彼女の過去
結局、春市とフィアが凪沙から解放されたのは、昼休みが始まるギリギリの時間になってからのことだった。
現在二人は昼食を食べる為に学生寮とは別に、高等部校舎内にある共有学生食堂へと向かっているところだ。凪沙は整備課に鍵を返す際に手続きをしなければならないらしく、後から合流することになっている。
肩を並べて歩く道は相変わらず気温が高く蒸し暑い。
「悪かったな。疲れただろ」
「え?」
「いや、凪沙のやつが騒がしくてさ。普段はあんなんじゃないんだがな」
「あ、いえ、そんなことは。私の為にしてくれたことですし」
フィアはそう言って、自分の胸の前で手を小さく横に振った。それならよかった、と春市は笑って、
「面倒見がいいのがあいつの美点なんだけどさ、偶にやり過ぎちまうことがあるんだよ」
「仲良いですよね、凪沙さんと黒乃さんって」
「そうか? まぁ、あいつとはなんだかんだで中学からの付き合いだしな」
「なんかいいですね、そういうの。私は友達がいなかったから、憧れちゃいます」
フィアが何気ない口調で話す。
「友達がいなかった?」
春市は驚いてフィアへと訊く。フィアは少しだけ恥ずかしそうに、はは、と笑って先の発言を肯定する。そして、さしたる感傷も見せずに頷いた。
「孤児院の子供って、あんまりよく見られなくて。まぁ、経営難な小さい孤児院だったのもあるんですけど」
「そう、なのか……?」
孤児の子供がどう見られるかなんてことは、普通に両親がいる春市には想像が追いつかない話だ。だが、予想以上に重い彼女の身の上話は、春市から言葉を奪うには十分過ぎた。
「もしかして、わざわざ日本の育成学校に来た理由も……」
「お恥ずかしい話で、そういう理由も少々。奨学金制度が導入されていたのが、
フィアはそう補足する。嘘をついている雰囲気ではなかったし、彼女の性格からして今話したことは偽りのない真実なのだろう。実際、お金のない特異能力者というのは決して少なくはない。そんな訳ありな特異能力者たちの為に奨学金制度を導入しているのは、日本とアメリカの育成学校だけだという話も春市は聞いたことがある。
「あの、でも、孤児院のみんなとは家族みたいに仲良しでしたから、寂しいとか、そういうのは無かったですよ。孤児院のスタッフの人も優しくしてくれましたし、生活に不満とかもなかったので」
フィアが慌ててそう言って、無理やりに湿っぽい空気を散らした。
「あー……、じゃあ日本語もその孤児院のスタッフさんから?」
「はい。私の母が日本人だと知っていたらですかね。日本語の教科書を小さい頃に誕生日プレゼントとしてくれたのがきっかけでした」
そうか、と春市は彼女が日本語を流暢に喋れる理由に納得する。きっと、小さい頃に貰ったその教科書を使って、真面目に、きっちりと勉強したのだろうと春市は思った。
「それにしても助かったぜ。俺は日本語しか話せないからさ。ハーネットが日本語喋れなかったら、きっとここまで上手くコミュニケーションが取れなかったな」
「え、日本は
「うっ……! あ、いや、確かに英語は必修だったけど……」
習ったからと言って、大多数の人が会話できるわけではない。
そして春市はその大多数の内の一人だった。ついでに言うと、成績もそこまで良いわけでもない。
「その……すみません」
まるで心を見透かされたような声色で謝られ、春市は少し惨めになった。
「気にしないでくれ……というか、できたら忘れてくれ」
「あはは……。あ、なら今度私が英語でよければ教えますよ」
「え、マジで?」
「はい。イギリスは英語圏ですから」
「そいつは助かる。くそ、ハーネットがテスト前に転入して来てくれたらよかったのに……」
そんな話をしているうちに、二人は目的地である学生食堂に近づいていた。
食堂内に入ると春市たちに――というより、フィアへ多くの生徒たちからの視線が集まる。
(目立つからなぁ……)
一年生だけでなく、二年生や三年生からも注目を集めていたのだが、運が良いのか、はたまたそういった感性が鈍いのか、フィアはその視線に気づくことなく食堂内を歩いていく。
その後ろを春市はついていくのだが、時折『あれが噂の……』『上級生に喧嘩を売った
(もうみんな知ってるのか)
金髪に金色の瞳という日本人離れした容姿の所為で注目を集めていたのかと思っていたのだが、それだけではないらしい。どうやら、自分たちが
その中に一つ気になる単語が混じっていた。
――「水無瀬麻耶の
つまり、春市本人も話題の一部ということだ。
だからといって気にしても仕方のないことではある。なので、春市は問題が無い限りは堂々としていることにした。
「黒乃さんは何にします?」
「あー、何にすっかなぁ。ちなみにハーネットは何にするんだ?」
「私はこの日替わり定食セットにしようかと」
学生寮の食堂は毎日決められたメニューが出されるが、高等部校舎内にある共有学生食堂は食券で好きなメニューを選べるようになっている。無論、学生寮の固定されているメニューは学食の調理師たちが栄養管理と味をしっかりと考えた組み合わせなのだが、やはりある程度とはいえ自由に選べる共有学生食堂の方が生徒たちからの人気は高い。
その中でフィアが選んだのは、メニューの中で一番安く量もそこそこあると評判の定食セットだった。特に深い理由はないのだろう。実際、金銭的に余裕がない生徒が多いこともあって、定食セットは食堂内での人気メニューでもある。
しかし、先の話を訊いた後だと、自分だけ高いメニューを選ぶのは何だか悪い気がしてしまう。
(俺も同じのにするか)
春市は内心でそんなことを考えながら、フィアと一緒に券売機へと足を運ぶ。そして、券売機から出した食券を食堂のおばちゃんたちに渡す。
メニューができるまで手持ち無沙汰になった春市がなんとなく食堂内を見渡した時だった。
「――おや、黒乃たちも今から昼食か?」
昼食時とあって、混み合いを見せる食堂内で、唐突に誰かが声をかけてきたので春市は声のした方へ振り向く。両手にトレイを持った制服姿の男子生徒が、こっちだ、と言いながら近づいて来る。
「一成も今から昼飯か?」
トレイに乗ったメニューを春市は見て、ルームメイトにそう言葉を発した。魚料理が中心の――鯖味噌やほうれん草のお浸しなどのバランスの取れた和食のラインナップは、根っからの日本人にして、根っからの几帳面な一成らしいメニューだった。
「思ったよりもミーティングに時間がかかってな。今から購買に行くよりは、こちらの方が早い」
「ミーティング? なんのだよ?」
「
「ああ、そういやぁもう三日切ってんだよなぁ。いや、わかってたけど」
冷静に考えれば、今日を含めてたったの三日そこらから準備を始めるやつは学院中を探しても自分たちくらいではないだろうか。その事実を再認識した春市は、小さくため息を洩らす。そして、自分たちが割と無茶なことをしているのだと改めて自覚する。
(ん? ちょっと待て)
――いま一成は何と言った?
なにやら聞き逃してはいけない単語が春市の耳に入る。
「一成。いま組み合わせが決まったって言ったか」
「言ったぞ。昇降口前の掲示板にトーナメント表が張り出されてるし、参加者にはメールが届いているはずだか」
言われてポケットのスマホを春市は見たが、新着はゼロのままだった。しかし、目の前の男が嘘を言う性格でないことは春市本人が一番良く知っている。
「マジか。俺のとこには連絡来てないんだけど」
「ふむ。急な参加だったから連絡が遅れているのかもしれないな。ハーネットの方はどうだ?」
「あ、そ、その……私は」
珍しく歯切れの悪いフィア。
その態度と先ほど知った彼女の境遇から、春市はある予想が立った。
「もしかしなくて、携帯持ってないのか?」
「……はい」
フィアは申し訳なさそうに頭を下げる。
「気にすんな。後で凪沙にでも訊いてみればいいだけの話だし」
「うう……でも、やっぱり持った方がいいですよね。携帯」
「まぁ、有るに越したことはないよな」
というか、今時高校生にもなって携帯の一つも持ってないというやつの方が珍しいと思う。
話が脱線しかけてしまったが、それを引き戻すように一成がやや強い声で言った。
「それなら今俺の端末から黒乃の端末に送ろうか?」
「あ、その手があったか」
ぽん、と春市は手を叩く。フィアも只今直ちに見たいらしく、そんなことできるんですか、と小声で訊いてきた。春市本人としてはそこまで急いで見たいわけでもないのだが、だからと言って一成の提案を断る理由もない。昼飯を食べながら、対戦相手を確認するというのも悪い選択ではないはずだ。
「じゃあ、悪いが送って貰ってもいいか? できたら今直ぐ」
「かまわんよ」
そんな会話をしていると、ナイスタイミングで食堂のおばちゃんから定食セットを手渡される。ほくほくと白い湯気が立つ白米と味噌汁。今日の日替わりのメインは生姜焼きだった。
春市はフィアも同じものを受け取ったのを確認してから席を探す為に踵を返しかけると、再び一成に呼び止められた。
「黒乃。今から時間はあるか?」
「いや、今から飯食べるんだけど」
「なら問題ないな」
どこがだ。いや、一成と相席になればいいだけなのだから、問題ないと言われれば確かに問題はない。
一成はいつになく真面目な表情で春市に訊いた。
「黒乃、例の最上級生について知りたくないか?」
(いや別に興味ないんだけど)
が、フィアはそうでもないようだ。
「火野さんは知っているんですか?」
それに一成が、緊張感の効いた表情のまま答えた。
「あの男、去年の
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