第15話 発覚
アイリーンは、萩生田の戻りを待つ車の中から、IMLの警備室に電話を入れた。
氷村の動きが気になって仕方が無かった。
「アイリーンです。氷村事務局長はIMLに戻りましたか?」
「入口ゲートの職員には、氷村事務局長がお戻りになったら、すぐにこちらに知らせるように伝えてあります。今のところは、まだ何の連絡もありません」
「監視カメラ映像の解析結果は?」
「やはり改ざんされていました。該当する時間帯のデータが、そっくり一日前のもので上書きされています」
「誰がアクセスしたか分かる?」
「まだ調査中の段階ですが、巧妙にやられていて、ほとんど足跡が残っていません。今言えるのは、外部からアクセスした痕跡が無いので、内部の誰かがやったという事だけです。それと……」
「何か、気になる事があるの?」
「実はサーバーを解析する過程で、妙な動きを発見しました」
「妙な動きというと?」
「IMLのソフトウェアが、どうやら盗み出されているようです。サーバーの履歴を見ると、今日の昼過ぎからストレージの負荷が不自然に上がっています」
「不正アクセスという事?」
「多分、そうです。小刻みに何度もアクセス申請と許可の手順が繰り返されており、その間中、プログラムのソースコードに対して閲覧処理が続いています。
多分、ハッキングの手口だと思われます」
「詳しく解析することは出来るの?」
「残念ながら、こちらの部署では無理です。警備室の職員には、監視カメラの映像や職員の入退出記録など、防犯警備関連のデータにしかアクセス権限が無いのです。
我々はサーバーの挙動を外から観察して、内部で起きている事を推測するしかありません」
「誰ならサーバーを解析ができるの?」
「不正アクセスの解析ということなら、IMLのシステム管理課なら全体を把握できますが、専門の職員がもう帰宅しています。
今呼び出しを掛けていますが、すぐには所内に戻って来られません」
「ほかに誰かいないの?」
「それ以外ではフェローのお二人、アニルさんとダグラスさんなら、全システムへのアクセス権限があります。
もしよろしければ、私から解析の依頼を出しましょうか?」
「私の権限ではその判断はできないわ。萩生田所長に判断を仰ぎます」
「了解しました」
アイリーンが電話を切ろうとしたその時、その職員がもう一度口を開いた。
「一つだけお聞きして良いでしょうか?」
「なに?」
「先程のお言葉から察すると、所長はご無事だったという事ですね?」
「察しの通り、所長は無事です。しかしこの事は絶対に他言はしないように」
「分かりました」
IML内にいる裏切り者が誰なのか、まだ分かってはいない。
萩生田に関することは、出来るだけIML所内には知らせない方が良いとアイリーンは判断した。
※
アイリーンがスマートフォンをポケット仕舞った途端に、背後に靴音が響いた。
萩生田だった。
「待たせたな、アイリーン。行こうか」
「何を話されたのですか?」
「ちょっとした頼みごとだ」
アイリーンは車を出した。
「下村部長とのご関係を、お聞きして良いですか?」
「下村は、私と同期で気象庁に入った仲間の最後の生き残りだ。入庁した当時から二人とも内部部局だった。
我々の新人研修は、当時打ち上げられたばかりの、ひまわり11号のデータ解析だったよ」
「ひまわりとのご縁は、そんな昔からだったんですね」
「そうだな、考えてみるともう30年近く前の話だ。
私はそれから予報部の数値予報課に配属されたので、ひまわりとの直接の関係は途切れ、そのままオクラホマ大学に留学した」
「下村部長はそのままずっと気象庁に?」
「ああ、下村は観測部の気象衛星課に配属されたので、その後もずっとひまわり一筋だった。
12号では主任研究員に抜擢され、13号では仕様の取りまとめは彼がやった。
14号と15号を2機体制に格上げしたのも下村の功績だ」
「そうだったんですか」
アイリーンが頷いた。
※※※
九段下の張り込み現場では、突如目の前に現れた大杉に、三田村が目を丸くしていた。
「大杉、何でお前がこんなところにいる?」
「それを質問したいのは俺の方だ。ここは麹町署の管轄だ。何で神田署のお前がいるんだ?
しかもお前が今腰かけているコンクリートブロックは、俺の指定席だ」
大杉は不審そうな目で三田村を見た。
「分かった、まずは俺から話すよ。1時間ほど前にうちの管轄の猿楽町のビルで銃撃戦があった。
お前も関わっている例の事件で、ちょうど俺が見張っていたビルだ。
特殊装備で武装した1部隊がビルに突入したんだ」
「特殊装備の部隊だと? 何だそれは? どこの国のだ?」
「知らん。本格的な装備だったことからすると、多分アメリカの特殊部隊だろう」
「何でそんなやつらが日本で活動するんだ?」
「知らんと言っただろう。その銃撃戦の最中に、そこから一人の男が逃げ出してきた。
そして傷を負いながら向かった先が、ほれ、そこの表札も何もない真っ黒なビルだ」
「そう言う事か――。なあ三田村、こいつは俺たちの手に余る事件かもしれないぞ」
「そんなこと、もう分かっているよ。お前の方こそ、知っていることを話せ」
三田村は大杉に訊きかえした。
大杉は大きく頷いた。
「あのビルは、個人の住宅として登記されているが、実体は北朝鮮の組織の活動拠点になっているんだ」
「組織って何だ?」
「統一戦線という諜報機関さ。正確な名称は朝鮮労働党統一戦線部という。海外での諜報活動を行う組織だ。
1970年代に頻発した日本人拉致はここが主導したと言われている」
「何でお前はそんなことに詳しいんだ?
確か今朝の捜査会議でも、そんなような事を言っていたな」
「うちの麹町署管内には、朝鮮総連ビルがあるだろう。ここから目と鼻の先だ。
長年刑事をやっているとな、どう考えても北朝鮮が絡んでいると思える事件に出くわすんだよ。だから自然に詳しくなる」
「お前、さっき俺の座っているこのコンクリートブロックが指定席だって言ったが、それは今度の一件が起きる前から、ここに来ていたってことだろ?
北朝鮮絡みなら、公安の仕事じゃないのか?」
「公安がやらないから俺がやっているんだ。北朝鮮絡みの事件は、ことごとく迷宮入りになる。
当たり前だ、上からの指示で、捜査を止められてしまうからな」
大杉は大きなため息をついて、言葉を続けた。
「俺はそろそろ定年が見えてくる歳だ。ずっと見て見ぬふりはしたくない。
だから時間をやりくりしては、ずっと目を付けていたこの場所に来て、出入りする奴らの顔を脳裏に焼き付けている。
いつか役にたつと思ってな」
「捜査会議の時に映った男女の顔も見たことがあるのか?」
「ある。確かにあいつらはここに出入りしていた」
「何故、会議でそれを言わなかった?」
「講堂の後列に公安のやつらがいただろう。こいつは出来レースだよ」
「だからって、黙っているべきことじゃないだろう?」
「もしも俺がその事を発言したら、行動が制限されてしまう。特別捜査本部を外されて、出張にだされるのがおちだ。
そうなったら、もう誰もこの件を追いかける奴はいなくなる」
「馬鹿だな、お前。また貧乏くじを引くのかよ。
要領よくやってりゃ、お前ほどのやつだ。今頃はきっとどこかの署で、副署長くらいになっているのに」
「その言葉、そっくりお前に返してやるよ」
大杉は真顔で答えた。
「ご同慶の至りってやつだな。仕方ない、朝まで一緒にここで張りこむか」
三田村と大杉は、同時にニヤリと笑みを浮かべた。
※※※
アイリーンが運転する車は本郷通りを直進して国道一号線に入った。
アメリカ大使館は気象庁からは5㎞も離れていない。
「ところで所長、ご報告があります」
「何だ?」
「IMLのサーバーが内部の何者かにハッキングを受けている模様です。今日の昼過ぎから、システムを不正にコピーされている可能性があります」
「あり得る話だな。私が話をしたゲルマン系の男は、自分たちの組織がIMLを上回る設備を用意したと言っていた。
それが本当なら、プログラムはIMLのものを盗み出して運用するのが一番の近道だ」
「やはり、そう思われますか?」
「当然だな。ところで、誰がハッキングに気付いたんだ?」
「警備室のスタッフです。警備室では萩生田所長を拉致した犯人を特定するために、監視カメラの映像を確認していたのですが、そのデータは何者かによって改ざんされていました。
それを行った犯人を特定しようとしている中で、偶然にサーバーへの不審アクセスを発見したという訳です」
「今もハッキングは続いているのか?」
「はい、しかし警備室が持っているアクセス権限では、何も手が打てません。こうやっている間にも、刻々と重要な情報が盗まれています」
「君はどうしたら良いと思う?」
「今、システム管理課の職員は帰宅していて、呼び出し中だそうです。取り急ぎはアニルかダグラスに連絡して、対抗策を講じさせてはどうかと思います」
萩生田は少しの間沈黙し、考えを巡らせた。
「待て、今はこのままにしておこう」
「何故ですか?」
「あのゲルマン系の男は、私が今日、小橋首相に会う予定だった事も、その面会理由も知っていた。
私は小橋首相に関する話は、アニルとダグラスだけにしか告げていない。盗聴されていた可能性もあるが、もしかすると、二人の内のどちらかが、裏切っているのかもしれない」
「もしもアニルかダグラスが犯人側なら、アクセスコードは全て筒抜けのはずです。ハッキングの必要はありません」
「いや、彼らにもまだ知らせていないアクセスコードが幾つかある。
例えばパラセル諸島の張のチームが、最後に開発したプログラムだ」
「それはどんなものなんですか?」
「ハリケーン周辺の気圧変動を高精度で解析する技術で、今後IMLのシステムの心臓部になるはずだった部分だ」
「萩生田所長しか、そこへのアクセスは出来ないのですか?」
「正確に言うと、私ともう一人、張だけだ。しかし恐らく彼はもう生存していない」
「そのプログラムへのアクセス権が、最後の防衛線という訳ですね?」
「ああ、防衛線であると共に、万が一の場合に、全ての勝負をひっくり返すことができる切り札でもある」
「切り札?」
「そうだ、もしも防衛線が突破された場合は、そのプログラム自体を、切り札として使うんだ」
萩生田はまるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、視線をサイドウィンドゥの先に向けた。
テスラLSは霞が関を過ぎ、虎ノ門交差点を右折して外堀通りに入っていった。
もう一ブロック先を左折すれば、アメリカ大使館はほんの100m先だ。
「もうすぐ着きます」
アイリーンの言葉に、萩生田は「そうか」と短く返事を返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます