わかがえる 三

 泣き声が響いてる。

 小さい子供の、大きな泣き声。

「あーゼンタがリン泣かしたぁー」手を叩いて、笑う声。

「ち、ちげえやい、リンがかってに泣きだしたんだい!」頭の高いところで髪を枝みたいに縛っているゼンタが、大声で抗議。

 泣き声を聞きつけて、女の子が二人走ってきた。

「ゼンター! またあんた……このバカぁ!」そう言ってゼンタの頭を、カイリが叩く。「あんたどうしていつもリンを叩くの!」

「叩いてないやい! 叩くのはカイリ姉ぢゃ!」

 ゼンタ?

 カイリ?

 それに、手を叩いて笑うあれは、イチロウ……。

 泣いてるのは……リン?

 あれ?

 ……ここは?

 爽やかな風が吹く森の中、踏みならされて自然にできたような土の広場で、真昼の太陽を木陰が遮る、そんなところ。ピーピーと鳴いてる鳥と、虫の声。

「リン、大丈夫? どこかぶつけたの?」優しい声で、泣いてるリンの頭を撫でているのは、女の子で一番年上のカヤだった。「うん、よしよし、痛いの? どこが痛いの?」

 リンはなかなか泣き止まない。だってまだとても小さいから。背の高さも、カヤの半分もないだろう。

「あ、石踏んだの? びっくりしたね」リンの足元を見たカヤは、ふふっと笑ってその小石をつまみ上げた。「あー、尖ってるもん。悪いのはこれかな?」

 鼻をしゃくってリンはこくんと頷いた。

「じゃあ、ほら、これを持ってね、こいつめーって言って、投げてごらん?」

 手渡された小石をリンは素直に受け取って、キョトンとカヤの顔を見上げる。「こいつ?」

「そうよ。痛いのはこいつのせいだーって。ほら?」

「……こいつめー!!」叫びながらリンがぶん投げた石は、やっぱり力が無いので大して飛ばなかったけれど、リンの涙はいつの間にか止まっているようだった。

「わぁ、とんだとんだ、痛いのも飛んでったかな?」

 キャッキャと笑い合う二人の後ろで、「くだらねー」と小さな声でつぶやく声。一人だけちょっと離れた木に片膝を抱えて座る、ヤキチの声である。でも、誰もそれには反応しない。ただ弟のゼンタと言い合いをしているカイリだけが、ちょっと嫌そうな顔でちらっと見ただけである。おかげですごくカッコ悪かった。

 遠くから、可愛いイナミが走って来る。「なーに、どうしたのー?」

「あ、なんで出てくんだよー」さっきまで笑っていたイチロウが急にプリプリと怒り出す。「意味ねーじゃん!」

「なにさー、リンが泣いてるんだから当たり前でしょ?」ほっぺを膨らませ、イナミもむくれる。

「よっしゃあ、イナミ出てきたから、俺の勝ちー」続いて聞こえてきた、嬉しそうな声。

 ソウヘイが、近くの大きな木から飛び降りてきた。ここで気がついたのだが、男の子たちはみんな後ろのほうで髪を縛っているようである。イチロウ、ソウヘイは後頭部でまとめていて、ヤキチは首の後ろに垂らすような感じ。

「うわ、そんなところに隠れてたの?」と、イナミが魅力的な目を丸くする。

「勝ちなわけねえだろ、もっかいだもっかい!」イチロウがすかさず噛み付いた。

 イチロウ、ソウヘイ、イナミの三人は、みんな同じような背の高さで、同い年の遊び仲間って感じらしい。パッと見だとソウヘイが少しだけ年上に見えるかもしれないけれど、でも、結局はイチロウとよく似ている。多少目元がイチロウの方が優しくて、ソウヘイは顔が四角っぽいかなって程度。だから二人とも、イナミとはまるで釣り合っていないのだった。

「なんでだよ、俺の勝ちだろ?」ソウヘイは自信満々に、イチロウに詰め寄る。「ちゃんと最後まで隠れてたじゃねえか」

「イナミは自分から出てきたんだろ」イチロウは認めない。

「だから俺の勝ちじゃ」

「んなことあるか、イナミは俺が見つけたんじゃねー」

「屁理屈こくなこの」ソウヘイがイチロウの肩を、ドンと押す。

「あぁ?」イチロウもやり返して、そこから軽い取っ組み合いが始まった。二人ともそっくりなくせに、どうやら仲は悪いようで、お互いに高い声でキーキーと罵り合っている。

 そんな二人を呆れた顔でイナミは眺める。「んもう、どっちが勝ちでもいいのにね」

「ねー」そう言ってカヤと二人で笑っていた。ケンカはいつものことなようだ。

「えー、じゃみんなどう思うんだよ、ソウヘイの勝ちでいいのか?」イチロウが納得する気の無い顔で、ソウヘイをつねりながら振り返った。「おいジロウ! あれ? おーい! ジロウ!!」

「いねえよバカ……」

 そうヤキチが言いかけたところで、そのヤキチの寄りかかる木の陰から太った男の子と、不安げな表情の肌の白い女の子が顔を出した。

「な、なに?」

 めんどくさそうに返事をした太った子は、確かにイチロウの弟という感じはするけれど、とても大人しそうな雰囲気のまあるい子、ジロウである。そして一緒に顔を出したか細い子が、ジロウと同じような年の女の子、アマコ。こちらも大人しくて、臆病な雰囲気がにじみ出ている。

「なぁ、ソウヘイの勝ちじゃねえだろ?」半分脅すような声で、イチロウは叫ぶ。

「え、う、うん……」

「はぁ?」と、今度はソウヘイが顔をしかめた。「おいゼンタ! お前はどう思うんだよ」

「えー、だっておれもう負けてるしー」とっくにリンと一緒に木の枝でのお絵かきに夢中になっていたゼンタは、めんどくさそうに顔を上げる。「どっちでもいー」

「いや、決めろ! どっちだ!」

 と、つかみ合いながらも二人してゼンタを睨むイチロウとソウヘイの後ろに、そこにいたみんなの視線が集中する。

 あ、ヨシだ。イナミの姉の……。

 そのヨシがビッと、二人の耳を引っ張って、釣り上げた。

「……いででででで!!」

「ケンカするなって言ってるでしょ、まったく」振りほどこうとする二人を軽く押さえつけながら、ヨシはため息をつく。

 ヨシは女の子の中でただ一人、男の子たちみたいに長い髪を後ろの高いところでまとめて縛っていた。でも、男の子たちよりも髪が長いものだから、どことなく動物の尻尾のような雰囲気だ。

 うーん、やっぱり格好いいな。髪を縛っているおかげか、綺麗でありながらも精悍な雰囲気がさらに際立っている。こうして見ると、背丈がけっこう高いんだなっていうのがよくわかった。年上のはずのカヤよりも高いみたいだ。

「おかえりヨシ」カヤとイナミがヨシに手を振る。彼女が来た途端、イナミの表情が明るくなったところを見るに、どうやら姉妹仲は良好な様子。

 そのヨシの後ろから、とても背の高い男の人が一人がゆっくりと歩いてきた。タケマルだ。この人はもう、子どもっていう雰囲気ではないな。若い大人って感じ。

「よーお前ら。みんな揃って、隠れっこか?」そのタケマルが片目を吊り上げて、にやりと笑う。

「うん、かくれっこ」ゼンタが答える。「タケマルにい、仕事は?」

「今日はもう終わりでいいとさ。代わりにお前ら見てやれとよ」

「やったー!!」ゼンタとリンが飛び上がって喜ぶ。カイリとイナミも嬉しそうだ。「じゃあ、川まで遊びに行けるね」カヤが微笑んで、涼しい顔のまま未だイチロウとソウヘイをガミガミ叱っているヨシを見る。「ヨシ、もう離してあげなよ」

「そうだそうだ、耳ちぎれるって!」イチロウが叫んでる。

「そんな強くやってないでしょうが」そう言ってヨシは、やっと二人から手を離した。「向こう着いてもケンカするなら川に叩き込むからね」

「わかったって、もうしねえよ……」悔しそうに、でもどこかホッとした顔でイチロウがつぶやく。それはきっと、さっきのケンカに負けかけていたからだろう。止めてもらったおかげで、彼はなんとか面目を保てたのだ。

 また涼しい風が、サラサラと枝葉を揺らす。

 ジロウとアマコがいた木の方へ、みんな立ち上がって歩いていく。あちら側が、きっと大人と一緒じゃないと遊んじゃダメと言われている川なのだろう。

 年長のタケマルが、手加減しながらも負けない速度で走っているのを、競い合ってイチロウとソウヘイが、ちょっと遅れて楽しそうにイナミとカイリ、ゼンタが追いかける。

 やや迷って、ジロウもノソノソ、走りだす。

 優しいカヤは幼いリンと手をつないで、ゆっくりと歩いていく。

 そして一番後ろを見守るように歩いていたヨシに、待ち構えてたアマコが駆け寄った。

「ねえ、ヨシ姉ちゃん……」不安げな顔で、アマコはヨシを見上げる。

 身をかがめて、ヨシは笑顔でアマコを見る。「なに?」

「あの、ゲン兄ちゃんは……」

 アマコは、ゲンの妹……。

「あぁ、ゲンね……」ヨシはため息。「誘ったんだけど、来ないって」

「……うん」

 寂しげに顔を落としたアマコの頭を、ヨシが撫でる。「……ごめんね、今度は絶対連れてくるよ」

「あ、いや、それはだめ……だいじょうぶだから……」

 必死で首を振るアマコを見ながらヨシは、イチロウたちには見せなかった優しい顔で微笑んだ。「アマコが気を遣わなくてもいいのに……あいつが兄ちゃんなんだから」

「ううん……だいじょうぶ……」

 ジーンと、胸の奥に痛みを感じる。愛おしさと切なさの混じった、不思議な痛み……。

 みんなの背中が、遠のいていく。

 追おうとしているのに、何も動かない。

 やがて景色さえ遠くなっていく。

 背中に誰かの手が触れて……。

 それは……。

 体が、揺れている。

 大人の女の人の影……。

「……さん……スミレ……さん……」

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