心の在り方

 舞闘会コンクールの初日は無事に全試合が終了した。この後は多目的ホールで立食形式のパーティーが行われる予定だ。

 そんな時間に春市は夕焼けの空の下、一人でベンチに腰掛けていた。

 とくに何かをしていたわけではない。

 ただ、何となく今は一人になりたかった。


「なんだかなぁ……」


 口に出して、春市はため息。さっきから胸の中にぐるぐると渦巻く感覚が一向に消えてくれない。舌打ちの一つも出てくれないことに、またイライラする。


「クソっ……」


 悪態を吐き、空を仰ぐ。髪を乱雑に引っ掻き回し、再びのため息。色々な感情が春市の胸の中でせめぎ合い、一つの答えに辿り着かないことが春市はどうしようもなく嫌だった。

 あれから。

 春市たちは一回戦を突破したものの、二回戦の参加は不可能と学院側に判断されて、二回戦は棄権となった。

 そこに不満は一切ない。

 元々春市たちは、因縁のある久瀬宗一郎と戦うことが目的だった。であれば、それ以降の試合に関してはどうでもいい。

 だというのに、春市は自分でもまとまらない苛立ちに悩んでいる。


 負けたくないと願い、無事に喧嘩に勝てた。


 一発ぶん殴ると決めていた久瀬宗一郎の顔を手加減抜きに全力で殴れた。


 試合にも、勝負にも春市は勝ったのだ。


 ……だというのに、この胸を穿つ虚しさはなんだ?


 否、それは虚しさではない。

 自分の中では答えが出ていると理解していても、ついつい、他の可能性を探してしまう自分に嫌気がさす。

 医務室で意識を取り戻した時から春市は自分がそこに居ない感覚にあった。凪沙がやたらと怒ってきたときも、一成が心配したと言ってきたときも、どこかふわふわした感じがした。そのまま「後でな」と短く言って、逃げるように医務室から出た。

 目覚めてから、フィア・ハーネットに出会えていない。

 苛立ちと虚しさの原因は、やはりそれしかないのだと思う。顔を合わせる勇気がないと自覚している自分と、それとは別に胸に棲まう嫉妬。

 彼女と出会ってからの数日間。こんな感情を抱いたのは初めてだ。


「……なにやってるんだよ、俺は」

「まったくだ。こんな場所で何をしている」


 独り言に返事が返ってきたことに春市は驚いて、弾かれたように声の方へと振り向く。

 返事を返したのは漆黒のスーツを着た麗人だった。

 夕焼けから夜の帳に変わる時刻。夕陽が黒髪を煌めかす。


「麻耶先生? 何でここにいるんだ」

「それはこちらのセリフだ。生徒は全員多目的ホールに集まるように言っただろうが」

「そうだっけ?」

「……まったく。それで、珍しく一人か」


 会話がそこで途切れる。

 そういえば、ここ数日間は一人になった時間はなかった。常にフィアや凪沙が近くに居たし、寮に戻れば一成がいたからだ。

 ほんの数日前までは、一人が当たり前だったのに、今はそれに違和感を感じる。

 麻耶はそのまま、春市が座るベンチの片側に手をかけた。お互いに顔を見合わせることはせず、ただ沈黙だけが続く。


「……葛藤だな」

「え?」

「その不愉快な表情の原因だ。まぁ、何に悩んでいるかは、大体想像がつくがな」


 沈黙を破り、あまりにも唐突な麻耶の言葉に春市は声を詰まらせた。胸の内側を見透かされされたような感覚が身体中を走る。

 春市の顔を見て、麻耶が少しだけ表情を変えたような気がした。


「――本当は……」


 どこか他人事のような口調で春市は語り出し、逃げるように空を仰いだ。


「本当は、もっとやれるって思ってた。ハーネットは経験不足、凪沙は戦闘向きじゃない。だから、俺がなんとかするしかないって思ってた。だけど……実際の試合で、俺は呆れるくらいに役立たずだった」


 多目的ホールに向かう生徒や来客者の姿が遠目に映る。感情の収集がつかない今の春市に、その姿はどこか遠くに感じた。


「……自惚れるな」


 春市の気持ちを見透かすように、麻耶が口を開いた。

 気遣いのない、現実だけを示した言葉。

 否定しようとしても、否定しきれない自分を恥じて春市は唇を噛んだ。魔力の才も武芸の才も欠けている身だが、それでも自分が並々ならぬ実戦経験と実力を持っていることは自覚している。そして、同学年の中でも自分の実力は上位に位置していることもだ。だからこそ驕らないように、慢心しないようにしてきた。特異能力者としての師である麻耶が常に厳しい要求と評価をしてきたというのもあるが、それでも自分の実力を過大評価だけはしていないつもりだった。

 だが、それ自体が驕りだったのだ。

 自分の弱さや無力さを今日の試合で嫌というほど痛感した。

 それと同時に、自分が今一度特異能力に向き合うきっかけを与えてくれた少女の強さも。


「黒乃春市」


 いきなり名前を呼ばれて、春市は驚きも合わさって顔を上げる。

 闇色にも似た黒髪と意思の強い瞳が春市の視界に入った。


「おまえは、一生そのままでいるつもりか?」


 ……一生?

 麻耶の宣告にも似た宣言に、春市は言葉を失った。


「今のおまえはある種の板挟みにあっている。自らに失望し、他者に嫉妬を覚えた。それは人が誰しもが持つ当たり前の感情だ」


 宣言者は何時もと変わらない口調で語りかける。聞き慣れた声音にもかかわらず、その言葉全てが春市の頭に絡みつく。胸を抉られるような痛みが春市を襲う。


「学院に来てからずっと、おまえはただ流されるままに生きて来た。その身にある力を高めることも、その才能を生かす道も探さずに、ただ流されるままにな。そんなおまえが初めて自分の意思で道を決めた。そして、今のおまえはいくら努力しても望む結果が付いてこなくて苛立ちを覚えているといったところか」


 フィア・ハーネットの目標になると決めた。

 目標に相応しい人物になろうと努力を重ねた。

 だが、その目標は、その道は厳しく険しいものだった。


「おまえは弱い。どれだけの努力を重ねても、最高位の特異能力者には決してなれないだろう」


 夏の風がふわりと吹く。吐息をこぼし、春市は首にぶら下げた固有武装ギアを見た。銀色のチェーンに繋がれたネックレスが揺れる。


「……そんなこと、わかってるよ」

「そうか? 私にはそれを理解していないからこその葛藤にも見えるがな」


 ベンチの端に立ったまま、春市の師は断言する。


「大切なのはどうしたいかでも、どうなりたいかでもない。だ」


 言葉を返す気はない。話は終わってないからだ。


「自らの生み出した限界幻想に縛られている者は、幻想を砕く者ブレイカーにはなれない。結局のところ、必要なのは心の在り方だ」


 春市は麻耶の言葉の意味を半分も理解できていなかった。

 だけど、その言の葉が身体の芯を打ったのを確かに感じる。

 それなのに、感情の昂りは感じられない。目の前にいる相手がまったくの私的な感情を言葉に乗せていないからだろう。

 まるで鏡に写したもう一人の自分のように麻耶は春市に告げてくる。


「黒乃春市。おまえはどう在りたい?」


 ひゅう、と胸の中に風が通り抜けたような気がした。

 麻耶の話を聞いても、未だに春市の心はすっきりしていない。

 苛立ちも嫉妬も確かにまだ春市の中に在る。それでもやるべきことは決まったような気がした。元々最初から決まってはいたが、それでも今、初めて全力を賭してその道を進む覚悟が決まった。


「俺は……」


 だが。

 言葉半ばにして春市の言葉は途切れてしまった。

 いや、違う。かき消された。

 学院全体を揺るがす地鳴り。

 そして、その地鳴りをもかき消さすほどの、何者かの巨大な咆哮によって。

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