戦慄の咆哮

「じ、地震?」


 突然の激しい震動に足をとられて、春市はバランスを大きく崩した。

 立つことも困難な激しい揺れが風花学院全体を揺らす。


「いや、どうにもおかしい」


 地鳴りに膝を折りそうになりながら、麻耶は周囲を見渡した。舞闘会コンクールの開催中なのもあって、人気のない高等部校舎。その一角、三年生の教室がある校舎の方向に異変があるのを見つける。

 魔力が溜まっていた。それも普通では考えられない程の魔力の量が、校舎がある方向から発せられている。


「まさか……」


 麻耶が呟いたのと同瞬。その校舎があるであろう真上の空が揺らいだ。空間が捻じ曲がり、空洞が開く。続き、地上に這いずり出るように、或いは落ちるように無数のナニカが落下していくのを春市は視認する。遠目からではよく見えないが、春市は直感でそれらの存在を感じとった。


「……黒乃!」


 気がつけば麻耶は叫んでいた。


「今すぐ会場にいる先生たちに連絡してみんなを避難させろ! 一箇所に固まっていると危険だ!」

「え、どういうことだよ。それ――」


 麻耶が返答するよりも早く、春市は自分の目でその言葉の真意を理解する。

 再度、地面が揺れ動く。高等部校舎の方向が爆発し、『それ』が近づいてくる。赤黒い皮膚と巨大な体躯が建物を破壊しながら姿を見せた。


「ど、ドラゴン!」


 視線を上げたまま、春市は声を荒くして叫んだ。その声色には明確な恐怖が混じっている。

 幻想を砕く者ブレイカーにとって、ファントムという存在に対して真っ先に思い浮かべる存在。厄災とまで呼ばれるAランクのファントム。


「おいおい……竜種のファントムなんて、教本の挿絵くらいでしか見たことないぞ」


 数百メートル先から近づいてくる『それ』を見て、春市は自らの記憶にあるドラゴンと比較する。本来ならば飛行に使われるはずの翼がなく、姿だけなら有名な火の精霊のサラマンダーにも似ていた。だが、なによりも春市の視線を奪ったのは、そのとてつもない巨大さだ。首を伸ばせば全長は二十メートルは超えるかもしれない。一度だけ、歴史の授業で読んだことがある資料にあった竜種のファントムと比べて圧倒的にサイズが大きい。あれと比較すれば、インプやグールのような低級ファントムが赤子に見えてしまう。


「何故こんな場所に竜種が……」


 隣に居る麻耶の声に、珍しく動揺が混じっているのが伝わってくる。

 独り言のように麻耶は呟き、舌打ちを一つ落とす。


「ちっ……おい、黒乃!」


 麻耶は再び春市の名前を呼んだ。それにより、飛びかけていた意識が戻る。


は私たちだけではどうにもならん! 逃げるぞ!」

「に、逃げるって、何処にだよ」

「とりあえず会場まで走れ。学院長ジジイもこの異変に気づいているはずだ」


 状況を確認した瞬間、ドラゴンの首が空高く伸びた。口を開け、そのままの姿勢で動きを止める。何をする気なのかはわからないが、とにかく動きを止めている今がチャンスだ。そう思った直後、


『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!』


 鼓膜を破るような咆哮が響いた。

 そして、ドラゴンの足元から何かが上空に向かって飛び出す。その数は五つ。そのうちの一つが空中で翼を広げる。遠目からではわかりづらいが、アレはCクラス級のファントムの……


「マンティコア!」


 春市が叫ぶのと同時に、春市の前に巨大な氷の壁が生えた。透明な氷の壁越しに獣の爪が壁にめり込むのが見える。勢いが強く、壁にヒビが入った。

 直接倒すには少々面倒だと判断したのだろう。紅い獣は春市から標的を変え、スーツ姿の麗人へと目を付ける。


「先生!」


 それを予想していたのか、彼女は既に動いていた。マンティコアが飛びかかるのとほぼ同時に氷の塊を背後から精製する。


「放て」


 それは氷の槍だった。空気中の水分を魔力によって凍らせ、それをマンティコアにぶつけたのだ。水色の閃光がマンティコアを穿つ。

 マンティコアの爪が砕け、獣は悲鳴を上げた。


「ファントムが複数体の下級ファントムを従えるなんて話は聞いたことがないな」


 麻耶の表情に、普段の余裕が無い。


「……早く行け」

「え?」


 その言葉の意味がわからずにいると、麻耶は早口に告げてきた。


「私が囮役になる。おまえは生徒の避難を手伝え」


 無数に飛び散っていった蝙蝠に似たモノ。それらがいつの間にか春市と麻耶を取り囲むように頭上を旋回している。


「まさか、あれ全部がファントムなのか……」

「……ちっ」


 落下する影を麻耶は氷の矢で撃ち落とす。

 だが、その数は減らない。


「惚けるな馬鹿弟子! 早く行け!」


 氷の矢を撃ちながら、麻耶がホールを示す。


「だ、だけど――」


 無茶だ。いくら何でもこの数を一人で相手するなんて。


「貴様が居ても邪魔だというのがわからんのか!」


 口にしかけた言葉を麻耶は黙らせた。


「学院には戦えない者も大勢いる。その人たちの安全を確保するのが先だ。既に何匹かが多目的ホールに飛んで行っている。最悪、もう被害が出ている可能性もあるだろう」


 氷の柱がいくつも重なり、巨大な壁を作り出す。それが春市と麻耶を物理的に分断させた。

 絶望的な状況だというのに、麻耶は誰よりも冷静かつ正確に現状を分析し、優先させるべき事柄を見極める。それが幻想を砕く者ブレイカーとしての在り方だからだと麻耶は理解していた。

 少なくとも、混乱の中にいる自分よりもずっと冷静だ。そう春市は納得し、大きく息を吸った。


「麻耶先生!」


 今一度春市は麻耶の名前を呼んだ。


「死ぬなよ」

「誰に言っている。この半人前が」


 振り返ることなく、春市は固有武装ギアを起動して駆け出した。

 離脱した春市を追いかけようと、上空にいたファントムが降下して行く。が――


「悪いが」


 それを阻止せんと、地上から氷の槍が発射。直撃し、地面に這い蹲るファントムを麻耶は見下すような冷たい視線で見ていた。


「ここから先は私の許可無く進むことは許さん」


 無数に群がるファントムを前に、幻想を砕く者ブレイカー・《氷鬼》は不敵に微笑んだ。

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