がまがえる 三

「ね、大丈夫だから、アマコ……ゲンもそんな、怒ったりしないよ……」

「そうよ、ゲン兄ってこういうところ意外とニブかったりするって」

 と、ヨシとカイリが足取り重いアマコを慰めながら、曇り空の下を歩いている。未だシクシクと泣き続けるアマコは、いつの間にかちゃんと髪を縛りなおしていたヨシの背中にピッタリとくっついて、なおも鼻をすすりあげて震えていた。

 どうやら三人でゲンのところまで謝りに行くところらしい。ヨシの手がかすかに黒く汚れているのを見るに、すずりはちゃんと洗ったようだ。

「そうね……きっとこれアマコがやったんじゃなくて、元からとれてたのよ」ヨシはそう言って、小袋を掲げる。「じゃなかったら、こんなキレイに壊れないもの」

「そうよそうよ、あんがいゲン兄が自分で壊したのを置きっ放しにしてたのかもしれないわよ」カイリもうなずく。

「……でも……勝手に私……さわっちゃった……」か細い声で、アマコはつぶやく。

「いいじゃないのそれくらい」妙に明るく、カイリはアマコの背中をなでる。「本当に大事なものなら、見えるところに置くほうが悪いのよ!」

 ピタっと、アマコはヨシから手を離して、立ち止まる。

「ん? どうしたの?」ヨシが聞く。

 アマコは答えず、しばらく怯えたように目を見開いたかと思うと、また両手で顔を覆って泣き始めた。

「……だ、だいじょうぶ?」カイリが心配そうに、前かがみになってアマコの顔をのぞき込む。並んでみると、カイリとアマコとでは結構な身長差があるようだ。

「わ……私‥…ほんとに……どうしよう……」嗚咽を漏らしながら、ついにアマコはしゃがみこんでしまう。「どうしよう……どうしよう……」

「な、なによ、どうしたのよいきなり……」カイリは困惑顔で、アマコの頭を必死になでている。

 しばらくそれをいぶかしげにながめていたヨシは、チラリと目をそらした時に何か思い至ることがあったらしく、手に持っていた袋をゆっくりと持ち上げて中身を見る。

「あぁ、もしかして……これ、ゲンがどこかにしまってたものなの?」

 うつむいたまま、コクっとアマコは頷く。

 それを見たカイリは「まずいこと言っちゃった」とばかりにバッと口を手でふさいだ。

「だ、大丈夫だって、ね?」慌ててヨシが二人をなぐさめる。「きっと壊れてるのわかってるからしまっておいたのよ!」

「そ、そうよ!」カイリも懸命に、首を縦にふる。「絶対そうだって!」

「……ゲン兄ちゃん……いらないのは全部……私にわたすの……」アマコはわなわなと体を抱いて、消え入りそうなほどはかなく声を絞り出す。「捨てるの、私のしごとだから……」

「だ、だったら、きっと後で渡そうと思ってて……」と、カイリ。

 アマコは、首を振る。「ちがう……ちがうの……」

「な、なにが違うの?」

「あそこ……ゲン兄ちゃんが……作りかけのもの入れておく……棚で……」

 うわっと、アマコは声をあげて泣き始めた。

「それは……えっと……」ヨシは、本当に困ったような顔をしながら、しゃがみこんでアマコの手を取る。「ね、とりあえず、本人に聞いてみないとわからないって……行ってあやまってみよ?」

 ヨロヨロとアマコは立ち上がった。本当はもう少し泣いていたいように見えたけれど、謝らなきゃって使命感が無理やり彼女を動かしたみたいだ。

 またしばらく、茶色い道を言葉少なく三人が歩いていく。カイリが何度か、「だいじょうぶ……だいじょうぶよ」と、アマコと自分に言い聞かせていた。

 うーん……。

 アマコの顔、見ていて不安になるくらいに蒼白だ。

 いったいアマコは何をしちゃったんだろう。

 アマコが壊しちゃった物ってなんだろう。

 ヨシが持っている袋を覗いてみたいと思うのだけれど、不思議とは動かせない。ただ単に、視界がヨシたちについていくまま、カイリの「だいじょうぶ」と言う声にいつの間にかふしがついて、即興の唄になっているのをぼんやりと聴いているだけである。


  だいじょうぶ だいじょうぶよ


  ないてちゃだめよ かわいいあまこ


  うまくいかないことなんてないわ


 気が付けばどこかのすだれを抜けて、暗い室内の中にいた。光を取り込むための窓がないため、昼でも森の中のように薄暗いのは意図的なものなのだろうか。どことなく村の人形作場と似た雰囲気が漂っている。

 紙の散らばる床の上に、カリカリと熱心に木を削る後ろ姿を見つけたのは、少し時間がたってからだった。

 それくらい、その人の存在感はこの場所に溶け込んでいたらしい。

 大人と子どもの、あいだくらいの男の子。

 ハッとする。

 これが、ゲン……。

 首の後ろで雑然と縛られた髪が、木を削るのに合わせてゆらゆらと揺れている。

 ごくっと、ヨシがつばを飲んだ。

 ゲンは、近くの棚に置かれた木彫りの人形たちに囲まれて、超然と作業を続けている。後ろに並ぶ女の子三人には全く気が付いていないみたいだ。

 ……人形。

 人形である。

 人形が、並んでいる。

 首の細い、木彫りの人形……。

 私が村で見たものと、形がそっくりな人形だった。

 この時、私はドキッとして少しだけ目を覚ましかけたのだけど、確か頭を使うことをやめて、夢に集中していたと思う。

 やっとゲンを見られるんだから、そんなこと後で考えようって……。

 いったいどんな人なんだろう。

 これほどアマコを怖がらせるのだから、実はおっかない人なのだろうか。

 それとも夜みんなに噂されていたように、愛される人なのか……。

「えっと、ゲン?」ヨシが恐る恐るに口を開く。

 ビクッと、アマコがヨシの後ろに隠れる。

 カリ、カリ、カリ……。

「げ、ゲン兄ぃ?」カイリも、呼ぶ。

 カツ……カリカリカリ……。

「……ゲーン!」

 少し大きすぎるくらいの声で、ヨシが叫んだ。

「……ん?」

 と、ようやく振り返ったその顔を見たとき。

 夢の中、はっきりと、自分の胸の鼓動を感じた。

 ズキリとばかりに、心が震える。

 ……ウソだ。

 キー……イィ……ン……と、耳鳴りが聴こえる。

 そんな……バカな。

 ありえない。

 この顔は……だって……。

 綺麗すぎる。

 バチバチと、胸に火が付いたような気持ちだった。

 寝ているはずの体の隅から隅まで、痺れたように感じていた。

 ぼーっと、顔が火照りだす。

 すごーい……。

 まず何より目を引いたのは、暗い中でもはっきりとわかる肌の白さだった。外に出ていないこともあるのだろうが、アマコの肌も白いことを考えるに、きっとそういう血筋なのだろう。そこに切り込まれた、切れ長でありながら大きな目に浮かぶ黒く澄んだ瞳……黒くクマができているわりに目はパッチリと開かれていて、どこか普通じゃない神秘的な雰囲気をかもし出している。更には高くまとまった鼻に、薄い唇、細くて形のよい眉毛……触れれば冷たさを感じられそうなほどに透き通った頬……。

 なんというつやだろうか。

 ムズムズと、胸の奥がくすぐったくなってきた。

 あぁ、まさかこんな人間の顔がありえるなんて……人形だって、こんなに美しくは彫り出せないだろう。綺麗すぎて、どことなく女性的とも言えるような印象さえ感じられる。雑然と伸びた髪もまたそういう雰囲気を際立たせている。

 格好がいいというよりも、ちゃんと見ると「美しい」と言いたくなるような、そんな妖気。

 きつね……。

 そうだ、キツネだ。あれに似ている。

 一人だけ別世界の住人のようだった。

 その彼が筆のようなミノで削り出していた、その手に持っているものは、やはり人形であった。

 まだ作りかけの、影法師みたいな形の、人形。

 また目覚めようとする心を落ち着けて、にあるゲンの顔……ある意味人形よりも人形らしいゲンの顔に集中する。

 美しすぎて、村の他の男の子たちとは格が違っているようである。

 まさかまさか、イナミやヨシでさえ、かすむような美しさがあるなんて……。

 その透き通る瞳に、しばらくは見惚れていた。

 鋭いのに、どことなく柔らかい独特な目つきに、すっかり惹き込まれてしまったのだ。

 ……ありえない。

 ここの女の子たちは、こんな男の子と一緒にいたの?

 なんてうらやましい……。

「えっと、あ、忙しかった?」ヨシが聞く。

「いつもどおりだよ」愛想笑いもせず、ゲンは口元をゆるく動かす。想像していたよりもいくらか低い声だったけど、なんだかその声さえ特別に思える。多少耳に響くだけで、そこまですごい声じゃないのだけれど、もはやゲンを彩る要素の一つ一つがあたかも虹のように珍しい、漏らしてはいけない貴重なもののように思えてしまっていた。ヤキチの言動が全てイラつくのと原理は同じかも知れない。

「そ、そう……その、あ、それ」と、ヨシはゲンが今持っている人形を指差す。「今作ってるやつって、昨日から作ってた?」

「違うよ」口数少なくゲンは答える。うーん、なんだろうなぁ……確かにアマコと顔は似ているけど、だからこそ、ここまでゲンの顔が綺麗なのは驚異的だった。いや、アマコの顔だって、むしろ可愛いくらいだと思うけど、流石にゲンの水準には遠く及ばない。

 どうしよう……なんだかドキドキしてきた気がする。

「えっとぉ……昨日のは?」

 そう聞かれたゲンは、二度ほどチカチカと瞬きをしてから瞳をくるりと宙に向けて、考え込む。「昨日の……?」

 パッと、アマコはヨシから手を離して、二三歩後ずさる。

 ゲンがそのまま何やら思案しているのを、みんなまんじりともせずに見守っている。

 いやはや……見れば見るほど綺麗な顔だ……。

 もしや光っているのではないかしらと思えるくらいだ。

 あまりに神秘的な顔なので、何も考えられずボケっと見とれているうちに、アマコへの心配や人形がここにあるということへの疑問も、少しの間吹っ飛んでしまっていた。だけど、みんなが顔を固くしてゲンを見つめる、その空気のあまりに緊張しているのを感じて、なんだか気まずいような気分になりながら気持ちを落ち着ける。別に誰に見られてるわけでもないのだけれど……。

 しばらくして、ゲンの唇にうっすらと微かな笑みが浮かんだ。

「あぁ……昨日のか」そう呟く彼の静かな声が、背筋をひんやりと冷やした気がする。「どこにいったんだろうね……アマコ、知ってる?」

 その一言で、場の空気が凍りついた。ヨシはギクッと息を呑み、カイリはまたも口を手でふさぐ。

 そして名前を呼ばれたアマコは、パックリと開いた口をブルブルおののかせて、今にもひっくり返りそうなほどに目を潤ませる。

「あ……あのね、ゲン、そのことなんだけど……」と、ヨシが焦りながらも切り出そうとした、その瞬間。

「ご……ごめんなさい!!」アマコが大声で叫ぶ。

 あまりの音量にぎょっとするカイリとヨシを尻目に、アマコは一目散に走り去っていった。

「わ、アマコ!?」カイリが慌ててあとを追う。

 ヨシもそれに続いて走り出しかけたのだが、彼女はハッとして、ゲンの方を振り返った。

 彼はまた、自分の持っている人形へと目を落として、作業を再開しようとしているのだった。

 ヨシはびっくりして、うわずった声で叫ぶ。「げ、ゲン! 何してるのよ!?」

「……なにって?」いたって普通に、顔を上げてゲンは聞く。そのたまのような目には、微塵の動揺も感じられない。

「あ、あんた、アマコが行っちゃったってのに……」

「どこに?」

 ヨシはゲンの無感情な眼差しを受けて、怒っているやら困っているやらわからない、歯がゆい表情で彼を睨みつけた。

 しかし、ゲンは微動だにしない。まばたきと、緩やかな呼吸に伴って胸が僅かに波打つのさえなければ、そのさまはまるっきり人形である。

 このあたりで私は、きっとゲンは性格も普通じゃないと気がついた。

 しばらくヨシは、そのままゲンを見限ってアマコを追おうかどうしようか逡巡しゅんじゅんしていたようだが、やがて何か決心したらしく、ため息一つついてゲンの前に座って向かい合った。

 黒い瞳がヨシの目を見つめるが、彼女もまた目を逸らさない。

 ヨシは強い人だ。

「……ゲン、これ」そう言ってヨシは、手に持っていた袋から一つの人形を取り出した。

 綺麗な人形だった。

 今、ゲンが持っている彫りかけのものとは滑らかさが全然違う、十分に手の加えられた人形。流石に多少、クダンさんが作ったものよりは角張っていたけど、でも十分に可愛らしい、少女の人形であった。顔は、アマコとイナミの中間のような感じか。ゲンがすごいと言われていたのは、やっぱり人形製作であったようである。それにしても、これは果たして作りかけだったのだろうか? 私にはどこが不完全なのかまるでわからない。

 ただ、壊れていることだけは一目瞭然だ。

 だって首がもげているもの。

 ヨシが取り出したのは人形の、生首の部分だけである。体の残りは、ヨシの左手の藍色の袋の中から半分だけ覗いているのが見えた。首のところは、やはりクダンさんの人形と同じく、頭の大きさに比べて妙に細い。

「アマコが……これを謝りたいって……」

 ゲンはしばらくそれを眺めていたかと思うと、相変わらず目の色は変えないまま、少しだけ口元を緩ませて微笑んだ。この、目が細くならない笑い方が彼の特徴らしい。「へぇ……アマコがやったんだ、それ」

「あぁ……もとからこうだったわけではないのね?」ヨシはがっかりとため息。「ごめん……って、私が謝ってもしょうがないか」

 と、気まずそうに笑う彼女を尻目に、ゲンはまた、筆のような彫刻用の刃を人形に向ける。

「ちょ、ちょっと!?」またヨシが叫んで、身を乗り出す。「いや、えっと……怒ってないの?」

「怒らないよ」顔を上げずゲンは答える。「そんなもの」

 ほぉっと、ヨシはため息をついたが、すぐに怪しげな目つきでゲンを見る。「え、でも、これがなくなっておかしいと思わなかったの?」

「ん? うーん……忘れてた」とゲンは、なんだかわざととぼけているようにも見える表情で笑ってみせた。

 ドキッとした。というよりも、キュンときた。

「忘れてたぁ?」ヨシはポカンと、口を開く。

「うん……よく忘れるんだ」

「人形作ったのを?」ヨシはなんだか不思議そうに首をひねる。

 ゲンは、またも目を上に向けてあれこれ思案してから、またゆっくりと口を開いた。

「作りかけのやつって、あそこに入れておかないと忘れるんだ」彼はそう言って、おそらくアマコが開いたのであろう引き出しのついた棚を指差す。「昨日ね……確かにやりかけで寝てたかもしれないね」

「えっと、そのやりかけのやつ……首取れちゃったけど」と、ヨシがまた、生首人形を掲げてみせた。「人形ってそんなに簡単に首取れるの?」

「みたいだね」

「みたいだねって……」ヨシはまた呆れたように頭をかいたが、すぐに真面目な顔で「……本当に、怒ってない?」ともう一度聞く。

「怒ってないよ」

 そう答えた時のゲンの笑顔は、相変わらず情感のこもらない……それこそ人形らしい微笑みであったが、これが今日一番魅力的な表情に感じた。なぜかはわからないけれど、どことなく調和がとれていると言うか……見ていると安心するような、そんな雰囲気。

 みんながゲンを好きな理由が、それだけで十分すぎるくらいに伝わった。

 どうやら本当に怒っていないことがわかって、ハーっと肩の力が抜けたヨシは、しかしすぐにムッとした表情に戻ると、袋に適当に人形を詰め直してそのへんに投げ捨ててからゲンの手を掴んだ。「じゃ、行くよほら」

「どこに?」変わらぬ美しい笑顔で、ゲンは聞く。

「あんたさっき何見てたのよ! アマコを追わないとダメでしょ!」

「ん? あぁ、そっか、アマコ謝りに来てたんだっけ」

「そうよ! ゲンの人形壊しちゃったって、すっごい泣いてたんだから!」

「泣いてた? 気にしなくていいのに」

「あぁもう、だーかーらー、それを伝えに行くの! ほら、さっさと立つ!」業を煮やしたヨシは、無理やりにゲンを引っ張って立ち上がらせた。「早くそう言ってあげないとアマコ、ずっと泣いてることになるでしょ!」

 手を引かれるまま外へと引っ張り出されるゲンの口元に、相変わらずうっすらと残る笑みの残像を目に残して、その姿がすだれの向こうまで消えていった先を、私は惜しいような気持ちで眺め続けていた。

 色々とモヤモヤしていた。

 まず、ありえないほど魅力的であったゲンの顔に、すっかり惹き込まれていたのだけれど、その性格の掴みどころのなさにも目が回っていた。なんだろう、あれはただ単に鈍いのだろうか……。

 私にはどうも、彼の態度をまっすぐ信じることができなかった。アマコの異常な怖がり方が、そんな疑念を私に残していたのかもしれない。

 そして今、気になっていることが一つだけ……。

 クダンさんに見せてもらった小坊主人形を思い出す。

 あの人形も、確かに首は細かった。

 でも、触ったからわかる。

 あれはそんなにもろくない。

 首が折れたってことは、つまりは、力いっぱいへし折ったということである。

 ……アマコ、いったい何をしてたんだ?

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