がまがえる 四

 いつの間にか晴れた空から、木漏れ日が差し込んでいるあの森の広場。

「ごめんなさい……もう、ぜったいかってにさわらない……ごめんなさい……」と、しゃがみこんだまま、相変わらす聞くのも辛い悲痛な声でアマコが謝っているのを、カイリが隣に座ってキツ過ぎるくらいに肩を抱きしめていた。

 アマコの前には、ゲンとヨシの二人が立っている。

「いいのよいいのよ、ね? そうでしょゲン!」ヨシは前かがみで、アマコの肩に手を置きながら、ゲンの足を左肘で小突く。「あれ、最初っからこわれそうだったのよ、そうでしょ?」

「うん」素直にうなずくゲンの顔は、さっきよりも多少神妙に思えたけれど、ただ日差しが眩しいだけようにも見えた。この晴れ空の中では、青さまで感じるゲンの肌は痛々しいほどに白く感じるが、それがまた周りと馴染まない異様な美しさを際立たせているようだった。

「ゲンも怒ってないってさ! ね?」ヨシがまた、ゲンを突っつく。

「うん」

「こいつ、あれ作ったこと忘れてたくらいなのよ? アマコも、そんなに気にしないでいいのよ? でしょ?」

「うん」

 度々同意を求められては、適当に相槌を打つだけで何も言わないゲンのことを、ヨシがまた焦れったく歯ぎしりするような表情で見上げる。きっともっと、ゲンの口から慰めるようなことを言って欲しいんだろう。

 アマコはずっとシクシクと泣き続けている。

 正直に言うと、そろそろ私はうんざりしていた。別にゲンだって怒ってないことがわかったのだし、いい加減どうして泣き止まないのかがわからなかった。

 思うに、アマコはあの引き出し、今まで一度も覗いたことがなかったのではないだろうか。別にあの引き出しを覗くくらい、ゲンの対応を見る限り悪いことでもなんでもなかったのだろう。だけど、慣習的にそこを見ないことがあまりに長く続いていたので、ただ見てないだけということが、彼女の中で「見てはいけない」という風に変化してしまっていたのかもしれない。

 アマコだって、本当は見ちゃいけないわけじゃないってわかってたんじゃないだろうか。でも、こういうことは思い込みだけでも十分に拘束力があるものだ。ゲンにも相談せず、こっそり棚を開いてみたのは出来心だろう。意味のない臆病さに突っつかれながら、ついつい中身が気になって開けてみたその一回で、極めて運の悪いことに人形が壊れちゃった……それでもうびっくりしちゃって、なんだかものすごい悪いことをしたみたいな気分になって、「見てはいけない」という思い込みが刺激されて、頭真っ白で泣いているのだとしたら、少しかこの泣き方も理解できるかもしれない。

 ヨシもカイリも、いい加減になぐさめの言葉も出し尽くしてしまったのか、打つ手なしとばかりに顔を見合わせてため息をつく。

 バッタの鳴き声が、ギギギと響く。

「ほらぁ、やっぱりヨシ姉いた!」と、元気なイナミの声が、森の向こうから響いてきた。「ね、声聞こえたって言ったでしょ?」

「ゲン兄だゲン兄!」ゼンタが無邪気にはしゃいでる。

「ほえー、ほんとだ、ゲン兄じゃんか」もの珍しそうな、イチロウの声。「めっずらしい。何してんだ?」

 見ると、森の影から、イナミ、イチロウ、ジロウ、ゼンタの四人がこちらへ向かって並んで歩いてきているところだった。ソウヘイはいないらしい。

 途中、まあるいジロウだけがはっとして立ち止まる。一人だけ、泣いてるアマコに気がついたようだ。

 シーッと、ヨシが向かってくる四人を見ながら口に指を当てて、ツンツンと泣いてるアマコを指さした。

「うわ……」腕を頭の後ろで組みながらニヤついてたイチロウの顔が曇る。

「あー! アマコ、どうしたの!? だいじょうぶ?」と、慌てたイナミはすぐに走ってきて、アマコの前にしゃがみこんだ。「どこかぶつけたの?」

「いや、ちがうのよ……えっとねぇ……」体を起こしたヨシは、言いづらそうに頭をかく。「なんて言えばいいのか……」

「わたしが……ゲン兄ちゃんの人形……こわしちゃったの……」未だ顔をあげないままのアマコの声が、ぞわっとするほど辛そうに響いてくる。「……うぅ……ぇ……」

 それを聞いたイナミはちゃんと話を察したのか、だまってアマコの頭に手を置いた。「よしよし……」

 それに続いて小さな手が、アマコの白いひざの上にちょこんと置かれた。

 いつの間にか近くまで駆けてきていたゼンタの手だった。

 アマコの隣に座るカイリは、おそらく反射的に弟であるゼンタの手を払いのけようとした手を、すんでのところで引っ込めてから、いかにも意外そうに彼を見た。

 ゼンタの顔、ここからは見えないけれど、泣いてるアマコを心配しているのはよくわかった。

 その手は他のみんなと同様に、泣いてる人をなんとかしてあげたいという、ごくごく自然な気持ちの表れだった。

 ……駆け寄ってきた男の子は、彼だけか。

 意外と優しい子なんだな。

 イチロウとジロウの兄弟は、どこに身を置いて良いかわからず、近くの木に黙ってもたれかかっている。イチロウは別にどうでもいいらしくヒマそうに、ジロウはどこともしれない方へと目を一点に向けながら……。

「ほら、ゲンもなんとか言いなさいよ!」

 明後日の方角を見ていたゲンの手をヨシが引く。

「ん? いいの?」

「いいのって……」呆れを通り越して懇願するような調子で、ヨシは嘆く。「しっかりしてよぉ、ゲンってどうしてそんな……」

 ヨシが文句を言い終わるよりも早く、すっとゲンはかがみ込んで、アマコの顔を覗き込んだ。

 サッと身を引いたヨシとイナミは、多少驚いた顔でゲンに注目する。

 みんな、ゲンが何を言うのかに注目する。

「アマコ……」

 ピクっと、細い肩が震える。

 ゲンの手が、アマコの首にそっと置かれた。

 彼の表情は変わらない。

 どうしていつも、ここまで完璧な形を保てるのだろう……。

 ツヤのある唇から、低い声が穏やかに響く。

「壊した人形って、ひとつだけ?」

 反応はそれぞれだった。

 アマコの口からは、「ひっ」と、息を止めたような声が漏れた。

 カイリは仰天して目が丸くなり、イナミとゼンタは話が見えていないのか、目を細めてゲンを見る。

 ヨシの顔からは、あっという間に血の気が引いた。

「ちょ、ちょっと、どういうことよ!?」

 慌てて怒り出したヨシにえりを引っ張られたゲンは、しかし、顔色変えずに振り返って、人差し指をぴっと立てる。

「ほら、あれ」 

 あくまで冷静に近くの茂みの下を指したゲンの指の先に、アマコを含めたみんなの視線が注目した。そちらはよく見ると、ジロウが先から見つめていた先のようである。

 草むらの中にポツリと、自然のものにしては鮮やかすぎる色彩が転がっていた。

 石にしては珍しい色の、丸い塊。

 目を凝らす。

「あ……」

 ゾっとする。

「ん、なにあれ?」緊張感のない、イナミの声。

「おう、人形だ」と、イチロウ。「でも、首だけだぜ?」

 イチロウの言うとおり、そこには人形の生首だけが、寂しくコロンと転がっていた。

「うそ……」アマコが泣きはらした顔で、幽かにつぶやく。「そ、そんな……」

 目を丸くしたカイリが、ヨシを振り返った。

「さ、さっきのは置いてきたわよ、そんな……」流石にかなり困惑した顔で、ヨシは首を振った。

 茂みの中に、場違いなくらいの、明るい桃黄色。

 顔を横倒しにして、無表情に、じっとしている。

 立ち上がったイナミとゼンタが、迷わずそちらへ歩いていく。

「あ、ちょっと……」とカイリが止めかけたが、二人を振り向かせるほどの声量にはならず。

 イチロウとジロウが、その後ろへすぐについていく。ヨシもまた、ゆっくりとゲンの手を引いて歩きだしたのにあわせて、カイリとアマコもヨシの背中に掴まるように、人形の首の方へと集まっていく。

 ……今度は男の子の人形だった。

 今気がついたが、この人形、髪の毛は本物のようだ。一匹のバッタが、その頭上で前肢まえあしをこすり合わせている。土の茶色が、ゴマのように人形の顔左半分を染めていたが、他は綺麗なものである。

 ヨシが困ったようにアマコに目配せし、アマコは激しく首を横に振る。

「ゲン兄、これって……」そうつぶやいたのは、ジロウだった。「ゲン兄の?」

「多分」声色変わらぬ、ゲンの声。

 しばらくみんな、まるで人形が自らの事情を語るのを待つかのように、固唾を呑んでその生首を見守っていた。その視線を感じたのか、バッタもぴょんと、茂みの中へと消えていくのを、ゼンタがのんきに追いかけようとして、カイリに引き止められる。

 日差しが少し曇ったような気がした。

 その空気を壊したのは、なんだか気の抜けたイチロウの、「うへえ、アマコ二つも壊したのかよ」という一言だった。

 イチロウの頭に、ヨシのゲンコツが振り下ろされる。

「ってーなぁ!?」イチロウが頭をおさえる。「なんでい、ただの人形じゃねえか! なんでこんな大マジメに見てんだよ! どーせソウヘイかゼンタのいたずらだろ?」

「おれぢゃないやい!」ゼンタが叫んだ。「おれこんなのしらねー!」

「じゃあソウヘイだろ」と、イチロウ。「あいつもきっと首とっちまって、急いでこの辺に捨てたにきまってらぁ」

「だったらもっと隠さないかな?」人形の一番近くにしゃがんでいるイナミが、考え込むようにそうつぶやく。「もっと埋めるとか、えっと……」

「湖に捨てたり?」怖かったのか、多少ヨシの方へとにじり寄っていたカイリが、イナミを横目で見ながら少し笑った。

 するとイナミはびっくりしたような表情で、カイリを見上げる。「え!? 知ってるの?」

 今度はカイリが驚く番だった。「え、な、なにを?」

「あ……」

 みんなが、今度はイナミを見る。

「あはははは……」恥ずかしそうに、イナミは笑う。「あの……えっと、ゲン兄、ごめんなさい」

「ん?」

 ゲンは、無表情にイナミを見下ろす。

 綺麗な瞳に射すくめられて少しだけ気まずそうに笑ったイナミは、首だけこっそり頭を下げる。「あの、昔ゲン兄の描いてた絵にスミこぼして……慌てて丸めて湖に捨てちゃったことあるの、ごめんなさい」

「なんでい、そんなことかよ」ケラケラとイチロウは笑う。「いつの話だよ、それ」

「うーん……覚えてない」と、イナミ。「すっごい昔だもん」

 いかにも気の抜けた表情で、ヨシはため息。「そんなの今さらどうだっていいじゃないの。ゲンなんて昨日作った人形のことだって忘れちゃうんだから」

「うん」興味なさそうにゲンもうなずいてから、イナミの横にしゃがみこんで、ひょいと人形の頭をつまみ上げた。「あぁ、俺のだね」

 俺……自分のこと、俺って言うんだ。

「あれ、それはわかるの?」と、聞いたのはヨシだった。「さっきは忘れてたのに」

「見れば思い出すよ」指先で土をほろいながら、ゲンは日差しに人形をかざす。「うん、黒目が大きくなりすぎたやつだ」

 そう言いながらゲンは、手のうちでくるりくるりと人形を回して、髪についた石つぶを丁寧に弾きつつ、その細部までをしっかりとあらためている。あまり表情に変化は見られないが、なんでこんなところに人形があったのかに対しては一定の関心を持っているようだ。

 すでに成り行きに飽きてしまったらしいイチロウとゼンタは、二人でバッタ取りに夢中になっている。

 しばらくしてゲンは、何かわかったのか、それともわからなかったか、とにかく空を見上げて鼻からふっと息を吐く。

 おもむろに、今までずっと黙っていたジロウが、ゲンの袖を引っ張った。

「ゲン兄……それ、見せて」

 一度チラッとジロウの方を見たゲンは、しばらく人形の顔を睨んでから、急に興味をなくしたかのようにジロウの丸い手に向かって人形を投げて渡した。

 危うく取りこぼしそうになりながら、ジロウはそれを受け取って、まっすぐ首の断面に向かって目を凝らす。「……あれ?」

「え、どうしたのジロウ?」立ち上がったイナミが、ジロウの肩ごしに人形を覗き込む。「なんか見つけたの?」

 真面目な表情のジロウは、少しためらいがちにアマコの方を見た。「えっと、アマコ、その、人形の首ってどうやって取れたの?」

 話を振られたアマコが、びっくりして目を丸くする。「え?」

「ちょっとジロウ、あんたねぇ……」カイリがジロウの頬を軽くつねる。「こんな時にそんなこと聞かなくてもいいじゃない」

「い……いたいよカイリ……」

「なにか、気になることがあるの?」と、真面目な顔でヨシが聞いた。

「うん」ジロウは首をコクンと縦に振る。「……多分」

 二三度頷いたヨシは、未だに自分にしがみついているアマコの肩を抱いて、優しい口調で語りかけた。「……アマコ、話せる?」

 皆に見られながら恐る恐るヨシの顔を見上げたアマコは、大きな深呼吸をひとつつく。

「うん……だいじょうぶ」

 みんなが、またアマコに注目する。

 アマコは兄の首から下をチラチラ確認しながら、オドオドと話し始めた。

「えっと……あの時わたし、ゲン兄ちゃんが来る前にさぎょう場のかたづけをしてたの……きのうもおそくまで色々つくってたから、ちらばってて……そしたらね……」

 せっかく泣き止んでいたアマコの目から、また涙がこぼれる。

「あの引き出しが、ちょっとだけあいてて……いつもはあそこ、きっちり閉まってるのに、めずらしいなって……わたし気になって、中を覗いてみたの……そしたら……あれが、そこに……」

 一度鼻すすり、アマコは続ける。「ごめんなさい……わたし、どうしても気になって……顔が見てみたくなっちゃって……だから、持ち上げてみようと思ったら、髪の毛がどっかに引っかかってて……」

 どうにもアマコは、一度泣き出すとどんどんドツボに入ってしまうらしく、またも顔を両手で覆って泣き始めてしまった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……わたし、ちゃんと持ち上げればよかったのに、急いでてむりやり引っぱっちゃって……そしたら、ばきって……」

 ヨシがまた両肩に手をかけてなぐさめるのを、しかしジロウは何やら自信有りげにこう呟いた。

「……やっぱり、アマコ悪くないっぽいよ」

「……え?」

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