恐怖の化身

 一日目の試合が終わった後。神城凪沙とフィア・ハーネットは立食パーティーが行われている多目的ホールにいた。

 元々パーティー用として設計されていた多目的ホールには二千人を超える人が密集している。

 人口密度が高いからか、室内は熱気に包まれないようにホール各場所に設置してある冷房がフル稼働していた。


「大丈夫?」


 立食パーティーではあるが、ホールの端には座る為の椅子も用意されている。そこに腰掛けているフィアに凪沙は心配そうに声をかけた。

 右手に持っていたオレンジジュースのグラスをフィアに手渡して、並ぶように隣へ座る。正直なところ、あまりの人の多さに軽い人酔いになりかけていた。


「すみません、凪沙さん」

「ああ、気にしないで。あんなことがあった後だしね」

「ははは……はぁ……」


 深く、深く吐き出される溜息。

 つい先ほどまでフィアは取材を求める学院の報道部から逃げ回り、政府関係者たちを始めとしたスカウトマンたちのしつこいスカウトを受けていたのだが、ようやく一息つくことができた。天才だ、金星だ、と持ち上げられたが、フィア本人としては微塵も嬉しくない。

 上級生の中に混じり、報道部のインタビューやスカウトマンからの話を聞いていたのだが、もの凄く居心地が悪かった。

 特にスカウトの話が一番酷い。誰一人として笑顔はないし、聞いていて頭が混乱するような難しい話の数々。ピンと張り詰めた空気にフィアは息が詰まりそうになった。

 自分たち低学年には舞闘会コンクールはただのお祭り騒ぎなイベントでしかないが、卒業を控えている最上級生にとってはその後の進路を決定する大切な場であることは以前に春市から聞いていた。しかし、その様な大切な場所に一年の自分がいることになろうとは。浮いているとかの話ではない。


「おお、ここに居たか。探したぞ」


 人混みをかきわけ、学級委員の一成が近づいてくる。手にはお茶らしきグラス。こんな場所でも場違いに和を貫くクラスメイトに苦笑し、凪沙は片手を振った。


「一先ずお疲れ様。外のモニターで見ていたが、大金星だったな」

「そういう火野のとこもベスト8突破おめでとう」

「あ、おめでとうございます」


 投げやり気味に凪沙が返すと、フィアも慌てて返事を返した。

 二回戦を不戦敗した自分たちと違い、一成の所属するチームは危なげなく二回戦も突破して明日の試合も参加することになっている。


「運良く優勝候補のいるチームと当たらなかっただけだ。山場は明日の試合だな」


 言って、険しい表情を浮かべる一成。

 相変わらず真面目だなぁ、と凪沙は思った。


「明日は応援に行きますね」

「それは心強い。ハーネットたちの応援となれば、気合いも入る」

(あれ? この流れってあたしも行かないと駄目な感じ?)


 ぶっちゃけ興味はあまりないが、予定もないからいいか。と盛り上がる二人を見ながら凪沙はグラスに口をつけた。

 舌の上でじんわりと果実の甘さが広がる。


「……ところで、黒乃は一緒じゃないのか?」


 きょろきょろと辺りを見渡して一成が聞いてきたので、凪沙とフィアは首を横に振った。


「医務室から出たっきり戻ってないのよ。どこで油売ってるんだか」


 もしかしたらこのホール内に既にいるのかもしれないが、これだけ人が密集している中では、誰がどこにいるか分かったものではない。


「まあ、迷子とかじゃないから大丈夫でしょ」


 凪沙は連絡を取ろうとしてスマホを取り出す。この際、会場の外とかでも構わない。とりあえず合流場所くらいは決めておこう。

 そう思って、メールのアプリを起動した時――


 それは始まった。


「うわ……」


 突然の激しい揺れに、凪沙はバランスを崩してその場に座り込んだ。

 立つことも困難な激しい揺れに、テーブルの上に置かれていたグラスが落ちて、パリンと音を立てて砕けた。天井に吊るされたシャンデリアが揺れ、窓のガラスにビキッと蜘蛛の巣のような亀裂が走る。


「な、なに? 地震?」


 ホールにいた生徒の誰かが叫ぶ。

 部屋のそこかしこで悲鳴と動揺が入り混じった声が聞こえてくる。


「あ、あわわ……はわわ!」


 揺れに動揺したのか、奇声をフィアは上げた。

 どうやらここまで激しい地震を経験するのは初めてらしい。そんなフィアの肩を掴みながら、凪沙は部屋を見渡す。非常口などの出入り口にはまだ人がそれほど押し寄せていない。

 揺れは収まる気配はないが、小さくはなったので凪沙は立ち上がってフィアの手を引いた。幸いにも今の揺れで誰かが怪我をした様子はない。


「なんなのよ……」


 嫌な予感がした。上手く言えないが、この地震は変だ。揺れが収まる気配がないのに加えて、やたらと断続的に地面が揺れている。

 ……まるで、何かが地面を踏み抜くように。


「フィアちゃん、火野……今の内に外に出ましょう」

「え、でも……そんな勝手に」

「いいから」


 有無を言わさず、凪沙はフィアの手を取り非常口に向かった。一成もその後をついて行く。


(気づかなきゃよかった)


 不安が凪沙の中で拡散し、小さな疑念が肥大化しつつある。だからこそ凪沙は思った。


 ――ここから離れなきゃ!


 何が起きているかはわからないが、学院で何かよくないことが起きていることはわかる。

 全身の細胞が震えて伝えてくるのだ。

 早く逃げて! 早く逃げて! 早く逃げて! と。

 そして、それは確信に変わった。


「学院長!」


 多目的ホールの正面入り口の扉を開け、女性教員が声を貼り上げる。よほどの距離を走ってきたからか。衣服は乱れ、呼吸も荒い。

 それでも女性教員は自分の身なりに気にする素振りも見せず、目当ての人物を探す為に目を走らせていた。


「どうした、騒々しい」


 学院長が不在なのか、代わりに三年生の学年主任が女性教員に聞いてきた。

 目当ての人物がいない事実に落胆するも、かぶりを振るように頭を上げて女性教員は叫ぶ。


「教師も生徒も来客の人たちも、今すぐここから!」


 ぞくりと背筋が震えた。声を振り絞る女性教員の表情は恐怖に歪んでいる。

 なによりも先の発言。彼女は「逃げろ」と言った。この場合に相応しいのは「避難」なはずなのにだ。

 それが意味するのは、


「ファントムが現れました! それもAのファントムです!」


 ざわざわと会場内がざわつき出す。

 同時。パニックになる自分たち人間を嘲笑うかのように天井の窓ガラスが割れ、何かがホールへと侵入してきた。


(春市ハル!)


 助けを求めるように、凪沙は無意識に赤いパーカーの少年の名前を心の中で呼んだ。

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