おきかえる 二

 さて、その後何日が経ったのか、私はあまり記憶できていない。なにぶん寝たきりだったもので、昼や夜の感覚が多少希薄になっていたのだ。その間、シズさんには本当にお世話になった。厠に行くのも服を替えるにしても、時々温泉で体を拭いてくれるにしても、全部シズさんに頼りきりで、まるで自分がリンくらいの幼い子どもになってしまったかのような気分だった。温泉に行くときはギンジさんの背中にも何度か厄介になった。足の具合に関しては、定期的におばあさんが按摩したり伸ばしてみたりと痛いことをしてきたが、曰く、それが治療なんだそうだ。正直勘弁してもらいたかったけれど、治すためと言われては仕方がない。実際、少しずつではあるが、着々と傷の具合は治ってきたように感じる。左の足は、動かしてもそれほど痛くは感じないくらいだ。ただ、右の方は未だにきつい。どうもそちらのケガは深刻だったようで、おかげでまだ一人では立ち上がるのも一苦労なのは変わらない。とはいえ一時は信じられない腫れ方をしていたことを考えれば、確実に快方に向かいつつはあるのだろう。

 ちなみに腕に関しては、さほどの日数も経たずに自分の手でものを食べられるくらいには回復してきた。というか、腕は最初からそんなに痛くなかったのを、周りが心配しすぎていただけの話である。

 マキさんは、一日に一回は必ず顔を出してくれた。二人きりになることも何度かあったので、夢のことを話してみようかとも考えたのだが、いざ説明しようと思うとなかなか言い出せないものである。夢の中で同じ登場人物たちが生活しているなんて話、話すのは正直恥ずかしかったのだ。何から言い出せばいいかわかったものじゃあない。それにマキさんも色々と忙しいようで、あまり長居はしてくれなかったから、込み入った話をしにくかったというのもある。

 それにしても、ここ最近の私の生活っぷりはどうだろう。まさか、この村でこれだけ良くしてもらえるとは思っていなかった。一日中ほとんど動かないまま、世話だけされる生活なんて、居候いそうろうの分際で贅沢すぎるじゃないか。村の人が私を襲ったことの罪滅しだろうか。

 が、しかし。

 目下私が抱える最大の問題は、怪我の痛みよりも何よりも、この贅沢な生活がゆえの、暴れだしたいほどの退屈さであった。

 おばあさんやマキさん、シズさん、それにギンジさんへの感謝はもちろんあるし、世話されといてわがままは言えないことも重々理解している。しているが、それにしても、まるで代わり映えのない毎日をただ布団の上だけで過ごし続けるのはいくらなんでも暇すぎた。

 自分から歩けない……それがこんなにも、文字通り足枷あしかせになるとは思っていなかったのだ。そもそも冒険したがりな私にとって、好きな時に出歩けないというのは拷問だった。何度叫び声をあげたくなったかわからないし、思わず頭を抱えて駆け出したくも度々だったが、その都度ズキリと節々が痛んで、より一層やりきれない気持ちになる。

 最初はこうじゃなかったのに……。

 布団生活が始まって三日くらいは、しゃべるのも億劫おっくうなくらいに落ち込んでいて、起き上がる気も失せていた。あれはあれで地獄のように辛かった。起きていると、いやでも考えたくないことを考えてしまって、気が滅入った。突拍子もなくボロボロ泣いたり、夜中いきなり食事を戻してしまったり、シズさんにも迷惑をかけたと思う。夢を見ている間はいいのだが、目を覚ましてしまうと、もうダメだ。憂鬱が雨のように心を打ち付けて、恐怖の記憶がものすごい密度で襲ってきて、痛みは遠慮を知らなくて、怒りはやり場がないままで……そんな悪意たちに精神がさらされ続けると、何もしていないのに身も心もクタクタに疲れ果ててしまう。厄介なことに、そうならないと眠ることもできないのだ。

 本当に、辛かった。生きる希望がまるで湧いてこない血の池地獄であった。そのせいか、たまに嫌な夢も見るようになってしまったのも腹立たしい。真っ暗な中で、ただただ不愉快な手に触られる夢が、何回かに一回混じるのだ。

 それもこれも、あの人のせいで……。

 私が歩けないほど足を痛めてしまった理由は、確かに自業自得な面もある。だけどただ歩けないだけなら、こんなに気が滅入ることはなかっただろう。

 ……なんていう恨み言も、いい加減うんざりだってくらいに何度も反芻はんすうしてきたというのに、気がついたらまた繰り返してしまっているのだ。ほんと、気分が悪いったらない。

 そんな私の怒りを受け止めてくれたのは、おばあさんだった。どこへともわからずぶつけたくなった私の叫びを、おばあさんは黙って聞いてくれた。泣きながら、みっともなくおばあさんに私の気持ちをぶつけていくのは気持ちよくはなかったし、申し訳ないとも思ったけれど、でも、思いの丈を叫び続けるのは悪いものを吐き出すみたいにクラクラする恍惚感があった。

 だけどまだ、思い出すたびに胸が苦しくなるのは変わっていない。

 夢だけが、私の救いであった。

 で、その夢の中の景色はというと、ここ数日は、残念ながら目立った変化はない。というのも、ゲンのケガの具合が思ったよりもひどかったのか、彼は今の私のように布団での生活を強いられていた。断片的に掴んだ情報から察するに、なぜかゲンは右の手足がうまく動かなくなってしまったらしい。頭を殴られたとき、そんなところもぶつけていたのだろうか? 不思議なものである。

 ともかくゲンは大事な後継ぎだから、何かあったら一大事、安静にしていなさいという結論が出たらしく、彼の生活は私のそれとほとんど変わらないものであった。一日中布団の上で過ごし、ご飯を運んでもらい、そして寝る。ただし、私は心痛と退屈で悶えているのに対し、ゲンは何日経ってもまるで表情を変えず、世話されるままにけろりとしている。やっぱり不思議な人なんだな。

 彼の布団の周りでは、アマコやジロウ、それにカイリが入りびたっていて、私自身、それを見ている時間が夢の中で一番多かった。食べるものはカヤかヨシが運んで来て、アマコが口に運んでいる。その時のアマコが、なんだかいつもより生き生きして見えるから不思議である。私なら、あんな面倒くさいことやらされたらうんざりしそうだ。

 いやでも、相手がゲンなら、ありかもしれないな……。

 一方で、タケマルやヨシたちが行っている犯人探しは、どうも手掛かりさえ掴めていない状況らしい。というよりも、にわかには信じ難いが、本当に妖怪がやったのだという方向で話がまとまりつつあるみたいだ。そんなのありえないのに……妖怪の言いだしっぺのタケマルまで、「こりゃあ本当になんか出たのかもな」とまで言い出す始末。未だ真剣に犯人の存在を疑っているのはヨシくらいである。

 一度ヨシがご飯を運んできたあと、その場でゲンに色々と問い詰めていた夢も見た。

「ねえ、本当に何も覚えてないの?」

「覚えてないよ」ゲンはいつも、そう答える。

「ゲン兄ちゃん、あーん」アマコが箸で何かの煮物をつまんで、兄の口元へ。それをゲンは恥ずかしがる様子もなくパクっと口を開いて、素直に従う。その様があんまりに無防備で子どもらしいのには、見ていてなんとも言えない気分になる。私はそれが気恥ずかしすぎて、真っ先に「自分でできます!」と主張したものなのに……。

 しかしながら、こんな動作でもゲンがやるとまろやかにえるのだから、彼の美しさは本物である。いいなぁアマコ。私もあれくらい近くで顔を見てみたいな。

「うーん……まいっちゃうなぁ。まさか本当に妖怪ってこと……」

「妖怪よ、そうに決まってるわ!」ジロウと五石をしていたカイリが、吠える。「だってこんなひどいことする人、いっこないもの」

「そりゃあ……うん、そうね……」はあっと、ヨシはため息。「でも、もし誰かがやったんだとしたら、うやむやにしちゃあダメよね……」

 ブツブツと、ヨシは自分に言い聞かせるように呟いている。ゲンが怪我したこの一件で、彼女は誰よりも怒っていた。ゲン本人よりも、真剣にこの事件に向き合っていた。

 というか、一番この大事件に対して興味がなさそうなのがゲンなのだが。

「あぁ、それと……」ヨシはまたゲンに向かい合う。「ゲン、これに懲りたら、夜遅くに人形いじりに行くのやめなさいよ。アマコが心配してるんだから」

 アマコがぎょっと肩を強ばらせつつも、真剣味を帯びた目線をゲンに向けた。

 ヨシは続ける。「家の向かいだから気軽に寄って、夢中になるうちに時間忘れちゃうんでしょ? なら、最初から行かないって決めるのよ」

「……夜か」ゲンは、目をそらして上を向く。「難しいかもね」

「そんなことも言ってられないでしょ、そのせいで大怪我したんだからさ」

「もう、こんなことないよ、きっと」

「まったくもう……」

 ゲンはこんな感じである。

 彼はどういうわけか、自分を気絶させ、場合によっては殺そうとしていたのかもしれない相手に対してまるっきり関心をはらっていないようなのだ。それどころか、片手が使えないせいで人形作りができないことに対してイラつく様子さえなかった。アマコやイナミ、カイリ、それと時々男の子たちの顔を左手で触りながら、頭の中で人形彫りを思い浮かべているだけで満足しているらしい。

 ただ……時にしつこく追求してくるヨシに対して、ゲンが時折鋭い視線を投げかけるのに私は気がついてた。

 ……ゲンの言ってること、信じていいものだろうか? あるいはヨシも、私と同じ疑いを彼に抱いているのかもしれない。

 私が考えるに、一番疑わしいのは、ヤキチだと思う。なぜ? というか、動機みたいなものは思いつかないけれど、あの状況でそれができたのは、ヤキチかタケマルくらいじゃないかと思うのだ。もちろん、私が知っている人たちの中では、であるが。

 では、なぜタケマルじゃなくてヤキチだと思うのか……そう言われると、正直印象の差としか言えない。だって、タケマルがゲンを叩く姿が想像できないんだもの。それならヤキチの方がそういうことしそうな感じがするじゃないか。あいつ、タツミさんと似たような雰囲気感じるし。

 ……あ。

 いや、いちおうではあるが、ヨシも可能なのか……。

 ゲンを殴って、すぐに抜け出して、子どもたちの裏に回ってとんぼ返りすれば、可能だ。だけど、いくらなんでもヨシってことないだろう。現状、はっきりとした証拠が示せない以上、犯人探しは理由から考えるのが当たり前になるが、ヨシは全てにおいて犯人像とは真逆の人物だ。

 私の見立てでは、ヨシはゲンのことが好きなんだと思う。ただ、私のような好きとか、アマコのような愛情とはちょっと意味が違うかもしれない。ずっと一緒にいたがゆえの親密さを、あの二人の間からは感じ取れるのだ。うーん……いや、ヨシから一方的に感じられる、と言ったほうがいいかもしれないな。ゲンはちょっと、未だに性格が掴めない。

 ちなみに、カヤも他の子を見るのとは違う目でゲンを見るが、それはまぁ、同い年だし当たり前かもしれない。カヤから見ればタケマルとゲンだけが、面倒を見る対象ではないということだろうか。その割に、ゲンのご飯を用意しているのは彼女のようだが。

 カヤも可能性で言うならば、犯人候補に入れることはできる。しかし、彼女はヨシに輪をかけてありえない気がする。例え万歩ゆずってゲンに恨みがあったとしても、それをああいう形で晴らすことさえカヤの場合は考えられない。そもそもカヤは、あの夜にはリンを抱いて寝ていたらしいじゃないか。体も弱いし、優しいし……うん、カヤはまちがいなく犯人じゃない。

 で、じゃあ結局犯人はヤキチとしてしまうと……うーん……。

 個人的にはそこで決着をつけてしまいたい気もする。ヤキチが犯人で、ヤキチは嫌な奴だというのが結論ならば、少なくとも私から見れば、夢の景色は今までと何も変わらないままでいられるのだ。だけど、ヤキチにはやっぱり全然、理由なんてないというのが今のところの結論である。実際いくら性格が悪いって言ったって、わけもなくゲンの頭をカチ割るほどの悪党ではあるまい。そんな奴がいたら、それこそ妖怪にとり憑かれているとしか言えないじゃないか。

 最近私は、タツミさんへの怒りをヤキチに転嫁しているような気がする。それは流石にちょっと意地が悪すぎるのはわかっているのだが……私は一度人を嫌いになると、顔から声から何もかも受け付けなくなってしまう性分しょうぶんらしい。

 そのヤキチは、度々ではあるがゲンの寝床を訪れることがあった。そういう時も、口数少なく「まだ動かねえのか?」とか「妹に飯食わしてもらってんのかよ」とか、気遣ってるんだかなんだかよくわからない言葉を残して去っていく。多分、カイリが構ってくれなくてヒマなのだろう。カイリはどうやら、ゲンとアマコを言い訳にこの場所に居座ることでヤキチから逃げているらしい。

 ヤキチの態度に不審な点はないか、もちろん私は疑ってかかっているのだが、正直なんとも言えない。秘密を隠しているように見えて怪しいっちゃあ怪しいし、嫌味を言ってくるだけにも思えれば、本当に心配している照れ隠しをしているだけにも見える。

 証拠になるような事実は、掴めていない。

 平和な日々が続いていた。

 そのうちに、私の体の具合も少しずつ治ってきた。そして、ちょっとずつ陽の暖かさに陰りが見え始めたある日、マキさんがとても嬉しい贈り物を私に持って来てくれたのだ。

 それはおかしな形にまとまった木の杖であった。話を聞くと、人形造型師のクダンさんが、私が片足でも歩けるようにと作ってくれたようだ。

 それだけでもう、あの息の臭いおじいさんへの悪印象はすっかり払われてしまった。

 いやぁ、ありがたい。どれだけ不自由でも、今の私にとって自分で歩けることよりも嬉しいことはない。

 その杖は、二つの木の棒を細長い三角のように先端で結びあわせたような形の、奇妙なものだった。一見船をかいのような形である。むろん、広がってる部分はスカスカなので、漕げやしないだろうが。その中ほどの位置に取っ手みたいなものがついているが、どうやらそこを持って、細い棒になってる先っぽを地面につけて歩くのが使い方らしい。あの広い部分を、脇の下に当てるわけか。大きさはちゃんと私の身長と合うように、寝ている間に採寸してくれていたらしい。いやぁ、ありがたい。

 その杖を渡されたときの私の反応は、きっと新しいおもちゃをもらった子どものように無邪気だっただろう。ちょうど夢の中で、ゼンタにカヤが折り紙を作ってあげていたときの反応を自分で思い出して、一人赤面したりもした。

 とにかく、記憶の中では初めてのおもちゃをもらった私は、すぐに盛り上がってきた気分のままに、まずは庭先を歩いてみた。最初この杖は、右足が痛むのだから右手で使うのだと思い込んでいたが、ちょっと使ってみてすぐに逆の方がいいと気がついた。左腕で杖を持ちながら、右足に重さが掛からないように、体をねじるように歩くとうまくいった。それと、脇の下で支えるというのは勘違いだったかもしれない。脇が圧迫されると、腕全体が正座しすぎた足みたいに痺れてしまうようだ。

 もらった初日は練習までしかさせてもらえなかったが、そのうちギンジさん付き添いならば、おばあさんの屋敷裏手の森の中を散策させてもらえるようになった。もちろん、因縁のあの崖は登らせてもらえないだろうが……。

 ともかく、少しでも楽しみができてウキウキ気分の私が、ちょっとだけギンジさんから離れて冒険していた時に、彼との出会いは訪れた。

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