トラブル

 一限目の開始を知らせる鐘が校舎に鳴り響く。

 だが、壇上に教師の姿はない。

 舞闘会コンクールまで残り一週間をきり、ホームルームの時間以外は全ての授業が自習となっているからだ。連携の作戦会議や校庭や空きアリーナでの実戦訓練。または相手チームの対策や偵察。参加を希望している生徒たちは鐘が鳴るのと同時に我先にと教室を飛び出していった。


「黒乃さん」


 眠気から机に突っ伏していた春市の頭上から名前を呼ばれる。重い瞼を怠そうに開き、顔を上げれば、気怠そうな自分とは対象的に明るく微笑む少女の顔が映る。


「黒乃さんは、この後のご予定はありますか?」

「いや……ないけど」


 春市がそう言うと、フィアは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「それなら、少し自主練に付き合ってくれませんか」

「自主練?」

「火野さんがチームとの合流までなら組手をしてくれるって言ってくれたんです。それで、よかったら黒乃さんも一緒にと思って」


 おそらくは今朝の出来事に責任を感じた一成が、気を利かせたのだろう。舞闘会コンクールまであまり時間もないというのに真面目なやつだ。


「あー……そうだな。せっかくだしやるか。準備できたら行くから、先に行っててくれ」

「わかりました。それじゃあ、またあとで。あっ! 場所は第五アリーナですから」

「あー、はいはい」


 手を振って元気に立ち去るフィアを見送り、春市は長い溜息をつく。

 すると正面から唐突に声がした。


「ふーん」


 声の主は凪沙だった。ジト目で、不機嫌そうな表情の凪沙は、立ち去っていくフィアと、座ったままの春市を見比べている。


「な、なんだよ」

「ロリコン」

「うぐっ」


 即答だった。瞳には軽蔑の感情がはっきりと見える。


「面倒見のいいこと。感心するわ」

「強くなろうって頑張るやつを無下にはできないだろ。俺らだって、あんな時期があったわけだし」

「それは……まあ、そうだけど」


 春市は大げさに肩をすくめた。特異能力に目醒めて長い春市や凪沙にも、今のフィアのように熱心に訓練をしていた時期があったのだ。せっかく手に入れた力なのだから、もっと上手く使いこなしたいと思うのは悪いことではない。


「でもなんか納得いかないのよね。あの春市ハルが自主練に付き合うなんて、ありえないでしょ」

「あのなぁ……」


 春市が疲れたような顔で凪沙を見る。


「おまえこの前から、らしくないぞ。なんでそんなハーネットに突っかかるんだよ」

「べつに突っかかってるわけじゃないっての………………ただ、ちょっとだけ悔しいだけっていうか……」

「は? なんだって?」

「なんでもないわよ。バカ春市ハル


 凪沙は唇を尖らせて視線を逸らした。


「――で、凪沙はどうするんだ?」

「どうするって、どういう意味よ?」

「いや、おまえが朝言ってたんだろ。ハーネットの訓練に付き合うって」

「……そ、そうだったわね」

「忘れてたろ」

「そ、そ、そんなわけないでしょ!」


 図星だった。なにせ今朝の出来事は凪沙が反射的に言ってしまったこと。凪沙本人も言っていた事実をすっかり忘れていたのだ。


「そ、そうね。春市ハルと火野の二人だけだと不安だし、私も行こうかな……なんて……」

「そうか。それなら、そろそろ行くか」


 席から立ち上がり、春市は廊下につま先を向けた。それに習うように立ち上がり、横に並んでくる凪沙。階段を下りながら視線はこちらを見つめている。


「ハーネットさんは舞闘会コンクールには出ないの?」

「みたいだな。たぶん、あんだけ派手に失敗した身がそんな大舞台はまだ早いって、自粛してるんじゃないか」


 昨日の夜、自主練初日が終わった後にフィアを女子寮まで送っていく帰り。なんとなしに舞闘会コンクールについて話すと、まだ上手く能力を使えないのに無理ですよー、と言っていたことを春市は思い出していた。ただ、そんなことを凪沙に言えば、あれこれ尋問されたり罵倒されるのは目に見えている。

 隣を歩く友人から逃げるように、春市は廊下を進んでいった。

 昇降口で靴を履き替えて外に出た途端、殺人的な陽射しが襲う。


「あっつ……」


 額に流れる汗を春市は手の甲で拭う。

 アリーナを運悪く使えなかった生徒たちで溢れた校庭は、その人口密度から本来の気温以上に暑そうだ。


「よくやるよ」

「聞こえるわよ」

「貶してるわけじゃないっての」


 そんな会話を繰り返しながら、春市は頭を捻っていた。


(機嫌が悪いってわけじゃないみたいだけど……)


 どうにもよくわからない、というのが素直な感想だった。もちろん隣を歩く凪沙のことである。

 凪沙とは中等部入学当初からの付き合いだった。三年間クラスが同じだったこともあり、春市にとって一成同様に縁が深い人物である。

 凪沙はその派手な見た目に似合わず、気さくな性格かつ面倒見がいいので、男女問わずに彼女を慕う者は多い。

 しかし、最近の彼女はらしくなかった。

 話しかけても突っかかってくるせいで会話が成立しない。そのくせチラチラと春市を見てくると思えば、目を合わせた途端に飛んでくるのは罵倒。とにかく全体的にらしくないというか、ぎこちない。だからといって機嫌が悪いわけでもないらしい。

 ここ最近の凪沙はやたらと挙動不審だった。

 そして、突然そうなったのは今から二日前から――

 それはちょうど、フィア・ハーネットが風花学院に転校してきた日だった。


(これを機に仲良くなってくれるといいんだけどな)


 そんな風に思いながら歩き続け、目的地の第五アリーナに辿り着く。

 普段は施錠されている入り口は開かれ、中からは金属や鋼がぶつかり合う音が聞こえてくる。

 そのまま春市たちはアリーナ内に入ると、心地よい冷風が頬を撫でた。


「あ、黒乃さん。神城さんも」


 返事の代わりに春市は軽く手を振ってみせる。アリーナの端っこで、フィアと一成が柔軟運動をしていた。

 大きな怪我の予防と、魔力の暴発を可能な限り防ぐために木製の両刃剣が一本と短い刃渡りの木刀が二つ。その他にもいくつかポピュラーな武器を木で模した模造武器がアリーナに備え付けられたベンチに立て掛けられている。あげくの果てには医療用に冷却スプレーや湿布、消毒液や包帯といったものに加えて、制汗スプレーやスポーツドリンクがタオルに巻かれてベンチの隅に。

 入念な下準備に思わず春市は舌を巻く。


「これ、全部一成が用意したのか?」


 そう春市が訊くと一成は、無論だ、と鼻を鳴らした。

 訓練中の事故は学院生活でトップレベルで起こる出来事だ。ある程度の怪我ならば、最新医療が完備された医務室で治すこともできるが、それでも下手すれば最悪の事態になる場合もある。

 それを防ぐために一成が今回用意したのは木製の武器だった。

 これは、特異能力が上手く使えない初等部や中等部の生徒がよく行う訓練方法だ。


「先輩方に話したら、快く貸してくれてな。後輩の育成も先輩の務めだそうだ」

「今朝の上級生たちに爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわね」

「だな」

「あはは……」


 今朝の最大の被害者であるフィアは苦笑いだ。


「あ、そうそう。ハーネットさんがよければなんだけどさ、自主練にあたしも参加してもいいかしら? その……迷惑でなければだけど」

「迷惑なんて! むしろお願いしたいくらいです!」


 ワタワタと両手を振るフィアに凪沙の口元が緩み、





「あー、やっぱり可愛いわね!」


 風を切るような音と共にフィアに抱きついた。


「ふえっ‼︎ あ、あの私そんな可愛くなんて」


 いきなり抱きつかれ、パニックになるフィア。小柄なフィアと比べて、身長も高くスタイルも良い凪沙が抱き合うと、凪沙の胸にフィアが埋まる形になる。

 唖然とする春市と一成。


「……おまえ、嫌ってたんじゃないのかよ」


 数分前、なんとか仲良くなってもらおうと頭を悩ましていた春市が呟く。


「は? そんなわけないでしょ。この子、女子寮の人気マスコットなんだから」

「せめて人間扱いしてやれよ」


 春市のツッコミなど耳に入っていないのか、凪沙はフィアの体を離そうとしない。

 忘れていた事実を春市は思い出す。こう見えて神城 凪沙は可愛いものに目がないことを、春市はすっかり頭から抜け落ちていた。


(あれ? じゃあ、なんでハーネット絡みにあんな噛み付いてきたんだ?)

「か、神城さん……」

「凪沙でいいわよ」

「あ、じゃあ私もフィアで……って! そうじゃなくて!」


 もはや豹変といっていいのではないのかと思える凪沙を止めたのは一成だった。


「その辺にしておけ、神城。アリーナを使える時間も限られているのだ。俺としてはそろそろ訓練を始めたい」

「むう……それもそうね……」


 名残惜しそうに凪沙がフィアを解放する。ホッと息を吐くフィア。


「それじゃあ、軽く打ち合うか」

「はい! お願いします」


 一成は二刀の短い木刀――小太刀を、フィアが木製の両刃剣を手に取り、構える。

 春市と凪沙はベンチに腰掛けて観戦モードだ。

 両手でしっかりと両刃剣を握り、剣道でいう正眼の構えで立つフィア。その構えは中々に様になっていた。

 ふぅー、と息を吐き出し、思考を集中させる。


(がんばれよ)


 声に出さずに声援を送り、これから始まる模擬戦の様子を見つめようとした――

 ――それと同瞬。

 何かが、フィアの死角から彼女めがけて飛来した。


「ハーネット!」


 春市が叫ぶよりも早く、一成がフィアと紅い飛来物の間に滑り込み、手にした木刀で打ち払った。その衝撃で木刀がへし折れ、刀身の部分が燃える。


「大丈夫か?」


 ベンチから飛び出した春市がフィアの安否を確認すると、こくりとフィアが頷いた。怪我の類いはしていないようだ。

 春市たちは今の相手へと視線を向けた。魔力の暴発でも誤射や余波でもない。あれは明らかな敵意を持った攻撃行為だ。

 視線の先、五メートルほどの距離に制服姿の男子生徒がいた。数は四人。少なくとも春市は見覚えがない。


「どういうつもりだ」


 怒気を孕んだ目で春市が彼らを睨んだ。


「そんな睨むなよ。ちょっとコントロールをミスって、そっちにいっちまっただけだろうが」


 まったく悪びれる様子もなく、その中でも一際体格のいい男が言う。

 視界をずらさずに、視線だけを移す。燃え尽き、黒い炭となった木刀が煙を上げていた。


「いまこっちに飛ばしたバカはてめぇか」

「口の聞き方がなってねぇな一年。俺は三年だぞ」


 だから敬語を使え、目の前の男は暗にそう言っている。


「話を逸らしてんじゃねぇよ!」


 嘲るような口調に、春市は語気を強めた。

 特異能力の中でもメジャーな部類に入る火炎の生成能力。発火能力パイロキネシスとも呼ばれるこの特異能力は、魔力を空気に同調させることで火を発生させる能力である。しかし、本来はそこまで危険なものではなく、ライター程度の火力しか生み出せない。だが、固有武装ギアを使用する手慣れた特異能力者が使えば、その危険性は格段に跳ね上がる。それこそ今のようにことも難しくない。


「いまの、ハーネットを狙っただろ」

「言いがかりはやめろよ一年。証拠でもあんのか」

(このやろう……)


 今すぐにでも固有武装ギアを展開して目の前の男をぶん殴りたい衝動に春市は駆られる。


「それに、噂の天才様なら、これくらい余裕で躱せるだろ」

(ちッ……なるほど、そういうことか)


 目の前の男たちが何の目的で自分たちに絡んできたのか、その真意を春市は理解した。


 ――『上級生たちはあなたの噂で持ちきりよ』


 朝のホームルーム前に凪沙が言っていたことを思い出す。あれはそういう意味も含まれていたということか。


「つまりあれか。舞闘会コンクールで負けるのが怖いってか?」

「まさか。でもまあ、出る杭は打っておかないとな」


 惚けるかと思っていたが、相手はあっさりと認めた。

 舞闘会コンクールには著名な幻想を砕く者ブレイカーや各国政府の代表も大勢集まる。

 今年最後の三年生にとってはこの舞台がラストチャンス。その場で彼らの目に留まれば、華やかな未来が約束される。そのため、最上級生たちがこの行事に向ける熱意は大きい。

 舞闘会コンクールのルールは一本勝負のチーム対抗トーナメント。勝てば勝つほどアピールする機会は増えるし、最終的に優勝したチームの代表は間違いなくスカウトの話が来る。だが、舞闘会コンクールが間近に迫ったこの時期になって、一年生にダークホースが現れた。学生離れした魔力を持つフィアだ。彼女が舞闘会コンクールに出場すれば、間違いなくゲストの目を集めることになるだろう。

 そんなつまらないことを、目の前の男は畏れている。


「はん! アホらしい。あいにくとハーネットはどこのチームにも属してないんだよ。出もしないやつの心配してる暇があるなら、審査員の連中にケツ振る練習でもしとけ」

「そんなことは知ってるさ。だけど、言っただろ? 出る杭は打っておかないと、て」


 ぞろり、と獲物を囲むハイエナのように、取り巻きの少年たち三人が春市たちを取り囲む。

 さらには各々が自分の固有武装ギアを展開させた。


「ちょっとアンタら本気⁉︎」

「うるせえよ! 怪我したくないなら黙ってろ!」


 凪沙の注意を一蹴し、武器を構える三人。

 その獰猛な表情から、これが冗談の類いではなさそうだと嫌でもわかる。

 ゆっくりと、芝居じみた仕草で相手はフィアを指差し、


「なあ、転校生ルーキーさんよ。一つ手合わせをしようぜ。噂の天才様の実力を俺たちが見極めてやるよ」

「なっ……!」


 あまりに場違いな、しかしそれでいて恐ろしい発言に春市と凪沙は言葉を詰まらせた。

 手合わせなどと言っているが、この男はフィアが舞闘会コンクールに出場するのを面白くないと思っているやつだ。そんな相手との模擬戦など、どう考えてもまともな勝負になるわけがない。

 十中八九、大怪我――それも一週間以上は入院するように痛めつけるに決まっている。年下の、しかも女の子に間違ってもしていいことではない。


「馬鹿じゃないの! こっちは出ないって言ってるのに、そんなの受けるわけないじゃない!」


 凪沙が怯えるフィアを庇うように背中に隠す。フィア本人がそんなことを望んでいないのは聞くまでもない。


「あいにくおまえたちに拒否権なんざないんだよ」


 男の右手が紅く灯る。バスケットボールほどの大きさの火炎玉。形成スピードはさすが最上級生というべきか、おそろしく早かった。

 だが、重要なのはそこではない。

 相手の瞳には狂気の色が迸っているのにいち早く春市が気づく。この男子生徒は本気で、躊躇なく右手の火炎を放つ。

 そしてその予感は即座に現実となった。男は醜悪な笑みを浮かべて、訳も分からないで凪沙の背中に隠れているフィアめがけて火炎を投げつけたのだ。


「凪沙っ! ハーネット!」


 固有武装ギアの展開は間に合わない。凪沙もフィアも丸腰。三人に囲われているせいで一成も身動きができない。

 炎の直線上にいる二人を守るために射線に春市が割り込もうとした矢先、地面から突き上げるようにして現れた巨大な氷柱こおりのはしらが迫り来る火炎を受け止めた。


「……まったく、これだからガキの相手は疲れるんだ」


 氷柱が火炎を完全に消しさる音に重なり、聞き覚えのある人物の声がした。

 普段と変わらないスーツ姿の麗人、水無瀬麻耶だ。


「麻耶先生!」


 思いがけない人物の登場に春市たち四人は安堵感から息を吐いた。

 対して、突然の教師の乱入に取り囲んでいた取り巻き三人は焦っている。


「模擬戦をやるなとは言わん。――が、固有武装ギアを使用した模擬戦がしたいのなら、ず最初に学院の許可と教員の中から立会い人を用意しろ。許可無しで勝手にやるとなるなら、教師として黙認しかねる」

「い、いやだなぁ先生。俺らちょっとふざけてただけで模擬戦なんて――」


 言い訳を紡いでいた一人の男子生徒の口が物理的に止まった。口が氷によって塞がったのだ。


「揉め事の原因は知らんが、そんなに戦いたいのなら週末の対抗戦で決着をつけろ」

「待ってください! あたしたちは舞闘会コンクールに参加する気なんてありませんよ!」

「文句があるのか? 神城」

「う……ない、です」


 ギロリと蛇に睨まれた蛙のように凪沙は縮こまる。


「おまえたちもそれで問題ないな?」

「……わかりました」

「わかった……」


 連中のリーダーの男に続くようにして春市が返事を返す。その言葉を聞いた麻耶は、アリーナ内にいるすべての生徒に聞こえるように言った。


「では対抗戦までの間、一切の私闘を禁止とする。以上、解散!」


 剣呑な眼差しを向けてくる相手に春市は面倒なことになったと、誰にも気づかれないように小さく舌打ちを落としたのだった。

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