手助け


 サヤが病室から居なくなった。怪我の手当を終え、絶対安静となっていたにも関わらず。もぬけの殻となったベッドに気がつくなり、アーサーは医者の制止を振り切って愛車へと跨った。

 アルジェント製の大型バイク。アーサーの唯一の趣味であるこの愛車は、戦闘車両から派生したものでどんな悪路でも難無く走れる安定性と馬力を誇る。その性能と無骨なデザインを気に入ってはいるのだが、今はその実力にしがみつくのが精一杯だった。


「ぐっ、くそ……」


 負傷した左足が痛む。通常、アーサーの義手や義足が損壊した場合、一旦取り外してから集中的にメンテナンスを行う。だが、それには早くても数日の時間を要する為に、今回は最低限の応急処置で済ませていた。

 その結果、左足には思うように力が入らないために右足で庇うような形になってしまい。右足にまで不具合が生じ始めていた。

 加えて、度重なる戦闘により心も疲弊している。それでも、休息を取る暇など無い。最早、アルジェントには安らぎを得られる場所など無い。

 テュランの宣言通り、アルジェントは地獄と化してしまったのだ。


「う、うわああああ!!」


 突如、車道に飛び出して来た人影にアーサーがハンドルを切る。今日だけで何度も同じことがあったが、今度こそバランスを崩した。

 バイクから投げ出されるも、何とか受け身を取りダメージを最小限に留める。全身に激痛が走るも、無理矢理に息を吸い込み両足で立ち上がる。


「ひいいいっ、こっちには人間!?」

「お前は……人外か」

「も、もうダメっすー! 万事休すっすー!!」


 飛び出して来た男は、狐の耳を持つ人外だった。年齢はアーサーと同年代くらいだろうか。顔面は真っ青で、怯えているのか肩がガタガタと震えている。手には拳銃を持っているが、アーサーに向ける様子はない。

 弾切れなのか、それとも。答は、すぐにわかった。


「グ、げああァ……ガは、ぎィ…………」

「ひ、ひいいい!! き、来た!! こっちに来たっす!」


 背後から聞こえる、粘着質な足音。およそ人の声とは思えない異音に、男が跳ねるように振り向き銃を構える。戦い慣れてはいるようだが、彼の手には負えない敵が姿を現した。

 襤褸布と化した衣服はどす黒く染まり、ずるずると足を引き摺るように歩いている。よく見れば、右腕が肩から引き千切られたように欠損している。男と同じ獣耳に長い髪、華奢な体躯はどうやら女のようだ。

 だが、その姿はあまりにもおぞましい。


「くく、来るな……来るなぁ!」


 男が悲鳴を上げながら、引き金を引く。立て続けに三発、胸と腹、そして左腕の肘関節部分に命中した。ぼとりと、ずた袋のようになった左腕が地面に落ちる。


「ぐゥ、ああァアアア……」


 しかし、女は歩みを止めなかった。自分の腕が撃ち落とされたにも関わらず、ただ目の前の獲物を追い続けるだけ。

 ああ、またか。


「退いていろ」

「……え?」


 二人の間に躍り出て、腰に下げたホルダーからナイフを抜く。そして姿勢を低く構え、大きく裂けた口で遅いかかる女の首に赤い刃をあてがい、思いっきり横に引いた。

 皮膚と肉、そして固い骨を力の限りに切り裂く。


「……すまないな」


 くぐもった断末魔を上げて、女が前に倒れ込んだ。頸動脈をかなり深く切り付けたが、アーサーが返り血を浴びることはなかった。

 それどころか、ナイフ自体も汚れていない。血も肉も、切り裂いた瞬間砂に変わってしまうのだから仕方のない話なのだが。


「な、なんで……」


 不死身の化け物を一撃で殺したアーサーに、男が瞠目する。それも人外である自分を助けたのは、敵である人間なのだ。驚くのも無理はない。

 だが、アーサーにしてみればもう人間と人外の差別などどうでも良かった。


「お前……バイクには、乗れるか?」

「へ?」

「そこにあるバイクをくれてやるから、何とか逃げ切れ。可能なら、他の者も助けてやれ。人外だけでも良い、とにかく一人でも多く生き延びることだけを考えろ」


 それだけ言い残して、アーサーは歩き始めた。目的地であるオルマタワーは目と鼻の先。重いバイクを立てて乗っていくよりも、このまま歩く方が身体の負担は少ないと判断したのだ。

 愛車を失うのは惜しいが、それで誰かの命が助かるなら構わない。


「え、あの……ま、待って!」


 男が呼び止めるも、聞こえないふりをしてアーサーは先を急いだ。以前から、サヤが貴重な休日をオルマタワーで過ごしていることは知っていた。それも、買い物をしたり誰かとデートをするでもなく、ただ日が暮れるまで展望台で過ごすだけ。まるで誰かを待つかのように。

 だから、昨日のテュランの言葉に合点がいった。サヤはきっと、オルマタワーの展望台に行ったのだ。そして、そこにテュランが居る。

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