十七 微分積分

 アダムとイヴが荷馬車に乗って進んでいくと、二股の分かれ道に出た。そこには矢印型の看板が二つ並んで立っており、右側には「この先、微分者ドー・カンの家」と書いてあり、左側には「この先、積分者ゲンシカン・スーの家」と書いてあった。

「これは一体どうしたものだろう、イヴさん、私が見てくるからここで荷馬車と共に待っていてくれ」

「お気をつけて」

 迷った末に、アダムは右側に進むことにした。

 しばらく行くと一軒の家があったが、それは何やら奇妙な印象を与え、もう少し近づいたアダムはその違和感の原因に気づいた。家が平べったいのである。平べったいというよりは完全な平面であり、真正面から見ると普通の家なのに横に回ると家はだんだんと細くなり、ついには真横から見ると一本の直線にしか見えないのであった。家の中に入ろうと試みたものの三次元の存在であるアダムはぺちゃんこにならぬ限りその家の中には入ることができないため、仕方なく引き返してきた。

 次に左側の道に行くと、そこには何もなかった。正確には、何かがあったのだが、その痕跡しか残っておらず、それは明らかに家の跡であった。ここでアダムはようやく物事の真相を悟り、荷馬車まで引き返した。

「何があったのですか」

「家があった。おそらく、それぞれの家には微分者と積分者が住んでいたのだが、研究に没頭するあまり自分を家ごと微分、積分してしまったのだろう。右の家は次元が一つ下がってしまっていたし、左の家は次元が上がっていた。中に入ろうとしたが、そうすると私まで微分あるいは積分されてしまうに違いないぞ」

 イヴは首を傾げながら聞いていたが、きょとんとしてこう言った。

「では、その二つの家をくっつければお互いの効果が打ち消しあって元に戻るのではないですか」

 アダムは飛び上がった。

「それだ! イヴさん、あなたは素晴らしい」

「まあ、ほんの思いつきで言ったことですのに」

「いや、それしかない。そうだ、こうすればよいのだ。さすがはイヴさん」

 アダムはイヴを褒め讃えて後、右の道へと駆け込むと右の家のある平面を基底として三次元直交座標を描き、微分者の家の平面の方程式を複素数を用いて表してから、それをπだけ回転することで右の家の座標を左の家と合わせた。

「こうすれば微分効果と積分効果が打ち消されて三次元へと回帰するはずだ」

 そのとき、左のほうから爆発音が聞こえた。

「しまった! 同じ座標に二つの物体が存在することはできないのだ」

 慌てたアダムが左の道へと駆けていくと、同じく何事かと様子を見に来たイヴが呆然と立ち尽くしていた。家は吹き飛んで跡形もなくなっていた。そして、その残骸の中心に立ち、二人の男女が熱い抱擁を交わしていた。

「ああ、ドー・カン、ようやく君に会えた」

「ゲンシカン・スー、一生会えないかと思ったわ」

「一つ、君に言いたいことがあるんだ」

「私もよ。でもあなたからどうぞ」

「ぼくたちは微分者と積分者という相容れぬ道を選んでしまった」

「ええ」

「しかし、それによって君への恋心は募るばかり。それを忘れるために研究に打ち込みすぎて、気づけばぼくは自分を家ごと積分していた」

「まあ、私もそうだわ。私も気づけば自分を家ごと微分していたわ」

「でも、そうじゃなかったんだ。微分者と積分者は相容れぬ存在なんかじゃなかったんだ」

「私があなたを微分して、あなたは私を積分する」

「ああ、なんという相補性。ぼくたちの次元はsinカーブを描いて振動する。君はぼくの最高のパートナーだ!」

「私もそう思っているわ」

「結婚しよう」

「ええ」

「ずっと君と一緒にいたい。ぼくたちは二人揃ってこそだ」

「微分積分学の誕生よ」

 アダムとイヴは感動して滂沱の涙を流しながら二人に近づき、イヴが二人の前に立って厳かに宣言した。

「汝ゲンシカン・スーは微分者ドー・カンを妻とし、いついかなるときも夫としての愛情と責任を持ち、生涯、彼女を積分し続けることを誓いますか」

「誓います」とゲンシカン・スー。

「では、汝ドー・カンは積分者ゲンシカン・スーを夫とし、いついかなるときも妻としての愛情と責任を持ち、生涯、彼を微分し続けることを誓いますか」

「ええ、誓います」とドー・カン。

「それでは、ドー・カンはこれよりドー・カン・スーを名乗るものとする。天と地と神と己が心に誓って、二人を夫婦と認めよう!」

 二人はもう一度抱擁を交わし、接吻した。

 アダムが剣をスラリと抜き放って天に掲げると、剣身の「かりかりばー」の文字は虹色に光り輝き、抱き合う二人を天からの光が照らし出して祝福し、どこからともなく紙吹雪が吹き荒れ、ブーケが宙を舞った。

「私たちの座標を重ねてくださったのは、あなたですね」

 ドー・カン・スーがアダムに問いかけ、アダムは頷いた。

「ゲンシカン・スーとドー・カン・スー。あなたらは私の新国にとって必要な人材だとお見受けした。住む家もなくなったことだし、一緒に来て建国に尽力してはもらえまいか」

 ゲンシカン・スーとドー・カン・スーは膝をついた。

「あなたのおかげで、生涯交わることのないはずだった私たちは、次元の壁を越え、結ばれることができました。このご恩は一生かけて返させていただきます」

「ぼくたち夫婦はこれより、あなたの手となり足となり、部下としてこの特異な才能をあなたのために役立てていくことをここに誓います」

 アダムは二人の手を握り、感謝の意を表明した。

「よろしく頼む」

 こうして、新たにアダムの部下となった微分者と積分者の夫婦を荷台に乗せ、アダムとイブはまた旅立ったのであった。

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