調律師《チューナー》

 朝のホームルームが終わると、昨日同様に全授業が自習となった。ほとんどのクラスメイトたちは、ホームルーム終了の鐘の音が鳴ると同時に教室を抜け出している。直接的に舞闘会コンクールに参加する、しないに問わず、生徒たちは午前中までは校舎内にいないといけない決まりなので、不参加の一年生は冷房の効いたカフェテリアあたりで自習の時間を潰す予定なのだろう。

 ホームルーム時に担任から許可も出ているので、合法的なサボりである。

 できることなら自分も便乗して、カフェテリアに行ってアイスティーでも飲みながらくつろいでいたいと春市は思う。

 ただしそれは、自分たちが舞闘会コンクールに参加しなければの話ではあるが。


「よし! じゃあ行くわよ」


 教室の人数が疎らになったとこで、自分の席から勢いよく凪沙が立ち上がる。朝のへっぽこ具合はどこへやらと言った様子で、すっかりいつもどおりの彼女の態度に戻っていた。


「あれ? 教室ここでやるんじゃないのか?」


 なにも考えずに、思いついた疑問を春市が口にすると、凪沙の表情が呆れたものに変わる。そして、やれやれ、と落胆したように息を吐き、


「当たり前でしょ。調律チューニングには色々設備や場所が必要なの」

「そうなのか?」

「そうなのよ。固有武装ギアの魔力強度とか、武器の微妙な握りの調整とか、結構細かくやるんだから」


 なるほど。確かにそれなら専用の場所や道具が必要になるのも納得がいく。

 その後も素人には意味不明な単語を絡めた凪沙の説明を聞きながら、春市は素直に目の前のクラスメイトの意外な一面に心底関心していた。


「……おまえって実はすごいやつだよな」

「こ、これくらい普通よ、普通。春市ハルが知らないだけで、こんなのは基礎知識なんだから」


 顔を赤くして凪沙が早口でそう言った。気恥ずかしさを誤魔化すように、凪沙が春市の腕を強引に掴む。


「ほら、時間無いんだからさっさと行く! フィアちゃんも!」

「は、はい!」


 春市の手を引いて教室を出て行く凪沙を、僅かに残っていたクラスメイトたちが興味深そうに眺めていた。更に言うなら、テクテクと二人の後を追いかけて行くフィアの姿も興味の原因だろう。『修羅場?』『三角関係?』『今年の夏は薄い本が厚くなるな』などといった周囲のひそひそと交わされる会話の一部が春市の耳に入ってくる。が、下手に言い訳をするのはかえって逆効果だろうと、あえて春市はなにも言わないことにした。触らぬ神になんとやらだ。


「それで、結局何処でやるんだ?」

「整備課よ。そこに行って、使用許可を取らないといけないから少し歩くわよ」

「ああ、なんかよくわからないけど任せる」

「任せなさい」


 頼もしい言葉を口にしながら、凪沙は弾むような足取りで廊下を歩き出した。その後ろ姿を追いかける春市とフィア。

 ジリジリと太陽が地面を焦がしていく音をBGMに歩いていると、その道すがら凪沙はフィアにある質問をしてきた。


「そういえば、この前の模擬戦でも思ったけど、なんでフィアちゃんはあんなバカでかい大剣形の固有武装ギアにしたの?」

「え? ひょっとして、なにか駄目でした?」


 突然の駄目出しにフィアは驚きの声を上げる。


「いや、駄目ってことはないんだけどさ。固有武装ギアって、要は武器なわけじゃない? だから必然、その人の戦い方に合わせたものになるはずなのよ」


 後ろを歩くフィアに凪沙がそんなことを話す。

 確かにそれは春市も気にはなっていた。今朝の組み手の時もそうだったが、フィア・ハーネットという少女はどう考えても近接戦に向いていない。

 凪沙は春市を指差す。


「たとえば、そこの春市バカは魔力総量が少ない代わりに少ない魔力を一点に集約することに長けてるわ。だから、集約した魔力を一番発揮できて、かつ射程をあまり要求しない近接戦を選んでる」


 熱心に話を続ける凪沙は、でも、と一言置いてから、


「フィアちゃんの場合は違うわよね? フィアちゃんは魔力総量が他の人よりもずっと多いし、魔力の集約は勿論のこと、それを放出させる技術だってかなりの才能がある。正直、一調律師チューナーの意見としては近接戦よりも後ろに下がって固定砲台みたいな戦い方のほうが向いていると思うんだけど」

「そう、なんでしょうか?」


 いまいちよくわかっていないといった様子で、後ろを歩くフィアが首を傾げる。


「たぶん、だけどね。それに、こう言ったらあれだけど、中には女の子が前衛ってだけで嫌がる特異能力者もいるし」

「……でも、やっぱり私はこのままでいいです」

「あら? どうして?」

「そ、それは……」


 ちらり、とフィアの視線が彼女の隣を歩く春市へと向けられる。前を向いているせいで、春市本人は気づかないが、凪沙は目ざとくその視線に気づき、はっはーん、と含みある笑みを浮かべた。


「まあ、最終的に決めるのは本人だからいいけどね」

「すみません。せっかく色々教えてくださったのに」

「いいの、いいの。気にしないで」


 人に好かれそうな笑みを浮かべた凪沙の先導のもと、三人は高等部校舎を抜けてさらにその先にある「整備課」と書かれた看板が吊るされた建物の中に入った。

 建物に入った途端、金属やオイルといった物たちの独特な匂いが春市たちの鼻につく。不快感などはないが、嗅ぎ慣れない匂いからは車などの工場を連想させる。


「ちょっと待ってて」


 きょろきょろ、と落ち着きなく首を動かしているフィアや春市に一言そう告げた凪沙が慣れた足取りで事務員がいる窓口に書類を提出した。それから二、三回ほど事務員と会話を交わした後に、事務員から鍵を一つ手渡された凪沙が春市たちのところに戻って来る。どうやら手続きが完了したらしい。


「お待たせ。それじゃ、行きましょうか」


 そのまま窓口のある部屋を通り過ぎ、建物の奥へと足を進める。


「初めて来たけど、なんか別世界って感じだな」

「んー、まあ、使う人もそんないないからね」


 凪沙の話によると、調律師チューナーの資格を手に入れた生徒は自動的に一人につき一つの調律部屋が与えられるそうだ。そのため、整備課は調律師チューナー専用の建物としての意味合いが強く、一般生徒が固有武装ギア調律チューニングを依頼する以外にこの場所に立ち入るのは稀らしい。


「とはいっても、あたしもあんまりここは使わないかな。わざわざ整備課ここまで行くのも遠いし、面倒だしね。さすがに今回みたいに本格的な調律チューニングをするなら話は別だけど」


 軽い声に苦笑を混ぜ合わせて、凪沙が笑う。


「着いたわよ」


 凪沙の先導の元に建物内を歩くこと数分。やがて三人は一つの部屋の前に辿り着く。凪沙が事務員から受け取っていたアナログ式の鍵を扉の穴に差し込む。すると、ガチャリと鈍い音と共に扉の鍵が開く。


「さ、どうぞ。あんまり綺麗じゃないから、足下には気をつけてね。あと、春市ハルは変なことしないように」

「誰がするか!」


 調律部屋と訊いて春市はその部屋に雑多なイメージを抱いていた。整備課の入り口で感じた工場の様な場所。きっとこれから案内される調律部屋もそんな場所なのだと思っていたのだ。

 しかし、そのイメージは部屋に一歩踏み入れた瞬間に消えた。

 扉を開けてすぐに目に入ってきたのは、部屋の片隅、机周りに置かれた一角だ。

 無骨な業務用の巨大ディスプレイに、天井に届きそうな高さのPCラック。ラックに積まれたラックマウント式PCクラスタからは機械特有の稼働音が聞こえてくる。

 しかし、それだけだ。

 それ以外に物と呼べる物が一切無い。申し訳程度に部屋の端っこに木箱が数個積まれはいるが、それ以外にはなにもない殺風景な部屋がそこにはあった。


「じゃあ始めるわよ。春市ハル、《迦具土》を出して」


 パソコンを起動した凪沙が、春市に固有武装ギアを出すように催促する。

 言われるがまま、春市は首にぶら下げていた待機状態の《迦具土》に手を触れた。


「こい……《迦具土》!」


 春市の両腕に手甲が現れたのを確認すると、凪沙は気楽な様子でパソコン付近にあった端子を引っ張り出してそれを《迦具土》に突き刺す。抵抗もなく、あっさりと突き刺さした端子が《迦具土》の中に埋まる。


「さて、と。先ずは強度の微調整からかしらね。一応聞いておくけど、機動性重視の設定でいいのよね?」

「そうしてくれ」


 適当に、なんて言えば間違いなく凪沙の逆鱗に触れそうなので、春市は素直に希望を口にした。


「了解。じゃあ、軽く魔力を通してみて」


 凪沙にそう言われて、春市は《迦具土》に魔力を通す。ぼうっ、と手甲周りに野球ボールサイズの火の玉が浮かぶ。いつもと同じように魔力を通しても、部屋に引火しないのは凪沙が制御しているからなのだろう。


「うーん。相変わらず集約に特化させている割には耐久値はびっくりするくらいに脆いわね。壊れないのが不思議なくらいよ」


 モニターに出た数字を眺めて頷きつつ、凪沙はピアノの鍵盤を叩くように軽やかなリズムでキーボードに数値を入力していく。

 モニターの中に簡単なグラフや《迦具土》の映像が現れる。凪沙はそれらのデータによって出た数字を修正していく。


「これで……どうだろ」


 タン、と凪沙が決定キーを押した。

 すると、春市にもわかるくらいに魔力の通りが変わる。


「どう?」

「……悪くないな」


 実際、《迦具土》に魔力を通すのが先ほどよりも楽になっていた。試しに右手の先に魔力を集めてみると、先ほどよりも集約の速度が速い。どうやら魔力の伝達率を上げたようだ。

 そこまでやって、ある懸念に引っかかった。


「凪沙、これ集約はよくなってるけど強度性は大丈夫か?」

「ん? 大丈夫だと思うわよ。ただ、圧縮率や伝達率を上げた代わりに技の威力は調律チューニング前よりも少し抑え気味になってるかも」

「そこは仕方ないか。俺に魔力や技術がもう少しあればいいんだけどなぁ」


 自嘲気味に春市がぼやく。

 凪沙にとって、おそらくはこれが現状で一番春市にベストなセッティングがこれなのだろう。専門職にそう判断されると、素人の春市は何も言えない。

 そこから更に先を求めたいのなら、それは春市本人の領域になる。なので、


「ありがとうな。見違えたよ」


 春市は凪沙に礼を言った。威力の低下は気になるが、これで少しは舞闘会コンクールもマシに戦えそうだ。そう安堵の息を吐く春市に凪沙は、


「なに言ってるの、まだ終わってないわよ」

「はい?」


 予想外な一言に、春市は惚けるような表情になる。そんな春市に凪沙は眉を内側に寄せて、やれやれ、と首を横に降ってさも当たり前だと言わんばかりに、


「まだ全体の重量調整も終わってないし、材質のチェックもあるでしょうが。ああ、そういえば魔力伝達率を上げるのに適した新しい触媒が来たって事務員の人が言ってたわね」

「あ、いや、凪沙?」


 春市の返答など聞かずに、端から見ても楽しそうな表情を浮かべた凪沙は、キーボードを叩くのを再開する。


「あ、これが終わったら次はフィアちゃんの《ガラティーン》の調律もするからね」

「えッ?」


 凪沙がにっこりと微笑むのを見て、春市とフィアは冷や汗を流した。


(ああ……これは)

(間違いなく……)


 ――長くなりそうだ。


 言葉に出さずに、奇しくも春市とフィアの思考が一致した瞬間だった。

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