ハイスペックなポンコツ少女たち
「なあ、凪沙」
うだるような暑さの下、高等部校舎へと足を進めながら春市は隣を歩く凪沙に呼びかける。
春市の呼びかけに、暑さから流れる額の汗をハンカチで拭っていた凪沙の動きが壊れたブリキ人形のようにぴたりと止まった。薄い化粧によって彩られた顔には、真夏の汗とは別の汗がダラダラと流れている。
「な、なによ」
凪沙が上ずった声色で訊き返す。その瞳が落ち着きなく左右に泳いでいるのを春市は見逃さなかった。
「俺の記憶違いじゃないなら、朝練するって言ったのは、
「そ、そ、そうだったかしら? ほら、最近あたし記憶力が悪くて……」
「凪沙」
「…………はい。あたしが言いました」
がっくり、と肩を落として凪沙が項垂れた。
結局、朝練は碌に行うことができずに終わったのだ。
寝惚け眼な凪沙の意識が完全に覚醒した時点で、一時間以上のタイムロス。
当初予定していたメニューは当然行えるわけもなく、柔軟運動と軽い組み手をしただけで今朝の朝練は終了した。
朝練が潤滑にできなかった最大の原因が、言い出しっぺの凪沙なのだから、今の彼女に反論や弁護の余地は無い。
「しかも朝から殴られるし……」
「それは!
「いや、事実だろ」
未だ痛む腹部を撫でながら、春市は反論する凪沙を咎めた。
思い出されるのは、つい一時間前のこと。
春市たちの柔軟が終わった頃合いになって、日課のトレーニングを消化した一成が春市たちと合流した時のことだった。
『首尾はどうだ?』と尋ねる一成に、迷うことなく真実を告げようとした春市だったが、口を開くよりも先に行われた凪沙の物理的な妨害によって一成への春市の報告は止められたのだ。
それは素晴らしい、世界を狙えそうなボディーブローだったと付け加えておく。
一連の流れを思い出して、寝起き時点で抱いていた僅かな期待が消えたことを改めて理解した春市は深く溜息を吐いた。
「ま、まあ、凪沙さんも反省してるみたいですし、黒乃さんもそのあたりにして」
重苦しいムードをなんとかして変えようと、凪沙の隣を並んで歩くフィアが、やんわりと凪沙を庇うように割り込んできた。
学院が指定する丈の短いスカートに慣れていないのか、いまいち危なっかしい挙動の彼女は、まあまあ、と口にしながら春市を見上げている。
蒼天の空に浮かぶ眩しい太陽。雲ひとつない青空の下、そんなふうにして凪沙を助けようとするフィアに春市は冷たい視線を向けて、
「いや、おまえも大概だったからな」
「ふぐっ⁉︎……」
奇妙な声をあげながらフィアは逃げるように春市から顔を背けた。
ランニング後に行われた一成考案の特異能力と
そこで、今度はフィアがやってくれたのだ。
時間もないとのことで、対戦カードは春市対フィアの一本のみ。実力未知数のフィアを測るのもあったのだろう。組み合わせに関しては、チームメイトの凪沙が決めたものだった。
なにはともあれ、勝負は勝負だ。
先日行った模擬戦を思い出しながら、春市は身構えた。魔力による強化や、特異能力の使用を禁止しての組み手ではあるが、油断はできない。
浅く息を吐いて呼吸を整えた春市は、見よう見まねの、どことなく不恰好な構えをとるフィアに対し、構え慣れた左足を前にした半身で迎え討つ。
「行きます!」
息を呑むような緊張感の中、フィアは力強く前へと踏み込み、そして――
――そのまま、初めから狙っていたかのように、なにもない真っ平らな地面にズザァァァ! と頭から勢いよく転んだのだった。
あまりにも自然に、かつ自信ありげに突っ込み、まるで予定調和だと言わんばかりに自らの足に引っかかり、さも当然のごとく目の前でコントのように対戦相手が自らの足下まで滑り込んだものだから、春市は瞬時に状況を理解できなかった。
一流の
そのときになって、薄々気づいていた予感が春市の中で確信へと変わった。できることなら杞憂で終わって欲しかった事実。
――彼女、フィア・ハーネットが絶望的なまでに運動おんちである事実に。
「――運動が苦手そうだなぁ、とは思ってはいたが……まさか、あれほど酷いとは……」
「うう……」
「とりあえず、当座の目標は頭から突っ込まないことか」
「……はい。頑張ります」
遠い目をして春市がそう言うと、フィアは凪沙同様、大きく肩を落とした。
その様子に、やれやれ、と春市が呆れたように息を吐く。
片やチームの指揮を高めてメンバーを引っ張ってくれるついでに、チームの足も引っ張る友人。
片やポテンシャルはピカイチだが、それ以外全てが駄目な転校生。
唯一の救いが、二人ともヤル気は満ち溢れていること。ただし、そのヤル気も現状では空回りの要素にしかなっていない。
このチーム状況で本番まで残り三日。どう考えても無理ゲー過ぎる。仮にゲームにしようものなら、間違いなく糞ゲー認定待ったなしだろう。
「ま、仕方ないわよ」
そう言って口を挟んで来たのは、凪沙だ。とても原因の一端となっている人物とは思えないほどにあっけらかんとした態度である。
「フィアちゃんは今まで特異能力者としての訓練とかをしてないわけだし、それでいきなり実戦は無理ってものでしょ」
「いやいや、それにしたって酷すぎるだろ。俺、組み手で頭から突っ込んでスライディングするやつなんて初めて見たんだが」
散々な言われように、話題の中心人物であるフィアは再び肩を落として俯いた。生真面目な彼女にとって、露骨に、かつ明確に周りの足を引っ張っている事実はショックが大きいのだろう。
それを見た春市は慌ててフォローに入る。
「あ、いや、でも、まあ、ハーネットは魔力量が俺らの中では一番だしな。まったくの足手まといってわけじゃないぞ。うん」
「は? なによ、まるであたしは足手まといみたいな言い方じゃない」
「なんでそうなるんだよ! ってか、そもそも凪沙は近接戦闘型じゃないだろ」
「ふん。どうだかね」
「おまえなぁ……」
膨れっ面の凪沙に、春市は面倒くさそうに頭をかく。いったいこのクラスメイトはなにをそんなにこの少女とやたら張り合いたがるのか。決してお互いが不仲ではないのは春市も知っている。むしろこの短い期間で親友と言っていいくらいに良好だ。
(……駄目だ。俺に女の考えなんてわからん)
昨日同様に原因を考えてはみたが、結局結論が出なかったので、春市は考えるのを止めた。きっとそういうお年頃なのだろう、と春市は頭の中で生まれた適当な理由で納得する。
幸いにも凪沙はどこか不満そうに唇を尖らせ、睨むようにして春市を見上げているものの、それ以上追求はしてこなかった。
ここは早急に話題を変えた方がいいな、と春市は改めて二人に視線を向け、
「それで、だ。これからどうする?」
先ほどまでとは一転。ふと真面目な表情になって、春市が凪沙とフィアに訊いた。
「
察しよく、凪沙がすぐに訊き返してくる。フィアの方は理解が追いつかず、こてん、と首を傾げているがそれに気を使うことなく春市は話を続けた。
ああ、と春市は頷き、
「ぶっちゃけた話で、残り三日そこらでまともに訓練なんてしている余裕もないだろ。ましてや、こっちは集団戦に関しては文字どおりのど素人の集まりなわけだしよ」
「まあね。しかもこっちは人数も規定数よりも少ないし」
本来であれば、
しかし、春市たちは特例として春市、凪沙、フィアの三人での参加。数の面での不利は確定的に明らかと言っていい。
せめてこの場にいない春市のルームメイトである火野 一成がチームに加入してくれたらいくらかはマシだったのだが、残念なことに一成は既に所属チームが決まっている。加えて言うのなら、一成は所属チームでの主力メンバーとして登録もされていたので、春市たちのチームにはどうやっても加入できないのだ。
「と言っても、さすがになにか考えないとマズいだろ。最低でも残りの日程以内になんとかして手を打たないと」
そう言って春市は、困ったように肩をすくめた。
真面目な話で、数日そこらで劇的に戦闘技術や特異能力の質が変わるとは春市自身も微塵も思っていない。
魔力や特異能力、ひいては戦闘技術とは言ってしまえば努力と才能の結晶だ。そこに近道も遠回りも存在しない。というのが春市が風花学院に来て、最初に今の担任教師から学んだことだった。
それでも素直に、はいそうですかと頭を下げるわけにもいかない。
春市の言葉を訊いて、凪沙は口もとに自分の細い指を当てて考える。そして、しばらくの沈黙の後にゆっくりと口を開き、
「……とりあえず、今日中に
「チューニング?」
訊きなれない単語に再びフィアが首を傾げる。
そんなフィアに凪沙は、
「
「それを凪沙さんが?」
「ん。まあ、一応資格は持ってるからね」
凪沙が少し気恥ずかしそうに自分の頬を掻きながら説明すると、フィアの瞳が尊敬する者を見る眼に変わった。
おそらくは、そんな凄いことができるなんて、と思っているのだろう。単純なやつだな、と春市は苦笑。しかし、今回に限りだが彼女の認識は正しい。
本人曰く、就職に有利になりそうだから、と一年ほど前に資格試験を受けたそうのだが、少なくともそんな理由で一般生徒がおいそれと取得できるものではない。
(ハーネットもそうだけど、これだから無自覚な天才ってやつは)
春市が言葉に出さずに苦笑の息を漏らす。
「……でも、いいのか?」
春市は怪訝そうに眉を寄せ、凪沙に訊いた。
「なにが?」
「いや、前に言ってたじゃねぇか。あんまり
なにかあった時に責任がとれないから、と凪沙は資格こそ持っているものの、ごく稀に仕事として依頼される場合を除けば
しかし凪沙は、そんなことか、と呆れた顔で首を横に振り、
「特別サービスってやつよ。勝つからには全力で挑むのがあたしの流儀だからね」
「それは頼もしいことで……なら、頼むわ」
「任せなさい。最高の状態にしてあげるから」
凪沙が豊満な胸を張り、なぜか得意げに鼻を鳴らす。その隣でフィアが自分の胸をペタペタと触っては、深い溜め息を吐いていたのを春市は見ないふりをした。
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