おきかえる 四

 おばあさんの屋敷の私が寝泊まりしている一室で、シズさんが用意した食事にたまらず食らいつく少年を、心配の目で眺める。案の定、彼は急にノドに入った食べ物にむせ返って、ゲホゲホと汚い咳を撒き散らした。

「先にお茶飲めばよかったのに」

「ゲホッ……むぅ……そうだったな」顔色の悪い少年も素直に頷いて、遅まきにわんからお茶を飲み込んだ。「む、うまい。このような山中の村でこれほどの茶を飲めるとは……」

「ねえ、名前なんていうの?」私は聞く。

「拙者か? 拙者、コハクマルと申す」

「コハクマル? なんか長くて言いにくいね」

「そんなこともなかろう」ハハっと、コハクマルは笑った。

 彼のお師匠さまことクニミツさんは、おばあさん並びにクダンさん(顔を久しぶりに見た)、それとギンジさんを中心とした大人たちと別部屋で難しいお話をしているらしい。で、結局ここに子ども同士が残ったのだが、やはりそこは幼い同士、打ち解けるのも難しくはない。交わした会話は、はじめの出会いと今の二三言のみであったが、それだけでも十二分に友人になれた気がした。

 なんといっても、この子は私がじかで出会えた初めての子どもである。どこへ行っても敬語ばかりで、対等の立場で話せる相手にも飢えていた私には、ありがたいことこの上ない。

 コハクマルは、最初思ったよりも少しだけ年は上のようである。髪は無造作に長く、汚い枝毛がボサボサと飛び出しており、邪魔そうだ。それに仕方がないけど、ちょっと匂いがキツかった。あとで温泉にも入れてあげて欲しいものだ。

「おぬし、足を怪我しておるのか」コハクマルが、私の右足を覗き込む。「難儀するのう」

「そうなのよ、もう、ひと月くらいこのまんまなの」はあっと、私はため息。「最近やっと杖があれば歩けるようになったんだから」

 と、文句を言いつつも私は笑っていたのだが、ふと、コハクマルが私にびっくりしたような、キョトンとしたような目を向けているのに気がついた。

 またか、と私は思った。この村で目覚めてからというもの、こういう目で見られてばかりいる気がする。そういう時は、大抵私が変なことを言ったせいなのだが……さて、今度は何がおかしかったんだ?

 コハクマルは、しばらくはジロジロと私の顔を見ていたのだが、そのまま胸のあたりに視線を落としたかと思うと、その瞬間何かに気がつきギョッとしたらしく、目を真ん丸に見開いて私を見た。

「おぬし、女か!?」

 これにはさすがに大笑いしてしまった。

「あははは! え、男だと思ってたの?」おかしくて、お腹が痛くなる。「胸見て気がつくなんて……今までどこ見てたのよ。名前はスミレよ」

「い、いや……おなごのような顔をしとるのおとは思ったが……」コハクマルはなにやら狼狽したように箸を手に呆然としていたが、急にムッとした様子で私を睨みつけた。「おぬし、おなごにしては言葉が荒すぎるぞ。もっと慎ましく話さんか」

 腹の笑い虫が、ピタリと泣き止んだ。

「……は?」

「作法もまるで田舎侍ではないか。もっとしゃんと座れんのか、女のくせに、はしたない」

 腹の虫が、鳴き声を変えた。

「……どういう意味?」

「いや、だから……」

 と、なおも自信満々に高説垂れようとしていたコハクマルであったが、私が煌々と怒りを込めて見つめる視線に気がついたとたん、軽快に飯を口に運んでいた手が、シュンと止まってしまった。

「女のくせにって、どういうこと?」

「あ……えっと……」

「どういう意味って聞いてんでしょ」

「ど、どういう意味も何も……」コハクマルはドギマギとしながら、目を逸らして頭を掻く。「おぬし、女なのだろう? 女ならもっと慎ましやかにするのが当たり前で……」

「どこの当たり前よ」

「ど、どこのとな?」

「誰が言った当たり前かって言ってんのよ」

「誰ってそれは……乳母であったり、母上であったり、父上であったり……」

「あんたが言われたの?」

「い、いや、拙者が言われたわけではないが……」コハクマルは、自分の何が間違えているかわからないと言いたげな面持おももちで、私を見る。「でも、当然であろう?」

 その表情に、カチンときた。

「ばっっかじゃないの!!! なんであんたの思う当然が、私の当然なのよ!?」身を乗り出して、私は怒鳴った。「なんであんたの周りの女の子が言われたことを私も守らなきならないのよ!? 私がやりたいことよりも、なんであんたの常識が優先なのよ!? 答えてよ!!」

 唖然と、コハクマルは激昂する私を見つめる。

 私はまくし立てる。

「なんっっで私が女だと慎ましやかにしなくちゃいけないの? どうしてそんな必要があるの? 私とコハクマルって、何が違うの? 男か女かだったらどうしてそんなところも変えなきゃいけないの? 説明して」

 しばらく口をパクパクと開いたまま呆然としていたコハクマルは、急に泣きそうな顔になってアワアワと呟きだした。

「せ……せつめい……ちょ、ま、まってくれ……」

「どうなのよ、説明よ。できるの? できないの?」

「そ、そんな……なんでそんなに怒って……」

「あんた、説明できないことを人にさせようとしたの? どういう了見よ!? そっちのほうがよっぽど当たり前じゃないじゃないの!! 最低よっ!!」

「な……んなぁ……」コハクマルはいよいよ泣き出さんばかりに、私を押しとどめるように両腕を突き出す。「そ、そんな急に言われても……」

「いいよ、じゃあ待つから」私は腕を組んで、じっと彼を睨む。頭がカッカと燃え上がって、制御不能だった。「そのかわりしっかり説明するのよ」

「だ、だから……その……」コハクマルはしばらく、弱気にゴニョゴニョと口を動かしていたと思ったら、急に眉毛を逆八の字にキッと引きつらせ、目の前の食べ物を一気にかき込んだ。

 そして私を、睨みつける。

「女というのはだ! 半歩後ろで、男を立ててナンボのものであろう!? 多少の勝ち気は許されても、おぬしの怒りは度が過ぎておるぞ!」

 うわ、逆上した。

 こいつ……ホント信じらんない。

「許されるって誰によ!!? あんた!?」

「やかましいわい! そんなでは嫁にも貰ってもらえんくなるだろうに!」

「よめ?」首をひねる。「なにそれ?」

「は?」

「ごめんなさいね、私って記憶ないの」

「何をバカなことを……」

「とにかく、私が聞いてるのはね……」ひと呼吸ついて、考えをまとめる。「どーして私が私の話し方を、あんたのために変えなきゃいけないのかっていうことよ。男を立てろ? 意味わかんない」

「せ、拙者のためではない! そうではなくてだ……」

「あらそう! あんたが気にしてるわけじゃないなら、私がどんな喋り方しててもいいのよね?」

「な、その結論はおかしいぞ! もっとこう、常識としてだ……」

「ほら、やっぱり。コハクマルが、私の話し方気になるんでしょ? そうなんでしょ?」

「だから話を……」

「女がどうとかじゃなくて、あんたが私にしおらしくしてほしいんじゃない。私におとなしくしてほしいんじゃない」

「違うと言っておろう!」コハクマルも怒ったのか、いよいよ空気が喧嘩じみてくる。「なぜおぬしは理解せんのだ! 親からちゃんと教わってこなかったのか?」

「教えることがあるなら、あんたが教えてよ! 自分が正しいと思うなら、理屈を言いなさいよ!」

「な……なさい!? いよいよおぬし、男に命令を……っ」

「説明できるの? できないの?」

「だから女はもっと大人しくするものだと言っておろうが! おいえを守るのは男の仕事ぞ!」

「あんたがいつ私を守ったのよ!? それって大人の男のことでしょ! そういうエラそうなことはちゃんとやることやってからじゃないと言えないでしょ! なに権威を笠に着ようとしてるの? バッッカみたい」

 コハクマルがさらに何か言おうとしたが、私にはもう話を聞く余裕がなかった。このあたりで、私はいい加減に言いすぎであることに気がついていたのだが……すでに頭がうまく働いていなかった。

「この世の女の子はみんな、あんたが落ち着くように大人しくしていなさいって、そう言いたいんでしょ! ひどいよそんなの! 私が私のやりたいように、言いたいようにするのをどうしてあんたのために諦めなきゃいけないの! それも……女だからって理由で……」

 コハクマルも顔を真っ赤にして私に怒鳴り返そうとしていたのだが、だけど、ふいに怒りの面相が、はっと曇った。「おぬし……泣いているのか……?」

 ズキンと、胸の奥に痛みが走る。

 その指摘は、話の筋にもケンカの主題にもまるで関係がないことだった。それなのに、その一言が、一番深く心に突き刺さってしまった。

 両手で顔を覆って、泣き伏せる。

「おやおやコハクマルや、賑やかだと思ったら、もうケンカしたのですか」彼の師匠、クニミツさんの声が頭上で響いたと思ったら、すぐに大きな腕が私を抱き寄せてきた。「すみませんね、スミレさん。コハクマルが何か失礼なことを言ったようで」

「せ、拙者はそんな……」コハクマルの声は、震えていた。

「うん、コハクマルや、君も疲れているからね、気が立ってしまうのも仕方ないが、私たちは客人だからね」

 そう遠まわしに注意されて顔を伏せるコハクマルを見て、少し可哀想だと思った。ケンカを吹っかけたのはどちらかといえば私なのに……。

「そんなそんな、スミレさんもちょっと、色々あった身の上ですから……」優しい声に顔を上げると、白い着物のマキさんが、コハクマルの手を取って慰めていた。「せっかくの縁ですから、仲良くしてくださいね?」

 …………。

 なんだか、あべこべだな。

 私、またやっちゃったなぁ。

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