る音が鳴る。

「コハクマル、無理してない?」と、顔中にテカテカと汗をかき散らしているコハクマルに聞いてみる。

「そんなことはない」彼は答える。「むしろここ数日稽古ができずもどかしかったのだ。早いところ勘を取り戻さねばならぬ」

「稽古って、振り回してるだけじゃない」

「腕の力を鍛えておるのだ!」ムキになったか、一度手を休めてコハクマルは私を睨む。「稽古に耐えうる体を作るのも立派な稽古なのだ」

 なんだか受け売り臭い言葉だなと思った。多分、師匠のクニミツさんから聞いた言葉なんだろう。

「ねえ、そういえば、それってなんの稽古なの?」

「なんのって、剣術に決まっておろう」

「ケンジュツって、なに?」

「はあ?」またコハクマルは手を止めて、私を見る。「剣も知らんのか、おぬし」

「だって、記憶がないんだもん」

「なんぞそれ」

 と、彼が鼻で笑うので、ちょっとムッとした。

「何も覚えてないのよ」わざと悲しげな表情を見せながら、ため息をつく。「なんでこの村に居るのか、どこで生まれたのか、全部わからなくて……」

「……どういうことだ?」

「えっとねぇ……」

 かいつまんで、私の事情を説明する。目が覚めたときのこと、自分の名前しか思い出せなかったこと、それと足を怪我している理由も……コハクマルも途中から真面目に聞いてくれてる気になったらしく、棒振り稽古をやめて、軒先の、私とは少し離れたところに腰を下ろした。

 頭を整理しながら、自分が悩んでいる現状を話してるうちに、段々と胸が苦しくなってきて、気が付けばちょっと泣きたい気持ちになっていた。コハクマルに、こっちは本気で悩んでいるのだとわからせるためにしていた演技が、いつの間にか本当になってしまったらしい。

「それは、災難だったのう……」なんだか申し訳なさそうに、コハクマルは頭を掻く。「そうか、おぬし、この村のものではないのか……」

「うん」晴れた空を見上げながら、できるだけ明るく頷く。

「何も思い出せんとは……不思議なこともあるものだ」

「変な気分だよ。ホント、わからないことばっかりで……」私は、ため息。「どうして私があの湖に流れ着いてたのか、村の人にもわからないって言うんだもの」

「まあ、拙者の住んでいたところからも遠いからな、ここは」

 コハクマルの住んでいたところか……。「ねえ、コハクマルはどこから来たの?」

「ん、拙者か。拙者はなあ……」と、彼は顎に手をやりながら話し始めた。「記憶がないなら、カスガ家と言ってもわかるまいな。なんと言えばよいか……それなりに立派なところのなのだが」

「へえ、コハクマルが」

「うむ。とは言っても、拙者は次男であるゆえ、世継ぎとはなれぬがな。なればこそ拙者は剣の道で身を立てようと思い立ったのだ」

「はぁ……」ミを立てるって、なんだろうか。

「それゆえ師匠のご指導を受けて、今でも精進しておるわけだ。まあ、師匠はそもそもは兄上の剣術指南役であって、拙者は無理を言って一緒に修行させていただいていただけなのだがな……それでも、身の丈さえもう少し育てば、すでに兄上よりも腕は立つものと自負しているぞ」

「コハクマル、強いんだ」

「無論だとも!」鼻高々に、コハクマルは腕を組む。「親に言われたから修行していただけの兄上に心技で負ける道理などあるわけないわ! あとは体が揃うのみ!」

 タイ? 帯? 他意? ……まあいいか。

「で、それがどうして、こんな山の中に逃げてきちゃったの?」

「あぁ、それはなぁ……くそぅ、今でも腹が煮えくり返るわ」

「なになに?」

「師匠は大変に立派なお人柄であるのは、おぬしも既に感じ取っておることだろうが、あの方はまことに慎ましきお方でな。あれほどの剣の腕を持ちながら、住む家は市井しせいから離れたあばら屋で、ただ一人質素なままを喰らいお湯を飲み、空いた時間は薪を割って暮らしておられる。父上や母上も師匠をたいそう気に入られておったから、住む場所の手配も進言されたのだが、師匠はそれを身に余る申し出と断りなさるくらいでのう。言葉の重みも一つ一つが他の者とはくらいが違う。刀を振れば立派な柳が一太刀で真っ二つと、まこと仙人とは師匠のような方を言うのだろう。それをあの叔父上が……」

 ガバっとコハクマルは立ち上がり、眉をきれいに逆八の字に釣り上げて、私の前を行ったり来たりと歩き始める。

「拙者の叔父上は、身内であるのが恥ずかしいほど情けのない畜生のような人間でなぁ。婿養子の口もなく、世に出るには大した才もなしと、武家の風上かざかみにもおけぬ軟弱な人間なのだ。結局はちまた居所いどころなしと、父上に擦り寄るような形で屋敷に居座り、日がな一日寝てばかりいるうつけ者だ。拙者もああはなるまい、剣の道を志したのが始まりであった」

「うわ、ヤキチみたい」

「なに、なんと言った?」

「なんでもない。続けて」

「ふむ。それであの叔父上は、自分が情けのない穀潰ごくつぶしである身の上であるがために、武家のものではない師匠が気に入られていることをねたみ、いたく腹を立てておった。近くを通れば嫌味を吐き、父上に誹謗中傷を吹き込む始末。こっそりと草履の鼻緒を切るような真似まねさえしでかしたりと、何かと嫌がらせを欠かさぬ、ほんにどうしようもない人柄であったのだが……」

 ピタリと、コハクマルの足が止まる。

「……師匠は、もっと早くあの痴れ者を告発するべきであった。叔父上の悪行は、日に日に常軌じょうきいっし始め、あの日ついに武家のものとしてはなはだ醜き所業をしでかしたのだ」

 なんとなく、つばを飲む。

「叔父上は、父上が流行病はやりやまいで倒れるのを見るやいなや、どこから手に入れたのか聞いたこともないような毒物を師匠の住まいと父上の湯呑ゆのみに忍ばせて、堂々と糾弾したのだ。ほんに、なんと恥知らずの下衆げすであることか」

「うわぁ……」不謹慎だが、ちょっと楽しくなりながら話を聞く。

「それに、母上も母上じゃ。父上が倒れたことで動転して、あっさりと叔父上の妄言を信じる始末……兄上が機転を利かせて師匠を逃がしてくださらなければ、今頃は打ち首であったかもしれん」

 なんだか壮絶だなぁ……。

「でもそれじゃあ、コハクマルまで一緒に逃げることなかったんじゃないの?」

「……拙者は所詮は次男坊。もとよりお家を継ぐこともなく、やはり叔父上のように婿の口もない。いずれは市井に出て道場を開くか、浪人としてどこかよい家に召し抱えられるのを待つよりほかに道は無かった身。師匠を追って飛び出したことに、後悔はない」

「でも、家族にもう会えないかもしれないんでしょ?」

「…………」

「あ、ごめん」思わず、口をつぐんだ。ちょっと考えなしに聞きすぎたか。

「いや……何を謝ろうか」コハクマルが、この日初めて、まっすぐに私を見た。「武士に二言はない。拙者は……もう、意を決したのだ」

 その精悍な表情に、少しだけ感心する。けっこうすごい奴じゃないか、コハクマル。

 だが、すぐにコハクマルは気まずそうな表情で、ぷいっと横を向いてしまった。やっぱりちょっとは後悔しているのかもしれない。

 しかし、そんなコハクマルを見て私は、ふと、あることを思いついた。

「ねえコハクマル、二人で散歩に行かない? 今日ってギンジさんいないのよ」

「む? ギンジさんとは、おぬしと居たあの男か?」

「うん。ほら、滝とか見に行きたいでしょ」

「滝かぁ」少し乗り気になったように、コハクマルは笑う。「だがおぬし、脚はよいのか?」

「ううん。だから、肩貸してよ」杖を使って立ち上がりつつ、彼に近寄る。「そしたら、けっこう早く歩ける気がするから」

「へ? あ、わわ、待て……!?」

 半歩下がりかけたコハクマルを捕まえるくらいのつもりで、その肩にもたれかかった。

 右腕をしっかりと首にかけ、体重を預ける。左手の杖は、いつも通りに。

 びくんと、コハクマルの体が震えた。「ん……んな……何をして……」

 うん、よし、いい塩梅あんばいだ。

「これでちょっと歩いてみて」と、コハクマルの顔を見る。まだ素振りの疲れが抜けていないのか、顔が赤い。「おーい、コハクマルぅ?」

 コハクマルはしばらく目を下に落として、ガクガク顎を振るわせていたと思ったが、ハッと上を向いてブンブン片手を振り回す。

「お……っ……おぬしは……前……なんでそんな、はしたない……」

 あぁ、また変なこと言ってる。

「いいからほら、歩いてみてよ」

「ぐぬぅ……」首を目一杯に私から反らしながら、渋々肩に回された私の腕を支えて、ゆっくりと歩き出す。

 その歩調に合わせて、一歩一歩、歩いてみる。最初は少し慣れなかったが、どうやら私がコハクマルを引っ張って行くようにして歩くと具合がよいことがわかった。そうするとなかなかどうして思い通りに進めて気分がいい。片手だけ杖でつくよりも断然早く歩けるようだ。まあ、コハクマルとしては遅くなって迷惑だろうし、そこはしっかりと後でお礼を言っておこう。

 二人で歩くと、暖かくて気持ちもいい。この着物、今の時期には少し涼しすぎるのだ。コハクマルが来てくれてよかった。

「うん、いい感じいい感じ」

 その後しばらく練習してから、すぐに私たちは屋敷を出て裏の山へと歩き始めた。最初しばらくは私が転ばないように気遣うのが忙しいのか、コハクマルは集中していて全然喋らなかったけれど、ちょうど屋敷を囲う竹柵の裏に回ったあたりでコツを掴んだのか、そこからはそこそこ仲良く会話もできた。

 その間に、コハクマルがいた町のことを色々と聞かせてもらった。もしかしたらその中に私の記憶の手がかりがあるかもしれないし、聞いて損はないと思ったから、割と耳を澄まして聞いてみた。だが、あいにく気になるような言葉は一つもなかった。美味しそうなお菓子の話だとか、人が集まるエンニチだとか、興味の湧く話はたくさんあったのだけれど……驚いたのは、コハクマルのいた町ではやはりお湯に浸かる習慣がなかったことか。その代わりなのか、向こうではユカタというものを着たまま、お湯の湯気で満たされた室内で汗を流すらしい。なんだか聞いてるだけでも呼吸が苦しくなりそうだった。

 それと、一緒に温泉に入ったときに、どうしてコハクマルがすぐに自分が悪かったと認めたのかも聞くことができた。

「それは……なんというか、師匠がなぁ」気まずそうな顔で、コハクマルは目を反らす。「師匠がおぬしの方が正しいとおっしゃるから……」

「え、じゃあコハクマルはまだ女は……」

「いや! そんなことは……その……」と、焦ったようにコハクマルが立ち止まるものだから、引っ張られて転びかける。「あ、すまん」

「ううん。で?」

「で、と言われても……師匠曰く、人には役割が振られ、それを受け入れて初めてこうあるべき、と言われうる存在となるのだから、それを受け入れていない者に何かを強要してはいけないとか……」

 おぉ……。

 うん、立派な人だ。

「へー、クニミツさんっていい人なんだね」

「いい人もなにも……」なんだか呆れたようにコハクマルは笑う。「拙者が無理を言って道連れを願ったというのに……眠ったままの拙者をおぶって山を上ったり、食事を恵んでもらうために大切な刀を差し出すようなお方ぞ」

「あぁ、そうだったね」私も笑った。「ほら、歩こ。もうすぐだよ」

「うむ……」ノロノロと、ぎこちない行進を続ける。「ええい、こうして並んで歩くのはまどっろこしいな」

「でも、コハクマル、滝の場所わかんないじゃん」

「そうであるが……」

「それに、稽古もしばらくできないから、体だけ鍛えておくように言われてるんでしょ?」

「こんなものでは何も鍛えられんよ」

「じゃあ疲れなくていいじゃない」

「おぬしは本当に減らず口よなぁ……」

「えへへへへ、気がついた?」

 二人分の足音が、落ち葉の上にサクサクと響く。同じような間隔で生えている木々の隙間で見慣れない鳥がクックックッと鳴いていた。

 そういえばクニミツさんは、この村にしばらく居座る条件として、山で木を刈り、種を植え直す仕事を手伝っているらしい。人形制作以外にも木工用品は何かと入り用なので、それを売ることでも収入を得ているのだとか。

 人形か。

 機会があったら、コハクマルにあの夢の話でもしてみようか。笑われなければいいのだけれど……。

「あ、着いたよ」

 先ほどからゴオゴオと音を立てていた滝が見えてきた。

「うおぉ……あれが滝か。初めて見た」

「初めてなんだ。じゃあ、びっくりしたでしょ」

「うむ、しかしすごい勢いだなぁ」コハクマルは驚きつつも、らんらんと目を輝かせる。「なるほど滝浴びで体が鍛えられるわけだ」

 その滝は、私が何度かギンジさんと見に来た滝である。幅は横に広くて、縦にはおばあさんの屋敷ほどの高さもない。しかし水の勢いは相当なもので、白い泡が滝壺に際限なくブクブクと泡立っている様は、ちょっと迫力が普通じゃない。正直怖いくらいなのだが、そのゾクゾク感が、今ではクセになってしまっていた。でも、たまに蛙を見かけるのだけは勘弁して欲しい。

 その場所でしばらく二人で語り合ってから、昼前にはおばあさんの屋敷に戻ってきた。また心配されるのは嫌だったのだ。だけど、どうやら少しだけ遅かったようで、帰ってきた途端とたんシズさんに、すごい厳しい目で睨まれてしまった。また私がいなくなったかもということで、ギンジさんを呼びに行く直前だったらしい。

 まったく、私はどうにも要領が悪い。それに、忘れていたけれど、また私は誰かに襲われないとも限らないのだった。

 ……コハクマルだけでは、守ってもらうには不安かもしれないな。

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