地獄

「はあ、はあ……」


 息が乱れる。両足が言うことを聞かずに、鉄くずを無理矢理に動かしているかのような錯覚に陥る。道に転がるゴミや瓦礫を避けるのも、階段を一段昇るだけでも苦痛で。それでも、歯を食いしばって耐える。

 テュランとサヤ。二人の間にある問題に、自分が関われることなんかきっと無いのだろう。邪魔なのだろう。わかっている。

 だが、このまま黙っているわけにはいかない。


「テュラン……貴様に、言いたいことが……むしろ、一発二発殴ってやらなければ……気が、済まないんだ……」


 テュランへの怒りで、萎えそうになる気持ちを奮い立たせて。しかし、タワーの入場口まで辿り着いたところで、ついに動けなくなってしまった。開け放たれた自動ドアの手を付いて、少しでも体力を回復しようとする。

 その時だった。


「おやおや、意外と遅かったですねぇ。待ちくたびれてしまいましたよ」


 アーサーくん。自分を呼ぶ、薄気味悪い程に落ち着いた声。照明が付いていないからか、タワー内は日中だというのに薄暗い。

 きっ、と顔を上げ、この地獄を生み出した全ての元凶を睨み付ける。男は正面の柱に寄りかかったまま、ひらひらとアーサーに向かって手を振っている。


「あはは、どうしたんですか? ボロボロじゃないですか、せっかくの男前が台無しですよ」

「……誰のせいだと思っている」

「僕のせいにしたいんですか?」


 嗤いながら、ジェズアルド。腹立たしいものがあるが、無理矢理にでも平常心を保たなければ。やみくもに殴りかかって勝てる相手ではないことは、昨日嫌という程に思い知らされた。彼がその気になれば、今のアーサーなど一言で簡単に殺せてしまうのだろう。

 それは、洗脳などという安っぽいものではない。個々の意思を無視し、強制的に言うことを聞かせる。言わば、絶対的な『命令』なのだ。


「そんなに怖い顔しないでください。僕はきみを殺すつもりはありません。もし殺すつもりなら、わざわざそのナイフを落としたりしませんでしたよ」

「……今、この国に起こっている異変は何だ?」

「人間達が次々に『吸血鬼化』している、ということですか?」


 ジェズアルドの言葉に、アーサーは手に持ったままのナイフ握り締める。大統領府からオルマタワーまで、大した距離ではない上に、バイクならば十分もかからない。それでも、アーサーがここまで来るのに相当な時間を費やしてしまった。

 理由は、先程の異様な光景。腕をもがれようが、心臓を撃たれようが死なない化け物。人外だけではなく、人間にも同じ異変が起こっていた。それも、国中のあらゆるところで。


「『吸血鬼化』だと?」

「吸血鬼は人間や他の人外とは違って、至極簡単に同胞を増やすことが出来るということはご存知でしょう? それを行っただけですよ、第一上級学校で生き残った生徒の、およそ半数に」


 戦慄。ジェズアルドが言うように、吸血鬼だけは繁殖活動を行わなくとも仲間を増やすことが出来る。その方法は、他者に吸血鬼の血を与えるだけ。吸血鬼の血を与えられた者には特有の赤い痣が刻まれ、数日を置いた後に吸血鬼と化す。

 それが『吸血鬼化』だ。


「ッ……そういうことか」


 第一上級学校で保護された生徒達は、全て家族や親類の元に返されている。もしくは、医療機関にて治療を受けている者も居る。

 その半数、約五百人もの人間に血を分けたというのか。


「ああ、言っておきますけど……血を分けたのは僕ではありませんよ? きみが殺したヴェルマーくんや、他の吸血鬼です。嫌いなんですよね、そういうの」

「……だが、高潔な吸血鬼にしては随分行儀が悪いようだが?」

「ほら、感染症とかと同じですよ。誰かから誰かへ、どんどん感染を繰り返していけば、ウイルスはどんどん変化していく。その結果、人間だけでなく人外をも巻き込み、ただ生き血を求めるだけの低俗な化け物になってしまったんでしょうね。所謂、動く屍……グール、とでも呼びましょうか」

「これが……終末作戦の真髄か」


 漸く理解できた。何故、テュランが簡単に捕まったのか。国に潜む人外達のことを教えたのか。なぜ、ヴァニラを簡単に殺せたのか。

 テュランは人間に復讐する為に、恋人を含めた全ての人外を犠牲にしたのだ。


「……家族や親しい人を見境なく喰い殺していくなんて、確かに……これ以上無い『地獄』だな」


 完敗だ。人間は、アルジェントという国は、テュランというたった一人のワータイガーに息の根を止められてしまったのだ。


「でも、きみにはこの地獄に立ち向かう為の武器をお渡しした筈ですよ?」


 アーサーの手元を指差して、ジェズアルドが言う。吸血鬼を一撃で亡き者にする、必殺の刃。真祖カインの弟である、アベルのナイフ。


「そのナイフでカインを殺せば、こんな地獄はすぐに終わりますよ」

「その根拠は何だ?」

「ここだけの話、ヴェルマーくんや他の吸血鬼……この国に居る吸血鬼は、全てカインの血を受け継いだ吸血鬼なんです。なので、元凶であるカインが滅びれば、連鎖的にカインの血族全てが無に帰します」

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