第五章 悪夢の始まり

異変の前兆

「あれ……いま、なんか?」


 最初に違和感に気付いたのは、偶々三年生校舎を見回りに来ていた教師だった。

 甲高い声。鳴き声のような、あるいは悲鳴のような声が見回りをしていた教師の耳に入ってきた。自分を含めた見回り組を抜かせば、この時間帯は生徒も教師も例外なく多目的ホールに集まっているはずなのに。


 ――いまの、誰の声かしら?


 首を傾げた教師は、声の主を探す。発生地点は遠いような近いような、微妙に判断に困る鈍い聞こえ方だった。背後の三年生校舎を振り返る。と、僅かに感じる足元の微細な揺れ。地震に近いが、やたらまとまった震動だ。震源地はそう遠くはないだろう、と教師は当たりを付けた。柄にもなく、お伽話に出てくる巨人の足音を想像してしまう。


 ――まさか、ファントムが出たのか?


 そうであれば、非常事態だ。

 改めて教師は自らの固有武装ギアを握り締めて、三年生校舎を一瞥した。だが、これといった異常は無い。気のせいだったかな、と再度つま先を歩道に戻し、そこで教師は突然自分の体が鉛のように重くなったのを感じた。三年生校舎のすぐ近く。高等部校舎の最果てに建っている資料館。滅多な理由がない限りは教師すらも立ち入らない場所が揺れていたのだ。


「え、な……なに?」


 それは恐怖だった。本能が恐怖を察知し、脳内にアラーム音が鳴り響く。

 ――瞬間。耳をつんざくような轟音に教師は思わずしゃがみ込んだ。至近距離で雷の落下音を聞いたような、鼓膜を破るためだけに生まれたかと錯覚してしまうくらいの爆音に目を瞑る。

 やがて爆音が収まり、おそるおそる目を開け――我が目を疑った。資料館の屋根が無くなっている。代わりに、巨大な煙突に似たナニカが突き出ていた。


「あ……あ……ああ……」


 夜の帳のせいで、その全体像はよく見えない。

 しかし、この離れた場所からでも感じる、肌を刺し貫くような魔力の重圧プレッシャーが『それ』の存在を否が応でも認識させる。


「――ひっ!」


 教師は喉まで出しかけていた悲鳴を慌てて引っ込めた。身体中から汗が吹き出て、背筋が凍りのように冷たくなる。仮にも特異能力者を教える立場の者。幾度となく上級と呼ばれるファントムを目にしてきたし、それらを相手にしても十二分に戦える自信が教師はあった。


 だが、それでも。

 ……アレは自分一人の力でどうにかなるものじゃない。

 迷わず。それこそ一瞬の躊躇いも幻想を砕く者ブレイカーとしてのプライドさえも投げ捨てて、教師は『それ』から全力で逃げ出した。

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