護るべき者

 肌を焦がす灼熱の壁。呼吸すら困難にさせるほどの殺気。

 眼前に見えるは、明確な殺意を抱く三匹の悪魔。後ろには護るべき少女が一人。

 黒乃春市がこの場に立つことに、迷いなど微塵も必要なかった。


「動けそうか?」


 目の前の悪魔など眼中にないとばかりに、春市は後ろにいるフィアへと声をかける。

 壁が崩れ、いたる場所から火の手が燃えうつり、今にも倒壊しそうな多目的ホールの惨状は、ある意味では春市の予想通りだった。

 唯一の予想外は、助けに来た少女――フィア・ハーネットが思いの外ファントムを相手に奮闘していたことだ。最悪の結末を予想しかけた身としては、嬉しい誤算と言えた。

 春市の真後ろで倒れる金髪の少女の傷は、傍目から見ても相当に酷い。擦り傷が身体のあちこちに浮かび上がっているし、特に左肩の切り裂かれたような傷は、早急な処置が必要だろう。

 普通なら痛みと疲労と恐怖の三重苦で泣き叫んでもおかしくないというのに、それを表情に出さないフィアの強さに内心で大賛美しながら、春市はこの場での最適解を探す。

 少女は一人でこの絶望に立ち向かった。

 ならば、次は自分の番だ。


「ハーネット?」

「ひゃ、ひゃい!」

「……いや、なんでそんな変な返事?」

「あ、その、夢でも見てるのかなって。黒乃さんのことを考えたら、本当に私の目の前に黒乃さんが現れて……それで……」

「なんだそりゃ」


 場違いな少女の発言に、春市は場違いに苦笑しながら、じりじりと間合いを詰める三匹のファントムへ意識を向ける。


「で、もう一回訊くけど、動けそうか?」

「は、はい……いったい!」

「あー、もう、無茶すんな。とりあえず、そこで少し待ってろ」

「待ってろって……」

「直ぐに片付ける」


 春市は不敵に笑い、三匹の魔獣と対峙した。


「ハーネットは魔力を自分の内側に流せ。それで気休めだが、止血ができるはずだ」

「待ってください! 私も……」

「いいから」

「でも……」


 その続きをフィアは言えず、ぐっと息を呑む。わかっている。今の自分がするべきことはそれではないことくらい。

 そして、静かに目をつむり、魔力を自分の体内に流し始め、


「お願いします」

「ああ。任された」


 その一言がとても頼もしいと、フィアはそう思った。

 フィアは浅く息を吐き出し、言われた通りに魔力を流し始める。翡翠色の光がフィアの体を包み込み、流れ出ていた血が止まる。

 それを確認した春市は一歩前に踏み出した。


「ふぅ……」


 ――思考を単純に、シンプルに尖らせろ。


 状況の把握、その理由など、視界から広がっていく情報量を意図的に狭め、余計なものを全て捨てる。

 ただ目の前にいる敵を倒すことだけに意識と思考を集中。

 何時もと変わらない。ファントムを滅する為だけにこの体を動かすだけでいい。

 春市は自らに、そう自己暗示をかける。


「――行くぞ」


 豪ッ! と両の腕から炎を纏わせて駆け抜ける。数メートルの距離を一瞬で詰め寄り、春市はその速度を活かしきった正拳突きをマンティコアの一匹へと叩き込んだ。視認から直撃まで、完全に意識の死角を突かれたマンティコアは、獣の様な悲鳴を上げる。

 確かな手ごたえ。

 だが――


「――は?」


 抉るように打ち込んだ打撃跡が、春市の目の前でビデオの巻き戻しのように消えていく。そのあり得ない現象に、集中していた意識が途切れ、春市の動きが一瞬止まる。


「っち!!」


 その僅かな隙を狙って、残り二匹のマンティコアが飛び掛かって来る。春市は直ぐに途切れていた集中力を復活させて距離を稼いだ。まるで幽霊でも相手にしている気分だな、と悪態を吐く。


「黒乃さん!」


 背後で叫ぶフィアの声に、春市は軽く手を振って、大丈夫だ、と返事を返した。

 春市は油断ない仕草で、改めて眼前のマンティコアたちを見つめ、思考する。

 今のは間違いなく致命傷になるほどの一撃だった。それを無かったことにされたのだ。

 致命傷だろうが一瞬で回復する超再生能力。過去の文献や資料を漁っても、

 であれば、この敵は完全な予想外イレギュラーということになる。

 なるほど、確かにフィア・ハーネットが苦戦するわけだ。これは、今の彼女には荷が重い。


「……ま、なんとなるだろ」


 ギュッと春市は拳を強く握り直す。彼女には荷が重い。だから自分が来たのだ。


「――シッ!」


 一瞬で距離を詰めてくるマンティコアの腹部に剃刀のように鋭い正拳突きが突き刺さる。

 苦悶の声を上げるマンティコアの下顎に、畳み掛けるような左アッパー一閃。

 牙がへし折れ、その勢いのまま天井に頭から叩きつけられるマンティコア。


「すごい……」


 怪我の痛みも忘れ、フィアは呆然と春市を見つめていた。今の一連の動きが、拳速が明らかに人間離れしていたからだ。

 これが、黒乃春市の本気だと、フィアはこの時になって初めて知った。

 春市は身体を半身に捻り、拳に魔力を集約させる。この場に向かう前に凪沙の調律チューニングによって安全装置が解除された固有武装ギアが、力の解放を喜ぶような唸りを上げた。


「不死身か、或いは超再生能力か、そこんとこは知らないが――」


 仲間がやられたことに怒る二匹のマンティコアが激情に任せて春市に襲い掛かった。

 だが、春市はマンティコアの牙と爪を皮一枚で躱し、魔力を集約させた拳を放つ。完璧なタイミングのカウンターが決まる。

 拳がマンティコアの顔面にめり込むのと同時に、春市は素早く重心移動して、もう一匹のマンティコアの頭を掴んだ。そのまま力づくに掴んだ頭を振り回し、顔面を殴ったマンティコアを弾き飛ばし、最後に用済みとばかりに掴んでいたマンティコアも投げ飛ばす。


「――殴れるなら関係ないよな!」


 沈黙した三匹のマンティコア。しかし、それで事が終わるとは春市も思ってはいない。

 倒壊する多目的ホールでの戦いは、このままいけば膠着状態になるのは明白だった。

 とはいえ、状況それは戦力が拮抗した上での消耗戦とはまるで違う。


「うげっ……まだ動けるのかよ」


 ゆらりと再び起き上がってくるマンティコアを見て、春市は悪態を吐く。

 三匹のマンティコアは、このまま持久戦に持ち込んでしまっても一向に構わないと思っているのだろう。それに対して、春市とフィアはいち早くこの場からの離脱が目的。

 どちらに分が悪いかは考えるまでもない。


「さて、どうしたもんか……」


 春市は三度襲いかかるマンティコアの鼻っぱしらに拳を叩き込みながら思考する。三対一という数の不利などないとばかりに立ち回る春市だが、その体力は無限ではない。

 事実、この場所に向かうまでの全力疾走で春市の体力はかなり削られていた。それでも表情に出さず、何時もと変わらずに戦えているのは、普段からの鍛錬の成果と言えるだろう。しかし、それでも限界は来る。


「そもそもファントムが不死身って、あり得るのか?」


 マンティコアの一体に裏拳を叩きつけながら、ぽつりと春市は呟いた。

 姿形は異形の怪物だが、元々ファントムは高純度の魔力によって生成された存在だ。そもそもの話で、ファントムに生死の概念はない。あえて言うのなら、ファントムに内包されている魔力が尽きた時がファントムの死というわけだ。

 逆説的ではあるが、魔力さえ尽きなければ、そのファントムは事実上の不死身となる。

 カチリ、と先程の攻防で感じた謎の正体に春市は勘付いた。

 もしもの話だ。あり得ない、前例のないケースだが、このファントムはあのドラゴンが出現してから現れた。つまり、仮説が正しいのなら、目の前のマンティコアたちは――


「まさか……あのドラゴンのファントムがこいつらに魔力を与えている?」


 導き出した答えに、春市は震えた。しかしマンティコアたちの攻撃は止まらない。三位一体の攻撃は更に激しさを増す。考えをまとめる時間が欲しいのに、春市はなりふり構わずに応戦するしかない。

 六刀の爪の刃が縦横無尽に飛び回る。


「ぐっ……!」


 爪の嵐を掻い潜りながら、春市は背後にいるフィアを見た。彼女の出血は既に止まっているようで、多少ではあるが体力も回復できたようだ。呼吸が先程よりも幾分かだが穏やかなのが良い証拠だろう。

 あとは逃げる時間が稼げれば、と口の中で零す様にぼやき、春市は魔力を自らの固有武装ギアに流し込んだ。


「まぁ、なんでもいいか。そういうことなら、こっちも遠慮なく使うだけだしな!」


 マンティコアの動きが止まる。春市の放つ魔力の流れに気づいて、警戒しているのだろう。だが、


「いくっ……ぜぇ!」


 咆哮を上げて、春市は不敵に笑う。そういえば、この手は師匠である麻耶から禁じられていた気がする、と直前で思い出す。


(――ま、いいか)


 忘れてたことにしよう。非常事態だし、と自らに言い聞かせ、春市は叫ぶ。


「全てを燃やし、駆け上がれ――《迦具土》!」


 マンティコアたちが、本能に任せて後ろに跳ぶ。アレは危険だと、直感的に理解したのだ。


「ハーネット! 吹っ飛ばされるなよ!」

「え……? あの、えっと……はい!」


 視認できるレベルまで濃度を高めた魔力に、色が灯る。これまでの炎とは比較するのが馬鹿らしいほどの膨大な熱量が、春市の固有武装ギア・迦具土から溢れ出ていく。以前のフィア・ハーネットとの模擬戦で使われたものと同じ、黒乃春市の異能の力だ。

 しかし前回と違うのは、その魔力が拳先に集約されていくのではなく、空間に凝縮されて巨大な炎の塊を形作ったことだった。

 春市の固有武装ギアは、『収束』した魔力を余すことなく『解放』する性質を持っている。その性質を十全に使うのが《伊弉冉イザナミ》という技だ。だが、逆に放出する魔力をあえて『収束』させずに『解放』させ続けたら、どうなるか?

 その答えがこれだ。


「燃やせ! ――《伊奘諾イザナギ》」


 出現したのは、太陽――

 そう錯覚するほどの膨大な熱量の塊。触れてもいないのに、間近にいるだけで大気中の水分を蒸発させる。

 単純な魔力の塊であり、黒乃春市の異能を十全に、否、それ以上に引き出す《伊奘諾》。

 それがなんの前触れも無く、当たり前のように爆ぜた。

 攻撃とも言えない、炎の壁がマンティコアたちを襲う。だが、それだけでマンティコアたちの姿が消えた。

 断末魔に似た咆哮が多目的ホールを響き渡る。

 炎の中でマンティコアたちは、その異常を知った。


 ――再生が追いつかない。


 焼け焦げた肌が再生し、また焼け焦げていく。十、二十、百の再生が繰り返し、幾万の苦痛が身体中を駆け巡る。

 無限地獄は終わらない。


 ――してくれ!


 マンティコアたちの願いは、本来なら無敵となる要因によって叶わない。


「恨むなら、自分たちの再生能力の高さを恨むんだな」


 圧縮した魔力を一点に集中する《伊奘冉》とは真逆。ただ、ひたすらに対象を燃やすという行為に完全特化させたのが《伊奘諾》だった。その性質は、舞闘会コンクールで戦った久瀬宗一郎の《牙炎昇華がえんしょうか》に近い。

 決定的に違うのは、久瀬宗一郎の異能が一瞬の破壊力を広範囲にばら撒くのに対して、黒乃春市の異能は一瞬の破壊力を犠牲にした代わりに、発動からの持続時間が半永久的だということだ。

 では、何故そんな切り札を禁じ手にされていたのか。

 それは、


「あっ、やべ」


 ガタンッ! と柱が崩れる音がした。

 春市は冷や汗をかいて、治療中のフィアの方へ振り返る。


「ハーネット!」

「……は、はい!」

「逃げるぞ!」

「へ? ひゃあ!」


 振り返り、倒れたフィアを担ぎ上げ、そのままマンティコアたちが居た場所と反対の方向に向かって走り出す。

 放たれた魔力の炎が、ホール全域に拡散。天井が崩れ、支柱が倒れる。


「黒乃さん?」

「悪い、ハーネット。建物の方が耐えられなかった」


 禁じ手にされていた理由。

 それは春市が制御できないからだ。

 『解放』の性質を制御しないで、ひたすらに威力を上げた結果、使用した場所全域を問答無用で更地にしかねないという傍迷惑極まりない異能となった。そんなある種の自爆技を使うな、と麻耶に使用を禁じられていたのだ。


「うわわ! 黒乃さん、天井が!」

「とにかく走れー!」


 多目的ホールが完全に倒壊したのは、二人が脱出してから数秒後のことだった。

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ファントム・ブレイク 黒崎ハルナ @kuro

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