おきかえる 五

 涼しい風が、火照った体を心地よくゆるませる。

「うーん、それは、仕方ないかもしれませんね」

「えー……マキさんもそう言うんですか?」

「いえ、スミレさんも間違えてるわけじゃないんですよ」マキさんは、笑う。「ただ、きっとコハクマルさんは、ずっと周りの方々にそう言われてきたんですよ。だから、スミレさんの話し方を聞いてビックリしちゃったんだと思います」

「びっくりですか?」

「きっとコハクマルさんの周りにいた女の方たちは、皆様おしとやかだったのですよ。だから、女というのは静かなものだと思ってしまったのかもしれません。決して、コハクマルさんが嫌な人だとは思いませんよ?」

「うーん……」

「コハクマルさんはコハクマルさんで、周りの人にずうっと言われてきたことを信じていただけですから……ちょっと考えてくだされば、案外スミレさんの気持ちも伝わるんじゃないでしょうか?」

「ははは、私、すぐ怒っちゃいましたからね……それで、もうケンカみたくなっちゃったと……」

「それがわかってるなら、仲直りは難しくなさそうですね」

「そりゃあ、私だって仲良くしたいですし……でも、おかしいじゃないですか、私がコハクマルのために話し方を変えなきゃいけないなんて」

 と、いまいち納得がいかないまま、目を細めて溜め息をつく。夕日がぼんやりと形を失って、景色に溶けていくのが心地よかった。

 とりあえず、一度怒って気持ちを発散させたぶん、彼への怒りはだいぶ薄らいでいた。許してもいいし、謝ってもいいと感じていた。だけど、その発言の内容は未だにまるで理解ができない。

 女ならおとなしくしろ?

 慎ましやか?

 半歩下がれ?

 正気で言える言葉とは思えない。

 男や女って、体のことだ。対して話し方は、性格……つまり、心の領域だ。それを「女なのに」って理由で咎められるのは、理が通らない。承知できない。ただ単にがさつだと言われたのならば、私も「ホントにね」と笑えただろうに。

 ……って、髪を切った時もこんな怒り方をしたのを思い出す。私は本当に懲りないなぁ。

 どうして彼があんなことを言ったか。その理由も、マキさんに言われずとも察しはついていた。コハクマルがどこから来たのかは知らないが、彼の生まれた所では、ずっと女はおとなしくとか言われてきたのだろう。私だってそんな場所に生まれて、しおらしくしおらしくと命じられ続ければ、表面上だけでも大人しそうにしていたかもしれない。そしてそれを見てコハクマルみたいな奴が、女は生まれた時からそういうものだと思い込んでしまうのだ。それが何代か続けば、常識というものもズレてしまうのかもしれない。そんな罪を、彼一人に擦り付けるのはいかにも不当だ。それこそ理が通らない。それじゃあお互い様だ。

 それに、女が髪を切るのは変だと、この村でも言われたではないか。

 私も記憶さえ残っていれば、もしかしたら……。

「……普通は、女はおとなしくしてろって言われるものなんですか?」恐る恐る、白い着物をまくって着ているマキさんに聞く。

「どうでしょうね。でも、男の人よりも女のほうが、物静かなものなのではないですか?」

「でも、私ってこんなですよ? 結局は人それぞれじゃないですか?」

「かもしれませんね」私の隣でマキさんは、クスクスと笑っている。「でも、スミレさんだって、話し方は女言葉ですよ?」

「それはそうですけど……」なるほど、と思うような指摘に、口をすぼめて考え込む。「まあ、男の子のほうがバカっぽい気はしますけど」

「あら」とマキさんがこっそり眉をひそめたので、私も何事かと思ったのだが、ちょうどその時バサっとすだれが開いて、クニミツさんとコハクマルが姿を現した。

 そして、不安げな表情をしたコハクマルが私を見つけた途端、顔を真っ赤にして目を逸らした。

 うわ、そんなに嫌われてちゃったのか……と思い、気分が沈んだ。

 ちゃんと謝らな……。

「な、な、な、なにをしとるかーーっ!!?」唐突に、コハクマルが喉をはち切らさんばかりに絶叫した。「おおお、おぬし!!? やはりどういう神経を……ば、ばかもーんっ!!!」

 …………?

「え、どうしたの?」体をひねって、コハクマルを見る。

「わ、わわわっ!? こ、こっちを向くな!!! というか拙者を見るなぁ!!」

 コハクマルがあんまり取り乱すので、わけがわからずマキさんを見上げる。彼女は口に手をあてて、なんだか愉快そうに笑っていた。

 ……どうしたんだろう。

「なに、そんなに私のこと嫌いになっちゃったの?」この際はっきり、聞いてみる。

「いや、それは拙者が悪かった!!」意外にも、コハクマルはあっさりと謝った。「だから……あぁ、師匠……だから拙者は裸になるのは反対で……」

「まあまあコハクマルや、裸の付き合いもよいじゃないですか」クニミツさんはマキさんと同じような笑顔を見せながら、お湯にそおっと足をつけた。「おぉ、これは熱いですなぁ。確か江戸でこのような風呂が流行っていると聞きましたが、こちらでは随分と昔から湯に浸かってきたそうですね」

「えぇ、体がさっぱりしますから、さる家の方がお忍びで湯治に来たこともあるそうですよ」マキさんが答える。彼女は私の付き添いということで、濡れてもいいような短めの着物を着て、私と並んで足だけ湯につけている。

 私はさっきまでは肩まで湯に浸かっていたが、熱くなったので、ちょっとだけ体を出して涼んでいたところだ。

 クニミツさんはそのまま、お湯に入って身震いする。「あぁ~これはすごいですな、あっはっはっはっは。ほら、コハクマルも」

 コハクマルは股間に手を当てながら、もじもじと私をチラ見しては、すぐに目を逸らす。

 それを見ていたら、理由はわからないけれど、なんだか面白くなってきた。

「ねえ、コハクマル。私もあれから考えたけど……いきなり怒っちゃってごめんなさい」素直に、謝る。

「わかった、わかったとも!」彼はまだ挙動不審のまま足を震わす。「わかったし、拙者も悪かったし……だから、その、前を隠してくれぇ……っ!!」

「前?」何を言ってるのかわからないので、マキさんに目で助けを求める。

 彼は何を言ってるんだ? どうしてこんなに焦ってるんだ?

「コハクマルさんはね」楽しそうに、マキさんは言う。「あなたを見て、照れてるんですよ」

「照れる?」首をひねり、コハクマルを見る。「どうして?」

「おぬしが裸だからだーーーーっ!!!!」彼は、叫んだ。

 キョトンとする。

「え? だって、温泉だよ。当たり前じゃない?」

「あ、当たり前なわけが……というか、見んでくれぇ!」コハクマルはいよいよへたりこむ。温泉に入る前からもう、全身真っっかだ。「お、おな、おなななな……おなごが裸で……恥じらいはないのかぁ……」

「……変なの。お湯入らないの?」

「ぐ、ぐぬぅ……」

 コハクマルは這うように、私に背中を向けながらお湯に片足を浸したが、その瞬間また叫んでゴテンとひっくり返る。

「熱っ!!!?? なんじゃこりゃあーー!!?」

 やかましいなぁ……歩き通しだったと言う割には随分元気じゃないか。

 挙動がいちいち大げさで面白くて、私はすっかり楽しくなっていた。

「え、温泉入ったことないの?」私は聞く。

「入浴と聞いたのに、裸になれというからおかしいと思ったのだ……」コハクマルは滑稽に、足の指をふぅふぅと吹きながら、目をぐるぐるさせて文句をつぶやき続ける。「風呂というのはこう、浴衣に着替えて湯気を浴びるもので、こんな裸で湯につかるなど……できるわけなかろうに……っ」

「ほら、勇気を出すのですよ」すっかりくつろいで白いヒゲを濡らしているクニミツさんが、立ち上がってコハクマルを引っ張った。「これしき耐えられなくては、憧れの滝行には届きませんよ」

「あ、師匠、お、お待ちを! 心の準備が……ぎゃあああああああっ!!???」

 そのさまを見ながら、またもお腹が痛くなるくらい笑う。

「慣れたらそんなに熱くないよ、ほら」 右足に気を遣いながら、そおっとそおっと体をお湯に浸す。「いたたた……ね?」

 そうして、叫びながらクニミツさんに温泉に押し込まれているコハクマルのとなりまで、なんとかにじり寄った。

 それに気がついた彼の目が、私の体に一瞬だけ釘付けになるが、すぐに手をブンブンと振り回す。

「わ、わわわ、く、くるなぁ!!??」

「えいっ」

 抱きついて、お湯に引っ張り込む。

 ドボンと、二人一緒に肩まで浸かった。顔にお湯がかかり、湯気が舞う。

 うわ、あたまくさっ……。野生の匂いが、野山を歩いてきた勲章がモワッと香った。

 ふとコハクマルが、熱いのに、水でもかけられたみたいにピタッと固まってしまっているのに気がついた。

「あれ?」

 足が痛いので、コハクマルに抱きついたまま、体重を預けるようにぐるっと回り込んで、その顔を覗き込む。

 また、笑ってしまった。

 だって、すごい顔してるんだもの。

 口を開いて、瞳が虚ろで、呼吸が止まって魚みたいだった。

 私だけじゃなく、クニミツさんもマキさんも、朗らかに笑っている。

「だいじょうぶ? そんなに熱いの?」

 コハクマルは何か言いたげに、口をパクパク動かしていたかと思ったら、急にぐるんと白目をむいて、キューっとお湯の中にぶっ倒れた。

「わー!? ちょっと、だいじょうぶ!?」

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