幕間 とある最上級生の誤算

 ――マズいことになった。


 久瀬 宗一郎くぜ そういちろうは、通路の脇に設置してあるベンチを忌々しそうに蹴りつけた。

 ガツン! と音を鳴らし、ベンチを睨みつける宗一郎の表情は焦りに満ちている。

 苛立ちの原因はわかっていた。

 一学年に転校してきた、とある生徒の存在だ。

 夏休み前、舞闘会コンクールを直前に控えたこの時期に転校してきたとあって、最上級生である宗一郎たちのところにも件の転校生の話題は来ていた。

 とはいえ、所詮は『後天的特異能力者』。しかも高等部からという遅咲き。はっきり言って、宗一郎含む最上級生たちは歯牙にもかけていなかった。精々、「どんな子かな?」「特異能力はどういったものだろう」くらいの認識だったのだ。

 ……しかし、その認識は僅か一日で覆ることになる。

 転校初日の初模擬戦で幻想を砕く者ブレイカーの訓練に使われる専用アリーナを暴発とはいえ、たった一人で半壊。こんな話、少なくとも宗一郎は訊いたことがない。

 どれだけ低く見積もっても、件の転校生の魔力はAランク相当。それが最上級生、ひいては学院側が出した結論だった。

 極稀に現れる天才と呼ばれる人種の登場に、高等部の生徒たちは畏怖する。


 ――もしもこれだけの才能を持つ人材が舞闘会コンクールに参加してきたら? 否、もしもこの才能を自分たちの陣営に引き込めたら?


 一瞬でもその考えが頭に浮かんだら、もう止まらない。

 そうなると、自分たち最上級生のやるべきことは簡単だ。

 どの参加チームよりも早く自分のチームに即戦力として取り込むか、転校生が舞闘会コンクールに参加しないことを祈るかの二択。そして、概ねの生徒が取ったのは前者。つまりは勧誘だった。

 それは仕方ないことだ。

 宗一郎本人がそうだが、最上級生にとって舞闘会コンクールは文字どおりの就活と言っていい。舞闘会コンクールで結果を出し、スカウトや推薦を貰えなければ、卒業後の進路を勝ち取らなければ、待っているのは出来損ないの烙印を押された特異能力者としての日々。

 仮にライセンスを取得できたとしても、勤める場所がなけれは意味がない。

 卒業して、幻想を砕く者ブレイカーとしてのライセンスを得て、高給で安定している仕事に就く。

 みんな、そんな人生の勝ち組になりたいのだから。


「……クソッ! クソッ!」


 しかし、こと宗一郎の考えは他者と少々異なっていた。

 勧誘して自らのチームに取り込むでも、ましてや参加しないことを祈りながら傍観するでもなく、宗一郎が選んだのは驚異となる存在の

 危険因子は力づくで排除するという思考に、宗一郎は行き着いたのだ。

 なにより、噂の転校生を自分が倒したとなれば、自分の評価も上がる。そう思い立った宗一郎は、直ぐに行動を起こした。

 チームメイトである後輩たちを引き連れ、事前情報で知り得た場所に行き、作戦を決行。

 少々痛めつけて、格の違いを教えてやり、おまえには舞闘会コンクールはまだ早いと自覚させてやる。

 全てが手筈通りになるはずだった。


「あのクソガキたちの邪魔さえなければ、こんなことには……」


 思い出すだけで腹立たしい。いらない正義感を働かせてくれたせいで、宗一郎が望む結末を邪魔してくれた一年生の男子生徒。

 黒乃 春市。

 聞けば一年生、しかも『後天的特異能力者』でありながら、すでに何度かのファントム討伐を経験しているという。

 そんなやつが噂の転校生と一緒のチームになって舞闘会コンクールに参加する。それは宗一郎にとって、もっともよくない事態だ。

 間違いなく当日は注目の的になるだろう。そして、その対戦相手はおそらくだが自分のチームとなる筈だ。

 だが、宗一郎本人はそれでも勝つ気でいた。二回程度ではあるが、宗一郎もファントム討伐を経験している。条件は同じ、否、自力の差や知識だけなら間違いなく自分の方が上だろう。

 しかし、他のチームメイトたちは違う。宗一郎のチームは宗一郎自らが実力で降して、半ば強引に加入させたメンバーで固められている。そんな連中が死ぬ気で戦うわけがない。舞闘会コンクールまで残り三日前になるこの時期に練習をバックれるやつが現れているのがなによりの証拠だ。無論、そいつらには相応の罰を与えてあるが、指揮はやはり下がる。


「どうする……どうする」


 苛立ちから宗一郎は親指の爪を噛む。宗一郎の頭の中は焦りでいっぱいだった。

 ――力が欲しい。どんな相手だろうが屈服させる力が。

 自らの価値を認めさせるための力。今ほどその力を宗一郎が欲したことはなかった。

 そんな時だ。

 深い思考の渦に飲み込まれそうになる宗一郎の耳に、

 ――ピロンッ! と。携帯端末から新着のメールを告げる音が届く。


「あん? 誰だ?」


 苛立ちのままに宗一郎はポケットにネジ込んでいた端末を取り出し、メールフォルダを開いた。


 ――【新着一件――件名「強くはなりたくないかね?」】


 馬鹿馬鹿しい。

 それが真っ先に宗一郎が抱いた感想だった。そしてそのまま中身も見ないでゴミ箱に移そうとし、ふとその手が止まる。


(まあ、中身を見るくらいはしてみるか)


 単純な好奇心から、宗一郎はメールの開封を選択した。

 それが悪魔との契約だと宗一郎が知ったのは、全てが終わった後であった。

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