十八 石の上

 しばらく行くと、一人の男がいた。

 男は大きな岩の上にあぐらをかいて座り、目を閉じていた。髪も髭も伸び放題、汚れ放題、見た目からは年齢さえもわからぬ。それを見たアダムはとりあえず荷馬車を降り、岩の下まで寄った。

「わっ」

 近づいてみるとその石は大変生温かく、人肌程度にぬくぬくとしていたが、その原因はアダムには一つしか考えつかなかった。

「そこのお方」

 アダムが呼びかけると、男はうっすらと目を開けた。

「一体何をしているのかお聞かせ願いたい」

「儂か。見てわからんか」

 落ち着いた低い声であった。

「わかるなら聞かぬ」

「座っている」

「それは見ればわかる」

「わかるかわからぬかはっきりせい」

「違う。私が聞きたいのは、お主は石の上に座したまま一体何をしているのかということだ」

「なんだ、そんなことか。石を温めているのだ」

「何時から、そして何故」

「二十年前から。温めぬと石が孵化せぬからに決まっておろう」

「何が孵化するというのか」

「見てわからぬか」

「わかるなら聞かぬ」

「石じゃ」

「石から石が孵化するというのか」

 男は目をかっと見開いた。

「これだから無知なる者は! そこらに転がる石が自然にできたわけがなかろう! 神が創りたもうたこのパンの中の世界においてどうして石が、土が存在すると思うのだ!」

 アダムは正直に答えた。

「わからぬ」

「神がパンをお創りになったとき、様々なものが混入した。それは材料たる小麦、オカメ鳥の卵、水以外にも多々あるのだ」

「ほう、それは例えば?」

 アダムは神学を学んだことはなかった。そのため、神話といえば神がお創りになったパンに神の鼻水が混入したから人間が生まれた、ということぐらいしか知らなかったのである。

「まずは神がくしゃみしたことによる鼻水。これはお主も知っておろうが、ここから人間、モサモサヤギ、ビラビラガマガエル、ニジイロモモンガ、その他様々な動物が生まれた。それから台所に舞っていた細かな砂埃も入った。これはパンの中で砂となり、やがては土となった。ボウルの中に入っていた小さな石ころは卵を産みながら増え続け、岩となり、岩盤となり、山となった。無論、石の卵は見た目には石と何ら変わらぬ。成分も石と何ら変わらぬ。つまりは石である。石というのは無機物でありながら生物でもあり、卵生、というより卵として産まれ卵として生きる極めて特異な生物なのである。そして地下はパンとオーブントースターが触れ合う部分に近く、パンを焼くときの熱で岩盤は溶け、マグマとなった」

「聞く限りでは、神は『清潔』とは無縁であったようだな」

 初めて聞く事実に、アダムは感動していた。この世界の成り立ちをここまで深く知っているこの男は一体何者だろうか、という疑問が湧いてきたが、アダムはとりあえず質問を続けた。

「それでは、お主はなぜ石を温めているのか? 石が勝手に増えるなら、お主が温めずともよさそうなものだが」

 男は軽く頷いた。

「普通の石ならば、確かにそうであろう。しかし、この石はただの大石ではない」

「なんと。それは一体」

「これは伝説の石である。王に相応しき者が現れたとき、この石は鳴動し、孵化の準備を始める。孵化した石は形を変え、王たる者の頭上に燦然と輝く王冠となるのだ。石が鳴動してから孵化するまでこの石を人肌程度に温め続けるのが私の一族の役目である」

「なるほど、その王とは私のことに違いないぞ」

 アダムが剣をすらりと抜き放つと、男は眉を上げた。

「ほう、伝説の剣か。なるほど、あなたが王であったか。しかし、この石はあなたが目の前に現れても孵化していない。王となる条件を満たしていないのではないかな」

 男の言葉に、アダムははっとした。

 部下を集めにきたはいいが、アダムは未だにデップリ王国の領地から抜け出してさえおらず、現状では単なるデップリ王国民の一人に過ぎぬ。

「国土がない……領地がない。国がない。なるほど私は王ではないな」

「いくら王たる者とて、君臨すべき国がなければ剣を持った若造に過ぎぬ。自分の国を打ち立て、名実共に王となってから来るがよい。そのときこそ、この石が孵化してお主に王冠を授けるときである」

「相分かった」

 こうしてアダムは石から離れ、荷馬車に乗り込んで出発した。

 去り際に振り返ると、男は再び目を閉じ、石を温めることに専念しているようであった。

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