がまがえる 七

「怖いんだろ」

「怖くねえわい」

「嘘つけよ」

「お前が怖いんだろ」

「ちげえっつってんだろ。バカか?」

「あ、やる気か?」

「んもう、いつまで言ってるのよ」布団が並ぶ大きな部屋の中、寝ているまんまにケンカを続けるイチロウとソウヘイに、イナミが呆れて物申す。「いい加減寝ないとヨシ姉に怒られるよ」

「ヨシ姉はもう寝てんだろ」と、イチロウ。「なんか疲れてたし」

「起きちゃうって話でしょ」カイリがつぶやく。「うるさくって寝らんないわよ」

 ここは私が寝ている部屋とよく似た一室……寝ているのは、イチロウ、イナミ、ソウヘイ、ジロウ、アマコ、カイリ、それにゼンタの七人。いわゆる子ども組である。リンがいないのは、きっとまだ親と寝ているのか、あるいは近くの別部屋にいるらしきヨシたちのところで寝ているのかのどっちかだろう。

 布団は三と四の二列に並んでいて、枕は全て中心に向けてある。位置は、イチロウとソウヘイが対角線なのは当たり前で、イチロウの側にジロウとゼンタがひとつずつの布団で寝ており、ソウヘイの隣では女の子三人が、ほとんど一つの布団に入っているくらいに身を寄せ合っている。

 つまりは、かなり微笑ましい光景だということ。

「でもゼンタは寝てるぜ」イチロウが、笑う。

「ゼンタは水かけたって起きないわよ」カイリも笑った。

「首取られるならゼンタかな」ぼそっと、ジロウ。

「首取るとか言わないでよー!」カイリがアマコにギュッと抱きつく。「あーこわいー! ほんと絶対私より先にねないでよねっ!」

「カイリ、そこおなか、くるしい……」

「あ、ごめんごめん」

「タケマル兄、どこでその妖怪のこと聞いたのかな?」怖がってるんだか面白がってるんだかわからないイナミが、クスクスっと笑う。「やーん、私も寝らんないかも」 

「みんな私より先にねないでね?」カイリが体を起こして、寝室を見回す。「約束だよ?」

「んなの約束できねえよ」と、突っ込んだのはソウヘイ。「だまって寝ろよ、うっせえな」

「うるさいのはそっちでしょっ!」

「どうせねらんないなら一緒だろ」

「あーまたへりくつー」

「へんっ」

 うーん、やかましい。みんなどうしてクビソギなんていう嘘くさい妖怪に、あれだけ盛り上がれるのか。そのさまを見ていると、なんだろうか、不思議なさみしさみたいなものを感じてしまう。

 わずかばかりの静寂の後、イチロウが「なぁ、ジロウ、ションベン行きたくね?」と切り出した。

「行きてえのはお前だろ」すかさずソウヘイが突っかかる。「怖いなら怖いって言えよ」

「お前には聞いてねえ」

「イチロウ兄が行きたいなら一緒に行くよ」これがジロウの返事だった。彼は兄弟に対しては割と食ってかかる性格らしい。あるいはこの反応、ジロウも実は怖がっていることの裏返しかもしれない。

「……じゃ、一緒に行こうぜ」思ったよりもあっさり、イチロウは立ち上がる。

「うん」ジロウものそのそと起き上がった。

「あぁ……じゃあ俺も行こうかな」と、ソウヘイ。

「おめえもやっぱり怖かったんじゃねえか!」イチロウが吠える。

「あ? おめえが怖がってそうだからついていってやるんだよ」

「うそつけ、かっこつけんなよ」

「イチロウ兄、お前ってことはさ……」ボソッと、ジロウが細い目を兄に向ける。

「なんだよ」イチロウは気づかない。

「……いや、なんでもない。早く行こ」

「なになに、みんな行っちゃうの?」カイリが体を起こす。「ちょっと、女の子だけのこしていく気?」

「ゼンタがいるだろ」と、ソウヘイ。

「ゼンタだけじゃたよりないじゃない」イナミも、起き上がる。「ずるい、私も行く!」

 何がズルいのか……。

「あ、イナミが行くなら私も!」と、カイリ。

「……え?」と、アマコ。「あ、じ、じゃあ私も……一緒に……」

「あんだよ、全員でゾロゾロ行く気か?」ソウヘイが笑う。

「おこられないかな?」ジロウが心配そうに呟く。

「大丈夫よ、みんなで厠行くだけだもん」カイリはすでに立ち上がって帯を締めていた。「……でも、静かに行こうね」

 とまあ、全員が怖がりだったということで、大部屋を抜け出してみんなで厠に向かう運びになるのは当然の流れだったのだろう。ゼンタだけ置いていくのかとも思ったが、流石にそんなことはなく、カイリが無理やり引き起こしたのを、ソウヘイが背負って運んでいく。

 夜、外の景色は暗く、森の木々は妖怪の手のように揺らいでいる。暗いせいで道なんてほとんど見えなかったけれど、この子たちはみんな住み慣れた場所だからだろう、迷わずよどみなく歩を進めていく。

「おい、近いっての」

「だって怖いもの」

「静かに静かに」

「うわっ、なんかふんだ!」

「俺の足だよ」

「バレないかな?」

 コソコソ行儀悪く抑えられたささやき声が、バレないわけがないだろうというくらいに響いている。虫たちがうるさすぎるせいで、ある程度声を張らないと聞こえにくいのだろう。

 月光が雲の隙間からわずかに漏れ出して、黒い厠とその前に集まる子どもたちをこっそりと照らし出す。男の子たちはみんな髪を縛っていないので、雰囲気がずいぶんと違って見えた。後ろ姿だけなら、男か女かもわからなそうだ。

「さて、じゃあ俺からな」と、イチロウが言う。

「え、ジロウじゃないの?」イナミが聞いた。

「なに言ってんだ、俺が一番前にいるだろ」ソウヘイが抗議しながら、ゼンタをイチロウに素早く押し付けて、反論の間も与えずさっと厠に滑り込む。

「あ、てめ……さっさとすませろよな」

「わかってるよ、うるせえなぁ」

 他のみんなは厠の側面に移動して、思い思いの姿勢でたむろする。そっちの方が臭くないし、中も見えないからということだろう。

「……まったく、やっぱりガマンしてたのね」と、男子たちを見ながらカイリが口を尖らせる。「みんなヨシ姉に、今のうちに行っておきなさいって言われたとき、意地張ってたんでしょっ」

 ジロウが気まずそうに下を向く。図星らしい。

「用もねえのについてくるお前らに言われたくねえよ」イチロウが、そこそこ的を射た反論をする。「なんでついて来てんだよ、誰もいねえのバレたらほんと怒られるって」

「しょうがないじゃない、怖いんだから」アマコの背中に張り付いたまま、カイリがブーたれる。「先に用足して来なかったそっちが悪いのよ!」

「悪いってことないでしょ」ジロウがムッと言い返す。

「ほらほら、静かに静かに」イナミは楽しそうだ。

「……てかまだかよソウヘイ!」イチロウが文句を言う。「もれるってまじで!」

「てめえらがうるせえから出ねえんだよ!」

 そんなほのぼのとしたやり取りをみんなが続けている間、ただひとりアマコだけが、木々の隙間から下の方に見える、明かりがともっている家屋を見つめていた。

 用を足して厠から出てきたジロウが、アマコの視線に気が付く。「……あれ、ゲン兄起きてるんだ」

「お、ホントだ」ソウヘイも、頷く。

 この厠……というよりもみんなが寝ていたところは、地理的に少し高い場所にあったようで、下の方にこの子たちの村は広がっているらしい。今、木がほどほどに生い茂る坂の下に見えるあの屋根の下は、どうやら今朝方私(の視点?)も訪れたゲンの人形部屋のようだ。少し高いところにある木の格子がついた窓と、裏口とおぼしき簾の隙間から橙の光がかすかに漏れ出している。

「ねえねえ、ちょっと見に行ってみない?」イナミが変なことを言い出す。「クビソギってあそこにいたんでしょ?」

 この発言で、イナミだけはあの怪談を全力で楽しんでいるというのがはっきりわかった。

「だ、ダメにきまってるでしょっっ!」声は抑えつつも、カイリが怒鳴る。「いやよ、クビソギに会っちゃったらどうするのよ!」

「ゲン兄一人っきりなのか……」ボソリと、ジロウ。「襲われたら一発だね」

 ゆっくりと、アマコがジロウを振り返る。「……え?」

「い、いや、流石にだいじょうぶだとは思うけどさ」慌てるようにジロウは取り繕う。「ほら、身代わりの人形はいっぱいあるんだし……」

「あ、思いついた!」イナミが嬉しそうに跳ねながら、ソウヘイを小突く。「ねえねえ、ゲン兄に人形作ってもらおうよ」

「なんで?」と、結局順番を最後に回されてしまっていたイチロウが、厠から顔を出した。

「身代わりにするのよ」イナミは自信満々に、輝く笑顔で振り返る。「そうよ、きっと人形の首が取れてたのも、人形がクビソギの身代わりになってくれたからなのよ。だからみんなで枕の近くに置けば、きっとお守りになるって」

「えー、人形ってそんなすぐには作れないしょ?」カイリがうなる。「でも、そうね、たしかにいいかもそれ」

「それならゲン兄じゃなくてオンジィに頼めばいいんじゃない?」と、ジロウ。「ていうか、今から行く気? さすがに怒られるって……厠じゃ言い訳きかなくなっちゃうよ」

「うーん、そうか……でもなぁ……」

「だって、今からあそこまで行くの怖くないの?」カイリは落ち着きなく、ソワソワしている。「ねえ、もう戻ろうよ……」

「ちがう……」

 ぼそっと、アマコが呟く声。

 少しだけゾワッとする響きを含んでいた。

 みんなが、振り返る。

「ちがうって?」イナミが不思議そうに首をひねった。

「あれ、ゲン兄ちゃんじゃない……かも」

 一瞬だけ、空気が固まったように思う。

 ゲココココとカエルの鳴き声が、サラサラと揺れる枝葉とひしめき合う。

「え、どうして?」なんとなく心細そうに、カイリが聞いた。

「ゲン兄ちゃん、遅くまでおきてるときは八間(*天井に吊るした行灯あんどん)に火をつけるもの」

「あ、ホントだ」ジロウがすぐに頷いた。「あれ、ロウソクかな……それに、動いてるような……」

 その時である。

 ふっと何かが明かりをさえぎったと思うやいなや、かすかながらも鈍い音圧が、空気を震わせた。

 月光が紫色の雲に飲み込まれ、一面の暗闇が広がる。

 シーンと、呼吸が空気に飲み込まれ、虫たちだけが変わらずに羽を震わす。

 作場から、明かりが消えた。

 そして……。

 闇の中、より一層黒い影が、シャッと眼下の裏口からすり抜けた。

 それは、私がお婆さんの屋敷で目覚めた時、布団のかたわらに座っていた人が駆け出していったのと同じくらいに頼りない輪郭だった。ともすれば勘違いだったやもわからない、漆黒のおぼろげな揺らぎでしかなかった。

 しかし、それはだった。

 証拠立てるように、ここにいる誰もが息を飲んでいた。

 夢枕に、総毛立つ。

 妖怪を信じているわけではないとはいえ、流石にこの時ばかりは肝を冷やしてしまった。この場にいないはずの私でさえも、一瞬夢現ゆめうつつに目を覚ましかけるような衝撃だったのだから、子どもたちはよくぞ悲鳴を上げなかったと思う。

 ……怪談というのはあなどれない。どれだけ信用ならない話であっても、クビソギなんていうインチキ話であっても、暗闇を怯えさせるには十分な威力なのだ。そこに得体の知れない影があったとくれば、なおさらである。後から考えれば、この時起こったことは結局のところ、誰かが裏口から抜け出していっただけのことだったのだろう。だが、それだけのことでもこの夜ばかりは、深刻な怪異の、闇の怖さの片鱗と映ってしまったのだ。

 凝然と、カエルの鳴き声が支配する宵闇の中、恐る恐るにみんなで顔を見合わせる。

 ジリッと、誰かが後ずさる。アマコかカイリか、ともかくどちらかの女の子の呼吸がやにわにハァハァと震えだした。

 最初に口を開いたのは、イナミだった。「……今の見た?」

「うん……多分」と、ソウヘイが答えたあたりで、月光がやっと雲を裂いて、小さな目撃者たちを照らし出す。

 ひとりひとりの表情が、浮かび上がった。

 カイリは目をギンギンに見開き、ワナワナと顎を震わせている。アマコは一見無表情ながら、よく見れば時が止まったのかと思うくらいに表情を凍りつかせ、イチロウはあんぐりと開いた口から魂が抜け出さんばかりであった。

「……んあ?」と、カイリに体を支えられて立っていたゼンタが、素っ頓狂とんきょうな声でうなる。「あれ、カヤ姉は?」

「ちょっと、寝ぼけすぎよ……」と、ふざける余裕もなさそうなカイリ。「も、もぉ……なんなのよ……うそでしょ……」

「何も見てない、何も見てないぞ」イチロウが、首を振る。「こんな暗いんだ、か、かんちがいくらいあたりまえだろ……?」

「いや、だけどよぉ」ソウヘイも、流石に格好つけることもできずつばを飲む。「って、おいアマコ、大丈夫か……?」

 アマコは、口を開く気配さえない。

 だが。

 ザザっと、草の生い茂る坂を踏みしめる音。

「お、おい……」

 ソウヘイが不安げに手を伸ばすのも気にせずに、イナミが、足元に気遣いつつ坂を下り始めた。

「ちょ、ちょちょちょ……ちょっとぉ!?」ギリギリに抑えられた叫びを、カイリが喉からひねり出す。「な、なにやってるのよ、帰ろうよぉ……」

 イナミに続いて、ヨタヨタとジロウが、目を細めながら木々の間へ。

「お、おいジロウ! 死にてえのか!?」イチロウが、大げさに慌てる。

「だって……」ジロウは、振り返る。「明かり、消えてないよ」

 そう……そうなのだ。何かがあそこを抜け出す一瞬手前に、明かりは消えたものだと錯覚していたのだが、闇に目が慣れよく目を凝らせば、未だに小さく、部屋の中の低いところで光が点っているようなのである。それは普通なことではない。誰かが抜け出して光が消えたのなら、話はわかるのだ。きっとゲンか誰かが、ちょっと何かを思い出して立ち寄って、すぐにいなくなっただけのことだから。

 だが、明かりが残されているのは不自然だ。

 なぜ明かりが残っているのか。

 好奇心と恐怖。勝つ方は、わかりきっている。

 ソウヘイも、歩みだす。

「あ、ま、まってよぉ……ねぇってば……」半泣きのカイリが、アマコに抱きついたまま震えている。「私ぜったい行かないよ……?」

 と、そう誓ったカイリの目の前でゼンタが、眠い目をこすって下り始めた。その途端、足を滑らせて転ぶように落ちていく。

「ちょ、ゼンタ!?」焦ったカイリは、咄嗟とっさに彼を追いかける。

「あ、カイリぃ……」と、あの影が現れて以来、初めてアマコが、ギリギリの涙声を絞り出した。「おいてかないでぇ……」

 イチロウは、しゃがみこむ。

 上の様子はその辺までしか知らない。

 意思とは関係なく、視界がズンズン下がって、あの作場らしき場所へと向かっていく。さほど距離があるわけでもないため、すぐに木の格子窓の下まではたどり着いていた。

 燐光が、本当に幽かに窓から揺らめき、漏れ出している。

 気が付けば、裏口のすだれの前になんだかんだ全員が集合していた。今しがた誰かがここから出て行ったということは、すでに中には誰もいないという意味でしかないのだが……いや、だからこそこの一枚の薄い幕が怖いのかもしれない。誰もいないのは確実だから、誰かがいてしまったら大事おおごとなのだ。恐怖を覚えたのはさっき出て行った影に対してなのに、人の心って理不尽である。

 が、少なくとも、影が走り去っていった方向には、とても歩みだす気がしない。

 ここは上の、月明かりの当たった厠のところよりずいぶんと暗い。だから、逆にわずかな明かりでも、簾の隙間から細く染み出しているのがわかる。

 誰かがつばを飲む。

 ここまで来ておいて、誰もこの中に入ることができなかった。イナミでさえ簾に手をかける前に、ずずっと後ずさってしまったくらいだ。

 クビソギの話を、なんとなく思い出す。

 クビソギは気に入った首を取って……自分の頭に取り付ける……。

 首を取られるって、怪談なら笑えるけど、もし本当だとしたらおっかないにもほどがあるなぁ……。

 タケマルの怪談をヨシがやりすぎと称した理由がわかってきて、なんとなく悔しかった。

「も、もう……戻ろうぜ……」イチロウが、あろうことかイナミの背中に張り付いて、ささやく。「やばいって、怒られるって……」

「ホントよ、何やってるのよあんたたち」

 ビクッと、全員の背筋が面白いくらいに跳ね上がった。

 振り返ればヨシが、月明かりを背景に腕を組んで立っていた。髪は縛っていない。

「……うわ、なんでここにいるの?」と、さっきまでとは打って変わって気まずそうなイナミ。妖怪は怖くなくても、姉に怒られるのはおっかないらしい。

「どうもこうも……」ヨシはため息。「厠行こうと思ったら、部屋に誰もいないじゃないの」

「あぁ……」と、ジロウがうなだれる。

 ともかくこの場にヨシが現れたことで、イチロウ、カイリ、アマコは安心したようで、みるみると肩から力が抜けていく。他の、ゼンタをのぞくみんなは逆に、気まずそうにヨシから目をそらした。

 が、少なくとも、ヨシの出現で、場の空気は陽が昇ったみたいに弛緩しかんした。

 事情を知らないヨシは、ゲンの作場から漏れ出す僅かな明かりが気になったのだろう、そのままごうも迷うこともなく簾に手をかける。

「あ、ま、まって……」と、カイリ。

「え?」ヨシが振り向く。「なに? ていうか、え、なんで泣いてるの?」

「さっきそこから何かが出て行ったのよぉ……」カイリは、目をこする。「く、クビソギいたらどうしよう……」

「いねえよそんなの、いるわけねえって……」強がるソウヘイが、頭をかく。「出てったんだからさぁ……」

「出て行った?」ちょっとだけ、ヨシは首をひねった。「ゲンじゃないの?」

「だって、八間に明かりが……」アマコが、つぶやく。

「……とにかく、明かりは消さなきゃ」ヨシはやはり、わずかも迷わず簾を持ち上げる。「話はそのあとよ。言い訳もその時に聞くからね」

 イナミとソウヘイが、このあと怒られることを考えたのか、すごく嫌そうな顔で舌を出す。だがなんにせよ、一番怖かった作業をヨシに託せるのはありがたいことだったのだろう。彼女の背中越しに二人はすぐに作場をのぞきこんだ。

 アマコもそれに続く。兄のいる場所だから、気になって仕方なかったのだろう。

 私の視点もそこに移動して、部屋の中をのぞき見た。

 暗い部屋には、やはり誰もいない。

 一見、何も違和感のない、今朝見た通りの作場である。と言っても、正直ほとんど何も見えなかった。そこに点っていた光は心許なさ過ぎて、せいぜい部屋の中に人がいるかいないかがわかる程度の明るさしかなかったのである。

 そんなわけで、一番最初に目に付いたのはその光源の、取っ手のついた小さな壺のような灯りが土間に倒れたまま奇跡的に光を保っているところであった。火はすでに消えかけている

 ……が。

 次に目に入ったものが、まずかった。

 最初それに誰も気がつかなかった理由……それはが、まさしく裏口のすぐそば、位置で言えば格子窓の直下のところにいたせいで、真っ直ぐ覗くと死角になっていたからだ。

 彼は、倒れていた。

「あ……」ヨシが、息を呑む。

 空気が、凍った。

 ゼンタが、泣いた。

 アマコが、叫んだ。

 その場に倒れている彼が……ゲンであることは、なんとなくわかった。

 この時夢の中で見た景色を、私はうまく表現することはできない。だって、一瞬しか見られなかったから。

 胸を重たいもので打たれたような激しい衝撃を感じて、悲鳴とともに私は跳ね起きた……否、起きようとした。

 すぐに足やら胸やら、あちらこちらに痛み出して、身悶える。そうか、私は怪我をしていたんだった……。

 呼吸が荒い。

 外はまだ、ほのかに夕日が沈んでいくような時間。

 ドタドタと、誰かが廊下を走ってくる。

 指先がピリピリする。

「ど、どうした!?」と、慌てたギンジさんの声が、枕元に響く。

 しばらくは返事ができなかった。

 一瞬のうちに私に刻みこまれた光景に、心のほとんどが飲み込まれていた。

 見えたのはゲンの体。

 それしかわからない。

 後から考えたことだが、私は衝撃と恐怖のあまり、恐らくを見ることができなかったのだろう。

 だから、倒れるゲンの首から上は、赤かったとしか表現することができないのだ。

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