十九 永久機関

 アダムとイヴが次に向かったのは、南の方角であった。

 南の街に著名な発明家が住んでいるという噂を耳にしたアダム、そうだ天才的発明家こそ我が国にもっとも必要と思われる人材の一人に他ならぬと悟りて一路南へと向かったが、デップリ王国を北から南へと横断するのでは時間がかかりすぎる。実際その頃、女王の部下はアダムを捕らえるための縄を誠心誠意作っている最中だったのである。そこでアダムは微分者と積分者の助けを借りることとした。

「ゲンシカン・スーにドー・カン・スーよ、頼みがある」

「はい」

「何なりと」

「王都を原点にとり、三次元直交座標を設定し、我々の現在地を180°回転させて原点対称な位置へ移動させてくれ。お主らが二人で力を合わせればできるはずだ」

 二人は力を合わせ、微分積分学の力を以てしてアダムたちの位置を回転させ、北から南へと一瞬にして運んだ。(作者注:座標とは実際は線形代数学の分野であるのだが、ウッカ・リーは大学時代に微分積分学の単位を落としているほどの数学嫌いであるため、そのあたりが曖昧なのである)

「お見事。助かったぞ」

 こうして一行は南の街に到着し、発明家のもとを訪れた。

 発明家の家は遠目にもすぐわかり、というのも家の煙突からは七色の煙が吹き出し、壁はひっきりなしに蠕動し、時たま地上数十メートルの高さに飛び上がっては着地していたからである。

「あれが発明家の家に違いないぞ。それゆけ」

 アダムが家の前に辿り着き、インターホンを鳴らすと忙しそうな男の声が聞こえてきた。

「今忙しいんだ、留守だ留守!」

「なんと、ここまで見事な居留守を使われたのは生涯で初めての経験であるなあ」

 アダムは感動したが、よくよく考えてみると感動している場合ではなかったので、しかたなく伝説の剣を引き抜いて扉を真四角に切り抜き、そっと邸内に侵入した。

「またつまらぬものを斬ってしまった」

 そう呟きつつ進むアダムの前に現れる奇怪な発明品の数々、それらに魅了されたり襲われたりしつつ、ようやくアダムは巨大な機械が鎮座する居間へと辿り着いた。

「こらっ、勝手に入ってきおって」

 そこにいたのは白い鬚にぼさぼさの白髪頭、目にはゴーグル、そして白衣という完全武装のマッドサイエンティストであった。ゴーグルの奥の目は左右で別の方向を向いていた。

「私はアダムと申す。あなたは」

「ワシは発明家プリンプリン博士じゃ。はてさて、あの扉は決して壊せぬはずだが……どんな剣を使えばあのように真四角に切れるというのじゃな。まあよい、おい若造、よく見とれ」

 プリンプリン博士は機械のスイッチを押した。

「ポチッとな」

 重低音を響かせて機械が唸り始め、そこかしこの管の中を七色の液体が駆け抜け、もくもくとした煙が部屋を包み込んだ。機械は最後にひときわ大きく震え、そしてぽふんという変な音を立てて何かを吐き出した。

 それはバターを塗ったトーストであった。

「これだけ大掛かりな装置から、出てきたものはバタートーストか」

「まあ待て」

 プリンプリン博士はにやりと笑い、装置の反対側に回って何かを取ってきた。

「これも出てきたぞい」

「それもバタートーストではないか!」

「然り。この装置はバターを塗った食パンを二枚同時にこんがり焼き上げ、排出するものである」

 アダムは呆れて尋ねた。

「それが一体なんの役に立つというのか」

 プリンプリン博士も呆れて言った。

「バカタレ、この装置のすごさは別なところにあるのじゃ。ついてこい」

 プリンプリン博士はバタートーストを捧げ持って隣の部屋へと歩いていったので、アダムはしかたなくそのあとについていった。

「この装置の特徴はな、まったく同時に、まったく同じ分量のパンに、まったく同じ分量のバターを、まったく同じ厚さで塗ることができる点にある。つまりこの二つのパンは完全に同一、分量焼き加減その他全てにおいて同じものじゃ」

 プリンプリン博士はテーブルの上にある皿に二つのバタートーストを置いた。

「さあ、物体の落下について考えよう。物理学的に考えると、落ちるときは当然重いものから早く落ちる。重い面が下になる。つまり」

 プリンプリン博士が別のバタートーストを取り出し、摘まみ上げてひょいっと手を離した。するとバタートーストは落下し、バターが塗られた面を下にして落ちた。

「こういうことじゃ。バターを塗った面のほうが重いため、そちらが下になる。これはこの世の真理であり、この世界がパンの中にある以上絶対的な第一法則であるからして、たとえどのような位置から落としても、地面に着くときは必ずバターを塗った面が下となる。そう、コーラを飲んだらゲップが出るということぐらい確実じゃッッ!」

 アダムはその気迫に圧されて頷いてしまった。

「では、このまったく同じ二つのバタートーストは、落とせばそれぞれバターを塗った面を下にして落ちようとする。ここで! 二つのトーストを貼り付け、バターを糊代わりに固定すると!」

 プリンプリン博士は二つのバタートーストを貼り付けた。これで二つのトーストは一体となり、二枚の内側にバターが塗られたシークレットトーストとなった。

「これを落下させたらどうなると思うね」

 アダムはごくり、と唾を飲んだ。プリンプリン博士の手が動き、シークレットトーストが宙に放たれた。それは緩やかに回転しながら落下し、そして床の近くで高速回転し始めたのである。

「そう、バターを塗った面を下にして落ちる、その働きの相乗作用が起こるのだ。バターを塗った面を下にして落ちようとして、くるりと回転する。しかしそちらもバターを塗った面であることには変わりない。そしてまた回転する。結果、このような高速回転が生まれる。さらに、食パンとバターに含まれるインチキロイドという成分はオーブントースターで二分と三十二コンマ二七六秒加熱することで無限に増殖していき、これによって回転エネルギーは電気エネルギーへと変換される。見たまえ」

 回転するトーストからちりちりという音が発生し始め、ついにはトーストから電撃が放たれ、床に焦げ跡を作った。

「熱力学第二法則を無視した永久機関の誕生だ」

「そんな馬鹿な」

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